どこにもない心臓のゆき先

「待ってたよ、イタチくん」




 いつもの川辺の修行場にシスイとイタチは居た。瞬身のシスイの異名を持つシスイに、齢13にして暗部部隊長を務めるイタチ。対する静はどの方面においてもパッとしないしがないうちは一族の娘である。同じうちは一族でもこれだけの差がある。二人のハイレベルな忍組手を静は羨望のまなざしで見つめる。

「どうよ!これで俺の勝ち越しだ」
「ああ、俺の負けだな」
「まあ、お前が考え事してなかったら勝負は分からなかったがな」
「気づいていたか」

 二人は和解の印を結んだ。どうやら今日もシスイが勝ったようだ。傍で控えていた静はゆるりと立ち上がり、二人に近づく。体術・忍術・幻術 これら3つを駆使して忍は戦う。そのどれもが静は劣っていた。そんな静はシスイに追いつきたくて、隣を歩きたくて、役に立ちたくて、医療忍術を身につけた。
 シスイもイタチも優秀な忍で、静の数倍忙しい。修行が任務に響かないよう、気持ちよく任務に向かえるよう、医療忍術で回復してコンディションを整えるのは静の役割だった。


 日は随分傾いた。3人は崖の上へ場所を変え、"例の件"について話していた。

「そう…上手くいかなかったのね」
「…すまない。色々と動いてはみたが、計画を遅らせるので精一杯だった」
「一族総結集のクーデターだ、そう簡単に崩せるものじゃないさ。俺たちの想像以上に皆の意思は固い。遅らせることができただけでも上出来だ」
「そっちはどうだ?同志を見付けると言っていたが…」
「こちらも反応がない。良くも悪くも彼らはうちは一族だ。並みの結束じゃない」

 イタチは芳しくない状況に顔を俯かせ、曇らせる。

「イタチくん、そんな顔しないの。こっちにはイタチくんとシスイが居るのよ?大丈夫、自信持って」
「とにかくお前はもう少し内部をつついてみてくれ。俺は別の方法で…」
「兄さーん!!」

 やって来たのはイタチの弟、サスケだった。サスケは3人の内緒話に興味津々で、教えてとせがむ。ひとり置いてけぼりが気に食わないらしい。内容が内容だけに、イタチは困った顔をしてサスケの額を突いた。内緒だと言われたことに対して、サスケは不満の色を濃くした。
 そんなサスケを見遣って、シスイは「サスケをのけ者にするなんてひどい兄さんだ」といたずらに笑う。サスケと高さを合わせるためにしゃがみ込み、顔を寄せていかにも内緒話という風体だ。

「実は……俺とイタチ、どっちが強いかって話をしてたんだ。俺の方が強いのに、イタチが認めないんだよ。サスケだってわかってんだろ?俺の方が上だって」
「違う!!確かにシスイさんは強いけど、でも兄さんの方が上に決まってる」
「そうかぁ?俺の方が年上だし、普通に考えたら俺の方が…」
「忍に年は関係ないよ!」

 両者譲らない言い争いが始まった。サスケは力強い瞳で、「そうだよね、兄さん」とイタチに問いかける。口ごもったイタチに、サスケは今度はイタチに詰め寄る。終わりが見えなさそうだったので、静が助け船を出してやる。

「ほら、サスケくん。何か用があってイタチくんを探してたんじゃないの?」
「そうだった!! 母さんがもうすぐ夕飯の時間だから、兄さん探して来いって!」
「探すのに随分かかっただろうし、そろそろ日も沈むわ。イタチくん、先に帰ったら?」

 そうするよ、と言ったイタチはシスイに向き直る。夕飯の時間だし、明日の準備があるから戻る、と。どうやら明日イタチは任務があるらしい。今日静に任務がなく、修行に付き合えて良かったと思った。
 背を向けて歩いていく兄弟の背中を見つめるシスイに、静は問いかける。

「さっきから、心ここにあらずって感じ」
「家族ってのはいいものだなぁ、ってあの二人を見てると心底思う」
「家族……」

 確かに、あの二人の兄弟仲は羨ましい。静は上に兄が沢山いるが、皆優秀な忍で既に独立している。末っ子の静は兄たちにあのように接してもらった記憶はない。
 しかし、シスイという想い人が"家族"という言葉で二人を表現したことが気になった。明確な言葉で表したことのない、曖昧な関係。それでも、互いが互いを大切に想っていることは分かった。シスイは、私と…家族になりたいのだろうか。そこまで考えてくれているのだろうか。そう、期待せずには居られない。

