時々、シーセが俺をじっと見ている時がある。女の子と話している時、依頼で魔物と戦っている時、槍の強化をしている時。少し遠くから、彼女は観察するように俺を見つめる。
 シーセが俺を見るように、俺もシーセを見るようになり、彼女が俺だけでなく他の女の子も見ているのがわかった。

 そして、宿に泊まる際に影でこっそり、人差し指で口角を上げる動作をする。間違いない。シーセは笑顔の練習をしているのだ。よくわからない高揚感に、俺はさらう様にシーセを今日俺が寝る部屋に連れて行った。

「槍の勇者様の行動はいつも急過ぎるのです」

 隠れた特訓を見られたのが恥ずかしいのか、シーセは俺をたしなめる。もちろんその顔は無表情だけど。一応逃がさない為にドアの前に陣取り、シーセを部屋の真ん中辺りに通す。

「ごめん、でもシーセが笑おうとするの、俺の為なら嬉しいなって。でもシーセ、昼間は傍に来てくれないし、聞くなら今しかないと思ってさ」

 女の子の機嫌を損ねてはいけないと言い訳を並べる。シーセの視線が俺の後ろのドア、窓、と出られそうな場所を探して彷徨う。

「まだ男が怖い?」
「……そうですね。恐怖とは一朝一夕で克服できるものではありませんので」

 俺が触った時、前みたいに拒否られなかったから、俺だけは平気とか、都合のいい事考えてたけどそうもいかないか。

「俺にできる事とか……ないかな?」
「わたしが恐怖する事で、槍の勇者様に何か不都合があるのでしたら、シーセシンシャ今のわたしを破棄し、恐怖の無いシーセシンシャ新しいわたしを用意します」

 淡々と俺が望むなら自害すると言ってのけるシーセの言葉を慌てて打ち消す。この子、顔に似合わず過激だよな。

「俺は怖がるシーセも可愛いと思ってる。恐怖を感じるのも人間っぽいし、むしろもっと感情を出して欲しい」
「わたしは感情を表に出します。命令、承諾」
「命令じゃあないんだけどな……」

 まぁ、これでシーセが楽しく生きられるならいいけど。
俺の顔を見ていたシーセの口が、ぐにゃりと歪む。無理やり横に口を広げて、シーセはそのまま喋り始めた。

「槍の勇者様は、わたしが人間の女性の様に振る舞うと嬉しいと仰っていました。そして、笑えばそれに近づく、とも。わたしは槍の勇者様が嬉しいと、わたしも……多分、嬉しい……です。だから」

 そこまで言って、シーセは口角を更に歪ませた。なるほど、これが笑顔のつもりなのか。俺が何も言わないものだから、シーセはまた無表情に戻してしまう。

「下手なのは、自覚しています」
「あ、違う。違うんだ。シーセが俺が嬉しいと嬉しいって思ってくれるって知って嬉しい……ハハッ、俺何回嬉しいって言ってんだろ」
「……わたしも、嬉しいと嬉しい、と感じる事に嬉しく思って貰えて、嬉しいです」

 嬉しいが、無限に増えますね。最後にそう締め括るシーセは、とても自然に、穏やかに笑っていた。

「シーセ! 今、笑ってる!!」

 すぐに消えた笑顔を再現しようとまた口を歪めるが、あの笑みは戻って来なかった。気まずい雰囲気が漂う中、シーセはぽつりと呟く。

「勇者様の見間違いでは?」

 イジけるシーセには悪いけど、俺の心はそれどころではなかった。ヤバイ、めちゃくちゃドキドキする。もしかして、俺が思ってた以上に俺って想われてるのかも。
 俺が1人で悶えているのをよそに、シーセは数回頬を揉んでまた口を歪に曲げる。下手くそな笑顔だが、今はそれでいいと思う。あんな綺麗な笑顔を毎回向けられては、俺の心臓が持たない。

