2021/12/7 HBD・五条悟
空気が澄んで、真っ白な半月が町を見下ろす。かじかんだ手はこれでもかとケータイを握りしめており、ぼんやりと浮かぶ画面には『別れよう』とだけ表示されていた。
中学生の頃からお付き合いを始め四年が過ぎた、そんな矢先のことだった。
お互い高校生になって、彼は普通科の高校へ、私は呪術高専へ入学した。
呪術師として授業や訓練を受けながら任務で四方八方飛び回る生活に、彼氏と甘いひと時を挟む隙間はほんの僅かしかなかった。そうして連絡頻度も減り疎遠になった今、別れを切り出されても何らおかしくない。
それでも自分から言い出さない程度にはこの関係に満足していたし、これからに期待を持ち合わせてもいたのだ。時に同級生の誘いを断って、時に徹夜で報告書の山を片付けて、無理矢理空白を作り会いに行くことも少なくなかった。そう、だから、つまるところ、その、このような形で幕を閉じることになるとは、思いもしていなかったわけで。
なんとなく今までの苦労が水泡に帰したような感覚に、やり場のない虚しさが身体を侵食していた。少しして、いつまでもここで呆けているわけにはいかないと帰路へ歩き出した。
「よ。任務終わり?」
「うん。悟も?」
「おう」
寮へと足早に歩を進めれば、都合の悪いことに悟に呼び止められた。
五条悟は同級生であり、家柄においても力量においても容姿においても、最強の男だった。ただ悲しいかな、性格に難がある彼は誰もが認めるクズであった。
弱みを知られたら確実にいけしゃあしゃあと土足で気持ちを踏み躙るだろう。しかもその弱みにつけ込んで何をしでかしてもおかしくないような、正論を嫌い倫理観を胎内に置き去りにしてきたようなヤツなのだ。
つまり何が言いたいかというと、今のぐしゃぐしゃな感情の時に関わりたくない相手である。
「じゃあ私は女子棟(あっち)だから」
とは言え、いつまでも秘密にできるとは思っていない。下手に隠し通そうとするのも悪手だ。
前々から事あるごとに彼氏のことを詮索してくるし、私が非術師と付き合いがあることにあまり快く思ってないのかもしれない。知らんけど。だからいずれは暴かれると覚悟している。
ただ、気持ちが落ち着いてから、暴かれたいだけなのだ。
「待てよ」
ヒュ、と息が詰まりそうになるのを押し殺し振り返った。
「なに?」
「いや、なんかあっただろ」
「別にないけど」
「嘘つくなよ」
あ、怒ってる。すぐにそう分かるほど、彼の声は冷たく、目はギラギラと私を睨みつけていた。
いやいや、まじで勘弁してくれ。
私、いつも通り接してたつもりだったんだけど、そんなに分かりやすく「何かありました」って顔してただろうか。
たまにビックリするくらい鋭くなる彼の観察眼に、頭を抱えたくなった。
しかしこうなってはてこでも動かない男だ。中途半端な誤魔化しは一切通用しないだろう。
「悟には関係ないでしょ」
「あ"あ??」
こっっっわ。
半グレのそれなんだわ。
「言えよ」
「なんで? 今は言いたくない」
すかさず逃げ場を奪うかのように腕を掴まれる。いや、あの、めちゃくちゃ痛いんですけど……。
後になったらちゃんと言うから、今は見逃してほしい。……なんて願いは到底彼に届きそうもない。
どうも意地になっているような目の前の男は、何があっても聞き出すといった様相で。
お手上げだ。
***
十二月七日。今日は俺の誕生日であるも、今年は祝われることなく一日が終わろうとしていた。祝われたいわけじゃないから別にいいけど、去年は傑達が部屋にコッソリ来て楽しかったな、なんて思い返す。
帰って寝るかと報告書を提出した足で寮へ戻ろうとした時だった。遠目にアイツが見えた。どこか憂いを見せたその表情に嫌な予感がした。
すぐさま近づいて声をかけると、驚くほど器用にいつもの調子に戻って、何もなかったかのように足早に俺から離れようとした。それがどうしようもなく、怖さすら感じた。
傑が離反した時、俺はその前兆に全く、気づくことすらできなかった。もし早くに気づけていたら、声をかけることができたら、変わったのかもしれない。そんな後悔が今、沸々と湧き上がる。
このまま放っておけば、目の前にいる好きな女もどこか遠くへ行ってしまいそうな、そんな気がした。
「“今は”言いたくない」
咄嗟に、逃がさないようにと腕を掴んだ。
このまま“今”気づかないフリして、後戻りのできない未来が来てしまうんじゃないか。嫌だ、行くな。否、行かせてたまるか。ずっとここでへらへら笑ってろ。このまま後回しにして、遅かったなんて後悔したくない。
もう取りこぼすような事は―――
「今言え。絶対言え」
そう言うと、さすがに観念したのか相手は大きく息を吐いて口を開いた。
「別れたの。彼氏と」
思わぬ新事実に、俺もぽかんと口が開いた。
「あー、今は元カレか。まあ最近会えてなかったし?時間の問題だったというか」
乾いた笑みを浮かべながら、早口で喋り出す。
「もう過ぎたことだし気にしてないから」
泣きそうな顔して、早口で必死に取り繕って、気にしてないわけがない。
「ほんと、それだけだから……」
掴んだ腕を引き寄せ、思わず抱き寄せた。そうすると腕の中にいる女が、身体中にグッと力を入れて、何かを堰き止めようとしているのが分かる。
「悪かった」
無理矢理聞き出していいような内容じゃなかった。反省も後悔も謝意も全く持ち合わせてなかったが、こういう時は謝っておいた方が好感度が上がると思った。むしろ一番最初に聞けてラッキーとすら思っていた。
この時、五条悟は相手の気持ちを無視して無理矢理聞き出した事実を好感度の勘定には入れておらず、やはり彼はどこまでいってもどうしようもないクズであった。
「ど、して……こう言う時に、限って、優しいかなぁ……」
どっと溢れ出したそれを止めることができないようで、腕の中で震える女が、とてつもなく愛おしく感じた。
彼女がしっかり元カレのことを忘れるまで、それまではじっくりいこう。できるだけマメに連絡して、少しでも空き時間が重なれば共に過ごす。中途半端にゴリ押しで落としても、元カレにチラつかれてはたまったもんじゃない。ぶち殺したくなる。
そこさえ入念に見極めれば、後は根回しなんてどうとでもなる。行き場のない片思いがようやく報われる。そう思えば、彼氏と別れた事実は俺にとって最高の誕生日プレゼントだった。
「ごめん、ありがと。も、大丈夫だから」
「……ん。わかった」
忘れろ。俺が超大事にしてやる。だから早く忘れてしまえ。