「ただいまぁ」
「おかえり。今日お父さん遅いし夕飯先食べんで」
「そうなんや。……あ、お小遣い!」
「今日お小遣いの日ぃか。待って、覚えてるうちに今渡しとくわ」

 精神年齢はとっくの社会人であるが、身体は花の女子高生だ。お小遣いをねだるに正当な年頃だ。
 七月中旬。足もほぼ完治し、主治医の許可をもぎ取り、期末テストも明け、ようやくマネージャー業を再開した。
 部活終わりのくたびれた身体で、スクールバッグをダイニングチェアの上に置いた。ダイニングテーブルに並ぶ錚々たる逸品たちは、みなスーパーの出来合い品だ。小さい頃から両親は共働きなので、すっかり慣れた光景だ。普通の子供なら寂しい気持ちになるかもしれない。しかし大人の事情に寄り添える子供なので何ら問題ない。惣菜は美味しいしね。
 母から樋口さんを受け取った。財布の紙幣入れを覗けば、英世が一人と、例のお守りが眠っている。
 改めて考えると、本当に不思議な話だ。こんな手作り品のお守りと何の変哲もない鈴で、稲荷崎高校バレー部を救ったのだ。本当にあの一波乱は何だったんだろう。
 気づけばお守りを取り出し、鈴が手のひらに転がす。

「あっ!あんたそれ!」
「ん?」
「探してた鈴やん!」
「え、そうなん? ごめん、普通に落ちてたからそのまま使ってた」
「そうやろな。ゴンタが遊んでもうてなぁ」

 そう言って視線を向けるのは、我が家で可愛いともっぱら話題の愛猫である。ゴンタはそんなの知ったことかと背を向けてすやすやと背中で呼吸をしている。可愛い。

「これなんの鈴なん?」
「お義母さんからもらったお守りや。ほらあんたのカバンにもついてるやつ」

 私のカバンには、交通安全のお守りがついている。そういえば、これも祖母からもらったものだ。

「お守りはボロボロやし、鈴は取れたままどっか行くし。バチ当たらなことしたわぁ思っててん。まあ今見つけたけど、もうそのまま使い」
「あ、ありがとう」

 お守りの鈴だったんだ、と合点がいく。小さなしこりのようなモヤモヤが霧散した気分だ。
 ふと交通安全のお守りを手に取れば、日吉神社と刺繍が施されている。そういえばバスツアーで滋賀に行ったと祖母が話していたっけ。
 
 ふとスマホで日吉神社について検索をかける。
 猿は山の神の使いである神猿まさるとして知られ、「去る・・」ことから魔除けや厄除けにご利益がある、そうだ。
 この鈴は魔除けの効果をもたらしてくれたのかもしれない。猿、といわれても見当もつかないが。
 
 まあ、いいや。
 知らないままでいい。
 私はスマホの画面を消した。



***



 夏はたけなわ。熟れた水銀のような太陽は、容赦なく灼熱を降り注ぐ。陽光の輝きは私たちの体温と当たり前な景色の彩度を上げる。

 現在の気温は36度。
 エアコンのない体育館で、スポーツに打ち込むには殺人的な数字だ。身体中から小川がせせらぐような汗が伝う。時折肌を撫でる風は熱気と湿気で鬱陶しい。それでもバレーボールに情熱を捧げる彼らは、今もバッシュの音を重ねながら練習に身を投じている。
 かくいう私もマネージャーとして、冷やしたタオルやドリンクを多めに準備し、熱中症に注意を払いながら雑用係に徹している。

「はい休憩!」

 ピッ。ホイッスルの音と共にコーチの声が体育館に響く。ドリンクと冷えタオルを早急に部員へ渡し、最後に自分のドリンクを流し込む。
 冷たい液体を飲み込むのは、熱った身体を内側から冷やすようで心地いい。ごくごく、ごくんと喉元で音頭をとり、あっという間にボトルが軽くなった。
 体育館の小窓から降り注ぐ白も、くっきりと照らす床面も、青春の一ページに残るほど明暗の鮮やかな景色だ。暑いのに、不思議と心はさっぱりとさせる。これだから夏を嫌いになりきれない。

「篠原、“あれ”はそろそろか?」
「さっきできたところです。持ってきましょうか?」
「おー頼むわ」
「はい」

 稲荷崎高校はバレーの強豪校として知られている。全国の舞台で、ただ勝つためにコートへ立つ。勝利を重ねるためなら「青春なんかいらん」。放課後も、土日祝日も、長期休暇も。その多くをバレーボールに費やしている。
 そんな彼らのことを、私は少しでも支えになりたいと思う。
 運動部のマネージャーは所詮、雑用係の域を出ない。バレーボールの技術や経験があるわけでもない私に、できる事は限られている。もっと他にできることはないか。松葉杖をつきながらそんな事ばかり考えて、図書室で文献を読み漁ったりした。
 マネージャー室へ戻り、ずしりと重いクーラーボックスを肩にかける。この中に入っている“あれ”は、多くの人の力を借りてようやく実現に至った私なりの答えだ。
 少しの緊張と高揚を胸に、体育館へと踵を返した。

