四月中旬。
 尾白アランが正気に戻った経緯を聞き出した侑は、隣のクラスへ足を踏み入れた。目的の人物は一度も話しかけた事のない女子生徒。特に目立つこともなく、かといってヒエラルキーが低いこともない。クラスの賑わいを静かに後ろで見守っているような優等生だ。あいつと関わってもつまらんやろなぁ、なんて平気で失礼な事を思ってしまうくらいには真逆の立ち位置にいた。
 「そういや応援席にようおるの見るわ」と記憶の引き出しを適切に開くアランの言葉を思い返す。応援席におるヤツの顔までよお覚えとるな、なんて失言を胸に秘めながらとりあえず褒めておいたらドン引きされた。なんでやねん。
 お守りを借りるも成果は上がらず、やむを得ず彼女をマネージャーの道へ引き摺り込んだ。バレー部を元に戻したい一心で、彼女の意思など一ミリも考慮していなかった。それでも彼女なりの温情か、推しに弱いのか、応援しているチームの懇願に耳を傾けたのか、マネージャーとして協力を得ることになった。

「あンのふしだら豚が!部活に来んなや!体育館で二酸化炭素吐くなボケ!」
[それやと体育の授業もできひんよ]
「やかましいわ!」

 侑の想像とは別のベクトルから変化球のような回答が返ってくる。蓋を開ければ彼女は、独特のクセを持つ天然ボケであった。
 治にも吐き出せない溜まりに溜まった黒い感情に耳を傾けてもらい、それでもバレー部を元に戻すべく相談を重ねていく。


 
 

「なあツム、最近の俺はちとやりすぎたわ」

 篠原が行ったおにぎり作戦を経て、次の休み時間に治は侑と対峙した。治の一言に侑は作戦の成功を確信し、緊張していた表情筋がわずかに和らぐ。

「いやほんまやで!この間食ったプリン、これでチャラな」
「は? それとこれとは話が別やろがい」
「どぉこが別やねん!何日もシカトかましてた奴に、プリン一個で水に流したる言うとんねん!」
「そもそものキッカケ作ったやつにくれてやるプリンなんかあるかい!」

 「相変わらず双子がケンカしとるわ」なんて外野の愉快な声を背に、侑は肺中の空気を思いっきり吐き出した。一年マネが来てからというもの、こうしたぶつかり合うケンカすらできないほどに険悪な状態だったのだ。正直、ほんの少しだけ、絶対に言外しないが、心の奥で安堵している自分がいた。
 
「ツムが人間ポンコツなことくらい分かってんのに、なんやあの一年マネに引っ張られたわ」

 侑が人でなしなことくらい、バレー部の共通認識である。確かに、一年マネに酷い言動を繰り返しているが、その大半は一年マネが侑の地雷を踏み続けいるせいだ。それも人体に傷をつけるための対人地雷では飽き足らず、車体を行動不能にするために設置された対戦車地雷に匹敵する威力を誇る。
 そりゃ侑の地雷がド派手な爆発を見せて双子乱闘を見せる一幕もある。しかし“高校ナンバーワンセッター”宮侑の存在は稲荷崎高校バレー部の核と言っても過言ではない。宮侑が他方向に爆発してもある程度静観するかまえを見せていた。
 練習試合中に黄色い声をあげたり、オーバーネットの審判に気づかず得点を間違えたまま続行しそうになったり、実際一年マネは侑の地雷を大いに踏み荒らした。いつもなら「あーあ」で終わらせる治すら、怯えた態度をとる彼女を被害者と認識し正当化してしまった。なぜかほとんどの部員がそんな有様で、“姫派”と“姫派以外”で派閥を作ってしまった。圧倒的多数で“姫派”がマイノリティであったが。
 この調子で“姫派以外”の派閥を広げていかないといけない。全ては、100%のコンディションでバレーに向き合えるように。





「おー篠原やん。どないした、侑になんかされたか?」

 黒須先生顧問がへらりと笑いながら、デリカシーに欠けた声をかける。チームメイトからの非難には特に耳を貸さない侑だが、ある程度信頼を寄せる顧問おとなからチクチク言葉を向けられると少し堪える。ほんまはこんなん言う人やないんやけどな、と静かに眉を寄せた。

