錬金術は得意かな。それなりにね。



とんとん、と階段を下りる動きに合わせて綺麗に巻かれた髪が艶やかに跳ねた。
歩く毎に揺れる長いポニーテールに爽やかな植物の香りを纏って、彼はするすると歩いている。
下級生から声をかけられる度に穏やかに笑みを浮かべて軽く手を上げ、ふわりと動かして挨拶を返す姿を「女王様」と称する者もいるが、彼は何の変哲もない一般生徒だ。
と言っても、容姿は一般という認識の輪から飛び抜けている。
真っ白で大きなコットンレースのストールを翻す様は、上級生までも溜め息を溢すほど気品に溢れて美しい。そういう評価をされている。

「ヴィル、」

吐息が混じるような少し掠れたテノール。
声を掛けられた方が振り向いて、ポムフィオーレ寮の談話室には下級生が息を飲む音が聞こえるほどの静寂が訪れた。
なんて、美しい光景だろうか。
自分達と変わらない、なんと言うこともない制服を身に付けているのに、輝くような容姿と力強い自信、そして2人の揺るぎなき信頼関係を表すような静かな雰囲気が、他の寮生を無意識に圧倒している。

「あら、おはよう。エデン」
「ご機嫌好う、ヴィル。今日はヴィルも1限目、錬金術の授業だろう?」

真っ白と言っても良い位の頬を淡く薔薇色に染めて、興奮したように少し小走りで走り寄る彼の足音は極々小さい。
声を掛けられたヴィル・シェーンハイトとそれほど変わらない身長ながら、体重を感じさせない足取りだった。

「そうよ、アンタもでしょう?」
「Yes!ヴィルと一緒なのが楽しみで、」
「ストップ。待ちなさい、エデン。楽しみにしてくれるのは嬉しいけれど、アタシの隣に立つのなら、髪はきちんと結わなければダメ」

ヴィルの手が彼のポニーテールに伸びて、纏めきれなかった後れ毛、というには少し多い束を項あたりから掬い、本来の結び目まで頭を撫でるように沿わせた。
エデンの瞳が、視界の端で上に動くヴィルの腕を追いかける。

「あ、え、ああ、嘘、うそ、折角だから一緒に教室まで行きたくて、少し急いでしまったから……」

慌てて髪を纏めていた白いリボンと細いヘアゴムを解いた彼の手から、それをするりと取った者があった。

「は?」
「ボンジュール!毒の君、ムシュー・白薔薇」
「ああ、驚いた……ルーク、ご機嫌好う」
「朝から元気ね、おはよう」
「2人とも、今日も実に麗しい。ムシュー・白薔薇はその輝くパールのような髪を結い直すのだろう?僕がその役目を請け負ってもいいだろうか?」
「ルークが?嬉しい!今ヘアブラシ持って無いんだ。お願いしても?」
「もちろん、光栄さ!こっちに座って。さあ、ヴィルも向かいに掛けて待っていておくれ、直ぐ終わるからね」

当たり前のようにエデンの手をとって、談話室の布張りの椅子へエスコートするルークを、彼は腕を引いて留める。

「でも待ってくれ、ルーク。ヴィルは一緒に行ってくれるとは言っていないから、」
「いいわよ、待っていてあげるわ。アタシとペアになりたいんでしょ?」
「いいの?」
「今そう言ったわよ。アンタと組むと、色々楽だしね」

向かいに座ったヴィルを見ながら、エデンはルークがまず手櫛で軽く整えているのを大人しく受け入れている。
光を含まない真っ黒な瞳が、珍しくぱあっと輝き始めた。
そんな様子を見れるのは、普段はきっとポムフィオーレでもヴィルとルークだけなのではないだろうか。

「嬉しい!2年の時は振り分けが被らなかったから、久々にヴィルとペアで錬金術!っあ、」
「ああ、ほら、ムシュー、動かないで」
「ご、ごめんね、思わず……」

喜びのあまり動いてしまったのを談話室にいる周りの寮生にクスクスと笑われてしまい、また頬を赤く染めるので、ヴィルは小さく溜め息を吐いた。
このエデンという生徒は、髪・肌・ストールや髪飾り等も至るところが白い。
その見た目に引っ張られて中身まで真っ白だと思われがちだが、その実そうでもないことをポムフィオーレの寮生は知っている。知っていても、この少々天然な人物の容姿と立ち居振舞いと相まって微笑ましく思ってしまうらしい。
今も照れ隠しに何か話題を探すように、右手をゆったりふわふわ動かしていた。

