25


開いた口が塞がらない、とはまさにこの事だ。

「チカ〜?これ運ぶの?」
「…そ、そうみたい」

黒い獅子が不安げにこちらを覗き込んできてわたしもそれに引きつった笑みしか返せなかった。だってこれ。

「提灯って、化灯籠のことだったなんて…」

自分の身長は優に超える大きな石の灯籠。いつかの授業に名前が出てきた悪魔だ。火が灯ると動き出して生き物を食べて燃料にする悪魔だ。
怖がりながら進んだ森の中、偶然進んだ先に現れたこれにわたしは驚きと共に焦りが生まれていた。
マンティコアの炎のおかげで、暗闇に怯えることもなく、ここまで悪魔に寄り付かれることもなかった。遠くからこちらを伺うようにしていたのは、蛾の形をした悪魔だったからマンティコアの炎とは相性が良かったようだ。おまけに偶然、お目当ての提灯までをも見つけた。でも、この運もここまでか、と思えた。
化灯籠の横にはご丁寧にリアカーまでもが用意されているけれど、まず、この化灯籠をそれに乗せられる気がしなかった。マンティコアに頼もうにもさすがにそれは無理そうだし、炎を灯せばこの灯籠は動くけれど、リアカーに上手いこと乗せられても、化灯籠が乗ったリアカー、これ、わたし引っ張れるか?

「…ワ、ワンちゃん」
「ぼく、これもちあげられなぁい」

無慈悲だ。側にはいつつもそっぽを向いてしまったマンティコアに頭を抱えると、ガサリと後ろの草木が揺れる音がして勢いよく振り返る。

「か、神木さん」
「!アンタ…」

暗闇から現れたのは側に狐の式神を従えた神木さんでわたしと目が合うと驚いてから、隣で金色の炎を出しているマンティコアを見ると眉根を寄せた。

「先越されたんならほか、当たるわ」
「ちょちょちょ、まってよ」

くるりと踵を返そうとする神木さんの腕を慌てて掴んだ。嫌そうな顔をした神木さんに努めて、笑顔を浮かべる。

「い、一緒に、どう?」
「…は?」

うわあ。思い切り、不服そう。

「いやさ、これさすがに一人じゃ無理だし、この子も無理って言ってて頭抱えてたの」
「…クリア枠は3枠なのよ」
「それ!それだよ、神木さん」
「なにがよ?」
「3人じゃないでしょ?3枠だから」

我ながら良いところを突いたとは思った。なんだか一休さんのようなとんちを見つけた気分だけど、この化灯籠を見たら一人だなんて到底、無理に思えた。わたしじゃなくとも、みんな一人でどうするつもりなのか皆目見当がつかない。
わたしの言葉に神木さんは顎に手を与えて少し考えるような素振りを見せた。あと!あともう一押し!

「それに神木さんここまでライト消したでしょ?」
「…悪魔が寄ってくるから」
「なんと!今なら一緒に居てくれたらこの子が!この子がいるので寄ってきません!明るさも保証します!」
「え?ぼく?」

もはや、他人事で座り込んで寝に入ろうとしていたマンティコアを大袈裟に突き出しながら神木さんにプレゼンする。神木さんは突き出されたマンティコアを見てから化灯籠を見て、それからまたマンティコアを見て、何度か目線が行ったり来たりしてからわたしを見た。

「…3枠じゃなくて3人だったら許さないから」
「そ!それはその時、えー、ジャンケンで正々堂々…」

わたしも簡単には譲れない手前、ゴニョゴニョとそう言うと、神木さんは鼻を鳴らして、何事かを唱えた。

「ほ、ほわ…!」

ポポポポ、と、可愛らしい音と共に現れたのは無数の小さな狐の式神で、今神木さんが側に従えているものより遥かに小さい狐たちだった。可愛い。ものすごく可愛い。
その式神たちが化灯籠の下に集まっていくと、ゆっくり化灯籠が動き出した。式神たちが化灯籠を持ち上げ、運んでいるのだ。そのままリアカーに乗せ終わると、小さな狐たちは消え、先ほどからずっと横に従えている二匹の狐がリアカーの取手に前足をかけた。随分、その顔は不服そうだったけど、ズズ、とリアカーが動き出す。
あまりにも簡単に動き出したリアカーに呆気に取られていると、もう歩き出していた神木さんが振り向いた。