「先生、話を聞く前から宮くんが悪いと決めつける言い方は良くないと思います」
 
 しかし、篠原はそんな黒須先生に真正面から意見を投げる。
 普段はたおやかでへらへらしている篠原が、教師相手に臆せず発言するのは少し予想外だった。教師相手にいい顔して内心稼ぎたい、おべっかなええ子ちゃんではないのだ。そう侑は新たに認識を訂正した。
 思い返せば侑から強引な初めましてをした時は、「ほんまにこんなお守りで正気に戻せるんか?」と訝しんだし、二度目ましてでは「ほんまにコイツがバレー部どうにかできるんか?」と疑念が拭えなかった。あの時はどうすればいいのかわからず、少しでも可能性があるなら縋り付くしかなかった。
 そんな若干のマイナスイメージからスタートした篠原への印象は、共に話を重ねるうちに雪解けのようにじわりと変わっていく。
 あの時、篠原に声かけてよかった。
 音になることのない胸の内を、鈴の音が優しく包む。
 
 
 
 

「俺もこうしてちゃんと伝えなあかんかった。暫く口聞かんで悪かった」
 
 結局、お守りに入ってたなんて事ない鈴がバレー部を元に戻すかなめだった。
 なぜこの鈴が洗脳を解いたのか、まるでわからない。しかし今重要なのはそんな事ではないし、結果よければ全てよし。分かる必要なんてないんだろうとその疑問を捨て去った。
 

 
 

「私ももう少ししたら辞めるね」

 侑の地雷原を回避するくらいにはマネージャーの仕事を堅実にこなし、侑の中で存在感が薄まるくらいには主張が弱く裏方に徹する働きぶり。篠原がいてもバレーボールに集中できる環境はしっかり整っていた。
 篠原の辞退に思わず「なんで?」と内心首を傾げたが、「そういや頼んだ時にそんなん言うたかも」と後から思い出した。

「侑は篠原がマネすんの嫌か?」
「まあ女マネがおるんは嫌っすけど──」

 ───篠原なら別にいいっす。
 例の一年マネによってサークル崩壊の前兆を垣間見たのだ。女マネが入部する事への反感は以前より強まったと言ってもいい。
 しかし篠原とはバレー部を正気に戻すために結託した同志であり、悪口パーリナイに付き合ってもらったよしみだ。普通に話してておもろい奴やと思うし仕事も真面目にこなす。篠原とは親交と実績の下積みがある。篠原がこのままマネを続ける事に抵抗はなかった。
 そんな自分の気持ちの確認に数秒息をしていると、続きを言う前に篠原が辞める事で話はあれよあれよと進んでいく。



 

「ちゃんと決着ケリつけて筋通さなあかんやろ」

 多くの部員が篠原の退部を懸念する声を上げる中、北の言葉が侑の心にストンと落ちてくる。中途半端に言葉を止めたせいで、退部を促すような一言ふりがなを作ってしまったのは紛れもない侑である。

 確かに侑は自己中心的であるし、言葉を選ばず歯に衣着せぬ物言いでトラブルの火種になることも多い。しかし今回の侑は治と同様、ちとやりすぎた。バレーの応援に来るとはいえ、部活には一切関わりのない女子を無理やりマネージャーに仕立てて巻き込んだ。
 そもそも、尾白は昼休憩の時間に正気に戻ったと言っていたのだ。本来なら篠原をマネージャーにせずとも、バレー部の洗脳を解くやりようはあった。マネージャーとしての仕事を課す必要がなかった事くらい、勧誘した侑本人もよく分かっていた。
 