「ルーク、」
「うん?なんだい?毒の君」
「耳の上、サイドの髪を少し編み込んで纏めて。その方が似合うわ」
「ウィ!そうだね、きっと至極のホワイトがより輝くだろう」
「待った、そんな、ヴィル、普通で大丈夫だ。ルークがやってくれるだけですごく嬉しいし、俺には勿体ないくらいになるよ」

事実、今しがたまで纏める途中であった髪は丁寧に梳かされて、最初の急いだ故にたゆんだポニーテールとは比べ物にならないほどになっている。

「おや。ヴィル、彼はこれだからいけないと思わないかい?」
「ええ、そうね。エデン、今日はアンタが雑にしてきたのが敗因よ。大人しくしていなさい」
「……分かった。けれど、折角ルークにやってもらうのに崩してしまいそうで嫌じゃないか。このあとゴーグルも使うから」

だから自分で結い直せる普通のポニーテールで良いのだと言う彼は、ようやく大人しく膝に乗せた手の代わりにローファーの爪先で絨毯の毛足を逆立てて遊び始める。
脚が届く範囲を存分に逆立だせて、逆に撫で付ける色の違いで絨毯に林檎を書き終えた頃、後ろから優しく米神と顎に手を添えたルークが顔を上げさせた。

「出来た、どうかな?」
「どう?ヴィル?」
「……完璧。さ、行くわよエデン。準備が遅れちゃうわ。絨毯はさっさと直して」

立ち上がったヴィルに慌てて倣って席を立ち、絨毯を元の毛並みに戻していく。

「了解。素敵にしてくれてありがとう、ルーク。崩れないように頑張るよ」
「どういたしまして、ムシュー・白薔薇。よい1日を」
「ルークもね!」

数歩先を行くヴィルを追って、綺麗に整えられたポニーテールを揺らし足早に去っていく。
並んだその後ろ姿に、まだ残っていた寮生からはまた感嘆の吐息が溢れた。

「ああ、実に良い朝だね……トレビアン!」






‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥





「それで、悩んでるって訳か」
「ど、どうかな?彼はレモンパイが好きだと、この間、聞いたんだけれど」

トレイ先輩の目の前には、少しだけ顔を赤くしたリドル先輩がいた。
普段から背筋が伸びて凛々しい先輩にしては珍しく、目線は泳いで口調は弱々しい。

──ハーツラビュル寮談話室。
グリムと一緒にエースとデュースを探しに来たら、先輩たちが何かを話し合っているところだった。邪魔になるかと思ったので他の椅子に座ろうとすると、トレイ先輩が笑顔で手招きをしている。
なんだろう?あの笑顔には地味に逆らえないんだよな。
大人しく先輩たちが座っているソファーの隣の椅子に移動して行けば、途中でグリムがモソモソと腕の中から肩を登って頭の上に乗っかってくる。

「なんでしょうか先輩、何か話し合ってたんじゃ?」
「いや、ちょっと意見を聞きたくてな。監督生は、自分の誕生日に好きなケーキを貰ったら嬉しいか?」
「それはもちろんです!美味しくて好きなケーキをもらえたらすごく嬉しいですよ」
「ツナだともっと嬉しいんだゾ!」
「えっ?つ、ツナケーキ?」

ものすごく甘いものが好き、って訳ではないけど、なんと言っても誕生日にわざわざ用意してくれたのなら、それはすごく嬉しいよね。もちろんオイスターソースとか場違いな物が入っていなければの話だけど。

「ふな?誰かの誕生日なのか?」
「ああ、リドルの親戚が3年にいるんだが、その彼の誕生日が近いんだ。レモンパイが好きらしいから作りたいって、リドルが。ほら、これで多数決だ。嬉しいらしいぞ」
「そうか、なら、やはり作ろうかな……」
「ふな"?!作れるのか?心配なんだゾ?!」
「失礼だね、もう心配いらないよ!」

顔を背けて不貞腐れた彼から、あれは騙されたからであって、という呟きがぼそりと聞こえてきた。
オバブロの件は原因も含めて頭を抱えたけど、やっぱり普段はちょっと意地っ張りなだけで、威厳と子供っぽさが共存してる立派な寮長だなと思う。何より周りと比べると小柄なのが微笑ましいし個人的には親近感が沸く。
怒るだろうから言わないけど。

「なあなあ、レモンパイってなんだ?」

ソファーの背凭れの上を移動していったグリムが、とすとす、とトレイ先輩の肩をつついている。
たしかにレモンパイって、あまり聞かないかもしれないなあ……。

「その名の通り、レモンを使った爽やかなパイだな。色々あるが、俺が知ってるレシピだとレモンクリームの上にメレンゲが乗ってる。レモンの味とメレンゲに軽く焼き目が付いた食感が好きならオススメだ」
「へえ、メレンゲ、って卵の白身を泡立てたやつですよね?美味しいんですか?」