「帰るわよ」
「!、はい!」

慌てて返事をして、寝転がっていたマンティコアの背中を叩き起こし、リアカーを追いかけた。




「お疲れさん、お前ら二人が帰ってくるか」

無事、何事もなく拠点に戻ると霧隠先生と宝が居た。化灯籠が一体とその横にいるのが宝だけなのを見てコイツ一人でやったのか!とギョッとしたけど、霧隠先生からの言葉にホッと息を吐き出した。
神木さんも道中疲れている素振りはなかったけれど、すぐに式神をしまって息を吐いていた。隣を見ればマンティコアもくあ、とくたびれたように欠伸をしていて、慌ててその場にしゃがみ込む。

「ありがとう、ワンちゃん。本当に助かった」
「チカ、こわくなかった?」
「ふふ、…うん。ちっとも」

首を傾げた獅子の頭を笑いながら撫でてやると、嬉しそうに喉を鳴らして「また呼んでね」と一言残して、白煙と共にその場から消えた。

「神木さん、本当にありがとう」

マンティコアが消えたのを見届け、神木さんに目を向けると一度こちらを見て小さく鼻で笑われた。

「別に。アンタ虫除けとライトの効果しかなかったけど」
「う…それは、そう」
「まあ、居なくてもクリアできたけど…居ても良かったんじゃない」

それだけ言って用意されていたテントの一つに向かってしまった神木さんに、聞こえていないだろうが「ありがとう」をもう一度、繰り返した。
何にせよ、クリアできて本当に良かった。二人で持ってきたけれど、霧隠先生からのお咎めは無しだ。そう思って霧隠先生に目を向けていると、バチリとその視線と目が合う。
『そういえばぁ、マンティコアって炎の眷属だったかにゃあ?』
あの時、足が竦んでしまったわたしを動かした霧隠先生の言葉。かつて、霧隠先生は山田として一緒に授業を受けていたのだから、わたしがマンティコアを召喚していたのは知っていたのだろう。
でも、本当にそれだけ?

「…霧隠先生」
「にゃんだ?」
「知ってますか?あの、わたしの母のこと」

何となく、そう思った。瞳のことだけじゃなく、マンティコアのことも知っているのであれば、ヴァチカン本部に勤めているほどのこの人が母の存在を知っていてもおかしくはない。
霧隠先生は、しばらくわたしを見つめて黙っていたが、ちょいちょいと手招きをした。それに呼ばれて、体を寄せて地面に座ると、ニッと笑みを浮かべた。

「知ってるよ、トモエだろ。お前の母ちゃん」
「!!」
「別に仲良くはなかったけどな。まあ、色々似てる部分があって、多少話す程度の間柄。お前の話を聞いてたわけでもねーよ?でも、それは知ってる」

それ、と言って霧隠先生が指差したのはわたしの右目で、少しだけ身体が強張った。一度、緊張で口内に溜まった唾を飲み込む。「あの」開いた口からは震えた声が出た。

「お、教えてもらえませんか。お母さんの、こと」

ジッと霧隠先生を見つめると、困ったように笑ってから「う〜ん、あたしがトモエと会ったのも小さい頃で、ゆーてあたしアイツ自身のことは何も知らないんだよ」と言ってから持っていたお酒に口をつけた。

「ごめんにゃ、だからあたしから言えるのはこれだけ。おまえの目、それな」
「…これですか」

霧隠先生がそれ、と言った先を察して右目の眼帯を摩る。と、すぐに「違う違う、逆」そう言って左目の方を明確に指を指された。

「その翡翠の目、綺麗だな。トモエも同じ目してたよ」

思わず、息が詰まった。
初めて言われた言葉だった。黒く濁り始めた目を母と似ていると言われた事はあったけど、翡翠の目を母と似てると言われたのは、初めてだ。
これはわたしが記憶のなかでだけで覚えていたお母さんの色だった。これだけは、わたしと同じだと思っていた。わたしとの唯一のつながりだと思っていた。
でも、黒く濁り始めた瞳を見て、それを感じる度に、『本当に同じだったか?』『お母さんはこんな色だったか?』と、不安を、焦燥を、拭わずにはいられなかった。
だから、他人の目から見ても同じ色だということが、こんなにも、嬉しかった。

「ん、あたしも久々に見れて嬉しかったにゃ」
「…はい」

霧隠先生がポンポンとわたしの頭を撫でてから「休める時に休んどけよー」と言って、その場から離れていく。
少しだけ、右目の眼帯を外した。久々に見上げてみた夜空は、少しだけ明けに向かっていて、紺色と紫色が溶けて綺麗な色をしていた。

「…大丈夫、大丈夫」

言い聞かせるように、願うように。
静かに呟いた言葉と共に、そっと右目に蓋をした。

prev / next

top / suimin