は? 誰オマエ

 4月26日、火曜日。
 本日もつつがなく授業を終えた真琴は、エマに一言断りを入れて夏油とパソコン教室へ向かった。五条と家入は一足早く鍵の手配をしに行ったらしい。パソコン教室もとい部室の前へと到着する頃には、鍵を開けようとする二人と合流を果たした。

「とりあえずこのノートを部誌にして、映画のあらすじと感想を書くようにしよう」
「一応は形に残すんだな」

 さっそく部室へと足を踏み入れた一同は、夏油を中心に当部活の活動方針について耳を傾ける。ノートに視線をくべながら呟く家入の言葉に、夏油は小さく頷いた。

「活動記録として残した方がいい。月に一回はポスターの掲示もいるしね」
「確かに。ただ見るだけなら家でもできるもんね」
「ああ。最初は映画を作れなんて言われもしたけど」
「菜食主義と環境破壊についてステーキ食べながら議論する映画とかどう? 僕ヴィーガン役ね」
「それとなく断っておいたから必要ない」
「じゃあ私ベジタリアン役」
「コメディ映画は却下」
「コメディか?」

 家入の棄却に夏油は疑問をぼやく。
 まあそれはさておき、といった感じで五条が続け様に口を開いた。

「じゃ、映画研究部始動ってことで! ヨロシク!」

 顧問がまだ到着していないとはいえ、部員は全員集結した。本日をもって念願の映画研究部が始動する。
 五条はその声に嬉々を乗せて、夏油と家入はやれやれといった感じで、真琴はこれから始まる部活へ胸を馳せて。
 四人は向かい合って、その表情を柔らげた。

「よろしくね」
「よろしく」
「いつにも増してテンション高いな」
「そりゃ傑オマエ、今日が青春街道初日みたいなもんだぜ。ギア上げてくでしょ」

 そう言ってはノリと勢いに任せた五条が、体重を乗せるように真琴の肩へと腕を回した。突然のボディタッチに驚きつつも、そういう学生のノリだと言い聞かせる。

 そんな時だった。

 ガラリ。パソコン教室の扉が音を立てて開く。ようやく顧問が来たか、と振り向いた彼らはその認識を改めることになる。

「昨日ぶりじゃん、マコ」

 振り返った先に立つは、見知った金髪の男が二人。アーガイルのアウターに袖を通す長身の男、龍宮寺堅。学ランを纏うポンパドールの男、佐野万次郎。どちらも東京卍會トーマンを背負う二代柱だ。
 万次郎は清々しいほどの爽やかな笑みを向けている。

「あ、万次郎にドラケン君──」
「俺の女に何してんの? 離せよ」

 あ、めちゃくちゃ怒ってる。そう顔を青くさせる小此木へのボディタッチを、五条はやめる気配がない。相手を揶揄い煽り神経を逆撫でする才にも秀でた男・五条悟は、軽薄な笑みを貼り付け冷めた視線を送る。

「は? 誰オマエ」

 あ、ヤバいこれ。
 真琴の脳内で警鐘がけたたましく鳴り響く。
 彼氏である佐野万次郎からすれば、五条の腕に絡まれる真琴は不埒な尻軽女に見られてもおかしくない現状だ。
 このままではまずい。心の中を掻きむしられるような焦燥感に駆られ、五条の腕からもがき抜け出そうとしていく。

「五条君、離して! ホントに!」
「何? 真琴はアイツに弱みでも握られてるわけ?」
「違う違う、彼氏なの! 彼氏!」

 真琴は簡単に弱みなど握られるような女ではない。男の言い分からも彼氏であることは大方予想がつく。しかし意地も性格も悪い五条はあえてありえない問いを持ちかけた。

「フーン、彼氏ねぇ」

 パッと真琴を腕から解放した五条は、万次郎の様相に一瞥を投げる。ジトリと舐めるような視線はまるで品定めをするかのようで、万次郎のこめかみに青筋が立つ。

「こんなガラの悪いチビがいいんだ。見る目無さすぎでしょ〜」

 刹那、佐野万次郎が跳んだ。
 五条の顔面へ旋風のような鋭い蹴りを突きつける。
 対する五条も澄ました表情でその猛攻を片手で受け止め、ほんの少し万次郎の表情が動いた。

 “無敵のマイキー”を謳う万次郎の一蹴を、しかも不意打ちの一打を受け止める男はそういない。
 五条の強さを察知したドラケンは表情を引き締めた。

「妻の前でさ、カッコ悪いトコ見せらんないわけ」

 “妻”という言葉に、三者三様の反応を見せた。
 何言ってんだコイツと顔を顰める万次郎に、ハア?と言いたげな表情のドラケン。遠目で見守る家入は、驚く様子もなく傍観に徹している。
 一方夏油は、パソコンが被害を受けないよう内心ヒヤヒヤしながら身構えていた。