「集合!」

 もう一度ピッと笛が鳴る。
 まだ休憩時間だが、“あれ”を見せるのに区切りがほしかったのだろう。なんやなんやと部員がわらわらコーチの元へ集まる、その隣に私は駆け寄った。

「篠原の提案でな、捕食におにぎりを試しに作ってもらった。一人一個ずつや」

 食事もまた、トレーニングの一環である。
 クーラーボックスを開けると、ふんわりと冷気が漏れ出す奥におにぎりが並ぶ。ゆかりと塩昆布で彩られた“おやつ”に、多くの部員が目をかっぴらき声を上げる。尻尾が生えていたらぶんぶんと大袈裟に振っていることだろう。
 みな一斉に冷めきってないおにぎりを拾い、大きな一口で喰らいつく。

「うっま」

 もきゅもきゅと咀嚼を繰り返しながらも、誰かがそんな声をこぼす。握り拳分のおにぎりをあっという間に胃に納めた宮侑が、その焦点を私に向けて黙る。

「練習後の捕食におにぎりを検討しててな、これはその試作や」




 
 それは一ヶ月前のこと。
 私は黒須先生に捕食の提案をした。
 ───いや捕食はええんやけど、部費ではとても収まらんで
 
 炊飯器はマネージャーの退部と共に使われなくなったものがある。問題は食費、特に米だった。色々と計算してみたが、一日フルで練習すれば数日で5キロを部員が消化してしまう。保護者から集めている部費を大幅に値上げしない限り実現しないだろう。保護者へ向かう皺寄せは極力減らしたいというもの。
 しかし、私には米の仕入れにアテがあった。だからこそ黒須先生に提案をもちかけたのだ。


 
 ───米農家ならアテあるで。
 
 捕食の凡そを話した上で、米農家を探している現状に軽く触れれば、話題に乗っかる男が一人。
 彼の名前は北信介。将来米農家になる男だ。
 もし北さんが大人になってから米づくりを新規開拓したなら、この言葉は聞けなかった。とはいえ、米農家に関してはコネ無しで一から築くというよりは、親族から“繋ぐ”事の方が多いだろう。北さんならきっと、“ちゃんと”継承する。そう画策してはいたが、内心賭けに勝ってホッとしている。さすが安心安定の北さんだ。
 北さんの親族を通して、在庫を持て余してる古米──収穫から1年以上経過した米だ。新米の需要が大きすぎて古米を持て余すのは米農家あるあるらしい──を破格の値段で仕入れることに成功した。計画通り…と一瞬夜神月が脳裏を走る。
 古米とはいえ水をやや多めに入れたり、調味料を加えることで普通に美味しく頂ける。工夫すれば問題ない。
 お米の提供に協力してくれた、米農家さんに感謝。



 ───篠原……これ自分で全部作ったんか? そうか……お前ほんまスゴイな……

 一日練習の間におにぎりをどれくらい提供するか。おにぎりの具材の提案、おにぎりにかかる費用の見込み、おにぎりを作るタイミングや動きの共有……。私はおにぎりを提供する企画書を黒須先生に提出した。前世社会人だからこそなせる技である。
 その結構な分厚さに先生の顔は引き攣っていた。

 そして、そんな私の熱意を買ってくれた。

 古米と具材は部費を千円値上げすることで実現が可能だった。事前に保護者向けにアンケートを実施すれば、賛成が九割にも登った。
 これくらいの値上げなら許容範囲だったかもしれない。はたまた、部活用に各家庭で捕食を持たせる手間を、千円に置き換えたのかもしれない。
 実際、家で作ったおにぎりは保冷剤の影響で冷たくなっている。朝早く起きて作る労力、食中毒への懸念、美味しさは半減、荷物も増える。部活中におにぎりを作り提供するメリットは保護者の目から見ても大きいのだろう。

 そんな経緯いきさつが、このおにぎりには詰まっている。

 
 


「これ全部篠原が作ったん?」
「うん」
「すげぇ」

 銀島くんの感心する言葉に、企画書を連想した黒須先生が「いやほんまにな」とやれやれ顔でぼやく。
 数多くの生徒を前にして教鞭をとってきたが、生徒に企画書を提出された経験などない。彼女のバレーボールに捧げる熱意は並大抵のもんじゃなく、「うかうかしてられへんわ」と背筋を伸ばした。

「北さん、お米ありがとうございます」
「ええんや。買い手のおらん古米がこんな上手いおにぎりになって、みんなの筋肉になる。篠原、提案してくれてありがとう」

 ふわりと北さんが笑顔になる。その表情があまりにも素敵で、返事をする声が詰まった。実は機械なんちゃうかと言われる、日常のほとんどを真顔で過ごす男の笑顔だ。これが少女漫画なら確実に恋が始まっていただろう。破壊力は53万を優に超える。第一形態フリーザが現れても返り討ちにできるほどだ。
 
