おはようから始めよう
    HBD骸2018

    部屋に入る瞬間漂ってくるのは甘い香り。それが僕の好きなものであることはすぐ分かった。しかしこの部屋にその物の匂いがする事はあり得ないことであった。匂いの元を探すべく辺りを見回すと長テーブルの前のソファに堂々と座る最近見慣れた少年の姿があった。

    「…貴方ですか。」
    「お邪魔してまーす!」

    いつも元気な彼だが今日はいつにも増してテンションが高いようだ。特に警戒する必要もない相手なのでソファを叩き座ることを促してくるのに素直に従う。ニコニコと笑う彼の前では何故か僕はいつもみたいに悪態を吐くこともできず彼のペースに巻き込まれてしまう。けれどそれが嫌でないのは否定できなかった。

    「それで、今日は何の用です?治安がいいとは言えない場所だと思うので、あまり気軽に来るのはオススメしませんよ。」

    あまつさえただの人間1人の事を心配してしまう始末。ああ本当にこの少年は不思議なものだ。

    「入って迷ってたら犬と千種がここまで送ってくれたから平気だよ。」
    「そもそも彼らが居ることがここの治安の悪さなのですが…君には関係ないようですね。」
    「?」

    いつの間にやら僕だけでなく彼らの警戒心もこの少年は解いてしまったようだ。そしていつも通り道に迷っていたところをあの2人が助けたのだと。この少年の人当たりの良さと警戒心の薄いこの少年と彼等に対してなんとも言えない気持ちが湧き上がる。そんな僕の気持ちに気付くはずもなくいつも通り軽やかに笑いながら話してくる。

    「ところで名前、改めて聞きますが何の用です。」
    「用がないと来ちゃダメなの?」
    「いえ…そういう訳ではないですが。」

    どうしてこうも僕は簡単に彼を許してしまうのだろうか。この場所に踏み入ることを、僕らの、僕のテリトリーに入ってくることを。彼にとっては無意識的な事でどうしようもないのも事実だが。

    「まあ今日は用があったんだけどね。」

    そう言いながら彼の側に置いてあった箱がテーブルの上に乗せられる。それはここ数ヶ月ですっかり見慣れてしまった物で、そして匂いの元である。

    「この前ナミモリーヌ連れてってもらって美味しかったからさ。チョコ、好きなんだろ?」
    「まあ…否定しませんけど。どうしてまた。」
    「今日誕生日なんだろ?お祝いしにきた。」
    「は、」

    柔らかな笑顔はどこか嬉しそうで僕が何も言えないでいる事も気にせず箱を開けケーキを出している。

    「…誰から聞きました。」
    「リボーンに。」

    あのアルコバレーノになら知られていても仕方ないと思ってしまうあたり僕も相当毒されているようだ。それにしても誕生日なんて。僕や犬も千種も誕生日を祝うなんて習慣が無かった。そんな暇も余裕も無く生きてきた。そもそも祝われた事だって生まれてこの方無かったからそれが当たり前であった。そのうちすっかり自分の誕生日なんて忘れてしまったしそもそもそんなものに意味がないとも思っていた。

    「誕生日ってさ、自分が生まれた事、生きている事を誰かが認めてくれる日なんだよ。生まれてきてくれありがとう、今日まで生きてくれてありがとうって。そして出会った事に感謝するんだ。」

    優しい目はジッとこちらを見ていて何も知らないはずなのに全て見透かされている気になる。彼は僕らのことを何も知らない、知らないのに。それでもこの少年の言葉はすんなりと内側に入ってきてしまう。綺麗事を、と一蹴出来れば良かったのに。他の人が言えばきっと簡単だろうに。

    「おめでとう骸。そして俺と出会ってくれてありがとう。」

    僕は人に言えないようなことを散々してきた。だから憎まれ、恨まれさえすれど生まれたこと生きていることを認められるなんて。祝われるなんて。ましてや感謝されるなんて。

    不幸だったとは言わない。けれど幸せだったとも言えない。それでも犬や千種、クロームが居てこの少年に出会って珍しく穏やかな時の流れに身を任せている今を酷く尊く思う。平和な日常なんてものが不釣り合いだと分かっている。それが自分に許されない事だとしても少しでも長く続けばいいと願ってしまう。しかし僕にはどう足掻いても許されることではない。けれど彼だけでも許してくれるなら彼の前でだけは不相応な幸せを願ってもいいだろうか。彼の前でだけは夢を見てもいいだろうか。生まれてきたこと、生きていることを許されてもいいだろうか。

    「…僕も君に出会えてよかったと思います。」

    差し出されたチョコケーキを受け取りながら言うと彼はたいそう嬉しそうに微笑んだ。その笑顔に絆されていると気付きながらも僕は邪険に扱えないのだ。他の人たちも同じだろう。彼等もみんなこの笑顔に毒牙を抜かれてしまう。そしてどこまでも真っ直ぐな彼の言葉は僕みたいな人間さえも掬い上げてしまった。彼といる時だけは誰もがただの人になってしまう。そしてそれが心地いい事を僕はもう認めてしまっていた。彼と共にこうして他愛もない話をしながらケーキを食べる時間を楽しいと思ってしまう。

    「今度また食べに行きましょうか。」
    「あははっ、楽しみにしてるよ。」

    口に入れたケーキはいつもより甘かった。

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