■ ■ ■



「ちょっとこっち来い」




移動教室の途中で友達と廊下を歩いていたら、前方からやってきた彼がそう言って強引に私の手首を掴んで引っぱり、移動教室とは真反対の方向へ大股で歩き出した。


いきなりの事で前のめりになりながら、引っぱられる形で後をついて行く。

つかまれた手首が痛い。
思わず眉を顰めてみても、彼氏である倉持洋一。彼はその事に気付きもしない。



背後から「青春ですなぁ」と言いたげに友人が羨ましげな視線を私に向け、ニヤニヤと口元を緩めていた。



「先生には、体調不良で保健室へ行きましたって伝えとくねー」



語尾にハートマークをつけながら、軽い足取りで歩き去って行く。


彼女を見送ってから視線を戻して彼を見上げる。
見上げてみても、半歩程先に歩く彼がどんな表情をしているのかわからない。



けれどこれから起こる事は、容易に想像出来てしまった。







彼は私の彼氏だ。
何ものにも代えがたい、大切で、一番で、大好きな人。


しかし私は、彼の2番目。2番目の存在。


どうやら彼は、私以外の誰かを好きで止まないみたいだった。私が彼の1番になることは、世界が引っくり返っても、例え滅ぶことがあっても、変わることはない。それは純然たる事実で、否定することも、目をそらすことも出来ない現実だった。




よくあるお話だ。

倉持には地元に可愛い幼なじみがいる。しかもその子に思いを寄せている。けれどその子には他に好きな人がいた。しかも両思いで、付き合っているらしい。

倉持自身、諦めなきゃと思ったようだ。その子が幸せなら、それを喜ぶべきだと。幼なじみとして、祝福してやるべきだと。


だけど出来なかった。想いが交わることを彼は願っていた。彼女の隣にいるのは、自分でありたかった。自分が幸せにしたかった。一緒に幸せになりたかった。

長年積み重なった思いを、そんな簡単に捨てきれるわけがない。だけどもう望みはない。彼女は既に、別の人と幸せへの道を歩み始めている。自分は邪魔でしかない。これは淘汰しなければならない想いだ。だけど、俺は。



積もり積もった感情を昇華できず、捨てきれない思いに切なさで胸を焦がされ、その子への思いで押しつぶれそうな、そんな時。
何も知らない私は、倉持に告白をした。



告白した時は、彼が他の人へ恋焦がれているなんて知らなくて。

人相は悪いが意外と周りを見て気を配っていたり、時々きつい物言いをするけれど、その言葉の端々には相手を思いやるからこその優しさがあったり、実はクラスメイトともっと話せるようになりたいと思ってる、とか。

単に彼の人柄に好意を持った。


振られても良い。気持ちだけでも知ってもらいたい。少しでも彼の中に、私という存在が残れば。
そんな淡い気持ちを胸に、自分勝手な想いを彼にぶつけた。



「俺には好きな人がいる。でもそいつには彼氏がいて、俺はそいつの幼なじみでいるつもりだけど、好きな気持ちはこれからも変わらない。ずっとそいつの事、好きだと思う。
・・・だからお前を1番には出来ねえ。だけど、それでも良いなら付き合わないか?」



はじめは彼の言っている事が、意味が、全然分からなくて。
思考が全く追いつかなかった。何度噛み砕いてみても良く分からなくて。それでも何故か、それでも良いなら?何を言っているの?そんなの、良い訳がないよと、私の中で心が悲鳴を上げた。


返事を待っている間、伏せていた顔をゆっくりと上げて、彼を見つめる。



―――あぁ、今まで私は、彼の何を見てきていたんだろう。

好きで好きで、大好きで。ずっと彼を目で追ってきたはずなのに。



壊れ物に触れるようにそっと、優しく。彼の頬に手を添える。

酷く苦しげに顔を歪めながらも、いつものように笑みを浮かべようと必死な歪な笑顔。でもやっぱり笑えていなくて、今にも泣き出しそうな、小さな子供みたいな、そんな顔。



そんな顔を見てしまったら、私の中で答えは一つだけだった。







今振り返ると、この人は馬鹿だ。
馬鹿正直に答えて、それでも良いか?なんて。


・・・じゃあそれを了承した私は、なんなのかな。



人気のない空き教室で、冷たく堅い机に押し付けられ、カーテンの隙間から洩れる日差しの光を、倉持は背中いっぱいに受け止めて、私を支配する。


やっと見えた彼の表情は、あの時と同じで。
手を伸ばして彼の頬へと手を伸ばす。

一瞬、驚いたように目を見開いた彼は、やっぱり歪な笑顔を見せた。



ぶつけられない気持ちを彼女である私にぶつける。


何も文句を言わず、彼のはけ口になる。
ただ好きだから。


彼の気持ちは私にはすごいわかる。
だって今この瞬間、この時が、まさにそうだから。

私が彼のはけ口にならなきゃ、壊れてしまう。私が、守らなきゃ。そうじゃないと彼は、愛しさと、切なさで、押しつぶされてしまう。


だから私がその役になる。倉持が壊れてしまわないように。




『じゃあ君はその気持ちをどこにぶつけるの?』




以前、幼なじみのナベが、私にそう言った。


何も答えられなかった。


・・・わからない。
そんなの、私が1番知りたいよ。



また今日も彼の熱を体全身で受け止める。
本当は彼の心を、彼自身を愛したいのに。・・・ううん、彼自身を愛すはずだった。


今はまだ、振り向いてくれなくても良い。
少しずつ私を好きになってくれれば。焦がれた思いで傷ついてしまった壊れそうな心を、私でいっぱいにして、ちょっとでも癒す事ができたらと。淡い希望を胸に抱いていた。


そう、思ってたのに。




私がしている事は、他人から見れば滑稽なことなんだろうか。
これがいけないことなのか、良いことなのか、私にはわからない。


だって私はただ、彼が好きで、本当に大切で、笑っていて欲しくて。



「・・・・・・ごめんな」



意識が遠くなる寸前、倉持が呟いた。



「泣かせてごめんな」



彼の表情が見えない。
でも声で容易に想像できてしまう。

きっと、酷い顔してるんだろうな。


大丈夫。私、泣いてないよ。
絶対泣かないって決めたもの。

だって泣いてしまったら、あの時見た、倉持みたいな顔になってしまって、貴方を困らせてしまう。私は貴方を困らせたくない。ただ笑っていて欲しいの。幸せでいて欲しいだけ。ただそれだけなんだ。


だから謝らないで。
謝るぐらいなら、私を好きになって。・・・なんてね。





::依然に企画で提出したものを加筆修正。