春の獣

 静がこの世界にやって来て一か月が過ぎた。この一か月は慌ただしく、過ぎるのはあっという間だった。
 まず最初に根津は、塚内という信頼できる警察を呼び、静を保護してほしいと依頼した。警察が形式上戸籍を探したり捜索願を中心に検索をかけたが、当然マッチせず。そこまで言ったら無戸籍者として戸籍の作成、保護者の選定などサクサク事は進んだ。保護者はもちろん根津である。
 戸籍を作るにあたり個性検査を受けねばならなかったので、しばらく静は病院に検査入院していた。その間外傷で入院していた患者の治療をし、病院からもスカウトが来たのはヒミツである。静の入院の間に根津やリカバリーガールなど雄英の教師陣が中心となって、静の住まいを用意した。
 その後、雄英で雑務をしながらこの世界の理解を深め、根津の勧め教師陣のヒーロー活動にも同行したりと、中々に忙しい日々だった。

 そして、新学期を迎えた。静は実力は確かなモノであるが、この世界における常識や価値観が不足している。その問題を解決するため、静を雄英高校1年A組に所属させ、同年代同士の交流を図る他、実技においては教師補佐として生徒を監督するように取り計らった。
 1年A組は急遽入試すら受けずクラスに所属し、生徒とも教師ともどっちつかずな静に戸惑っていた。

「うちはの実力は確かだ。だがちょっと世間知らずな所があるってことで、ウチで預かることになった。座学は生徒として、ヒーロー基礎学の実技では教師補佐として活動することになる」
「入試すら受けず、この雄英高校に所属するのは、入試で落ちてしまった人たちへ失礼ではないでしょうか!」
「入試を受けていてもどうせ一位で通過できるだけの実力があるってことだ。これは校長の決定だ」
「しかし…!」
「舐めてんなこの裏口入学がァ…。コケにすんのも体外にしろや!!」

 ブチ切れた爆豪が掴みかかって爆破しようとする、が。

「落ち着こうか」

 いつの間にか爆豪の背後に移動していた静が、爆豪の肩を抑えてストンと座らせる。爆豪は少しばかり呆けている。

「まあ急に贔屓されてる人が出てきたら、そういうリアクションをしたくなるのも分かる。だから、これから実力を見せるから分かって欲しい。手っ取り早くて良いでしょう?」
「何をするんだ?」
「私は何もしないよ。君たちが何か出来たらしてみなよ」
「意味がわからな…」
「それじゃ、始めるよ」

 静は殺気を放った。確かに静は何もしていない。それなのに生徒たちは顔を真っ青にして、がくがく震え、冷汗をかき、一ミリたりとも動くことはできなかった。辛うじて動こうとする生徒もいたが、隙だらけに見えて隙が全く見えない静を前にして、成すすべはなかった。


 そうして1年A組が静を受け入れざるを得なくした後、最初のヒーロー基礎学の授業が行われた。オールマイトによる戦闘訓練だ。ただ受動的に訓練を積んでも実りは少ない。能動的に訓練に取り組めるよう、最初に敢えて実技を盛り込んだのだろう。
 静はコスチュームとして申請した忍服に身を包み、ちろりと生徒たちを見遣る。静の忍服自体は木ノ葉の里で着ていた物とさほど差がない。インナーの鎖帷子に、黒のハイネック、腰には忍具ポーチ、足元はサンダル。変更点といえば中忍から着用の許される緑色のベストがないこと、ボトムスがゆとりのある長ズボンからホットパンツとニーハイになったくらいだ。それと、木ノ葉の額当てがないことが静には大きな変化だった。
 里に忠義を尽しても、シスイは里のためと殺され、イタチは死よりも辛い道を強いられた。あちらで死してこちらに来た静だが、心根は木ノ葉の忍であることに変わりない。しかし、里に芽生えた疑心を忠誠だけでは拭えなかった。この世に木ノ葉隠れの里はないのだから、額当てをしていてもヒーローとしてのイコンとしか思われないだろう。忍として所属を示す額当ては大きな意味を持つ。横一線を引くことも、着けることも躊躇われ、今は保管することを選んだ。

「君らにはこれから“敵組”と“ヒーロー組”に分かれて、2対2の屋内戦を行なってもらう!」
「基礎訓練もなしに?」
「その基礎を知るための実践さ!もちろん、私とうちは少女でデモンストレーションは行う!うちは少女にはヒーローを…」
「私が敵役を務めます。オールマイト先生はNo.1ヒーローですから、生徒たちへよきお手本を示された方が宜しいかと」
「ンンン」

