11
小さい頃まだアカデミーに入る前、初めて分身の術に成功した。
何度練習しても形にもならなかったのに、自分と同じ顔がすぐ隣でこちらを見ていてわたしは驚いたし、何より嬉しかった。
これでお父さんに褒めてもらえる、そう思ったのだ。
お母さんが一緒に読んでくれた絵本で描かれていた分身の術に興味を持った。
『まだアンタには難しいんじゃない?そのうちアカデミーで習うわよ』
お母さんはそう言って笑っていたけど、それを聞いて教えてくれと駄々をこねたのだ。
わたしに見向きもしないお父さん、名前を呼んでもらえたのは片手で数えられるくらい。
そんなお父さんが忍術に関しては、興味を持つことを知っていた。
アカデミーに入る前にできるようになったら褒めてもらえるかもしれない。
名前を呼んでくれるかもしれない。
小さかったわたしは信じて疑わなかった。
ドキドキする心臓も、自然と上がってしまう口角もそのままに、お父さんに分身の術を見せたくて家の廊下を走った。
分身の術できるようになったよ、お父さん!
なんて言ってくれるだろうか。
よく出来た、なんて、頭を撫でてはくれないだろうか。
でも。
『俺の娘だというのにこんな事くらいで』
待っていたのは、お父さんの冷たい視線とたったその一言だけだった。
きっとその頃からだったと思う。
わたしは『出来損ない』だと自覚したのは。
「…あれ」
ぼうっとした意識から浮上して、視界に見慣れない白い天井が飛び込んできた。
首を横に動かすと窓から青い空が見えた。
窓は少しだけ開いていて、心地よい風が室内に入ってきていた。
自分の部屋ではない、それはすぐにわかった。
だというのに、自分はそんな中、何故かベッドに寝ている。
何してたんだっけ?、直前のことも思い出せないし、今の状況も分からなくて、頭がぐるぐるしてきた。
混乱したまま、体を起こしたとほぼ同時に窓と反対からゴン、となにかがぶつかった音がして体をこれでもかと言うほどビクつかせる。
音の方を見ると、わたしが寝ていたベッドから少し離れた壁際で丸椅子に座っている人が居た。
腕と足を組んで俯いていたその人は、その頭を壁にぶつけていてさっきの音は壁に頭をぶつけた音なのかと察する。
あれ?というか、この人。
俯いていた顔がゆっくり上がって、重そうな目蓋から覗いた黒目と視線が合う。
「…おう。起きたか」
シカマルくんだった。
わたしと目が合うとシカマルくんは少しだけ驚いた表情をしたけど、すぐ気怠そうに欠伸を一つこぼした。
その様子を見ながら、ますますわたしは混乱した。
返事をしなきゃとか、ここはどことか、どうしてシカマルくんが居るのだとか。
言いたい、聞きたいことはたくさん出てくるのに言葉が口から出ない。
パクパクと唇を動かすだけのわたしを見て、シカマルくんは自分が座っていた椅子ごと少しだけベッドに近づいて、ベッドサイドに手を伸ばした。
「喉渇いてんなら飲めば」
差し出されたのは水の入ったグラスで、慌てて手を出して受け取った。
受け取ったそれは少しだけ冷たくて、落ち着くためにも、言われてみれら喉がカラカラだとも思って、一口だけ飲んだ。
「気分は?」
「、え?へ、平気です…」
「…ここ木の葉病院。おまえ、倒れたんだけど」
「え!?」
思わぬ言葉を投げ掛けられて手元のグラスで、水が跳ねた。
あ、と思った一瞬の間にグラスはシカマルくんが掴んでいてそのままベッドサイドに置いてある棚に戻された。
「倒れた前、俺と話してたの覚えてるか?」
「…あ」
言われて、思い出した。
シカマルくんがわたしに修行のやりすぎだと言いに来てくれて。
わたしが困らせてしまっているんだと思って。
そのあとの記憶がない。
また、わたし、困らせてしまっている。
すぐに謝らないと、と思って顔を上げるとシカマルくんの掌がすぐ目の前に現れて、ぐ、と体が詰まる。
横によけられた掌の先、シカマルくんは呆れたような顔をしていた。
「おまえ今、謝ろうとでもしただろ」
「…また、わたし迷惑かけて」
「俺が、迷惑だって言ったか?」
「……言われてない、けど」
「おまえ倒れる前にも謝ってた。またって何。俺らが今までおまえのこと迷惑だって言ったかよ」
シカマルくんの詰めるような言葉に思わず視線が下がる。
言われていない。