食い手が無くて不味そうなんだゾ〜、という率直過ぎる感想を吐きながら、グリムはソファーの座面に墜落。
たしかに全然味が想像できないな。思い出せるのは目玉焼きの味だし、しかも醤油をかける派だから、白身と言っても半分醤油味。
世の中、目玉焼きに何かけるか論争があるけど自分はそうなのでご理解いただきたいなと思う。友人はマヨネーズ派だった。

「はは……まあ、好み次第かな」
「でも、彼……エデンが好きだと言っているからね、作るのならレモンパイだと思わないかい?」
「渡す相手が好きなら、そうですね!リドル先輩、もし練習するなら、試食してもいいですか?レモンパイ、興味があります!」
「ああ、では練習の時にお願いするよ。折角プレゼントするのだから、完璧なものを送るべきだ」

意気込むリドル先輩はなんかちょっとソワソワしてる気がして可愛い。
その、エデンという先輩とすごく仲が良いのかな?仲良くなければ手作りのケーキなんてプレゼントしないだろうし。

「リドル先輩はエデンさん?がとても好きなんですね」
「う………」

あれ?リドル先輩の空気が固まってしまったんだけど、何?なんか違ったかな?
どうにも言葉が出てこないらしい先輩たちを見ていると、入り口からひょい、とケイト先輩が入ってくる。

「あはは、2人とも再起動してよ〜、監督生ちゃん困ってるよ?」
「あ、ケイト先輩、」
「ケイト。聞いていたと思うが、これは仕方ないだろう?」
「まーね、分かるけどさ」
「なにかあるんですか?すみません、ケーキあげるくらいだから仲良いんだと、てっきり……」
「それはそうだよねー、普通はそう思っちゃうよ」

トレイ先輩とケイト先輩が見た先には、先ほどより更に微妙な顔で歯を噛み締めるリドル先輩が。眉間の皺が深い。

「その、エデン──エデン・グランドフロラは、ボクの親戚なんだけれど……。その、長い間誤解をしていたんだ。紆余曲折あって、誤解だったと判明したから、最近はお茶に誘ったりして関係を改善していこうとしているところでね……」
「親戚の方ですか。誤解って?」
「う、その、曾祖母同士が姉妹なのだけれど、その代に大喧嘩したようなんだ。それで、お母様が、」
「うわー!待ってください先輩、もう分かっちゃいますよ。それはここまで来たらお察し案件です!」

教育熱心過ぎて毒親と言っても過言ではないっていうか、本気で毒親まっしぐらのリドル先輩の母親が、祖母の"大喧嘩"の流れをどうリドル先輩に吹き込んだのか、簡単に想像できる。
話を聞けば、やっぱり有ること無いこと誇張して棘を盛って、脅しの様に言い聞かせてたらしい。禁止された魔法薬を裏で売り捌いているとか、怠惰でバカで何もできないとか、見た目は醜くて見ていられないとかとか。
トレイ先輩は1年の時にエデンさんと同じクラスになって、ヤバい一家でも、ヤバい人物でも無いと分かったと言う。
ま〜たこの人、分かってたのに、リドル先輩が入学して気付くまで言わなかったな?

「そんなリドルくんの過去の認識とは真逆でさ、エデンくんはこの学校じゃ珍しく、困ったことがあったら素直に頼ってOKなセンパイだよ。監督生ちゃんも、このタイミングで見た目だけでも覚えていったほうがいいと思うな〜」
「そんなに分かりやすい見た目なんですか?」
「白いブロンドをポニーテールにしているよ。白いリボンでね」

手でグーを作って後頭部の高めの位置に当てるリドル先輩。
もしかして、髪色も髪型も自由なこの学校でポニーテールは初遭遇なのでは?ジャミル先輩とか、低い位置で縛っている人はよく見かける。あれ?あれもポニーテールって言うのかな?