 出鼻を挫かれたと唸る、先生としては経験の浅いオールマイト。それに気づかず、静は生徒たちの興奮を見て自身の選択が間違いでないことを悟る。No.1ヒーローの勇姿を間近で見ることが出来るのだ、興奮しない訳がないだろう。それに、静自身も、トップヒーローとの手合わせを望んでいた。
 5階建てのビル一棟をフィールドとし、勝利条件は敵役は核兵器を守るかヒーローを捕まえる。対するヒーローは敵の確保もしくは核兵器の回収。地の利があることや、核兵器を有することがヒーローへの抑止力となるため、敵役の方がやや有利な構図になっている。

「では、開始!」

 静は影分身を作り出し、核兵器に変化させたり、オールマイトの迎撃に向かわせる。

「なんだあの個性!強すぎんだろ!」

 静の個性は“忍者”として登録されている。自己のエネルギーを忍術に変えて放出する、汎用性の高い個性と認知されている。オールマイトを正統派のヒーローとするなら、忍の世界で大義のために汚れることすら厭わない静は外道も外道だ。この構図を上手く演習に落とし込めば、生徒たちも自ずとスタイルが決まってくると思ったのだ。
 やはりオールマイトは正面突破で来た。小細工なしでも最強、その場にいるだけで敵には脅威に、市民やヒーローからは安心感を与え、場を支配する。静はオールマイトのパワーをいなしながら、影分身に人質の茶番をさせたり、核兵器と思わせて影分身に奇襲させるなどのトラップを講じたりと陰湿なやり方でヒーローを牽制する。

「私にそんな小技は通用しないよ、うちは少女」
「オールマイト相手では流石に通用しませんね」

 ビルの最上階で、静本体とオールマイトが対峙する。まさに追い詰められた敵となった。窮鼠猫を噛む、と諺にあるように、追い詰められ手段を選ばない者ほど怖い。それに、追い詰めた方には隙が生まれるものだ。オールマイトには通用するとは思っていないが。

「いざ尋常に、勝負!」

 静はクナイを構えてオールマイトの懐に飛び込む。女性であるが故、筋力は劣る。それを補うだけの速さとしなやかさ、そして的確さ。静は攻撃をいなしながらオールマイトを翻弄し、的確に隙をついて急所を狙う。

「火遁・豪火球の術」
「アチチ!でもその程度じゃ怯まないぞ!」

 静の火遁を相殺するように、オールマイトが拳を振り上げ拳圧で忍術を消す。かき消されることなど想定内。静の思惑は別にある。それはこの構図だ。フロアの中心付近で、オールマイトが足元に向けて拳を振るう構図。そのために静はオールマイトの足元から火遁を放っている。火遁を拳圧で飛ばすと見越して。
 静はさっと核兵器まで瞬身の術で飛ぶ。オールマイトの拳が床へ向かって振り下ろされ、そして、床に突如としてヒビが走る。

「何!?」
「オールマイト先生と影分身との戦闘により、このビルの基礎は脆くなっています。丁度、中央が落ち窪むように」
「あれも仕組んだことだったのかよ!!?」
「敵ですから、手段は選びません」

 静は階下へ落ちていくオールマイトに、うっそりとした笑顔を向ける。オールマイトは凶悪敵と対峙した時のような感覚になり、背筋がぞわりと冷える。それと同時にうちは静という少女の末恐ろしさに、思わず笑顔が深まる。これでまだ16歳とこれから先の成長の伸び幅がまだある少女、一方のオールマイトは老年に差し掛かろうとしている。だがしかし、今まで凶悪敵と対峙して勝利を収めてきた経験と、象徴たらしめんとする不屈の意思がある。何より、生徒たちの前でNo.1ヒーローとしての矜恃を保たねばならない。
 オールマイトは落下した衝撃を膝で殺しながら、足に力を込めそのまま飛び上がる。落下する時より早く戻ってきたオールマイトに、静は不適に笑う。

「オールマイト!核兵器を起動させればどうなる!?」
「その前に終わらせるだけだ!」

 オールマイトは超パワーを足に纏わせ、今までにないほどのスピードで静に立ち向かい制圧する。床に取り押さえられた静は、満足げに「参りました」と告げてデモンストレーションを終えた。

「容赦ないねぇ」
「お互いのために本気は出さず、それでいて生徒たちに引き出しを多く持たせるにはこれが最善と思いましたので」

 憧れのオールマイトの勝利に、生徒たちの興奮はさらに高まっている。そしてNo.1ヒーローを相手に善戦した静の手数や策略に動き方を参考にしている者もいる。基礎訓練前の卵たちにとって、最良の学びが得られたと思う。

「ハハ、君は末恐ろしいな」


 大好評に終わった模擬戦。その後ビルが崩落してしまったこともあり、場所を変えて演習が行われた。最初の1組を除いてはそれぞれ健闘した内容だったが、実戦を知る静にとっては、どうも生ぬるく感じてしまう。
 首筋を拐う風は、花冷えの涼やかなものだが、どことなく湿気を孕んだ嫌なものだった。