初めてスマホを買い与えてもらったその日にインストールしたゲームを、高校生になった今でもなんとなく続けている。熱中しているというほどでもなく、デイリーをこなして、たまに手が空いたり何かの息抜きにするくらいだが、そこそこ上手いほうだろう。
「……あ、nagiさん」
アプリを開いてすぐに飛んできた招待に、そんな声が出た。
nagiはナマエがゲームを始めて間もない頃にフレンドになった人で、お互いログインしていたら招待をしあってパーティを組むことが多かった。ゲーム上だけれど、もう長い付き合いになる。
とはいえ、ナマエがnagiについて知っていることはほとんどない。
とてつもなくゲームが上手いこと。朝昼晩いつナマエがログインしても、大抵先にログインしてるくらい暇人だということ。恐らく男の人だろうということ。
時々ゲーム内のメッセージでやり取りをする程度だけど、一人称が俺だったから、そう予想していた。
そして、パーティを解散する前に『学校行くから落ちる』というメッセージが届いたこともあるから、学生だと思う。教師かもしれないけど、なんとなくそんな気がした。
nagiからの招待を承諾して、デュオモードをプレイする。
モードの選択画面には「イベント中」と書かれていた。そこそこ良い報酬がもらえるため、nagiからの誘いはありがたかった。
最後のあと1ペアさえ倒せば勝利というところでまでは順調だった。ナマエが後ろを取られて、1人になったnagiも撃たれて呆気なく終わり。画面には『GAME OVER』の文字がでかでかと表示されていた。
『死んだ、ごめん』
『足引っ張ってすみません』
nagiから届いたメッセージに返信する。ソロのほうが安定しそうなのに、どうして自分と組んでくれるのだろう? 上手い人とプレイできるのは楽しいし、彼の気を悪くしてはいけないから実際に聞いたことはないが。
『だいじょーぶ。もう寝る時間?』
『明日開校記念日で休みなので、遅くまで大丈夫です』
『まじ? うちも明日開校記念日だから休み』
やっぱり彼は学生だった。nagiについて知っていることがまた1つ増えた。顔も名前も知らないフレンド。興味があるかないかといえば、よく分からない。
その日は珍しく夜中までゲームをした。 2時を回ったあたりでnagiから『眠くなってきた』とメッセージが飛んできたので、そこで解散した。
ぽすっ、とベッドの上に倒れ込む。枕の傍に投げ出されたスマホ画面には、リザルト画面が表示されていた。15戦中11回のチャンピオン。上等だろう。
「……目、しぱしぱする」
ちょっとやっただけでこんなに疲れるのに、毎日やってるnagiは相当のゲーム廃人だな。
そんなことを思いながら、ナマエは重い瞼を閉じた。
▽
シャツの上からリボンタイを着けて、襟に千鳥格子の模様が入ったブレザーを羽織る。なんとなくで入学した白宝高校の制服は、少し堅苦しくて苦手だった。
制服だけじゃなくて、クラスメイト達もそうだ。初対面から出身地で繰り広げられるマウント合戦も、容姿や親の職業で決まるカーストも、その全てがナマエを辟易させていた。
――高校選び、間違ったなあ。
朝っぱらから将来がどうのこうの、投資がどうのこうの話している白宝の生徒を見ながら、ぼんやりとそんなことを思った。
眠たい目を擦りながら、自分の席に座る。窓際から2列目1番後ろの席が、ナマエの小さな聖域だった。後ろの席は意外と教師達からよく見えるというが、教室内政治に勤しむクラスメイト達に巻き込まれないほうが重要だ。
余談だが、ナマエは生粋の事勿れ主義である。座右の銘は「なるようになる」。白宝のカラーに合わないのは当然のことだった。
ぼんやりとSNSを見ていると、がたりとすぐ近くで音がして顔を上げた。隣の席の凪誠士郎が眠たそうに瞼を擦っている。音の出処はきっと彼だ。
凪誠士郎――通称『万年寝太郎』はこの白宝高校では異質な男だった。共通のブレザーは着ているものの、その下に着込んだパーカーは校則違反。授業中は大抵寝ていて、たまに起きたと思ったらパンを食べている。その他はずっとスマホでゲームをしているか、また寝るかだった。凪と喋ると呪われるとか幸福が訪れるだとか、色んな噂も存在していた。
そんなクラスの中でもいっとう浮いている凪だったが、ナマエは凪のことを、どちらかというと好ましく思っていた。
こちらから話しかけなければ、凪から話しかけてくることはない。ガヤガヤと騒がしい教室で、唯一静まりかえったこのスペースは居心地が良かった。隣人が凪で良かったとナマエが思っていることを、凪は知るよしもないだろう。知られても困るけれど。
気づけば凪は机に突っ伏して二度寝に勤しんでいたので、ナマエはスマホに目線を戻した。いつものゲームにログインしてみれば、nagiは珍しくオフライン表示だった。