「ちょっと待ってて、写真…………あ、あった。ほら、この人だよん」
「あ、ほんとだ、髪も肌も真っ白ですね。……いや、その、"醜くて見ていられない"って……嘘過ぎないですか?」
「それはボクも本当に驚いたよ」
「リドル先輩のお母様の審美眼とは……?」
「それが、お母様も実際には会ったことが無かったらしくてね」
「アア〜っ!全部、昔からの言い伝えレベル!」

思わず頭を抱えるしかない。
写真のその人はカメラの加工やフィルター無しでも、とても綺麗な人だった。中性的であってもしっかり男性らしさが伝わる雰囲気をしてるんだけど、何故か少し現実味が無い。写真だからかな。
視線を腕に移動させた時にポムフィオーレの寮章が見えた事で現物も違わずに美しい事実が確定。
大きめな瞳がリドル先輩にちょっとだけ似てるかも。

「まあ、その見た目で年下には特に優しいからな。リドルとの初対面は見物だった」
「トレイ!笑わないでくれないか!」
「ほんと、イイ性格してるんだゾ……」

わあわあやってる幼馴染2人とソファーで寝転ぶグリムを横目に、ケイト先輩がこっそり耳打ちで教えてくれた初対面エピソードはこうだ。


──1年前──

リドル先輩が前寮長に勝ち、寮長になったことで、改めて顔合わせという事で寮長・副寮長会議が開かれた。
ケイト先輩はその後2人に用事があったから、終わるだろうというタイミングで会議室前に行って、そこで件のエデン・グランドフロラに出会ったそう。
まあ、出会うと言っても、同学年で更にケイト先輩のことだから初対面ではなかった。ほんの数分、楽しく雑談をしてたところに会議室の扉が開く。
やがて出てきたリドル先輩に、エデンさんは嬉しそうに声を掛けたらしい。

「ご機嫌好う。リドル・ローズハートくんだよね。初めまして、俺はエデン・グランドフロラ。親戚なんだけど、挨拶が遅れてごめんね」

などと言っていたそうだけど、この挨拶の段階でも穏やかそうな人であることは分かる。
それに対して、リドル先輩はギリッと音でもしそうな位に睨み返した。
いや、知ってるけど、ド強いなリドル先輩。

「お噂は聞いているよ。こんなところでボクを待つ位だったら、少しでも明日の授業の予習でもしたらどうだい?退いてくれないか、失礼するよ」

アア〜!リドル先輩強い!謂れの無い事柄で冷たくされてるミレイさんが哀れ!しかもなまじっか親戚だから敬語もどこかに吹き飛んで行ってしまっている。
案の定、ぽかん、とした顔で少し退いた先輩に、トレイ先輩とケイト先輩は軽いフォローだけしたらしいが、リドル先輩を2人が追いかけて歩きだすと、後ろからレオナ先輩とエデンさんが話す声が聞こえてきた。

「おいエデン、お前あの1年に何かやったのか?」
「へ……?そんな、や、やってたらこんな……こんな、待ってたりしない、れ、レオナのばか〜!」
「ア"ア"?誰が馬鹿だ」

完全に涙声だったらしいけど、レオナ先輩を八つ当たりで馬鹿呼ばわりできる辺りで、エデンさんも中々強めだということが分かる。
ペロッ、ふむ、これは紛れもない血縁者!


「ケイト!何を勝手に話しているんだい?」
「いやいや、このエピソード話したら、監督生ちゃんもミレイくんが結構無害だって分かるっしょ?」
「はい、とてもわかりました。見かけたときに声をかけてみようと思います」
「うんうん!それがいいよ!」

笑顔で頷くケイト先輩に返事をしようとしたところで、聞きなれた声が聞こえてきた。

「あれ?監督生?」
「あ!エース!デュース!」
「なんだ、何かあったのか?」
「今日の授業の事でちょっと聞きたいことがあって、」

本来の目的だった2人が来たことで、先輩たちには軽く挨拶をして離れた。
だから後ろでトレイ先輩が
「まあ、毒が無い訳でも無いんだけどな」
と言っていたのは聞いていない。
聞いていないったら聞いてませんから!





ねえ、聞いてなかった筈なんだよ、と思いながら、ジェイド先輩の頭を撫でているその人を凝視してしまう。
白いリボンのポニーテール。恐らくエデンさんであろう人、あのジェイド・リーチ先輩の寮服のハットを取って、ゆっくりナデナデしたんだよ、凄いことじゃないかな?
夢でも見てるかな?悪夢か?
ナデナデした後はハットを戻して、ついでにぱぱっと衣服を軽く整えている。よくわからない。新妻か?
実はもうバイト終わりなので、先輩に挨拶だけしてオンボロ寮に帰るところだったんだけど、これ、何が起こってるんだろうか。

「おや、監督生さん。ご苦労様です」

気づかれちゃうよな、そうですよね。
まあ仕方ない!エデンさんには今後のために声かけときたかったし。

「お疲れ様ですジェイド先輩。今日はもう上がらせてもらいますね」
「ええ。お気をつけてお帰りください。そうだ、エデンさん、この方、オンボロ寮の監督生さんですよ」

ジェイド先輩と比べるとどうしても小柄に見えてしまうが、大体アズール先輩と同じくらいか……ちょっとだけ身長が高いかなという位の人だった。170cm後半から180cm前半くらい?
髪や小物と対比するような真っ黒な瞳がこちらを向いて、きらきらと明るい表情を作り出している。
やっぱり、美しい人だなあ。

