「シールド割った」
「おりゃヘッショ」
「ないすー」
季節は夏に変わって、暑苦しい日が続いている。
相も変わらず、ナマエと凪はいつものように空き教室で、例のゲームに勤しんでいた。既にイベントは終わっていたが、毎回凪は招待を送ってくるし、それを断る理由もなかった。
「安地移動しよ」
「待ってまだ漁り終わってない」
ゲームの内容以外に話すことは特になく、休み時間に示し合わせたように集合して遊ぶだけ。友達というには些かなにか足りない関係だったが、ナマエはこの時間が嫌いではなかった。
「ナマエ弾持ってない?」
「めっちゃ余ってる」
「ちょーだーい」
凪にいくつかの弾薬を渡して、ナマエも使った分をリロードする。
その隙を狙われていたのだろう。背後から撃ち抜かれてしまい、応戦するもあっさりと倒されてしまった。戦闘後を狙った漁夫というやつだった。
「あー最悪」
「ナマエがさっさとしないから」
「人のせいにするな」
少し強い言葉で言い返しても、凪は気にしてないどころか「早くもっかいやろーよ」と急かしてきた。こういうところがとても気楽だった。
「あ、次化学室じゃん。戻ろーよ」
「えーめんどくさーい」
「留年するほうがめんどくさいでしょうが。行くよ」
「おんぶしてよ」
「圧殺されそうだからヤダ」
凪がぐだぐだと嫌がったので、仕方なくナマエが腕を引いて化学室まで連れていってやった。
凪の生態を知る他クラスの同級生や教師は、その姿を見て目を疑ったとかなんとか。
帰りのホームルームを終えて帰ろうかというところで、空を覆う雨雲に気がついた。夏の天気は変わりやすいというが、朝の天気予報では一日中晴れるという予報だったのに。
駅に着くまで降らないといいけれど、念の為置き傘を持って帰ろうか。
そんなことを考えながら席を立とうとして、未だ眠りこけている隣人の存在に気がついた。ただのクラスメイトなら放置して帰っていただろうが――。
「……凪、起きて」
こんこん、と机を叩く。雨雲より色素の薄い髪を揺らして「ううう…」と凪は小さく唸る。それでも起きる気配がないので、今度は凪の体ごと揺すってみた。
「んー……ナマエ……?」
「もう学校終わったから、起きて」
「うぇ、めっちゃ寝てた……あんがとね」
座ったままだとまた寝てしまいそうだったので、まだ眠そうに瞼を擦る無理やり立たせる。凪をこのまま放置したところでナマエが困るわけではなかったけれど、見過ごしておけるほどナマエは薄情ではなかった。
どうせめんどくさがりの凪のことだ、傘なんて持ってないだろう。降ってきたらそのまま濡れて帰りそうだし、それで風邪を引かれても寝覚めが悪い。
「早く歩いてよ凪」
「えー歩くのめんどくさーい……」
そうこうしている間にも、雲行きは怪しくなって今にも降り出しそうだった。
猫背でよたよたと歩く凪の背を押す。女子の平均的身長のナマエに、190cmの巨体はあまりにも重すぎてゆっくりとしか進まない。
「もー雨降っちゃうってば」
「……もう降ってきたけど」
凪はぼんやりと空を見上げてそう言った。ナマエは「最悪」と顔を顰める。ぽつぽつと地面を濡らす雨は、あれよあれよという間に勢いを増している。
これはしばらく止みそうにないな、とナマエは思った。
「凪、傘は?」
「あると思う?」
「ない前提で聞いてる」
「正解」
これで持ってるなんて言い出したら、ナマエは凪が正気か疑っているところだった。凪の生活能力は地に落ちているどころか、めり込んでいると思っているのである。
昇降口にようやく着いたナマエは、いくつか残っている傘の中から、持ち手にマスキングテープが巻かれた可愛らしいものを手に取って凪に差し出した。
「使っていいよ」
「使えって……ナマエはどうすんの?」
「……走って帰る?」
「いやなんでよ」
そう凪が突っ込むのも当然だった。そもそもこの傘はナマエのものなんだから、ナマエが使うべきだろうと突き返す。
「なんで俺が使うのさ」
「だって……凪って風邪ひいたら治せなくてそのまま死にそうじゃん」
「俺のことなんだと思ってんの?」
