彼の頭を抱く。
温かい鼓動を感じる。
体を離す。
空いた隙間を彼が詰める。

「これが、愛?」

 わたしの問いは誰にも届かず、誰にも答えられなかった。でも、これが愛ならいいと願った。

 シーセシンシャ、貴方は誰?
シーセシンシャ、わたしは人形。
使者である事を辞めるなんて、思いつかなかった。好きに生きるなんて、考えた事もなかった。彼がそれを望むのなら、わたしは叶えるべきなのだろうか。

 疑問は尽きず、わたしの頭を掻き混ぜる。処理が追いつかない。解答が見つからない。
混乱するわたしが救いを求めて彼の持つ槍に触れると、槍の真ん中に鎮座する宝玉が輝く。この光は精霊様の輝き。

「槍の精霊様、わたしはどうすべきなのでしょうか?」

 彼を起こさない程度の声量で、祈りに近い問いを投げかける。精霊様がお許しになるのならば、わたしは、彼の隣に居てもいいのではないか。震えるわたしに、精霊様はわたしの脳内に直接語りかけた。

 戦い無き使者に、存在の価値は無い。
厄災の波を退ける事で真の平和を手に入れ、役目を終えるその時まで、人形は人形らしく操られていればいい。お前の居場所は戦場にしかない。敵の殲滅だけがお前の心の平穏だ。さぁ、戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦え戦えーーーー……。

 そうだ。わたしは龍刻の使者。
戦い、世界を守る事こそ喜び。それ以外はいらない。求めてはいけない。何を勘違いしていたのだろう、この愛はまやかし。槍の勇者がこの見た目に騙されているだけ。人形であるわたしに、ぬくもりなんていらない。

 それでも愛されたいとほざくのならば、戦い、勝ち続けるしかないーー!

 これが最後と、彼の首に腕を巻き付ける。小さき者の様に擦り寄る彼が愛しい。だからこれで終わりにしよう。この記憶は誰にも渡さない、わたしのたったひとつだけの我侭。綺麗な寝顔の額にキスを落とし、わたしは与えられた温度を諦めて、静かに部屋を出た。

 1人の夜はこんなにも寒かったのか、偽物の愛で火照る体を冷ますのに丁度いい。でも、胸の奥が軋む様に痛む。精霊様はどうしてわたしに感情なんて与えたのだろう、人形であれと言うのなら、最初から道具として不必要な物など搭載しなければ良かったのだ。
 中途半端な感情が、わたしを人形でも人間でもない紛い物にする。槍の勇者、ラフタリア、人の優しさが胸にあるわたしの核を痛めつける。いっそ思い出や痛みと共に壊れてしまえば、わたしは消えて、次のわたしはまた人形として生きていけるだろうか。

「傍に、いたい」

 苦しくても、痛くても、彼の隣にいられなくても、せめて傍で、彼を見つめる位は許して欲しい。

 笑えるかと思って上げた口角は、今までで1番震えていた。



「ひっどい顔」

 突如聞こえた声に驚いて振り向く。そこには冷たく睨みつける王女の姿。王女は早足で目の前まで近づき、整えられた綺麗な指でわたしの顔を絡め取る。

「それで笑ってるつもり? 気持ち悪い。人形らしく黙っていればいいのに、よりにもよってモトヤス様と寝ようとするなんて……」

 彼女の怒りに合わせて、頬を掴む力が強くなる。腹を力一杯殴られてよろめき、続けざまに足を蹴られてわたしの体は地面に倒れ込む。王女は苛立ちに抗いもせず、子供のようにがむしゃらにわたしを蹴る。大した抵抗もしないでされるがままになるわたしに、王女は腰に提げた剣を抜いた。