「……つま?」
「真琴、オマエのことなんだけど」
「えっ? いや、結婚なんて、」

 真琴はふと言葉が詰まる。
 まさか、そんな。
 五条の話が本当なら、彼と前世で結婚していたことになる。チラと家入と夏油の方へ視線を泳がすも、彼らは驚く様子もなく事態を静かに見守っている。五条の言葉が口先だけではないことを、二人の態度からなんとなく真琴は察した。

「自分のトシも分かんねーの?イタい被害妄想はそこまでにしとけって」
「つーかマコちゃんも、マイキーがいンのに変な男引っかけんな」
「あ、ごめんなさい……」

 ドラケンのお叱りはごもっともだ。
 真琴にそのつもりはなくとも、結果的にこの有様。とは言え、防ぐことも前もって気付くこともできなかっただろう。それでも、この現状に謝らないといけないと、そう思わせるには十分だった。
 この騒動の厄介なところは、前世で五条と結婚していたのが本当ならば、彼にとって万次郎は間男になる。お互いがお互いに浮気相手だと認識しているのだ。

「なるほどねぇ、そういう感じ」

 ヘラヘラと平常を保つ五条が告げる。真琴がそちらを見ると、早く思い出せと言わんばかりのギラついた双眸とかち合った。
 まさか本当に彼と結婚していたの、そう真琴は冷や汗を流す。前世だとか転生だとか信じられないような話だ。しかし、彼女の中に巣食う違和感や既視感が非現実的であるのもまた事実。ありえないと払い除ける事はできなかった。
 剣呑な雰囲気に反目しあう両者に挟まれ、真琴は頭を抱える。現在彼女は前世を股にかけたニュータイプの浮気をしていることになる。二股だけに。
 とにかく、非常にマズい状況だ。

「マコはオレの女だし、テメーには関係ねェ」
「ここは映研の部室で、マコは部員だから。関係ないのがオマエの方だって分かんねーなら相当頭悪いよ」
「部活とか知らねーんだわ。オレはマコ迎えに来ただけ。行こーぜマコ」
「ハイどうぞって行かせると思う?」

 片や厄介な不良と相対する五条は、そんなマズイ現状の中考える。
 生まれ変わり記憶のない真琴が別の男と結ばれるなんて考えたくもなかったが、責めようもない事実である。しかし前世の記憶が戻れば、必ず自分の元へ帰ってくる、五条はそう確信していた。
 四人で過ごした短すぎる時間、残酷な日々の隙間で輝く二人の思い出、左薬指に宿る銀、新居のフローリング一面に広がる夫婦の生活風景。
 前世で命を奪われたというのに、まさか今世でも心を奪われるというのか。笑えない冗談だ。
 青春も、伴侶も、もう奪わせはしない。
 五条の決意は固かった。

「てゆーかさ、そんなすぐ忘れちゃう程度の男、気に留める必要なくね?」
「あーヤダヤダ。男の嫉妬は見苦しいねぇ」
「マコもさぁ、こんな部活やめちまえよ」
「オレらも暇じゃないワケ。馬鹿は休み休み言ってくれる?」
「ハ? 引っ込んでろ負け犬」
「黙れよ三下」
「…………へぇ」

 無敵と謳われ多くの相手を一蹴りで沈める万次郎は、五条の“三下”発言には珍しく耳を疑った。
 “無敵のマイキー”と知らず出まかせで言うにしても、彼は一度無敵の蹴りを事も無げに防いでいるのだ。それなりに骨のあるヤツだと分かるし、一筋縄ではいかないだろう。
 まあ、「だから何?」で片付く話でもあるが。

「無敵とか言ってさぁ、ヤワい奴しか相手にしてこなかっただけでしょ」
「ア? テメー黙って聞いてりゃ東京卍會トーマンに喧嘩売ってんじゃねーよ殺すぞ」

 万次郎の代わりに言葉の刃を向けたのは、一歩後ろで様子を見守っていた龍宮寺堅、通称“ドラケン”であった。
 最初は万次郎の女である真琴の周りに羽虫が飛んでいるということで、久方ぶりに学校へ出向きわざわざ例の部室とやらに足を運んだ。あくまで“マイキーの問題”として口出しせずに静観を貫くつもりであったが、我らが東京卍會トーマンの総長をあなどり軽んじる声が飛んでいるのだ。黙っているワケにはいかない。
 一歩前へと踏み出すドラケンに、片手を挙げた万次郎が待ったをかける。

「言うじゃん」
「オイ、これ以上は黙ってらんねーぞ」
「うん。だからマコに決めてもらう」

 先ほどまで声を上げていた五条、マイキー、ドラケン。少し距離をとって傍観を決め込んでいた家入と夏油。五人は一斉に一点へと視線を注ぐ。
 その先にいる真琴は、一気に口論の渦中へと引き込まれ立ち尽くした。

 どちらから、というわけでもない。
 しかし特に示し合わせることもなく、五条と万次郎は互いに口を開いて、

「僕らといるよね、真琴」
「一緒に行こうぜ、マコ」

 迫り来る究極の二択に、真琴が選んだのは──







「今日は一人で帰るね」

 第三の選択肢、“どちらも選ばない”であった。


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