「初めまして、貴方が監督生さん。エデン・グランドフロラです。リドルのオーバーブロットの件、大変だったよね?お礼を言わなければと思っていたんだけど、遅くなってしまってごめんね」
「い、いえ!ご親戚の方、ですよね。お話は少しだけですけど、リドル先輩から聞いてます」
「リドルから?そう、嬉しいな……もう寮へ帰るところ?お礼に奢らせて。俺もちょうど、おやつを食べに来たところだから」
「え、いや、そんな」
「忙しい?」
「いや、今日はそういう訳でもないですけど、」
「じゃあ、ちょっとだけ俺に付き合ってくれるかな?」
「はい……」

ちょっと強引だけど、きっとリドル先輩のことが心配で余程お礼がしたいんだろうな。奢ってもらえるのなら万々歳、大人しく従っておこう。
節約のためには時に先輩にタカるのも大事……いや、タカってはいないけど!
それにしても、おやつを食べにモストロ・ラウンジに来るとは、ストールを腕に掛けた見た目の優雅さに依らずフットワークの軽い人だなあ。ポムフィオーレ所属なのに、変な時間におやつ食べて注意されちゃわないのかな?
そのエデンさんを、ジェイド先輩は背中に軽く手を添えてカウンター席に案内しようとしている。

「エデンさん、期間限定のスパークリングドリンクがございますよ」
「じゃあ俺はそれと、いつものキッシュはある?」
「勿論。監督生さんはどうなさいますか?」
「好きなもの選んでね。さ、座って?」

バイトで散々見慣れたメニュー表を手に取って悩む。好きなものって言っても、なあ……。
こういうのはバランスが大事だと思うんだよね。あんまり遠慮しすぎても、エデンさんは拗ねそうだし、高価過ぎるもの頼んでもドン引き確定。嫌な相手なら遠慮なく高いもの頼んでしまうけど、相手は初対面の先輩だ。
どうしよう。

「ああ〜!ミナシガイちゃん先輩じゃん、何?おやつしにきたのぉ?」
「ああ、そうだよ、フロイド。お疲れ様」

振り向けば、空の食器を回収してる途中らしいフロイド先輩が、あ!ほら、また、ハットを取られて頭撫でられてる。
何者なんだこの人?あの気まぐれな先輩が首を傾げて撫でられる体勢になってるのが信じられないんだが?

「ミナシガイ?」
「おや、監督生さんのところでは有名ではないですか?イモガイとか、アンボイナ、と言った方が良いでしょうか」
「え、有名なんですか?あまり海の生き物には詳しくなくて」

ちら、と見るとまだフロイド先輩とエデンさんは何かと楽しげに話している。
『ガイ』ということは貝だろう。それで、きっと真っ白な。

「ブラウンやオレンジの模様が美しい貝のことです。種によって色や模様が全く違うので、コレクターもいるそうですよ」

円錐形で、大体これ程のサイズです。
そう言って、ジェイド先輩はカットしたライムを手に取った。
予想と全然違った!もっとこう、ホタテ貝的な大きい二枚貝かと思ったし、白くもないじゃん。

「そうなんですか。でもなんか、先輩には珍しく、又聞きしたみたいな言い方ですね」
「ええ、ミナシガイは温暖で浅い海が主な生息地なので、あまり僕たちは縁が無くて……。ですが有名です。毒がありますので」
「っえ"?毒?」
「1匹が30人ほどの致死量を有しているそうですよ、怖いですね」
「にん?人て言いました?人が死ぬ?!そんなライム程度のサイズの貝でですか?!」

全然怖いと思っていない声色で、ジェイド先輩は淡々とドリンクを作っている。
ジェイド先輩とトレイ先輩の証言を合わせると、この人は本当に『毒はあります』ということになる。単純に怖いんだけど。

「なあに?何を話しているの?頼むものは決まった?」
「あえ、あ、まだです、すみません!」
「ううん、いいよ。急かした訳じゃないから、ゆっくり選んで。さて、フロイド、引き留めてしまったけれど、もう仕事に戻って大丈夫だよ」

