02...

 諸伏高明。景光の六歳上の兄で、現在中学一年生。頭がよく、博識で真面目。面倒見がよくて優しいけれど、例え話が難しいのが玉に瑕……。そんな自慢話は耳にタコができるほど聞いていたけれど、実際に会った本人はそれ以上に中学生とは思えないほどの圧倒的な存在感を放ち、その辺の大人よりもずっと大人びて、まるでこの世界のことを何もかも知っているんじゃないかとさえ思えた。それは私が単に年下だからそのように感じたのか、はたまた大人でさえその風格に息を飲むのかはわからないけれど。

 とにかく、幼いながらに私は一瞬で彼に目を奪われてしまったのだ。それが幼心の恋とかいう、淡い枠組みに入るのかはまた別として。


「奇遇だね、兄さん。遠回りでしょ」
「そういう景光こそ。僕はただの母の使いだ」


 弟相手にも淡々とそう言ってのける彼に、私は相変わらず目が離せない。しかし、その視線はすぐ彼にはバレてしまった。


「景光、あちらは」
「あ、そうだ。同じクラスのみょうじなまえさん。ほら、よく家で話してるでしょ」
「なるほど、彼女が」


 こちらに向けられた視線に硬直し、私は肩をびくりと引きつかせる。これまでの友人の話から察するに気難しい人なのかと思っていたが、次の瞬間に垣間見えた景光に似た優しい笑顔に一瞬で救われたような気分に陥った。


「お話は景光から伺っています。兄の高明です。いつも弟が世話になっていますね」
「いやぁ、えっと……」
「緊張しないでください。そう、取って食べたりはしませんよ」


 そういう冗談も言うんだ。そんな意外な一面を知ると私はますます緊張して、あ、とか、う、とか短い呻き声しか出せなくなる。


「お使いは終わったので、よければ一緒に帰りましょう。なまえちゃん、送ります」
「は、えっ、あ、はい……」


 なまえちゃん。きっと景光が家でもそう呼んでいるからに違いないが、彼に呼ばれると何故だかとても背中がむずむずした。そんな挙動不審な一連の行動をたぶん彼には怪しまれていることだろう。あるいはもう、変な子だと思われたかもしれない。でも、口を開けば開くほど墓穴を掘っていきそうで。何も言えないまま、その日は家に着くまで三人で雨上がりの虹空の下を歩くことになった。

 できればここまで夢に見ていれば、せめてまともな言葉くらい話せたかもしれないのに、な。



Phase.02 虹だけが見ている


「へえ。じゃあ、なまえちゃんはヒロくんの自慢のお兄さんに会えたんだね」

 そう感嘆の声を上げるのは、同じクラスの外守有里ちゃん。おさげ髪の似合う可愛い子で、同じクラスの女子の中では一番仲良しの女の子だった。


「うん。でも、緊張で何も話せなかったな」
「いいな、私も会ってみたいなー。すっごく真面目そうだよね」


 有里ちゃんはそう言いながら、自分の机の上に広げていた白い自由帳に上手に誰かの絵を描き始める。学生服姿で七三分けの眼鏡姿。うん、どこかで見たことある姿だ。

 その絵を隣から覗き込むように見ていた景光はその誰かを察して吹き出すように大笑いしながら、今度は自分の鉛筆を持ってきて同じく誰かの絵を描き始めた。有里ちゃんとは違って繊細さのない男の子特有の無骨な絵だったけれど、特徴は一応捉えていて何となく高明くんに似ている。たぶんこの前直接本人に会っていなければ、ヒロってばまた美化して描いちゃって、とからかい気味に失礼なことを思っていただろう。

 高明くん、という呼び方は実は向こうからの提案だった。弟の友達ということもあって親しみを込めて気軽に「なまえちゃん」と最初から呼んでくれた彼だったけれど、察するところ少し恥ずかしかったらしく、照れを隠すために「高明と呼んでくれていい」と言ってくれたのである。そこで、さすがに呼び捨てにはできないから、高明くん。我ながらまだ言い慣れなくて本人の前でもないのに緊張してしまう。高明くん、高明くん。何度か心の中で呼んでみても、やっぱり慣れない。

 普段から私たち三人はこうして休み時間を一緒に過ごすことが多かった。もちろん、景光は異性なのでボール片手に男友達と外へ勢いよく飛び出していくこともあるけれど、有里ちゃんと私が話しているときは基本的に一緒の輪に入って話すことが多い。好きな本とか、漫画とか、お兄ちゃんとか。お互いが別の話題を持ち寄って、まるで毎日小さなパーティを繰り広げているみたいだ。話題が事欠いたことは今のところまだない。

 しかし、そんな男女の垣根を超えた交友関係を揶揄する奴だっている。


「諸伏ー、お前また女子と遊んでんのかよ」
「こっちでヤイバーカード交換しようぜ」


 入学当初から若干の問題児であるボス的少年を囲むグループが景光をなじるようにそう声をかけてきた。比較的おっとりした性格の彼は苦笑いを浮かべながら、やんわりと拒否を返す。


「いいよ、だって僕カード持ってないから」


 景光は波風が立たないように飲み込んだのだろうが、そもそも学校にカードを持ち込むことは禁止だ、と私が言ってやりたい。彼らを軽く睨みながらそんなことを思っていると、有里ちゃんも面白くなさそうに同じことをまるで飴玉を転がすみたいに小声で呟いていたから、私はついウンウンと頷いてしまう。


「でも大丈夫だよ、有里ちゃん」
「えっ」
「だって、もうすぐ先生が」


 そう言いかけた瞬間、ガラリと開く教室のドア。そして、景光の父である諸伏先生が、怒った表情でボス的少年の名前を荒々しく呼んだ。


「こら! 休み時間は先生のところに来る約束だっただろう! それに何だ、そのカードは! こっちに渡しなさい!」
「うわー!」


 散り散りに騒がしく逃げ出す彼らグループと、追いかける先生の後ろ姿を私はあえて見送らない。だって、続きの説教は夢に見て知っているから。


「またなまえちゃんの予言当たったよ」
「いつもなんでわかるの?」


 予言と言われた私はふたりにちょっとだけ得意な顔はするものの、理由についてはまだ話したことはない。なぜなら、おばあちゃんは最後にこう言っていたからだ。


『いつかなまえちゃんがもし未来を夢に見たら、おばあちゃんみたいに、人に話すのはやめておこうっていずれ思うようになるはずだから。だから、できるだけ最初から心のうちだけに留めておいてね』


 そう言ってくれたおばあちゃんの目に少しの哀しみがあった理由が、私にはまだよくわからない。

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