さすが真波


 白藍の空に羊雲が並ぶ。うらうらと日は輝き、そよそよと風はささめく。

 4月23日。土曜日。

 真波は約束の時間5分前にショッピングモールへ赴いた。他にも誰かいるだろうかと左見右見とみこうみすれば、髪をハーフアップにした夏油が手を振り近寄った。
 カーキのトレーナーに黒のスキニーというラフな装いではあるものの、夏油傑は顔が整いスタイルに恵まれているためどこか様になる。真波は周囲からのちりちりとした視線を浴びながら、どこにいるか分かりやすいなぁとへらり笑った。

「やあ、一昨日ぶり」
「おはよう夏油君。お待たせ」
「私も今来たとこさ」

 なんなら硝子は時間ギリギリだし、もっと言えば悟とか大体ちょっと遅れて来るから心配ない、そう夏油は内心で一人ごちた。それでも彼が五分前行動をしたのは、真波がそうだと知っていたからである。
 他愛無い会話を交わしながら待っていると、やはり時間ギリギリに家入が、その数分後に責めにくい遅刻を果たした五条が顔を見せた。

「オッハー!」

 青いジーンズと白いスニーカーで足元を固め、パーカーから白のVネックのシャツが顔を出す。透明度の低いサングラスをかけているとはいえ、彼も彼とて無難でラフな服装なのに、異彩を放つほど容貌が優れている。一線を画すほどの威光を放ちながら軽率な笑みを浮かべた。
 そんなイケメン二人の異様な注目の浴び方に、しかし以前は呪術界隈に身を置いていた家入と真波は、どこ吹く風といった様子で映画館へと赴いた。

「チケットも発券できたし、そろそろ中に入るか」
「あー……うん」

 赤いフロアマットを踏みしめ券売機でチケットを発券する。目的の映画まであと七分、このままトイレを済ませて館内へ入れば時間もちょうどいい頃合いだろう。
 本当はポップコーンとジュースも欲しい真波であったが、時間もあまりないしもう中に入る雰囲気なら別にいっか。そんな諦念を抱く。
 その様子を一瞥した五条が、夏油の肩に腕を雑に置く。

「イヤイヤイヤイヤイヤ、傑ゥー。映画館といえばジュースとポップコーンは鉄板でしょ」
「そのうざい絡みやめてくれ」
「……わたしもポップコーン欲しいな」
「まあ並ぶか」

 家入の言葉に一同は売店の列へ並び、壁に表示されるメニューを眺めた。

「ポップコーンは二個くらい頼んどくか。ジュース何する?」
「コーラ」
「コーラ」
「コーラ」
「いや全員コーラじゃんウケる」
「先にお金渡しとくね」
「いいよこれくらい五条が出すし」
「それ普通僕のセリフだよね」
「いやでも、」
「大丈夫だよ、これでも悟は御曹司で湧くほど金持ってるから」
「こんなクズに遠慮する必要ないぞ」
「そうそう。悟の金で飲むコーラは美味いよ」
「オマエらちょいちょい酷いよね」
「お互い様だ」

 大金を余し持つ相手に餌を引っ提げ、ギリギリまで搾り取る。そんな下卑た生業に手を染めていた夏油の“他人の金でメシ食う理論”はなんとも説得力があった。そんな裏話など真琴には知る由もなかったが。

「そういうのはちゃんと本人の口から聞きたいな。五条くんはそれでいいの?」

 真波の視線がまっすぐ五条へ向かう。
 自分の中に明確な線引きがある、彼女らしい言葉だ。彼女は五条が御曹司だろうと周囲の評価など知ったこっちゃない。
 自分の悪口を言われるくらいなら静観を貫くし、友人や家族に火の粉が降りかかるなら全力で払いのけるし、お金の問題は他人ではなく本人の意見を聞く。それが小此木真波だった。