そういえば同じ名前だな、と初めてナマエは気がついた。凪もよくスマホゲームをしているけれど、まさか同一人物、なんて事があるのだろうか。ナマエ自身もゲーム内での名前はそのままナマエだった。とはいえ、全世界で数百万人ほどのユーザーがいるゲームだ。そんな偶然があるとは思えなかった。
チャイムが鳴って、ようやく迎えた昼休み。ホームルームは序の口で、午前の授業中も凪は余裕で爆睡していた。入学早々にして教師も諦めが生まれたのか、注意をしなくなったらしい。
朝からまったく同じ姿勢のまま眠り続けている凪を尻目に、ナマエは教室を出た。
外れにある空き教室に入って窓を開けると、暖かく気持ちいい春風がナマエの前髪を揺らした。滅多に使われない教室が立ち並んでいるこの校舎は、とても静かだった。生徒達の喧騒がどこか遠い世界の音のように聞こえる。
購買で買ったばかりのパンとジュースを片手に、なんとなく例のゲームを開くと、すぐに招待が飛んできた。nagiだ。
拒否する理由もないので、そのまま承諾を押した。
nagiにキャリーされながら、なんとか残り1ペアを倒すところまでは進むことができた。
――なんか前もこんな感じだったな。と考えて、そこで集中力が途切れてしまったせいか、画面上のナマエのアバターはあっさりと撃たれてしまう。nagiさえ生きててくれれば。そう思ったが、nagiも同じように敵に撃たれてしまったらしい。
「あー負けた……」
「ヘッショくらった……」
ナマエに重なるように、窓の外からぼんやりとした声が聞こえてきた。
ここは滅多に人のくるような場所ではないのに。誰だ? 不審に思って恐る恐る声のした先を覗き込むと、薄いグレーの髪色をした生徒がベンチで胡座をかいていた。
「んえ」
凪誠士郎だった。凪もナマエの声が聞こえていたのか、体勢はそのまま顔だけこちらを見ていた。感情の読めない瞳だった。
「あ、えっと、」
視線の圧を感じて、ナマエはいささかたじろいだ。なんと言えばいいのだろう。そもそも何か言う必要があるのだろうか。歯切れのナマエ悪いとは真逆に、口を開いたのは凪からだった。
「隣の席の人……だっけ」
顔を覚えられていたことに内心驚きながら、ナマエは頷いた。
「う、うん。ミョウジナマエ」
「そっか」
凪はそう言うと、興味を失ったようにあっさりとスマホに視線を戻した。ナマエもそれに釣られるように凪のスマホを盗み見て、「あっ」と思わず声が出た。
見慣れたスマホゲームの待機画面と、表示されている2人のアバターと名前。それは紛れもなくnagiとナマエのものだった。
「nagiって、凪……?」
「? 凪だけど」
「ち、違う! ゲームの!」
首を傾げる凪に、ナマエは自分のスマホ画面を見せる。ナマエの画面にも凪と全く同じものが表示されていた。
「……ナマエ?」
「ナマエが私、なんだけど…」
それが、ナマエと凪誠士郎の現実世界での初会話だった。
nagiが凪誠士郎だったことに、ナマエはそこそこの衝撃を受けていたのだが、当の本人は表情一つ変えずに口を開いた。
「続き、やらないの」
「は、」
「もう落ちんの?」
「や、やるけど……」
呆気にとられたナマエは流されるように頷く。凪は「じゃ早くやろ」とまたスマホに視線を落としてしまった。
白宝にはおかしな生徒がたくさんいるけれど、凪はまた違った意味で変わっていた。けれど、不思議と不快感は抱かなかった。
「早くスタート押してよ」
「……なんで私怒られてんの?」
それ以降会話をすることはなかったが、時折凪が漏らす「あ、死んだ」「うわやられた」などの声のおかげで、居心地は悪くなかった。
結局、昼休みが終わるまでそのまま2人でゲームをしてしまった。
当たり前のことだが、凪と話しても呪われることはなかった。幸福が訪れたかどうかはわからないが。
所詮噂は噂だな、とナマエは思った。
「あ、ナマエ。なんで昨日ログインしてなかったの」
「めっちゃ普通に話しかけてくるじゃん……」
翌日、相変わらず遅刻ぎりぎりに登校してきた凪は、ナマエの顔を見るや否やそう言い放った。
朝の騒がしい教室でも周囲には凪の声が聞こえていたようで、クラスメイト達はとんでもないものを見たと言わんばかりに唖然としている。
見世物じゃないんだけどな、とナマエは口元を引きつらせた。
「別にソロでやればいいでしょうが」
「それはそうだけど、今デュオ戦のイベントきてんじゃん」
「あんた私以外にフレンドいないの?」
「ナマエはいんの?」
生憎とフレンド欄にはnagiしかいないことを思い出して、閉口した。これ以上言うと己を傷つけるだけである。
「……昼、また昨日のとこ集合ね」
「いえっさー」
考えることを放棄して、流れに身を任せることにした。やはり生粋の事勿れ主義であった。