「好きだよ」

 私の思考を読み取るかのように吐き出された言葉にはくはくと陸に打ち上げられた魚のように口を開閉させるしかなかった。これは、何かの冗談だろうか。否、彼がこんな性質タチの悪い冗談を言うわけない。戯れることこそあれど、物事の分別は付いている人だ。
「君のことが好きだからこそ、君の口から生きる世界が違うだなんて突き放すような言葉を聞きたくなかった」
「……そんな、」
 ことを言われても。
「本当のことだろう、と君は思っているのかもしれないね。確かに、僕は王選候補者の騎士であり剣聖なんて二つ名もある。一介の市民でしかない君とは見ている世界が違うだろう。けど、僕だって騎士という仮面を外したらただのラインハルトだ。君と関わっている間、僕は騎士ではなくただの男として接していたよ」
 手首を壁へ縫い付ける武骨な手がするりと上へ這い、力が抜け丸まる私の指先を絡め取る。流れるような動きの手管と強く握るその力になんて気障なんだと現実逃避に考えていた。
 嗚呼、でも握られた手から伝わる熱は発火しそうな勢いだし鼻先が触れ合いそうなほど近い距離はたった瞬きでさえ動くことを許さないと言われているようでこれが現実であると如実に示している。
「あ、の」
 咽喉が焼けてカラカラに渇いているようだ。喘ぐように紡いだ言葉に彼は縋るような色を双眸に湛え僕を選んでほしいと言う。繋がれていない片腕をだらりと垂れた指先を先程とは打って変わり硝子細工を扱うかのように丁寧な動きで彼の口唇へ引き寄せられれば爪先に口付けを一つ落とされた。
「っ──!」
 息を呑む。眼前の光景があまりに現実味を帯びず白昼夢でないかと思ってしまう。
「夢じゃない。夢になんてさせないさ」
 だから、彼は何故に私の思考を読み取るのか。そんなに顔に出てる?
 未だ離されはしない爪先に感じる柔い感触と、繋がれた掌に伝わる温度が私の頭を、思考回路を、判断を鈍らせる。吸い込まれてしまいそうな程透き通った蒼に魅入られたように私の視線は彼の眼睛に固定された。
 何か、何か答えなければ。
 緊張と焦燥と忸怩で埋め尽くされた私の思考は全く持って役に立たない。何と答えて良いんだろう。彼の想いに、答えても良いのだろうか。
「応えて、メイ。君も僕のことを好いているのなら、好きだと」
 迷いに揺れる私へ、彼の慈しみを帯びた声音が落ちる。嗚呼、私の好きな声だ。安心するような、体の力が抜けていくような、そんな声。間近に射抜く彼の瞳に囚われる。偽りの言葉など許さないとでも言うように純粋に透いた眼睛だ。
「わ……たしも」
 すきです。
 蚊の鳴くように小さく紡がれた言葉はきちんと彼の耳に届いたらしい。麗しい顔をぱっと破顔させると彼の胸元へ抱き寄せられた。咄嗟のことで無遠慮に体重を預けてしまうが彼は気にしていないらしい、私の肩口に頭を埋め歓喜極まるように打ち震えいる。
「あ……の、苦しい、です」
 右下に見える赤髪から芳しい匂いが漂うことやら彼にすっぽりと覆われたような体勢にとても恥ずかしいやら異性耐久がないことやらで私の頭は沸騰してしまいそうだ。この状況を打破しようと彼の背を軽く叩きながら先程の言葉を発するが離れてくれる様子はない。
「嫌かい?」
 私の肩口に顔を埋めたまま不明瞭に問い掛けてくる彼は、とても狡い。嫌かどうかを尋ねるなんて、彼にされて嫌なことなどあるわけないのに。
「……その聞き方は卑怯ですよ」
 緊張感から強張っていた体の力を抜き、彼へ体を任せる。私の不機嫌な声色を察してかごめんね、と掠れた声で囁かれた。
 嗚呼、それにしても夢みたいだ。町娘Aとシンデレラストーリー要の騎士とがくっ付くだなんて。事実は小説より奇なり、というのはこのことらしい。そういえばラインハルトさんは今日、仕事なのだろうか非番なのだろうか。仕事中であれば時間を取らせてしまって申し訳ないと思う。執務に戻らなくて良いのだろうか。嗚呼、でも今はまだこの体温が惜しいから、彼が離れるまでもう少しこのままでいたい、なんて。
 どれだけ追い掛けようとしても決して縮まることのない距離だと思っていたけどこの手は彼の背へ届いた。私は今、確かに彼に触れている。すり抜けない実体が、確かに此処にある。

二人が共に居れたなら

AiNS