一度だって、同じ班の彼らはわたしを邪険に扱ったりはしなかった。
でも、でも。
昔からずっとずっと心の奥深くにこびりついた『出来損ない』のレッテルは、そう簡単に手を離してはくれなかった。
言わないだけで迷惑と思っているよ。
おまえだけだよ、隣に並びたいなんて思っているのは。
『おまえ、足、引っ張ってること分かってんの?』
悪魔のように囁き続けるのだ。
気付くとじわりと視界がぼやけて、あ、泣くと思った。
「あ゛〜ッ、違う、違うから」
隣から突然唸るような声がして、顔を上げるとシカマルくんが頭を掻き毟っている。
突然のことにびっくりして涙も引っ込んだ。
シカマルくんはそんなわたしを見てホッとしたように視線を合わせた。
「いいか、怒ってるわけじゃない。いいか?」
「…はい」
「みんな心配しんてんだよ、おまえのこと」
「しんぱい…」
「言ったろ、最近のおまえやりすぎって。他の奴にも言われたんじゃねーの。なんか、ずっと気張りすぎっつーか…いつかぶっ倒れんじゃねーかってそんな感じだった、つか実際そうなったし」
自分では全く気付かなかったけど、実際そう言われてしまってはぐうの音も出ない。
そういえば、と記憶を掘り返してみれば、頻繁にではないけど、いのちゃんやチョウジくん、アスマ先生も気にかける言葉を投げ掛けてくれた気がする。
『元気?』『ご飯ちゃんと食べてる?』『ちゃんと休めよ』
些細な、それでも優しい言葉たちに、わたしは何と言葉を返していただろうか。
焦燥ばかりに背中を押されて、自分のことばかりで頭がいっぱいで、一つも受け取らなかったのではないか。
「おまえのこと、俺もアイツらもまだ知らねーことばっかだしよ、おまえにはおまえの考えがあるんだろうし、止めはしねーしほっとくよ、どうでもいい奴なら」
「…」
「でも、俺らにとっておまえはもうどうでもいい奴じゃねーわけ」
シカマルくんの言葉にどくんと鼓動が一際大きく鳴った。
シカマルくんは目を逸さなかった。
いつも眠たそうだと思っていた瞳がわたしをしっかりと見つめていた。
本当のことだと瞳が伝えてくれていた。
「おまえは、日之出は十班の、仲間だろ」
「…、っ」
「間違ってることは止めてやらねーとって思うし、心配だってする」
「…うん」
「おまえがめんどくせー考え方すんのはもうアイツらも分かってるし」
「…うん、」
「…まあ、全部いのが言ってたんだけどよ」
「…ふふ、うん」
最後はいつの日かのように、そっぽを向きながら呟かれた言葉に、わたしは涙をこぼしながら少し笑って返事をした。
この人たちの隣に並びたいとそう思っていたのに、いつの間にか道が変わってしまっていたのかもしれない。
たくさんの優しい想いを置いてきぼりにしたまま一人で進んだ先、運良く彼らの隣に並べたとしても、それは本当にわたしの望むものになっただろうか?
正しい道は分からないけれど、彼らが手を引いて止めてくれた、その先がきっと正しい道だと信じたい。
みっともなく鼻をすすっているわたしにシカマルくんは呆れたように笑うと椅子から立ち上がった。
「じゃ、おまえ起きたこと医者に伝えてから帰るわ」
「あ、あの!…本当に、ありがとう」
「…おう。…やりてーならやればいいと思うぜ、修行。でも倒れねー程度にしろ」
「う、はい…」
「あと、たまにはアイツら誘ってやれば。その方がうるさくねーぞ」
「…シカマルくんも、誘っていい?」
「…ま、暇だったらな」
シカマルくんはそう答えると部屋から出て行った。
きっと、わたしはまだ心にこびりついたレッテルに囚われるだろう。
今だって劣等感は消えない。
自信だって微塵もない。
わたしは『出来損ない』なのだと、そう思い知らされることだってたくさんあるだろう。
それでも、信じたいものができた。
『おまえは、日之出は十班の、仲間だろ』
こんな気持ち初めてだった。
あんなに、倒れるまで修行したって言うのにそんなものより、あの一言を貰えただけでちょっと強くなれたような気がしてしまっているのだから。
「お母さん、わたし、がんばるよ」
そっと呟いた言葉。
返事をするように、やさしい風が吹き抜けた。
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