「生死すらめんどくさそうな生き物」
「いや、死んだらゲームできなくなるだろ」
「そういうところね」
押し問答の末、ナマエはため息をこぼした。
このままいても凪は絶対に1人で帰ろうとはしないだろうし、かといって濡れ鼠にさせたくはなかった。
となると、選択は1つしかない。
「凪、一緒に帰ろ」
「えっなに。相合傘でもすんの」
「それ以外にあんの」
「ないけど」
ナマエとて付き合ってもいない同級生と相合傘をすることに恥ずかしさがないわけではなかった。けれど、背に腹はかえられない。
じゃあ決まり、とナマエは傘を開く。白い花柄が全面に施された大人しめのものだった。凪は「ナマエの雰囲気にあってるな」とぼんやり思った。
「はい、傘持ち役ね」
「えー俺?」
「私が持ったら意味ないでしょうが」
渋々と傘を持つ凪の隣に並んで歩きだす。
「凪って最寄りどこ?」
「んあ、俺寮住み」
「そうなの? いいね、気楽じゃん」
「ナマエんとこ親厳しいの?」
「ううん。基本家いないし放任主義」
しばらくそんな話をしながら歩いていた2人だったが、信号待ちで立ち止まると「もっと寄ったら?」と凪が言った。
「肩濡れてる」
「え、あー……」
指摘されてナマエは口ごもる。
傘の下、ナマエと凪のには少しの距離があった。凪が傘を持っているのだから、勿論濡れるのはナマエのほうで。それに気づいていないわけではなかったが、あまり大きくない傘で濡れないようにしようと思うと、密着するしかないわけで。
眉間に皺を寄せて唸るナマエに、凪は唇を開く。
「ナマエが風邪ひいたら俺が困る」
「なんで」
「デュオのミッションクリアできない」
「……はいはい」
ブレない男だった。いつなんどきでもゲームか寝るかで生きている凪の予想通りの答えに、少し呆れた。
「じゃあ、お邪魔します」
「どーぞどーぞ」
意を決して、距離を縮める。凪の傘を持つ腕と触れ合いそうなほどだった。いつもは机1つ分挟んでいたため、凪とここまで近くなるのは初めてだ。
少しだけ鼓動が早くなるのを隠すように、ナマエは無理やり言葉を捻り出した。
「な、凪って家でなにしてんの?」
「んー……ゲームするか漫画読んでる」
「想像しかできない」
「失礼な」
1度会話の流れができれば、あとはそれに乗るだけだった。凪もナマエも特に何も考えていないので、脊髄反射だ。
だらだらと取り留めのない話をしていると、あっという間に凪の住む寮に着いていた。
「傘あんがとね」
「んーん。こちらこそ持ってくれてありがと」
「そんくらい別に」
開かれたままの傘を差し出されたので、ナマエも手を伸ばす。そのまま受け取ろうとした時不意に手が触れて、ナマエはぴくりと肩を揺らした。
凪は相変わらず感情の読めない瞳をしたまま、そんなナマエを見下ろしている。
「また明日ね、ナマエ」
「う、ん。……また明日」
ひらひらと手を振る凪の姿が消えるまで、ナマエはその背中を見つめていた。
高校に入って初めてのテストが返ってきた。クラスメイト達はみなその結果に一喜一憂しながらも、いつも通りマウントの取り合いを始めている。
ナマエはそんな彼らを尻目に、先日買ったばかりの文庫本を広げていた。凪に薦められて読んだ漫画が面白くて、つい原作の小説を大人買いしてしまったのである。最近流行りのよくあるデスゲーム物かと思いきや、設定や伏線が上手く練られていてナマエの琴線に刺さったのだ。手が止まらずに気づけば夜更かしをしてしまい、目元にはクマができていた。
「ミョウジさんって意外と勉強熱心なのね……」
1文字足りとも読み逃すまいと鬼気迫る表情でページを捲るナマエを見て、あるクラスメイトはそう呟く。
廊下に貼りだされた全教科総合でのランキング、その2位にナマエの名が刻まれていたためだ。テストが終わって早々、勉強をしているものだと勘違いされているのである。真っ白のブックカバーに包まれたそれは、実際はただのライトノベルであることに気づかずに。