とん、とエデンさんはフロイド先輩の腕を小突く。

「ええ〜?!小エビちゃんもおやつすんならオレも休憩入りたぁ〜い」
「先輩さっきラウンジに来たのでは……?」
「だめ。これ以上フロイドと話してたら俺までアズールに怒られちゃうじゃないか。規定の休憩時間までしっかり仕事して」
「はあ〜?ミナシガイちゃん先輩でもアズールに怒られんの?ウケるんだけど」
「ウケるなよ、もし怒られたらヴィルにも話が行っちゃうだろう。それは絶対嫌なんだから」

ぱふぱふ、と全然痛くも痒くも無さそうな音を立てながら、フロイド先輩の腕を両手のひらで叩いている。
さっきから優しいやら強引やら、チラつく毒気やら、ギャップがすごい。
それでも表情や仕草が相まって、なんとなく、可愛らしい気さえしてくるのは気のせいかな。また何か幻覚でも見てるかな?大丈夫か?相手はそこそこ立端のある男だぞ?

「はいはい、そこら辺にしましょう。フロイド、エデンさんはいつものキッシュだそうですよ。監督生さんは、お悩みならクラブハウスサンドはいかがですか?ターキーとベーコンが香ばしく、オススメです」
「あ!じゃあ、それで!」
「はぁい、キッシュとクラブハウスね、待ってて〜」
「よろしく、フロイド」

ようやく立ち去るフロイド先輩を横目に、クラブハウスサンドなんてあっただろうかと急いでメニューブックをめくる。バイト中にそんな注文受けたっけ?

「ふふ、メニューブックにはありませんよ、裏メニューという物です」
「へえ、そんなのモストロ・ラウンジにあったの?知らなかったな」
「この曜日のこの時間帯だけ、クラブハウスサンドが注文できるんです。常連や一部のスタッフだけが知っているメニューですから、内緒にしておいてくださいね」
「解ったよ。でもそれは良いこと聞いた!今度頼もうかな」
「是非。お待ちしております」

にっこり、人差し指を口元に添えて完璧な笑顔のジェイド先輩と、楽しそうに笑うエデンさん。
そうやってミレイさんは笑いながら、すっ、とこちらの手元にあったメニューブックをめくって、じゃあドリンクは?と聞いてくる。そう言えば上手いことジェイド先輩に誘導されてクラブハウスサンド頼んだけど、いくらくらいの値段なんだろ。
オレンジジュースとか頼めば、当たり障り無いかな。
そう考えて、ジェイド先輩に伝えてから隣を伺い見れば、頬杖をついたり、口元に持っていったり、何か思い出すように揺らしたり、彼の手は表情豊かだ。


「エデンさ……先輩って、手を動かすの、癖なんですか?」
「Yes . そうなんだよ。目障りかな?ごめんね、リドルにも『手を動かしてはいけないよ』って言われるんだけれど、なかなか直らなくて」
「え!いえ!そうじゃなくて、表情豊かだなと思って」
「ふふ、初めてそんなこと言われたな。ありがとう。でもリドルと仲良くしたいから、直さなければと思っていて。誤解も解けたみたいだから。うん。手ばかりはなんとも出来てないんだけどね、不覚だな」

そんなこと気にしなくても、リドル先輩はそれなりに仲良くしたいと思っているだろうけど。
動かさないように手を合わせて、頬杖をつく。ゆったりしたその動作はどこか海に漂ってるみたいで、でも男っぽい色気がふわっとして、この人、やっぱり意味が分からないなと思う。これでさっきみたいに、たまに可愛らしいのが不思議。
絵本を捲るみたいに、一緒にいるほど魅力が増すようなタイプ。リーチ兄弟がこれ程懐いたような態度なのはそういう事なのかもしれない。

「どうぞ。監督生さんはオレンジジュース、エデンさんはスパークリング・フォルネウスです」
「あ、ありがとうございます」
「ありがとう!すごい、底の赤と上のブルーの間に透明なゼリーがあってグラデーションが綺麗……よく考えたね、美味しそうだ」
「恐縮です。ゼリーはお好きなタイミングで崩してお召し上がりください」

フォルネウスってあの大きな海底火山の名前だろう、たしかに赤い底からプクプクしてるの、それっぽいね。と嬉しそうにドリンクを一口含む彼。
いや、中々な名前してるな、海底火山かい。

「監督生さん、お気づきになりましたか?」
「え」

早速ゼリーを崩すのに夢中な先輩に気付かれないくらいの、小さな声でジェイド先輩が囁いてくる。

「彼は、飽きないでしょう?」
「ええと、確かにそうですね、気付きました」

ふふ、とラウンジのBGMに溶け込むような、深く、心底楽しそうな微笑みを残して、ジェイド先輩は他のドリンクを作りに行ってしまうのだった。






‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥






「ジャミルが?怪我?」

珍しく雨が降り続いている日の午後。
静かにパタパタぽつぽつと途切れない雨に比例して、気分も晴れないな、って、そういう感じの日。
ヴィルも色々な仕事が一段落したみたいだから、寮が同室だった時代を思い出して久しぶりに午後のお茶に誘って、もやもやした空気を吹き飛ばそうと思っていたんだけれど。
驚いた拍子にカップを音を立てて置いてしまって、ヴィルの視線が痛い。

