カーテンから差し込む太陽の光が眩しくて目を覚ます。
「うう…」と呻きながらベッドを降り、大きく背伸びをした。肩を回して身体の調子を確認する。うん、今日も絶好調。パジャマを捲って一昨日闇祓いの呪文で貫かれた脇腹の傷跡をそっと指でなぞる。痛みは無い。あと2.3日もすれば元どおりの綺麗な肌に戻るだろう。

壁の一角を占める我が君の写真達に「おはようございます!」と元気に挨拶して洗面所に向かう。ああ、今日も我が君はお美しい顔をしていらっしゃる。選りすぐりの我が君盗撮集だから当たり前なんだけどさ。


「ん?誰よアンタ」


洗面所に入りまず最初に目に飛び込んできたのは、鏡に映る見慣れたプラチナブロンドでは無く、黒髪黒目に黄色い肌の、まあどっからどう見てもザ・東洋人って感じの女。
寝ぼけているのかしら、と目を擦ると東洋人も一緒に目を擦る。ちょっとどうなってんのよ。もしかして、と思い鏡に向かって手を振ると案の定東洋人の女も振り返してきた。


「私、東洋人になっちゃったの…!?」


慌てて左腕を確認する。きちんと死喰い人の証が腕に浮かんでいてホッとした。これが消えたら我が君のお美しい御尊顔を拝めなくなってしまうからね。って、そうじゃないでしょマリー・ギルグッド!貴女東洋人になっちゃったのよ!いまいちパッとしない顔の!

驚きのあまり身体から力が抜けて後ろによろめいてしまう。変な場所に体重をかけてしまったのか、足首をグギッと捻った。そのまま後ろに転倒する。


あーあ、せっかく今日行われる重要な任務のメンバーに選ばれていたのになあ。


走馬灯のように駆け巡る我が君の御顔に思いを馳せつつ、背後の壁に頭をぶつけて視界が暗転した。





ハリー・ポッター、生き残った男の子。消滅した闇の帝王。賢者の石。秘密の部屋。トム・リドルの日記。アズカバンの囚人。炎のゴブレット。闇の帝王の復活。不死鳥の騎士団。謎のプリンス。死の秘宝。…完全に消滅した闇の帝王。英雄に祭り上げられた少年。

真っ暗で何も見えない世界の中、鏡に映った東洋人の記憶が映像となって濁流のように流れ込んでくる。痛い、痛い、やめて!

ああ可哀想なハリー・ポッター!物心ついた時には物置小屋に閉じ込められ、過酷な運命を背負わさせられ、大人達に用意されたシナリオに踊らさせられて!

(違う、私はハリー・ポッターなんて映画を知らない!)

ハリーを救いたい。自らの手で幸せな家庭というものを教えてあげたい。後見人としてハリーの家族になるはずだったシリウス・ブラックも救いたい。物語の世界に介入出来ない状況が歯痒い。なんで私は神の世界で映像を見る事しか出来ないの!?

(違う、私の世界は物語じゃない!)

東洋人の凄まじく強い思いが私の身体を巡り、思考が支配される。痛い、辛い、この身の張り裂けそうな思いは私のものじゃないのに!

闇の帝王が憎い。ハリーから家族を奪った彼が憎い。許さない!

ちょっと待って、と頭を流れる映像にストップをかける。「炎のゴブレット」のとあるシーン、墓場に立っているこの蛇面男は誰よ。我が君?冗談でしょう?ハンサムフェイスはどこに飛んでいっちゃったの?

人間の姿からかけ離れた外見となってしまった我が君らしき人を見て、急激に私の心は冷えていった。元々あのお方の偉業云々じゃなくて、お美しい御尊顔に釣られて死喰い人に入った身だ。蛇面になった奴に仕えるなんて冗談じゃないわ!

カッと視界が眩い光によって白に染まる。最後に東洋人から「お願い、ハリー・ポッターを救って」と言われた気がした。





「痛たたたたた…」


目を覚ました私は、パジャマ姿で頭にコブを作って洗面所に寝そべっているというなんともマヌケな状態だという事に気づき、慌てて起き上がった。パジャマが汗でじっとりと濡れている。今のは一体何だったの?

鏡を恐る恐る覗くと、東洋人では無くプラチナブロンドにヘーゼルの瞳のイギリス人が居た。良かった、ちゃんと私の顔が映ってる。

さっきのは夢だったのだろうか。それとも予知夢だったのか。あのお方が蛇面になってしまうなんて恐ろしい夢、予知夢だったらどうしよう。
…いや、私はちゃんと生きてるし物語の登場人物じゃない。1人の意思を持った人間だ。だからさっきのはただの悪い夢だ、と自分に言い聞かせる。

何の縁もないはずの東洋人の執念に近い思いが私の身体を包んでいるような気がして、なんだか身体がむず痒い。今が何時かは分からないけれど、とりあえずいつもの屋敷に居る我が君のハンサムフェイスを拝みに行こうと思った私は、洗面所を出てリビングに向かった。ふとテーブルに飾ってある卓上カレンダーを確認する。そこには「10月30日。18:00にゴドリックの谷にて重要な任務」と私の字で書かれていた。


「ああああああああああああ!!」


ハロウィンにゴドリックの谷で任務?夢で見たポッター夫妻襲撃の日じゃないか!
慌てて時計を確認する。時計の針は18:15を指していた。時間に厳格な我が君の事だ、遅刻した私はクルーシオだけじゃ済まないだろう。でも行かないとアバダケタブラされる。急いで杖を振り身なりを整えた私はゴドリックの谷へ姿現しをした。





ゴドリックの谷にポツンと建っていた一軒家のドアノブに手をかけると簡単に開いてしまった。「お邪魔します」と呟きながら音を立てないよう気をつけながら足を踏み入れた。


「ひっ」


玄関にはホグワーツ在学時によく悪質な悪戯を私に仕掛けてきた憎き先輩、ジェームズ・ポッターが無惨な姿となって地面に転がっていた。目を逸らし、そっと傍を通り抜け階段を登る。赤ん坊の泣き声が聞こえる扉があったので杖を構えながら勢いよく開けると、そこにはリリー・エバンズの亡骸と、ベビーベッドの上で泣いている男の子が居た。


最初に見た映像の冒頭が頭の中でフラッシュバックした。
目の前の風景と全く同じだった。


「ああ、私の世界は物語の世界だったんだ」とどこか他人事のように思った。

…だから未来が定められてるって?冗談じゃ無いわ!未来を定めた神様にも、私にその事を強制的に伝えてきた東洋人にも腹が立つ。

誰かに決められた未来なんて真っ平御免よ。だったら私が全部壊してやるわ。

窓から身を乗り出し空をキッと睨みつける。
どこの誰が見てるのか知らないけど、私に知られたのが運の尽きね。恨むなら私に記憶を渡した東洋人の女を恨みなさい!

ベビーベッドで泣いている赤ん坊、ハリーの元へ行きそっと抱きしめる。大丈夫、貴方を暗い階段下に住まわせたりなんてさせないから。過酷な運命を背負わせたりなんてさせないんだから。

なんだか私の行動すらも決められたシナリオ通りな気がしてげんなりする。駄目駄目、弱気になってどうするのよマリー・ギルグッド!この行動は私自身が自分で決めたのよ、と呟き、私はハリーを抱きしめたまま姿をくらました。


こうして英雄となるはずだった少年は、悪い魔女に誘拐されてしまったのです。
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