「ここは俺が奢る」
「わかった、ありがとう」

 記憶が抜け落ちていようと、彼女の価値観は揺らがない。
 五条が高専に入学したばかりの頃を思い出す。弱いだの引っ込んでろだの五条がどれだけ口汚い煽り風を吹かせても、彼女は凛とした対応をこなすだけだった。
 メンタルの丈夫さという点では呪術師の中でも折り紙つきだろう。小此木真波はしっかりイカれていた。
 あまりに精神的ダメージを与えないので、何言われたら怒るのか手を替え品を替え噛みついてた、そんなガキだった頃の自分が懐かしい。
 頭を下げて礼を告げる真波に、間違いなく彼女は小此木真波だと五条は目尻を下げた。

「ま、金は使える内が花。どれだけあっても使うヒマがなかったら意味ないしね」

 金と時間には切っても離せぬ縁があるもので。
 若人よろしく多くの学生は“時間が有っても金が無い”し、社畜よろしく多くの社会人は“金が有っても時間は無い”もしくは“金も時間もない”。俗世ではそんなフレーズが囁かれるほどだ。己の欲を叶えるために両者を十分吐き出すのは、案外難しかったりする。
 つまるところ、呪術師として“最強”の務めをほどほどに果たしていた五条悟は漏れなく後者に該当するのだ。古今東西駆け回っては呪いを祓い、多くの厄介ごとを処理し、その傍らで教職としての役目も担う。多忙を極める彼のスケジュールの中身は、こだわり農家の新鮮果実のような詰まり方をしていた。
 現在“最強”からも呪術師からも解放され、金も十二分に確保できる上、前世からは想像できないほど有り余るくらいの時間が五条に与えられたのだ。それに、隣にはかつての旧友もいる。
 彼らと青春の一部として金を吐き出すことができる。五条にとって、これほど喜ばしい事はなかった。

 片や、金持ちの感覚ってすごいなと苦笑する真琴であった。







「小此木さん」
「ん?」
「映画、面白くなかった?」

 映画を見終えた一同は、少し遅めのランチへありつくためショッピングモールを出た。10分ほど歩いたところにオススメのカフェがあるようだ。ポップコーンでは満たしきれない程よい空腹を埋めるのにはちょうどいい。

 しかし映画館を後にしてからというもの、何やら思い詰めた表情をする真波に、夏油がついに切り出した。

「えっ、いや、もうホント面白かったよ!!『ジョーズ』みたいな堅実派サメ映画だったね!アルバトロス社だしジャケットで裏切るタイプかと思ってたら、しっかり超巨大ザメメガロドンが海上でヘリとシャークチェイスしてて興奮したなぁー」

 うっとりと頬を緩める真波に、三人は押し黙り三者三様の反応を見せた。
 そうか?と首を傾げる夏油は裏切るどころか脱臼レベルの肩透かしをくらい、五条は「何の映画見たんだっけ?」と内心おどけている。主役サメの出番があまりに少なかったのだ。
 アルバトロス社とかシャークチェイスって何?と家入は思ったが、“ニ”聞けば“十”返ってきそうだったのでその疑問が音になることはない。彼女は“三”くらいの返答で十分だった。

「ならいいんだけど……思い詰めた顔をしてたから心配で。何か悩みがあるなら私達でよければ力になるよ」

 心配そうな表情で、自然な流れで、真波の不安を聞き出す夏油。家入は自分じゃ到底しないであろう夏油の誑かしテクニックを前に、このクズ使えるなと胸中で賛辞を述べた。

「うーん……五条君に聞きたいんだけど」
「何?」
「五条君が探してた人、もう見つかった?」
「いや〜、難航してる」
「ねえ、その探してる人って本当は私だったりする?」
「……へえ」

 夏油と家入は、思わぬ真波の発言に面食らう。
 五条だけがニヤリと笑みを浮かべ、真波を愉快そうに見ていた。

「なんでそう思う?」
「ちょっと、モヤモヤしてて」
「モヤモヤ?」
「うん」

 顎に手を添え、真波はもたげた違和感を整理するかのように言葉を紡ぐ。

「さっき見たサメ映画さ、最近映画館で上映されたばかりだし初めて観るの。でも、本当に不思議なんだけど、なんとなく既視感があるんだ。前にも見たことがあるような、この先の展開を知ってるような……って、変なこと言ってごめんね」

