世界の側面

中学生になった僕は今でも、あの出来事を忘れはしなかった。当時書いたメモとスケッチブックは大切に保管している。
あらゆる漫画を読んできた僕は、欠如しているのが何かを知ることができた。『リアリティー』だ。現実味がすぎてだらだらしただけの漫画もそれはそれで駄作であるし、エッセイにすればいい。しかし『リアリティー』の欠けたファンシーな漫画もまた、酷く空疎になる。過度すぎず、どれだけ上手く『リアリティー』をフィクションに練り合わせることができるか。ここにきて漫画の価値は見いだされるのだ。『リアリティー』は感情移入に加速を増す。
そう悟ってからというもの、様々な著者の小説やエッセイを読むようになった。そして他人の人生経験を知りたいと思う欲が次第に強くなっていた。僕は休日や放課後、外に出て取材をするようになった。他人だからこそ教えてほしい、そう言えば案外簡単に口を割らせることができた。しかし、やっぱり心を打たれるような経験憚はなかった。聞き終えた後、心底がっかりしながら思うのは決まってあの出来事だった。
“当たり前”に身を潜めた不可思議。もしかしたら不可思議はこの瞬間にも、どこかで起こっているのかもしれない。コインは円形が“当たり前”だと思われているように、この世界も科学的が“当たり前”だと思われている。隠れるはずのなかったコインの長方形は、円形であることの“当たり前”にもみくちゃにされて、無意識に隠れているように認識されてしまう。それと似てこの世界も、普段起きてた不可思議が隠れてしまうほど、科学的であることの“当たり前”が憚(はばか)ってしまった。コインは正面と側面をみて初めて本質を知ることができる。この世界も、両面をみて初めて本質を知ることができ、『リアリティー』に大幅に近づける。
もう一度彼女に会いたい。僕は自然と、あの公園のベンチに赴くことが多くなった。もしかしたらまた鳥を抱えて座っているかもしれない。今度会っても、勿論看病なんか手伝ってやるものか。だけどそれでも彼女は苦笑するだけだろう。僕が取材をしに来ただけだなんて言えば、どんな顔をするだろう。クソッ、名前くらい聞いとくべきだった。彼女は一体、どんな日々を過ごしているのだろう。おおらかな精神の裏側には、側面を見る余裕が伺えた。悔しいが僕と違い彼女は、世界の本質を知りながら生きている気がした。僕が知らない世界の側面を聞きたい、彼女が見てきた世界を聞きたい、彼女がどこにいるのか知りたい。彼女に対する想いは徐々に空気を増して膨らみながら、僕はこうして歳を重ねていくのだった。

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