この痛みを恋と呼ぶなら

パチリ、と目を覚まして真っ先に飛び込んできたのは見慣れない天井。ツンとした薬品の匂いが鼻をついて、ああ、医務室に運ばれたのかと1人納得した。

寝不足から来る倦怠感はさっぱり消え、身体の調子が良い。ぐるるる、と音を立てて鳴る腹の音に赤面する。健康な証だ。


「目を覚ましたんですね!さあさあ、これを飲んで」


私に気がついたマダム・ポンフリーがゴブレットを手渡してきた。中にはドロリとした緑色の液体が満たしてある。


「うう」

「ちゃんと全部飲むんですよ。お腹が傷つけられていたんですから」


覚悟を決めて一気に飲み込んだ。…苦い。リドルのオリジナルブレンドジュースの方が何倍も甘い。当たり前だけど。


「さて、何があったか覚えてますか?」

「えっと…魔法史の授業へ向かおうとしていて、同寮の女子生徒と『お話』した事は覚えています」

「記憶は失ってないようですね。…彼女達は1週間の謹慎処分になりました。貴女がMr.リドルに愛の妙薬を盛ったと思い込んでの行動だったそうです。なので、学校側でMr.リドルの同意の元、検査を行いました」

「結果は!!?」

「異常なし、です。薬を盛られたという反応は出ませんでした」


ホッと息を吐く。良かった、リドルが私に構うのは愛の妙薬のせいじゃ無かったんだ。


「ちなみに貴女を医務室まで運んだのもMr.リドルです。後で良くお礼を言っておくように。さあ、もう一眠りして下さい」


どうしてリドルが、と言おうとしたが、マダムに「早く寝なさい」と布団を被せられてしまったので渋々瞳を閉じた。


…愛の妙薬のせいじゃないなら、なんでリドルは私に構うんだろうな。





リドルは何を思ったのか、「いつ君がひどい目にあうか分からないから」と言って朝食以外の時も私と行動を共にするようになった。周りの視線が以前よりも突き刺さるようになったが、リドルが側に居てくれるからあまり気にならない。想い人と1日を共に過ごせる嬉しさが私の感覚を麻痺させていた。


「女子寮を出てから夜戻るまでべったりよ!?貴女あれで愛の妙薬を盛っていないなら何をしたの!?」

「それが全く身に覚えがないの」

「これはいつ告白されても可笑しくないわ。トムと付き合うとなると身の安全は保証できないわよ?」

「まさか!リドルが私に告白するなんて無い無い」


自室のベッドの上で枕を抱きしめたソフィーが「貴女本気で言ってるの!?」と顔を顰める。


「だって夢みたいじゃない。あの優等生で人気者の彼が私に気があるなんて」

「まあ!私はあまり純血主義と関わりたがらない貴女がトムに恋をするなんて思ってもいなかったわ。人生何が起こるか分からないのよ?」

「確かに。私だって思わなかったわ!でも気づいてなかっただけだったの。私は昔からリドルに恋をしていたのよ」

「…昔っていつ?」

「さあ?」


「さあ、って貴女ねぇ」と苦笑いするソフィー。だけど覚えていないのは覚えていないのだ。ただ、何となく昔からリドルの事が好きだった気がする。

あれ、私ってリドルの事苦手だったんじゃなかったっけ?

リドルの事を考え過ぎて、過去に彼の事をどう思っていたのか分からなくなってしまった。でも、別に構わない。今私が抱いているこの想いだけは本物だと自信を持って言えるから。

コンコン、と控えめなノックが2回聞こえ、「どうぞ」と声をかける。ドアの向こうからひょっこり顔を覗かせたのは友人のエマだった。


「エルザ、居る?リドルが貴女の事呼んでたわ」

「こんな時間に?ありがとうエマ」


「頑張りなさいよ!」とソフィーから謎の声援を受け取りながら、私は女子寮を後にした。談話室に入ると、リドルはすぐに見つかった。


「こんな時間に珍しいんじゃない?リドル」

「遅くにごめんね、どうしても君に見せたいものがあって」


そう言って微笑むリドルに手を差し出され、私はその手を握った。暖かい。いつもより緩やかに速度をあげた心臓の鼓動に、リドルは気づいているのだろうか。そのまま談話室の外に連れ出され、たどり着いたのは。


「天文台…?」

「今日は星が綺麗に見えるそうなんだ」


「ほら」とリドルの指が指す方向に顔を向ける。雲ひとつない真っ黒な空を埋め尽くすように広がる小さな星達の姿に、ほぅ、と息を漏らした。闇を飲み込まんとばかりに懸命に輝く星々の美しさに酔いしれそうだ。


「…素敵ね」

「喜んでもらえて良かった」


天文台には私とリドルしか居なかった。世界がそこだけ切り取られてしまったかのような感覚。互いの息遣いと、優しく身体を撫でるように通り過ぎていく風の音だけが聞こえた。


「エルザ」


名前を呼ばれて振り返る。リドルがあまりにも真剣な表情をして私を見つめるから、私も表情を引き締めて見つめ返した。


「好きだ」


いま、彼はなんて。


「ずっと前から君だけを見ていた」


その言葉を飲み込むまでに幾らか時間を費やした。次に、心臓が私の口から出てしまうんじゃないかと思うくらいバクバクと飛び跳ねた。身体中の血液は沸騰したかのように熱く、ものすごい速さで身体中を循環する。甘美な毒だ、と私は思った。私が望んでいた未来がそこにあるように思えた。


「私も、」


声が震える。目から暖かい水がぽたぽたと零れ落ちた。


「私も、貴方が好きよ。リドル」


リドルは優しく微笑んで私を抱きしめた。私の頭は彼の胸に押し付ける形になった。トクトクと彼の鼓動が聞こえる。私より緩やかな音だった。


「ずるいわ。私だけ緊張してるみたいで」

「僕だって緊張したさ」

「あら、こんなに穏やかな心音をしているのに?」


彼の腕の中から抜け出して、顔を上げる。困ったように笑うリドルを見て、自然に笑みが溢れた。
先に動いたのはどちらだったか。ゆっくりとリドルの顔が近づいてきたから、私は瞼を閉じてそれを待った。

…満天の星空の下、私はリドルと初めてのキスをした。

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