 しん、と静まりかえった場の空気に真琴は苦笑する。物心がついた頃から、既視感を抱いてはその答えを見つけ出せず、なんとなくそういう物かと疑問視することもなかった。
 しかし今回『ブルー・サヴェージ』の映画を見たことで、その疑問に拍車をかけることとなる。
 以前はサメ映画が好きな友達もいなければ小学生でお小遣いが少ないこともあり単身で映画館へ突入することも難しく、ずっとDVDで満足していた。既視感を抱いても映画に限った事ではないしよくある事だったので、なあなあで見て見ぬふりをしてきた。
 とはいえ、さすがに映画館で公開された新作サメ映画の内容に既視感を抱くのは無理があるのだ。

 その時、ある一つの可能性が真波の脳裏によぎった。もしや自分の知らない記憶の外側で、実は見ていたんじゃないか。
 共に見に行った五条とも、初めて会った時に妙なことを言われていた。
 ──冗談だろ?
 ──は、オマエ覚えてねーのかよ
 そんな言葉は、真波の中で未だに小さなしこりとして残っていた。あの時の発言、表情、態度はどうも真波が顔見知りであると確信めいたものを感じさせる。
 もしかしたら本来は人違いでもなく、彼も記憶の外側で実は会っていたのかもしれない。そう思い至ったのだ。

「さすが真波」
「……そうなんだ。ごめんね、思い出せなくて」
「今更言っててもどうしよーもないでしょ。むしろ本人が気付けただけ上々」

 真波にはもう前世の記憶が戻らない、そう考えていた三人は嬉しい誤算に笑みを浮かべた。

「どうして記憶にないんだろう……もしかして私、二重人格なのかな?映画とかによくある、記憶を引き継がないタイプの」
「あ〜〜そうくる?」

 まさか前世の記憶が影響しているなど予想すらできないだろう。
 はたから聞けば中二病を連想させるような真波の突飛な推理だが、ところがどっこい現実は小説よりも奇かな、さらに飛躍した真実が待ち受けていようとはまさか思うまい。
 真波の導き出した可能性に、三人は無理もないと息をついた。

「そうくるかって事は違うんだね。五条君、教えてくれる?」
「勿論。ま、あくまで予測だけど」

 そうして五条はカフェに着くまでの道すがら、四人の置かれている状況について語り始めた。教師を務めていただけあり要点をかいつまんでの説明は分かりやすいが、どこか雑で細かい事柄は全て置き去りにしたような喋りである。
 おかげで三分程度の短い時間で彼は大体を話し終えてしまった。

「でんせ?? しばり??」
「びっくりした時噛んじゃう癖も健在だね」

 それはもう、真波は開いた口が塞がらないでいる。
 一方共に聞いていた夏油と家入も平常を保っている事から、どうやら真波だけがずっとつんぼ桟敷さじきに置かれていたようだ。そう本人が自覚したところで、浮かび上がるささやかな疑問を一つ問う。

「その話が本当だとして、縛りや術式で忘れるはずの記憶がどうしてこんな曖昧に留まってるの?」
「あくまで考えの域を出ないけど──前世で受けたペナルティの力が弱まっている、とか」
「確かに。呪力もかなり弱まってるし、その可能性は十分あると言えるな」

 家入はそう言い頷いた。
 五条の分析には一考の余地がある。これから真波が前世の記憶を取り戻す、その可能性も示唆していた。
 とはいえまさかサメ映画にこんな恩恵を受けるとは。やはりサメ映画は無限の可能性を秘めているのかもしれない、そう夏油は小さく肩をすくめた。

「さぁ、やるべき事が見えてきた」

 迂路も捷路しょうろも分からない、遥かなる一路の兆し。
 とにかく真波の“既視感”を刺激することが記憶再建の鍵になるだろう。
 これが彼らの導き出した解であった。


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