「本当に気持ち悪い。アンタなんかに私が負ける訳ないのに」

 振り上げた剣先が躊躇なくわたしの腹を貫く。流石に耐え切れずにわたしはみっともなく悲鳴を上げた。やっと見せた苦しむ姿に、王女は笑う。

 攻撃を観測、反撃をーー中止、王女マルティは同じパーティに所属。勇者の命令、『仲間に攻撃しない』に違反します。反撃、それに付随する攻撃行為を強制終了。

 魔力を練った先からシステムによって行動を中止させられる。今は何をしても反撃と見なされて魔法が使えない、手を上げる事もできない。

「ムカつく、ムカつく! 何が奴隷よ、大金貰っておいてそんな事に使うなら私に使えばいいのに!」

 力任せに剣を引き抜き、叩き切られる。わたしの体から、血液に似せて作られた液体魔力が大量に流れ出て、飛ばす事のできない意識は痛みに絶叫する。

「お、止め……くださ、い」
「私に命令しないでくださる!?」

 切っ先が狙うは生物の急所、心臓。わたしの胸元の核に向けられる。壊される。抵抗できないわたしは破壊の恐怖に目を瞑る。

「王女でも、パーティの仲間を殺しては言い逃れできなくなりますよ」

 性別が断定できない声色、顔まで黒一色に身を包んだ人間が、王女の剣を受け止めていた。

「影め……」

 王女は悔しそうに奥歯を噛む。
影……昔、聞いた事がある。メルロマルクの秘密警護部隊だったか、王族に仕える者なら、味方ではないな。

「今までのように失踪したと伝えれば、モトヤス様なら信じてくれますわ」
「龍刻の使者が使命を投げ出す事は有り得ません。疑われてしまうと考えられます」

 影に言われ、王女は舌打ちをして剣を鞘に戻す。影にわたしの処理を命じ、足を踏み鳴らして去って行った。

「助けが遅れ、申し訳ない」

 影がわたしを抱き起こし、ヒールをかける。だが、人形であるわたしに回復の魔法は効かない。

「伝承通りか」

 特に驚きもせずに、懐から小瓶を取り出してわたしに飲むように言う。言われるままに小瓶の中身を飲めば、体中に魔力が満ちる。これは魔力水と呼ばれる、魔力を回復する薬。希少な物なのに、何故わたしに?

「女王の命により、龍刻の使者である貴方のサポートに来た」
「なる、ほど……監視です、か」

 古い伝承が残っていたとしても、存在自体が疑わしい者が王女の傍にいるのだ、警戒して当たり前だろう。

「いや、マルティ王女が貴方に危害を加える事が予想された為、影から守る様に仰せつかったが……まさか直接攻撃してくるとは」

 影はわたしが槍の勇者のパーティに入る前にも、王女が気に食わない者を様々な手段を使って追い出していた事を教えてくれた。時には罪の無い者を奴隷にまで堕とし、売り払った事もあったそうだ。

「……斬られた、だけで……まだ、マシだったと」
「ここまでやられたら、普通の人間なら死んでいる」

 流した魔力が多過ぎたのか、回復しきれない部分が多い。影がわたしに人間の様に手当てを施す。

「余程の事がない限り、直接助けるのは難しい。我等の存在は誰にも知られてはいけないからな」
「わかり、ました。ありがとうございます」

 きっちりと包帯を巻き終え、影はまたどこかへと姿を消した。王女は本気でわたしを壊す気だったのだろうか。巻かれた包帯を撫で、槍の勇者にどう言い訳しようかと悩む。心配してくれるだろうか。駄目だ。また優しい言葉をかけられたら、苦しくなる。
 痛む体を引きずって物陰に身を潜めた。眠りにつけば多少は治癒に魔力を回せるが、深い眠りに入るにはここは落ち着けない。

「大丈夫、わたしはまだ、大丈夫」

 笑おうと唇を引っ張るが、気持ち悪いと罵る王女の顔を思い出して止めた。ひどい顔、気持ち悪い。槍の勇者も本当はそう思っていたのだとしたら。


 わたしはもう笑えない。


前話//次話
2019/06/08投稿
06/08更新