「少しずつ練習していこう。今日はもう遅いし、寝ようか」
「わかりました。では外で待機します」

 そう言い放って出て行こうとするシーセを捕まえて、ベッドに座らせる。体を硬く固めるのは、緊張か、恐怖か。男、ベッド、このふたつで思い浮かぶのはやはり性的な暴力だが、勇者の仲間を襲うような命知らずがいて、俺や他の仲間に気付かれないで連れ去る事ができるだろうか。

「シーセ、俺が君を守りたいって言ったの、覚えてるか?」
「はい、覚えています」
「俺の知らないうちにシーセが傷付くのが嫌だ。だからできる限り一緒にいたいと思う」

 細い肩に手を添える。跳ねる体に、女の子を守れなかった不甲斐なさを悔やむ。これは、決していやらしい意味は無いし、お互いの平穏の為の誘いだ。

「しばらく一緒に寝よう」

 目をまん丸にして固まるシーセは、ゆっくりと肩から俺の手を剥がして自分を抱き締める。

「それは……槍の勇者様でも、怖い、です」
「教えてくれシーセ、君をそこまで傷付けたのは一体誰なんだ?」

 犯人について聞くと俯いて黙り込んでしまう少女に、段々と苛立ちが増していく。守ると約束したのに守らせてくれないシーセにも、彼女の信頼を得られない自分にも。焦るだけでは何も解決しないのはわかっている。だから。

「犯人が誰かはもう聞かない。その代わり、俺を拒否しないで。大丈夫、俺は絶対にシーセを傷付けないから」
「わたしは……槍の勇者様を…………拒否、しません。命令……承諾」

 シーセが命令を聞いたのを確認してから、徐々に時間をかけてゆっくりと2人の距離を縮める。なるべく性的なものを感じさせないよう、撫でるのではなく、段階的に末端から胴にかけて軽く叩くように近づいていく。手を背中に回したあたりで、シーセは俺の胸に手を置く。恐怖と命令の間で揺れているのだろう。1度止まって、シーセの様子を見る。

 突っ張る腕の力が抜けて、自ら俺の腕の中に入るシーセ。彼女の覚悟を壊さないように注意して、また体を近づける。隙間をなくし、互いに身動きが取れなくなるまで体に腕を絡ませて、小さくて柔らかい肢体を包み込んで抱き締める。

「呼吸」

 俺の肩口、耳元で息を吐くように囁く。

「貴方様の呼吸は、落ち着きます」

 シーセは2人の胸の間に縮こまっていた腕を引き抜いて俺の背中に回すと、俺の真似をして息を吸っては吐いた。密着しているから胸が上下するのがわかる。呼吸までしたら、もう人間と何も変わらないじゃないか。急に愛しさが込み上げて抱き締める力を強める。

「駄目です。求めてしまいます」
「いいよ。好きなだけ求めればいい。俺が全部、シーセにあげるから」

 愛でもなんでもあげるから、俺を置いて行かないで。

「こんな感情、人形にはいりません」
「じゃあ人形なんて辞めちまえ」

 人間になれば、俺に愛されてくれるか?

「わたしには、果たすべき使命があります」
「シーセは好きに生きていいんだよ」

 君があの穏やかな笑顔でいてくれる為なら、俺が世界を救うから。

 ひときわ強く抱いて、そのままベッドに倒れ込む。シーセの呼吸と俺の呼吸が同じタイミングを刻む。ああ、心地よい呼吸ってこういう事か。トロリと溶けるように意識が沈む。抗い難い眠気が俺に絡みつき始める。

「もう、遅い時間です。おやすみなさい、勇者様」

 嫌だ。
寝たらシーセがいなくなる気がして、愚図る子供みたいに擦り寄る。添えるだけだった彼女の腕が、初めて俺を抱く。

「好きだよ、シーセ」

 まるで寝言のようになってしまったが、彼女に伝えたかった。君は愛されている、と。

「繧上◆縺励b縺ァ縺」

 シーセが俺に囁くが、俺にはノイズが酷くて聞き取れない。聞き直そうと少し離れて彼女の顔を覗くと、酷く寂しそうな目で見つめるのだった。

「繧上◆縺励b縺ァ縺」

 もう一度囁いた声を最後に、限界が来ていた俺は眠りに落ちた。


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2019/05/29投稿
05/29更新