「篠原が良ければ、これからもぜひ作ってほしい」
「いやほんま美味しかった!マネなってくれてありがとぉな」
「いえ、そう言ってもらえて良かったです。準備が整い次第作りますね」
 
 大耳さんと尾白さんの暖かい言葉に頬が緩む。

「ほんま篠原がマネなってくれて良かったわ。そこだけはツムに感謝やな」
「そこ“だけは”ちゃうやろ。そこ“も”な」
「いやそこ“だけは”やろ」
「はあ!? 俺がどんだけサムにトス運んでると思っとんねん!」
「? トスはくるもんやろ」
「他人の気持ちとかもっと考えろや!」
「お前がそれ言うなや」

 安心安定の双子喧嘩勃発。
 そしてちゃっかりシャッターチャンスを決める安心安定の角名くんだ。

「おにぎりかぁ……いや嬉しいねんけど、最近体脂肪率増えてきててなぁ」
「できるだけ具材でタンパク質を補うつもりです。筋肉のリカバリーには糖質とタンパク質を同時に摂取した方が効率いいので、できれば食べてもらいたいんですが……赤木さんのはご飯減らしておかず多めにしましょうか?」
「できればそうしてくれ!俺らのために色々考えてくれたのにすまん!」
「いえいえ。意見はこうやってすり合わせていきましょう」
「ほんまありがとう」

 私に向けて手を合わせる赤木さんを前に気が引き締まる思いだ。タンパク質が豊富な具材、ミネラルたっぷり天然塩、農家さんから恵みの古米。栄養面を配慮した上で、みんなに美味しいと言ってもらえるおにぎりを提供したい。これも片足生活の時に下調べ済みだ。
 ドリンクを作る部屋に冷蔵庫もある。鮭、ツナおかか、イワシ缶は対応できるだろう。と言ってもこればかり作っていては飽きがくるし何より食費も嵩かさむ。安価で済む具材も増やして交互に出していかないといけないだろう。
 何をおにぎりに詰めようか、どんな味付けにしようか、部員のアレルギーや嫌いな食材も聞き出さないと。
 まだまだ課題はたくさんある。燃えるなぁ。

「篠原がおにぎり作ってくれるんや。俺らも気ぃ引き締めなな」

 頑張りは伝播する。疲労や筋肉の回復を目的に作ったおにぎりが、意図せず部員の背中を押したらしい。
 北さんの言葉に多くの部員が前を向いた。おにぎりを平らげたその瞳には闘志が光り、頑張りのパンデミックが起こる。

 彼らは一斉に頭を下げた。
「ご馳走様でした!」
 エネルギーのこもった声が、じんじんと皮膚を撫でる。胸の奥でこっそりと鼓動が暴れた。

 運動部のマネージャーは所詮、雑用係である。

 それは本来存在しないであろう、稲荷崎高校バレー部のお手伝いさんだ。私が増えることで原作に少なからず影響を与えるだろう。もしかしたら、原作とは違う展開を迎えるかもしれない。
 勝てなかった試合に勝つきっかけをいつの間にかもたらしているかもしれない。
 春校で烏野高校にギリギリで勝つかもしれない。
 私は「ハイキュー!」が大好きだからこそ、原作の展開を極力壊すべきではない。
 だから私の存在はノイズである。

 なんて、そう以前はそう考えていた。
 
 しかし、マネージャーはたかがお手伝いさんであり、所詮雑用係だ。特別強い選手でもなければ、滞りなく血液が回る“脳”のような洞察力も持たない。
 私程度がいることで勝敗を分かつというなら、それは相手の実力不足に過ぎない。だからこそ私は全力で部員を支えてもいいのだと、そう結論を出した。
 
 稲荷崎高校バレー部を、より強くするために。

 お手伝いさん、上等。
 部員が雑用に使う時間と体力を、少しでもバレーボールに注力できればいい。
 私はコートに立てないし、チームメイトにはなれない。それでも彼らの成長に少しでも助力できるなら、これほど嬉しいことはない。稲荷崎高校のバレーを間近で見て、雑用という形で貢献できるなら本望だ。

 もし烏野高校に勝ってゴミ捨て場の決戦を失ったとして。本当に残念だけど、それは彼らの実力不足だ。
 とはいえ、私がハイキューを好きなことに変わりはない。
 無論、ゴミ捨て場の決戦が実現することも、切に望んでいる。

 だから。親愛なる烏野高校の皆さん。
 私はマネージャーとして、選手が少しでもレベル上げに励めるように、皆さんが少しでも苦戦するように、ただただ全力を尽くします。

 どうか、そんな私たちを全力で返り討ちにしてください。
 会える日を、心待ちにしてます。


 〈完〉


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