「これを、一族の都合で崩させるわけにはいかない。どんな手を使ってでも、俺は…」
「まさか、眼をつかうつもりなの…」

 シスイの手は、おもむろに目に触れていた。その表情は、思いつめたように見える。頬を染めていた静だが、すぐに青くなった。

「本気、なの…?」
「ああ、俺はどんな手を使ってでも止めて見せる。あいつらを、そしてお前を守りたい」

 シスイの万華鏡写輪眼「別天神-コトアマツカミ-」 それは最強幻術と謳われる代物で、対象者に幻術にかかっていることを悟らせることなく、操ることができる技だ。一族のクーデターを止めるため、シスイはそれを一族に掛けようというのだ。一族を術にはめる、そんな業をシスイ一人に背負わせることを考えると静は胸が押しつぶされる思いだった。

「分かった。でも、私も一緒に、ね。私もシスイと一緒に背負う」
「静…」
「明日一緒に、上役へ報告に行きましょう。それで、シスイの大好物を夜は食べるの。私、頑張るから。それで、その後…」
「ああ、一緒に別天神をみんなにかけよう」

 ぎゅう、と強く繋がれた手は温かかった。


「クーデター計画は以前進行中です」

 シスイの報告に、三代目火影であるヒルゼンはそうか、と難しい顔をした。すかさずダンゾウが、どうするつもりかと火影に返す。確かにダンゾウの言うように、このまま手をこまねいているだけでは全てが後手に回ってしまうだろう。里の長として、時には非情の選択を下す必要もある。ダンゾウは、今がその時でないのかと強く呼びかける。

「お待ちください。まだ残された策があります。私たちは、それを試してみたいと進言するために、今日ここに参りました」
「策じゃと…?」
「耳を貸すだけ無駄だ。もはや手立ては残っていない」
「策とは何じゃ」
「詳しいことは、俺から説明します」

 そして、シスイは火影、木ノ葉暗部 根のダンゾウ、御意見番二人に向って別天神の説明をした。全員が息をのむような策だった。火影は、シスイに問うた。

「その意味、分かっての提案か?」
「分かっています。けど、それでも、俺には守りたいものがあるんです」
「はい。業を背負う覚悟なら既に出来ております。どうか三代目様、お許しを頂けないでしょうか」
「三代目!お願いします!」

 二人で頭を下げ、しばし沈黙が場を支配した。火影は一度ため息をついた。定まったのだろう。

「そこまで言うのなら止めん、やってみよ」
「ありがとうございます」
「ただし、事を成す前に思い返すことも許す。まだ他の方法を見付ける時間はあるのだからな。良いな、シスイ」

 こうして、私たちの秘密の計画は実行段階に移った。帰り道、静とシスイは拳を合わせる。

「イタチくん、絶対怒るね」
「だろうな」

 二人でふっと笑う。それでも私たちはあの兄弟を、一族を思って実行するのだ。もう迷いはない。驚くほど気分は晴れやかだった。シスイリクエストの夕飯を作るべく、帰り道の分かれ道。立ち止まったシスイに寄る。
 両の指を絡め、静は背伸びをしてシスイは腰を曲げて額をこつんと合わせる。静は目を閉じたまま、静にシスイに呼びかける。

「今なら止まれるけど、止まる気はないんでしょう?」
「ああ。ついてきてくれるか?」
「シスイとなら、どこまででも」
「晩飯、楽しみにしてるよ。それまでは少し、集中してくる」
「わかった。日が沈む前には来てね」

 これが、シスイと交わした最後の会話になった。
 日が傾き始めても来ず、晩御飯が出来ても来ず、日が沈んでもシスイは来なかった。待ちぼうけを食らっていると、家の前に気配を感じて静は飛び出した。

「イタチ…くん……?」
「静……」
「上がって、ご飯食べていくでしょう?」

 その時、イタチくんの眼を見て静は分かってしまった。それでも、イタチを思って静は笑ってイタチを家に上げて、シスイの好物ばかり並ぶ食卓に着き、シスイの分の食事をイタチに与えた。
 食べ終えて、温かいお茶を飲みながら一息つく。イタチが静を呼ぶ前に、静が口を開いた。

