お星様に願いを乗せて
―――彼はいつもわたしの世界の真ん中にいて。
そのしなやかな体が氷の上で綺麗に舞う瞬間、わたしの視界からは彼以外何もかもが消えてしまう。
まっしろな、息をつく暇もなく訪れるその時間。
彼の演技が始まる時、わたしの時間は止まる。それはまるで、彼の一部になったかのような感触。
呼吸が、鼓動が、小さな震えさえ、全てが彼に奪われてしまう。
(――永遠に、続けばいいのに。)
そんな時間が、この上なくわたしは好きだった。
・
・
・
「名前!よかった間に合ってくれて!」
「ミラッ!……嬉しいけど、苦しいよ」
ショーウインドウが開いた瞬間にギュッと抱きしめてくる、元リンクメイトのミラ。
わたしはミラの背中を軽く叩きながら必死で講義する。
しばらくぎゅうぎゅうとされた後、わたしを解放したミラ。
彼女の顔を見る限り、比較的いつも通り。
うん、よかった。自分の試合を控えるミラも、過度な緊張はしていないみたいだ。
「もう6分間練習始まっちゃってるわよ!本当にギリギリなんだから」
「ごめんね。まさかバスがあんなに混むとは思わなくて…」
今日混まないほうがおかしいでしょ。そう言ったミラに、素直に謝る。
今日は、ジュニアグランプリファイナルだ。
「あぁもう、みんなリンクサイドに行ってしまったじゃない!声掛けようと思っていたのに…」
観客席に行くと、もうすでにリンクには第一滑走者を残し、残りの選手はいなくなっていた。
ミラがぶすっと口を突き出す。
彼女は一回拗ねるとなかなか機嫌を元に戻してはくれない。
わたしは苦笑しながらもなんとかミラを宥めた。
――そんなに見たかったなら、わたしを迎えになんか来なくてよかったのに。
そう言うとミラは、「なに言ってんの!名前は方向音痴なんだから、すぐ迷子になってしまうじゃない!」とわたしをビシッと指差して言う。
………うん、本当だ。今は彼女の優しさに、感謝しておこう。
氷で舞っているみんなの演技を、静かに見ながら、時は進んでいく。
『――6番、ユーリ・プリセツキー、ロシア』
そのアナウンスに、わたしとミラは息を呑む。
心臓が、音を立てそうなのをなんとか沈めるように、一度息をつく。
観客がわぁっと歓声をあげる中、プラチナブロンドを靡かせながら、彼は氷上へと飛び出していった。
「……ユーリ、がんばって」
そう呟きなから、ギュッと自分の手を握りしめる。
祈るように彼を見ている内に、会場内に彼の音楽が流れる。
――その瞬間、わたしの世界は、まるで時が止まったかのように彼に染まる。
鼓動も、震えも、全てが奪われるような感覚。
『――第――回ジュニアグランプリファイナル、男子シングル優勝者、ユーリ・プリセツキー!』
わたしが呼吸を奪われている中、彼はその栄光をいとも簡単に手に入れていた。
「っ、ユーリ!」
記者たちが溢れているバックヤードの中で会うのはキツイので、わたしは肌寒い中、会場の裏口で彼を待っていた。
シニアの競技も終わってしばらく経ったあと、次々と関係者たちが出てくる中、わたしがマフラーを巻き直していると、見慣れたパーカー姿が見えた。
「名前」
「ハーイ名前、ひさしぶりだねー」
ヴィクトルと一緒にいたので、慌ててお辞儀をすると「ほんとジャパニーズは律儀なんだから!」と彼は笑って去っていく。
暗い中ユーリの顔を覗くと、彼は、非常に不機嫌そうにしていた。
「……ユーリ、どうしたの?」
氷ではあんなに輝いているのに、一旦氷から離れた瞬間、すぐにこれだ。
ロシアンヤンキー、自分ではアイスタイガーなんて名乗っているが、こんな表情ではただのガラの悪い不良だ。
何かあったのかな。そう思って首を傾げると、彼のチョップが綺麗にわたしの頭に炸裂する。
「痛っ!」
「オマエなー……」
プルプルと体を震わせ、青筋を立てるが如くわたしを睨みつけるユーリ。
ちょっと待って、わたし何か悪いことしたっけ?
あれ、この子今日優勝したんじゃなかったっけ?
色んなことを考えながらとりあえず肩を窄める。
「いっつも言ってんだろーが!外で待つなって!!」
そう言って、わたしへの睨みを深めるユーリに、わたしは慌てて言う。
「だ、だって中入っていいか分かんないし、マスコミもいっぱいいるし、」
「ミラたちと一緒にいればいーだろ!会場閉まってから何時間経ってると思うんだよ!」
寒い中、会って早々こんなに怒鳴られるのはいつぶりだろうか。
いつもユーリの試合がある日はこうやって彼を待ち続けるわたしに、いつもユーリは諦めたように溜息をつくが、今日は違う。いつもより待っている時間が長かったからかな。
「さみーんだから先空港行ってろよ。勝手に風邪引いても俺は知らねぇからな」
「ユーリ…心配してくれてるの?」
「だっ…誰がお前なんかの心配するかよ!!ヴァーーーーーーカ!!!」
そう叫ぶ彼の頬は赤く染まっていて、あ、図星だなと悟る。
かわいいな、ユーリは。それでいて、なんだかんだで、心配性なんだから。
「だって、すぐにユーリにおめでとうって言いたかったんだもん」
そう言いながら、わたしは冷えきった手でそっと彼の綺麗な手を握った。
温かくて、わたしより大きなその手は、冷たさに驚いたようにビクッとしたが、次の瞬間、ぎゅうっと握り返される。
「……だからって、こんな冷たくなるまで待つなよ」
そう言ってわたしの手を引いて、歩き出すユーリ。
彼はなんだかんだ言って優しいのだ。
こんなこと言うと、本気で怒られるだろうけど。
「ユーリ」
「なんだよ」
「ごめんね」
「………もういーよ」
まるで体温を分けてくれるかのように、そのまま彼の上着に握りしめられたままの手を入れられる。
右手に広がった温もりに嬉しくてクスッと笑うと、「何笑ってんだよ」とジロリと睨まれる。
「ユーリ」
「………なんだよ」
「ロシアに帰ったら、あったかいスープ飲もうね」
わたしがそう言うと、ユーリは無言で頷く。
ジュニアグランプリファイナル最終日。
ジュニア2シーズン目、見事に優勝したユーリと、星空のもと空港までの道を歩いた。
←→
戻る
top
ALICE+