「私、宮くんがバレーしてるとこ死ぬまで見たいねん」

 侑を庇うように階段から転落し、右足は漢字ふりがな浮腫(むくみ)のように膨らみ青ずんで、軽傷とはいいがたい状態だというのに。
 篠原はこの上ないほどの笑顔を見せて、侑の無事を喜んだ。そして放たれた一言に、侑は背筋にゾワゾワと生毛がそり立つのを感じた。
 侑自身、己の欲求を満たすためにバレーボールと向き合い続けてきた。ポンコツ相手に非難を浴びせるくらいには、自己中心的で相手の気持ちに聞く耳を持たない。そんな自分のバレーボールが、人の生き死にまで影響を及ぼすほど熱望されている。
 宮侑なら私が死ぬまでずっとバレーするやろ、という圧。獰猛なスパイカーバケモンを存分に使いこなして、多くの舞台でプレーを見せてくれるやろという脅迫ふりがなを、彼女の瞳は雄弁に物語る。

 ───上等や。俺のバレー、死ぬまで見とけや。
 




 
「愛香ちゃんのことならもう大丈夫になるよ」

 ゾクリ。心臓に毛が生えていたなら余す事なく逆立っていただろう。冬の海へ身をくぐらすような冷え込みが背骨を駆け抜ける。気づけば彼女から数歩離れた場所にいて、防衛本能が警鐘を鳴らしたのだと理解した。
 ただの凡庸な優等生だと思っていたら、蓋を開ければのほほんとした天然ボケで、でもその根っこにらバレーボールと選手への苛烈な情熱が隠れていて。
 関わるほど違う一面を見せる彼女に、だんだんと面白さを見出していた。そんな侑にうっそりとした笑顔を向ける彼女は誰だ?
 穏やかに微笑んでいるはずなのに、その表情はどこか影に落ちており、見ているこちらに不安を煽るようだ。ここから先に踏み込んでくるなという圧を感じる。

 そして彼女の言葉通り、一週間後には校区外へ転校して行ったと聞かされた。侑の額はうっすらと汗が浮かんでいた。

 宮侑は人の気持ちにあまり執着を見せない。彼にとって重要なのはバレーボールだ。下手なプレーをされた腹立ちは真っ直ぐぶつけるし、部員からいくら反感を買おうと知ったこっちゃない。正論パンチで喝を入れる北信介の存在で身を引き締めることはあっても、誰かを気にかける事は少ない方だろう。“人でなし”と呼ばれる所以である。
 
 ───あ、篠原怒らせたら終わりや。

 どこか直感めいたものが宮侑にそう告げる。
 間違いを指摘し正すのが北信介の怖さであれば、一度怒らせたら相手を終焉へ突き落とすのが篠原の怖さとでも言おうか。
 まるで篠原の中にある知人フォルダから、存在まるごと削除されてしまうような感覚。
 その上感情が直結回路で顔に浮かび上がる侑にとって、根っこにあるはずの怒りを笑顔に昇華させるのもまた不気味で仕方なかった。
 
 穏やかな性格で普段から人を怒らない、押しに弱く大抵の頼みなら引き受けてくれる、バレーしてる様子をキラキラ生き生きとした瞳で見つめる、そんな篠原の裏側にまさかこんなにも冷酷な表情を隠し持つとはまさか思うまい。
 
 そんな彼女の恐怖に、侑は見惚れていた。

 それはまるで、クリーム・ブリュレの天蓋をぶち破り、どろみたいなプリンのまだるみに足を踏み外したような。彼女の穏やかな優等生キャラメリゼの裏側に、こんなに深く冷たいプリンが隠れているなど思いもしなかった。
 バレーに仇なす存在がいたら、それは彼女にとって地雷なのだ。迷うことなく容赦なく、簡単に切り捨てて遠ざけるだろう。そのふにゃりと柔らかな笑みを見せながら、手元に何枚も選択肢(カード)がありながら、最も無慈悲な一枚を切るのだ。その冷酷さプリンは病みつきになるほど甘美なものだった。
 恐怖は時に人の心を惹きつける。ホラー映画がエンタメとして提供されるように、日常では味わえない強烈な刺激を目の当たりにしたような感覚。一瞬の胸のざわめきがなぜ魅了されているのか、困った事に侑自身もわからない。ただ言葉や理屈では伝えがたいゾクゾク感が、確かに全身を駆け巡った。
 
 侑の中に眠る好奇心と探究心と執着心を大きく加速させて、恋心と呼ぶにはいささか奇妙な恋慕がいよいよ芽吹いた。


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