「そうよ。あの一件から、案の定周りが少し騒がしかったみたいだから」

白い陶器を静かに上げて、ヴィルは溜め息を吐く。
カフェインの入っていないハーブティーを飲む彼は、珍しく疲れたような雰囲気をしていた。ルークも仕事ができる人だけれど疲れるよね、お疲れ様。髪型が崩れない様に頭を撫でると、呆れたような視線をもらってしまった。
1年の時に遠慮なく撫でて頭ボサボサにしてお叱りを受けたのを思い出す。ごめんね。

「それは、そうなるだろうと思ってたけれど。あの子、リドルと並んで2年じゃトップクラスだろう?副寮長だし、怪我させるなんて、誰が……」
「あら、ジャミルが猫を被ってたの気付いていたの?」
「彼よりはちょっとだけ長く生きているもので」
「フフ、そうね。1年だけね」

猫と言ってもイエネコみたいな可愛らしいタイプではなく、サーバルとかカラカルみたいな俊敏で大きい猫を被っていただろう、彼。被った上で敵には容赦しないし、全力で警戒している野生のやつだ。
その様子が随分可愛いなあと思っていたんだけど、誰だろうな、やったの。

「いいわよ、行って来ても」
「え、」
「入学時に1度スカラビアに入りかけたアンタだもの、気になるんでしょう?帰って来るなら、いいわ」

そう、寮分けでスカラビアに入りかけて以来、前寮長を始めカリムとも交流がある。下手に手出ししなければスカラビア寮生は穏やかな生徒が多いし、前寮長に何かと助けられた事もあった。
だから自寮の後輩と同じように、スカラビアの後輩も可愛い。ジャミルは毛を逆立てた大型猫だったから、苦労していそうな状況も含めて、行きすぎない程度には眼を掛けていたつもりで。

「ありがとう、ヴィル。後で少し、出掛けてくる。1日くらいは居ないかもしれない」
「なあに?アタシは何も知らないわ。アンタが"外"で何をやってきてもね」
「!ふふ、これだから、俺はヴィルのところに戻ってくるんだよ」

嬉しいな。きっと、俺のこういうところとポムフィオーレ寮の性質を見抜いて、結局鏡は俺をこの寮に入れたんだろう。

「でも!今はヴィルとのお茶の時間だから。胡桃のクッキー焼いたんだけど、どう?低糖質だよ」

生地はサクホロ、胡桃はいい香りの自信作。
ハーツラビュルでトレイの作業を観察した甲斐があったと思う。リドルともいつもより沢山話ができたし、また行こう。

「頂くわ。アンタの作るお菓子だなんて久しぶり。レアモノじゃない」
「お疲れの寮長のためにね。この後お昼寝でもする?ベッド整えて来ようか?」
「ハァ……。エデン、アンタ本当に1年の頃から変わらないわね。あんまりアタシを甘やかさないの」

嫌だな、ヴィルは自分にも厳しいから俺くらいは甘くしないと。
ヴィルのこと世界で1番綺麗だと思っているけれど、メディアで輝く澄ました顔より、そうやって俺に困ったように笑ってくれる顔が1番好きなんだよ、俺はね。








「っく、」

授業のために移動していれば、癖で思わず手摺に手をついてしまう。
利き手ではない上に、酷い怪我でも無かったから治癒魔法は辞退したが失敗だったか。
オーバーブロットからの回復もまだ完全とはいかない状態でこれは不味い。この怪我自体も調子に乗った奴らからの罠だった訳だが、あんな雑魚レベルの罠にハマるとは不覚だ。

「ジャミル、」
「は、ああ、エデン先輩」

後ろから声を掛けられて振り向けば、嬉しそうに微笑むエデン・グランドフロラ。ポムフィオーレの3年で、何かとスカラビアに入り浸る人物。
すい、と右手を動かして、軽く膝を折る挨拶をよくしている。
構わず歩き出せば彼も横を付いてきた。この俺の隣を平然と歩くのだから、前々から知っては居たが、かなり神経が図太い。

