おなじ体温で眠る



彼が、『氷上の妖精』という異名を持っているのに、何の驚きはない。

実際にユーリの氷の上での佇まいは、妖精や……いや、もっと美しい、何かのように輝いている。
わたしは何度も彼のその姿に泣きそうになって。きっとそれは彼が本当に人間離れした華を持っているから。



……でも、そんな妖精も。
一度氷から離れると、たちまち変貌してしまうのだった。

「もうユーリ!掃除手伝ってよ!自分の家なんだから!」

ベットの上でゴロゴロとスマホを弄るユーリに、わたしは顔を歪ませる。
またSNSでもチェックしているのだろう。もう中毒だよ。SNS中毒。

「あー?分かったわかったあと少ししたら起きるって」
「今!今起きてよ!」
「なんだよ朝からうるせーな!」

スウェットを着てすっかりオフモードのユーリは、もう氷上の妖精でも、ロシアンヤンキーでもない。
ただの15歳のだらしない少年だ。

「ユーリ、部屋また散らかってる。前もわたし掃除したのに…」

はぁっと溜息をつく。
基本自分の身の回りに無頓着な彼は、脱いだ服もそのまま、出したゴミもそこらへんに捨ててしまうので、いつも部屋が汚い。
そんなユーリの家にいつもわたしは押しかけ、このように掃除や洗濯をするのが、日課となっている。
文句を言いながらもやってしまう辺り、わたしも存外ユーリに対して甘いのかもしれない。

「あれ、ユーリ、また新しい服買ったんだね」
「!そう!それ、おしゃれだろ!」

わたしが床に落ちていた服を一枚とると、目を輝かせてベットから跳ね起きるユーリ。
彼がおしゃれだと言うのはいつも、タイガーや豹のような、猛獣が描かれた服。
彼はこのような系統のものに、目がないのだ。
いつまでたってもこれだけは変わらないなぁとわたしの口角は自然に上がる。



―――わたしがロシアにはじめて来たのは、わたしがまだ10歳のとき。

お母さんが亡くなり、日本で孤児となったわたしを、ロシアのカメラマンとして活動していたお父さんに、この地に連れてこられた。

お父さんは専属カメラマンとして、あるフィギュアクラブに雇われていた。

そこで始めて会った、わたしより少し歳の若い男の子が、彼、ユーリ・プリセツキーだった。

3つ下のユーリは、当時はまるでお人形さんかのように可愛くて、わたしはひとりで感動していたのを覚えている。(中身は、とっても尖っている男の子だった。)

そこから約8年、わたしはいつもリンクに彼を観に行き、お父さんが病で亡くなってからも、ヤコフコーチの計らいで、このクラブの世話係として…というよりも、ユーリの世話係としてわたしがクラブの一員になっている。
とは言ってもわたしはスケートは滑れない。だから、いつも観客席で応援しているだけなのだけど。

こうやって練習が休みの日には、大抵ユーリの家に行って、彼の身の回りのことをするのがわたしの役目。
練習終わりにはいつもユーリがわたしの家にご飯を求めてくるので、わたしたちは大抵片方がもう片方の家にいるような状態だった。



「ユーリ、もうそろそろお昼ごはんにしよっか。何か食べたいものある?」
「んー…、特に何も」

掃除と洗濯を済ませ、わたしは未だにベットから離れないユーリに声をかける。その答えが一番困るんだけどな。そう思って苦笑しながら、頭の中で、太りにくく、栄養の偏りができないような料理を考える。

「…じゃあ、鍋にしよっか。今日は寒いからね」

何回か食べたことがある鍋なら、ユーリもきっと抵抗はないだろう。鍋ならあったかくなるし、野菜もたくさん食べれる。
そう心の中でも考えて、わたしはチラリと窓を覗く。
凍てつくような真っ白な世界が広がる。
ロシアの冬は、何年経っても中々慣れない。

「ユーリ、思っていたんだけど、エアコン壊れていない?なんだかあんまり上手く効いていないっぽいんだけど」
「知らね。俺基本ベットから出ねーし」

ベットの上で胡座をかきながら愛猫と戯れているユーリは、本当に身の回りのことを気にしない。

「この部屋すこーしだけ寒いよ。今はわたし掃除してたからあんまり感じないけど、入ってきたとき思ったもん…」

今度修理頼もっか。そう言うとユーリは、「おー」と聞いているのか聞いていないのかよく分からない返事をしてきた。
掃除用具を片付け、買い物の用意を済ませる。
外はきっと寒いだろうなぁ。防寒も、完璧にしなきゃ。
外の寒さを思うと、あの厳しさを覚えているのか、少し体が震える。

そんなわたしを、ユーリがベットの上から見上げる。

「名前、さみーの?」
「…んー、そんなことはないよ。この部屋はちょっと寒いけど、耐えれるくらいだし。外寒いのかなぁって思って」
「………ふーん」

そうユーリは呟くと、おもむろに猫を放し、横に置く。
そしてわたしの手を引っ張って、ベットの上に二人でダイブする。

「わっ!驚いた…!」

わたしが勢い良くベットに乗り上げたせいか、スプリングが激しく軋み、猫が逃げるかのようにベットから飛び降りる。

そして二人でベットに寝っ転がるような体制になったかと思うと、ユーリがそのままわたしをギュッと抱きしめてきた。

「?!ユーリ?!」

「さみーんだろ」

一気に体はあったかく……いや、それを通り越して熱くなる。

恐らく顔を真っ赤にしているだろうわたしの瞳を、彼のエメラルドグリーンの瞳がじっと見つめる。

ゾクリ、と背すじが震える。

こんなの卑怯だ。彼の瞳の色は、あまりにも綺麗すぎる。

「どーせ外の寒さはお前にはキツいんだから、もうちょっと温まっていけよ」
「で、でも買い物が…!」
「んなのもーちょっと後でも構わねぇから」

わたしの背中を片手で抱きしめながら、もうひとつの手で髪を掬うように撫でてくる。

その感触がここちよくて、わたしも彼の華奢な背中に手を廻す。
すると二人の間の距離が、みるみる埋まっていく。

「……ユーリ、わたし、寝ちゃいそう」
「…涎垂らしたら承知しねーからな」

掃除の疲れもあって、わたしの瞼は急激な速さで重くなっていく。
そこにユーリの体温が加わったんだ。もうこれは確実に耐えられないパターン。

何故か笑っている彼を見ながら、わたしは瞼を閉じる。

眠りの中に落ちていくわたしを抱きしめたまま、ユーリはひとつキスを落とした。


(ご飯の準備しないとダメなのに……でも、少しだけ、)


そう思いながらも、わたしは、もう一度落ちてきた唇を受け止めながら、微睡みのなかに沈んだ。



………言うのを忘れていました。
わたし、ロシアの妖精、ユーリ・プリセツキーと、お付き合いをさせていただいております。






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