「分かってるよ、イタチくん。全部、見せてくれるんでしょう?そのために、ここに来たんでしょう?」
「ああ…」

 イタチの幻術にかかるのは、いつぶりだろうか。そこはあの崖で、現実と寸分たがわぬ精密さだった。

「根が間に入っている。残念だが、うちはのクーデターは止まらない。このまま木ノ葉が内戦を起こせば、他国が必ず攻め入ってくる。まず、戦争になる。別天神を使ってクーデターを止めようとした矢先、ダンゾウに右目を奪われた。奴らは俺を信用していない。なりふり構わず自分のやり方で里を守ろうとする。恐らく左目も狙われる。その前にこの目をお前に託す」

 そういってシスイは自ら左目を抉り出した。両眼を失くしたにも関わらず、シスイは笑ってイタチに眼を差し出した。

「頼めるのは親友のお前だけだ。里を、うちはの名を守ってくれ」
「俺は…」
「それとな、」

 イタチは眼を確かに受け取った。その表情は暗い。当然のことだろう。イタチがなにかを言おうとした。それを遮る形でシスイが言った。

「俺がお前に渡すのは眼だけじゃない。お前に新しい力を与える。万華鏡写輪眼だ」

 万華鏡写輪眼は、写輪眼を持つ者が強い絶望を感じた時に開眼する、唯一無二の眼だ。イタチに強い絶望を与える、つまり、シスイの死だった。イタチは驚愕する。

「シスイ…ッ お前…!」
「どのみち俺は永くない。最後の贈り物だと思って受け取ってくれ」

 シスイの覚悟を感じ取って、イタチはシスイが梃子でも動かぬことを悟る。しかし、誰が親友の死を望むか。イタチの表情は変わらず暗いままだ。それを盲目のシスイは予期していて、フッと笑う。なんて顔してる。今の俺でもお前の表情は簡単にわかるぞ、と場に似つかわしくない冗談だった。そのままシスイはイタチの肩に手を置く。

「不安な表情はお前には似合わない。いかなる時も平静を装え。それがうちはイタチだろ。お前ならできる」

 イタチが震える手でシスイを殺めた。シスイの身体が崖下へ落ちていく。立ち尽くすイタチの眼は、三つ巴ではなく三枚刃の手裏剣の模様が浮かぶ写輪眼だった。


 幻術から醒めた静は気丈に振舞った。今最も苦しんでいるのは間違いなくイタチなのだから。

「イタチくん、ありがとう」
「……すまない」
「ううん、これが最善だった。シスイの遺志を継ごう。必ずみんなを止めて、シスイにいい報告をして安心させてあげなくちゃ」
「…ああ」
「今日は疲れたでしょう。ゆっくり休んで、明日からまた頑張ろう」

 そう言ってイタチを見送った後、静は泣き崩れた。シスイを想っていた。好きだった。愛していた。互いに言葉にしたことはなかったが、いずれ一緒になり共に生きていくものだと思っていた。
 シスイは里の中枢 ダンゾウに殺された。クーデターを止めようが、ダンゾウは里に牙を剥く危険を孕んだ一族の抹消を必ず成し遂げるだろう。シスイを殺したダンゾウが憎い。殺意に駆られる。
 けれどダンゾウを殺すことは叶わない。ダンゾウの殺害はクーデターと同義と言っても過言ではない。それに、なによりシスイが望んでいないのだ。シスイが里とともにあるために犠牲になったのに、それを無駄にすることはできない。
 行き場のない怒りに静はなすすべがなかった。虚なまま任務を遂行し、食事をし、寝て、また任務を遂行した。シスイを失った世界は色褪せて、味気なくて、生の喜びを感じなかった。


 やけに静かだった。

「待ってたよ、イタチくん」

 イタチは刀身を真っ赤に染め上げ、わずかな返り血を浴びてそこに立っていた。

「俺は…サスケを生かす道を選んだ」
「良いんだよ。イタチくんなら」
「俺は…俺は……っ」

 イタチは苦悶の表情を浮かべていた。イタチにだけ茨では生温い修羅の道を歩ませる。そこに静は申し訳なさを覚える。しかし静にはイタチを支え、同じ道を歩くことはできない。

「ねぇイタチくん」

 だからどうか、せめて。

「私をシスイの元へ連れて行って?」

 私を殺すことで彼が苦しまないように。


 イタチは静を万華鏡写輪眼で見つめる。三枚刃の手裏剣を見ると、あの崖でイタチとシスイが忍組手をして静が二人の治療をする幸せな光景が目の前に広がる。
 静はイタチの幻術に嵌り、微笑を浮かべている。その胸に、心臓に、イタチは刃を突き立てた。