「ご機嫌好う。大丈夫?怪我をしたって聞いたけれど。あれからそんなに回復もしきっていないだろう」
「ああ、問題ありません、手首の軽い捻挫だけです」
「そう?でもバスケ部は?」
「片手でもある程度出来ますよ。」
「そうなんだ?知らなかった。じゃあ、俺の治癒薬は要らないかな?」
「え、」

治癒薬?ポムフィオーレの?
聞き覚えがあって驚きのあまり咄嗟に隣を見れば、仄かに口角をあげて、きょとんとしている。
この男はいつもそうだ。平然と、それでいて強かに、いつの間にか此方のテリトリーに足を踏み込んでいた。この微笑みで。

「聞いたことがある?」
「ありますよ。最近、オーバーブロットの関係者に渡される薬だ。殆どが保険医経由だったらしいが、あなたが?」

笑顔は崩れない。そのままほんの少し首を傾げて、す、と足を止めるので、仕方がなく俺も止まる。
この廊下は人が疎らだ。もうすぐ授業も始まるからだが、それでも彼の足音は聞こえなかった。
あまりに"暗殺者"のような足音の無さと本心の読め無さからずっと警戒していた。カリムと仲良しこよししているのを観察し、髪から香る植物のような匂いで、"そう"ではないとは気付いたが、今も本心が読めない人だ。

「そう。リドルは親戚だし、レオナはよく植物部の活動場所にいる仲間だ。アズールのモストロ・ラウンジにはよくおやつを食べに行くよ」
「関係者だから、ですか」
「俺の、ね」

つまり、自分の友人知人にのみ渡していると。

「だから、ジャミルにも渡しに。要らないかな?」
「……貰ってもいいんですか」
「もちろん!即効性のある薬ではないから、服用しながらしっかり休んで。説明書が中に入っているから、よく読んで用法用量守って服用すること」

差し出される白い紙袋。
手を出せばその上に置かれる。軽い重み。ボトルに入った液体の薬だろう。小さく水が揺れる音も聞こえる。
俺が受け取ったのを見て笑みを深くして、いつもフラフラさせている手を満足気に動かした。
ああ、目障りだな。

「っい、ジャミル?」

右腕を掴んで引き寄せれば、動揺したような顔で此方を見てくる。あくまで『動揺したような顔』だ。本当に動揺してはいないだろう。

「エデン・グランドフロラ先輩」
「うん?」
「サバナクローとオクタヴィネルの3年と2年、計3人が先日休学届けを提出したのはご存知ですか」
「そうなんだ、知らなかった」
「バスケ部の万年補欠で、2年の奴は俺と同じクラスです」
「へえ」

さっきと変わらない表情。
やはり分からない。この人は。
でも解る。
俺に怪我をさせた雑魚に、何かするとしたらこの人だ。

「なあ、エデン、俺の獲物は?」
「…………、ふ、ははは、ジャミル、格好良いね」
「っ!」

掴んだ腕を大きく翻し、今度は俺の手首を掴んでくる。その手の中指でトン、トン、とそのまま手首を叩いて来るのが煩わしい。

「俺が何かやった、と、言ってるみたいだね」
「違うとでも?」
「ふふ、何かやってみなよ、どうして他の寮に手を出したのよ!って、俺はヴィルに怒られちゃうだろう?美人は怒るとすごく怖いんだよ。知ってる?」

ジャミルも美人なんだから鏡を見てみな、怒ってるときに。なんて宣いながら腕を離したその人は、来た方向へ戻って行く。

「じゃあ、良い1日を。今度、寮に遊びに行くよ」
「来るな。カリムが騒ぐ」
「あ!ふふ、かわいいねえ、ジャミル!またね」
「はァ?!誰がかわい、おい!待て!」

「ジャミルも授業に遅れちゃうよ〜……、」

遠ざかっていく声。駆けていく背中はもう遠く、曲がり角に消えていった。
クソ、見た目に依らず脚が速い。
まあいい、時間はあるからな。
じっくり、追い詰めてやる。








全力で走る。何せ予鈴はもう鳴ったから。
階段は6段くらい抜かして飛び降りた。ちょっと脚がビリビリするけれど気にならない。
いや、ジャミルが大きい猫を下ろした後も、毛を逆立てた猫ちゃんだったから思わず調子に乗ってしまったかもしれないな。
本鈴まであとほんのちょっとで錬金術のクラスに飛び込んだ。今日も約束しておいたから、目指す場所は決まっている。

「ただいま、ヴィル」
「お帰り、早かったじゃない。満足したの?」
「もちろん、ありがとう」
「何の事かしら?」
「ふふ、さすが」

クルーウェル先生の視線も気にならない。
何故なら今日は、ヴィルと一緒に錬金術の日だからね。





continue.



pixiv.2020年8月30日