これを薦めた男ほどではないが、ナマエもいわゆる天才という部類に入った。なんとなくで白宝に入学を決めて、テスト前日に教科書とノートを見返せばこの結果が得られるくらいには。勉強熱心という単語とは全く縁がない人生であった。
「なあ、ミョウジってお前か?」
黙々と無心で読み進めるナマエの机に影が落ちる。聞き覚えのない声に不審に思いながら顔を上げると、紫髪を綺麗に切り揃えた男が目の前に立っていた。やはり知らない男である。
そして気づいた。この紫髪だけでなく、クラスメイトの注目も集めていることに。たくさんの目がナマエを見ていて、きゅうと心臓が縮こまった。めちゃくちゃ怖い。
「あれ? ミョウジナマエ…だよな?」
「あ、うん、はい……えっと、どなたですか」
「俺、御影玲王。隣のクラスの」
御影玲王、ミカゲレオ、みかげれお……。
どこかで聞いたことのある名前に頭をフル回転させて「ああ、あの噂の」と思い出した。御影コーポレーションの御曹司で、陽キャ一軍女子生徒の間で人気の生徒だ。
その女子生徒達の突き刺すような視線に恐れを抱くナマエを他所に、御影玲王は口を開く。
「俺よく勉強会やってんだけど、よかったらお前も来ないか?」
「勉強会……?」
「そう、うちでやってんだよ」
また一軍女子の視線が鋭くなる。実体化したらめちゃくちゃ痛いだろうな……とぼんやり考えながら、ナマエは首を横に振った。
「御影くんの気持ちはありがたいんだけど、私家遠いし門限厳しくて。申し訳ないけどお断りさせてもらうね。代わりと言ったらなんだけど、佐藤さん達とか誘ってあげてよ」
真っ赤な嘘である。
ナマエの家は徒歩で通える範囲にある上、門限など一切ない。例え朝帰りしたところで咎められることもない。
既にクラス内で凪と共に浮いた存在になっていることは自覚しているが、恨みを買いたいわけではない。女子の嫉妬が恐ろしいことはよく知っている。
「それなら仕方ねーな。ごめんな! 急に誘って」
「ううん。こちらこそ誘ってくれてありがとう」
我ながら女優さながらの演技力だな、と思った。ついでに一軍女子生徒へ誘いを促しておいて、これからの生活に波風が立たないようにしておく。ひっそりと平和に生きていきたいのである。
話を振られた女子たちは目を輝かせているし、御影玲王も女子たちの方へ向かっていく。
緊急クエストはこれにて一件落着。無事に平穏が戻ってきて、ナマエは胸を撫で下ろした。
「今日なんか話しかけられてなかった?」
「え、見てたの」
帰り道、猫背の男は気だるげにそう言い放った。つい先程まで例の漫画について話していたところだったのに、急な話題変換である。凪誠士郎はこういう男だった。
「なんか御影玲王に勉強会? とかいうの誘われた」
「誰それ」
訝しげに言う凪だったが、後に相方となる男の名である。
「ほら、あの御影コーポレーションとかいうでかい企業の子」
「あーお金持ちの」
「そう。羨ましいよね」
「ね。お金くれないかなー…」
「100万くらいぽんと欲しいよねぇ」
「風刺画みたい」
相合傘以来、何故か凪と帰ることが習慣となっていた。気づけば登校してから下校までの間はほぼ凪といると言っても過言ではない。
凪といるのは嫌いじゃないし、気を使わなくていいし疲れなくていい。とても気楽な関係でいられた。
今日声をかけてきた御影もきっと悪い人じゃないのだろうけど、ああして自分を高めようと努力をすることは向いていない。住む世界が違うのだ。
「私、凪と知り合えて良かったかも」
「ほえ? どしたの急に」
「凪といるの楽しいって話」
「……ふーん」
だるそうに呟く凪に大した反応は望んでいなかったし、なんとなく伝えたいだけだった。けれど、凪も「まぁたしかに」と唇を開いた。
「俺もナマエといるの結構好きだよ」
「んえ、」
ぽかんと口を開けたナマエに「じゃあね」と男は手を振って背を向けた。いつの間に寮の前に着いていたんだろう。凪には見えないけれど、とりあえず手を振り返しておく。
「……ずるいなあ」
良く思っている相手に好きと言われて、悪い気はしない。口角を上げながら、ナマエは家路につき直した。
今なら凪の力を借りずともゲームで無双できそうだった。