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虎杖悠仁の祖父が病院に運ばれたという話を聞いてからしばらく経った。いつの間にか高校生になった悠仁は、学校終わりに病院へ顔を見せる生活を今もなお続けている。
師匠は大学が5限まである水曜日は、バイトも入れていないため暇潰しも兼ねて見舞いに伺っていた。毎週顔を見せるといつも悠仁が既にいて、花を入れ替えたり荷物を入れ替えたり椅子に座っていたりなどしていた。
師匠の姿を見るなり嬉しそうに話しかける悠仁に、この頑固な爺さんと共にいてよくここまでまっすぐ成長したものだと感心しながら挨拶する。
「相変わらずだね、悠仁。無理はしてないか?」
「大丈夫、病院も暇だから寄ってるだけだし」
「そう。爺さんも元気そうで何より」
「見舞いなどいらんと言うとるのにお前はこう毎週毎週……暇なのか?」
「まあね」
呆れたと言わんばかりのデカい溜息が病室に落ちる。そんな祖父の言動を軽くあしらいながら師匠はパイプ椅子に腰を下ろした。
(暇だから寄ってる、ねぇ)
師匠が毎週病院に来るのは、勿論祖父の見舞いもあるが、それは実を言うとついでのようなもので。本当の目的は悠仁にあった。
彼は師匠が知る頃から祖父の手一つで育てられており、とどのつまり、祖父が入院している今一人暮らしを送っていることになるのだ。
(15歳の男子高校生が一人暮らしなんて、さすがにフツーじゃないでしょ)
本来ならお隣さんの家庭事情に首を突っ込むことはないだろうが、もともと家庭教師をたまにしており悠仁の祖父とも縁がある。
そのため、師匠はちょこちょこと顔を出しては共に食事をとったり話をしたりと様子を見るようになったのである。師匠自身、まさかここまで面倒見が良かったとは思いもしなかったが、お隣さんのよしみということにしておこう。
悠仁達としばらく軽口を叩いて場を温めていると、悠仁がトイレへと姿を消した。その様子を見守っていた師匠に、そっぽを向いたまま祖父は口を開いた。
「お前さんは何を考えてるのかよく分からん胡散臭い奴だが、悪い奴ではない」
今だって悠仁を心配してここに来てるのだろう、と図星を突かれ師匠はへらりと笑い頭をかいた。
「敵わないなぁ」
「こちとら伊達に長生きしとらんわ」
祖父は小さく息を吐き出し、続けて言った。
「わしはもう長くない。悠仁を頼む」
その言葉と共に悠仁の祖父と目がかち合う。双眸はまっすぐに、しっかりと師匠を射抜いており、それはマブ弟子を想起させるものだった。
(ハァ〜〜。この目に弱いんだよなぁ、私)
もしかしたらそんな師匠の弱点も知った上での言動かもしれない。が、そう長くない命の時間を割いてまで縁のある人物に弱点を攻められては、師匠もお手上げだった。
「分かったよ」
「……本当に分かったんだろうな?」
「えー、ここまできて疑うんですか?お隣さんのよしみじゃないですか」
「全く。お前さんの前ではかっこつけにくいわ」
やれやれと言わんばかりのジト目を受け、師匠は肩をすくめた。
祖父が亡くなった後、悠仁は本当に一人になってしまう。精神面ももちろん心配だが、金銭的な問題の方が重要だろう。
生活費や家の維持費を彼一人で補いながら今まで通り通学できるのだろうか。いや、そもそも家のローンは完済しているのか?家の名義変更は?未成年だと難しいだろうが、連帯保証人がいれば可能なのか?その辺も調べた方がいいな。
バイトで賄えたとしてもかなりギリギリの生活を送る事になるはずだ。
貯金の金額次第な話ではあるが、祖父の入院費でかなり削れているだろう。あまり期待しない方がいい。
となると大学の進路も絶たれることになる。将来を制限させる生き方は極力避けたかったが、厳しいか。
(全く、厄介な願いだ)
貧しさは人の心を蝕む。生活水準が一気に下がれば、祖父の死が余計に重みを増すだろう。
これは悠仁がいない時間帯に一度顔を出して問い詰める必要があるな、そう師匠は結論づけた。
「ふぅースッキリした」
それとは裏腹に、身も心もさっぱりしたという面持ちで帰ってきた悠仁に師匠は苦笑した。
「さて、そろそろお暇しますか。悠仁、何食べ行く?」
「牛丼!」
「了解。じゃあ“また”ね、爺さん」
「へいへい」
そう言ってフラリと立ち上がった師匠は“また”の機会を作る旨を念押しで伝え、悠仁と踵を返した。
窓から漏れる光が無機質な院内の廊下を茜さす。二人が並んで外へ出る頃には、もう日が落ちかけようとしていた。ふわりと頬を掠める春風に攫われないよう髪を耳にかけ、師匠は目線だけを悠仁に向けた。
「悠仁」
「なに?」
「彼女とかいないの?」
「えっ!? なんで!??」
彼女いた方が少しでも学校生活が楽しいものになるのでは、と思って聞いてみた師匠だったが、反応からして「あ、いないんだな」と心の中でごちた。
「いや、悠仁カッコ良くなったし彼女いてもおかしくないなと思っただけさ」
「え、ホント? 俺カッコいい?」
「ああ」
今では悠仁の高すぎる身体能力が買われ、運動部の勧誘が引っ切り無しに迫るようになった。それに加えて、顔立ちも少年らしさを残しながらも整っている。そんな悠仁に想いを寄せている子は結構いそうなものだ。
「へへ、やった」
ふにゃりと顔を和らげ、悠仁は嬉しそうに笑った。朱に染まる頬をオレンジの陽が隠したため、師匠がそのわずかな色合いに気付くことはなかった。
「師匠は彼氏とかいないの?」
「いないね」
「そっかー。師匠だってさ、その、可愛いじゃん? だからいても不思議じゃないっていうか」
「そうでもないさ」
「告白とかされたこともない感じ?」
「ないな」
「そっか」
色恋に疎い、というより興味がなかった師匠は、未だそういう経験を積んだことがなかった。
「じゃあさ!例えばだけど、もし彼氏にするなら、俺とか……どう?」
そうおずおずと伺う悠仁に、師匠は顎に手を当て考え込む。
元より悠仁のことは従兄弟の弟くらいの距離感で接しているため、恋愛感情は全くないのだが。
しかしそれを抜きにして考えてみればどうだろう。素直で純心で、太陽のような眩しい明るさを持つ、師匠とは対極に立つような弟子だ。毎日祖父の病院へ見舞いに行くくらいには身内を大事にするし、ノリも良く一緒にいても疲れることはない。
そんな人が自分の隣に彼氏として立つのも、案外ーー
「……………いいんじゃないか?」
師匠のその言葉は紛れもなく本心だった。悠仁は嬉しそうにまた「そっか」と呟く。
「ああ、でも私のことを好きになるなよ」
「え、なんで?」
「恋愛にあまり興味がないし、その想いには応えられない」
思わせぶりな素振りなど見せず、出そうな芽は一足先に摘む。残酷なようでいて、師匠なりの優しさだった。ただ悠仁にとってその言葉は、既に一足も二足も遅すぎた。
「そっか」
悠仁は沸き立つ複雑な感情を、ひたすら噛み殺して笑うのだった。