01...
母方のおばあちゃんが突飛なことを言い出したのは、私が小学校一年生になる少し前のことだった。
「なまえちゃん。実はおばあちゃんねえ、未来の出来事を夢に見るときがあるのよ」
その頃のおばあちゃんは徐々に体が弱くなり始めていてしばらく自宅で療養していたが、軽い肺炎を起こして入院したばかりだった。私はそれに言われるがまま連れて来られたお見舞いだったけれど、母が主治医との面談に立った隙を見計らっていたかのようにおばあちゃんが嬉しげにそう話し出すから、思わずそのしわがれた声に耳が釘付けになってしまう。
きっともう少し私が大人だったら「何言ってるの」となだめて取り合わなかっただろう。けれど、当時の私は無垢で幼かったから、そんなお伽噺のような切り口で語りかけられた秘密の話に目を爛々とさせて続きをせがむより他に抗えなかった。
「みらいのできごとって、どういうこと?」
「予知夢っていうのかしらねえ。夢で見たことが本当に起こったりするの。それも一回や二回じゃなくて、何度もよ。お母さんがお父さんを連れてきた日も会う前からどんな人か知っていたし。なまえちゃんが生まれた日にものすごく綺麗な虹が病院の窓から見えたことも前の日の夢に見ておばあちゃんにだけはわかっていたの」
「すごい! なまえもそんなユメみてみたい」
「そうね。なまえちゃんならもしかしたら見れるかもしれないねえ」
そう言って、頭を撫でてくれた手はとても暖かかくて気持ちがいい。まるで喉を鳴らす猫みたいについ笑い声が漏れてしまう。
虹の話は母から聞いて知っていたから、ますます私はその魔法みたいな話を信じ込んでしまった。もし未来が見れるなら、私はどんな大人になるだろう。どんな仕事をして、どんな生活を送るだろう。それで、どんな人と結婚するのだろうか。考えただけでワクワクする心を止められない。
おばあちゃんはそんな私を見てにこりと笑う。そして、なぜだか少しだけ哀しそうにこう続けたのだ。
「いつかなまえちゃんがもし未来を夢に見たら……」
「なまえちゃん!」
「え?」
いつの間にかしばらく前のことを回想していたようで、隣に並んでいたはずの景光が私よりずっと前の方でちょっと怒った顔をして待っていた。ちょうど雨が上がったばかりの空の下で濡れた傘をぐるぐるとマジックテープで巻きながら。僕の話聞いてた? と、目線がそう言いたいらしい。
「ごめん、ヒロ。ちょっと別のこと考えてた」
「もう」
でも、尖っていたはずの唇はすぐに弧を描いて元通り。私は景光と友達になってから、彼のその笑顔がとても優しくて安心するからすごく好きだった。
「兄さんの話してたんだけどなー」
「えー、またヒロのお兄ちゃん自慢かあ」
「そうそう! あはは!」
からかい半分だったはずなのに嫌な顔ひとつせず肯定する。それから一からまたピースを拾い上げるみたいにめげずに話を始めてくれるのだ。自分の兄が、いかに優れた人物なのかを。
諸伏景光と友達になったのは体育館で行われた小学校の入学式のすぐ後のことだった。もともと家から一番近い公園に出入りしていた顔見知りで、故に近所ということもあり、お互いに教室で見知った顔を見つけた瞬間、ほぼ同時に「あ」と間抜けた大声を出して、周りの注目を浴びた。それだけでふたりとも大笑いに発展して、後はもう予想通り。男女関係なく毎日一緒に登下校をするくらい仲良くなって、もう二ヶ月は経とうかという頃である。
その中で、景光から彼の兄の話題が出ることは全く珍しいことではなかった。むしろ毎日聞いてるかも? と疑うレベルで、そのくらい彼の絶大なる兄への尊敬の意を窺い知ることは十分にできている。確か六歳年上の中学生で、まだ会ったことはないが、なんとなく頭のいい人なんだろうという予想図は浮かんでいた。いわゆるガリ勉タイプ、とでも言うのだろうか。
「それで兄さんがそのとき『正義とはこうあるべきだ』って言ったんだ! はー、ヤイバーみたいで格好よかったなー!」
キラキラした目でそう言う景光をよそに、私は自分の頭の中にいる彼の兄を想像する。詰襟の学生服を着た七三分けの青年で眼鏡のつるをちょっと上げながら正義を優雅に語る姿。……ちょっと笑ってしまった。
「ヤイバーといえば昨日のテレビで」
「あ、ヒロ。ちょっと待って! 今日は右に曲がってみよ!」
話半分で手を引いて駆け出す私に、よろけながらついてくる景光。どうして、と困惑しながらも拒否せずついてきてくれるところが彼のすごくいいところだ。
「なまえちゃん、こっちは遠回りだよ。それにほら、あの緑の家の前に大きな犬がいて吠えられたらちょっと怖いし……」
「大丈夫! 今日はいないよ。それにね」
怖い犬のいない家の前を、水溜りを蹴って、走って越えて。跳ね上がって足元を濡らす水滴すらも気にせずに真っ直ぐ突き進む。
すると、大きなマンションの先、拓けた空き地の向こう側に見えるのは。
「虹だ!」
眩しいくらい弾ける笑顔で長靴を履いた景光は私の手から離れ、空き地へと自由に自らの足で駆け出していく。その顔がすごく眩しくて、私はゆっくりとその光景を目に焼き付けた。
やっぱり“夢”で見た通りだ。雨上がりのアスファルトの匂いや、髪を柔らかく撫でる風の温度までは今初めて気が付いたけれど、それ以外のことはすべて私にとっては二度目の現実。所謂、予知夢というものだった。
先月の末におばあちゃんが急逝してから唐突に見るようになった予知夢は、星になった彼女が最期に私にかけて残してくれた唯一の素敵な魔法だった。すごく遠い未来のことはわからないけれど、翌日の一場面くらいのことならわかる。それも見たときは必中するくらい高い精度で。
虹を見た感動で何かを話し続ける景光の声を聞きながら、私はこんな魔法ならずっとずっと永遠に大歓迎で、私のことを優しく抱きしめるみたいに心に暖かな火を灯し続けてくれるのだろうなと思う。だって、普通の人なら一度しか味わえない幸せを、私だけ特別な味で、もう一度味わえるんだから。
だけど、あのとき、おばあちゃんは確か。
「景光」
そう声をかけられて思わず、自分の名前でもないくせに振り向いた。夢に見たのはその声を聞くまでだったからだ。
「兄さん!」
友人が嬉しそうに大きく手を上げる。そこにいたのはステレオタイプ的な七三でも眼鏡でもない。強い眼差しでこちらを見据える景光の兄、諸伏高明がいたのだった。
Phase.01 夢のつづき