※強姦表現があるので注意{emj_ip_0615}





 わたしが揺らぐ。
 元康様を信じられないわたしに価値があるのだろうか、王女の様に、勇者を信じるのが仲間というものなのではないだろうか。あの種はおそらく錬金術師の失敗作。作った本人ですら使ったらどうなるかわからないだろう。そんなものを使って元康様の信用が落ちたら? 何より、元康様に危険が迫ったら? 消極的な考えばかりがわたしの足下を崩す。
 元康様を信じていない訳ではない。わたしはわたしが元康様を守れるかが信じられないのだ。メルロマルクではわたしは悪魔の手先。そう思われている。そんなわたしが傍に居るだけで、彼を疎ましく思う人間もいるだろう。王女も、わたしという存在を快くは思っていない。わたしの失敗は元康様の失敗。元康様には勇者として幸せに生きて欲しい。その為には小さな綻びも許されないのだ。

 わたしが傍に居なければ、元康様は勇者としての成功に近づくのでは。そう思わなくはないが、わたしが元康様の傍に居たいと我儘を言う。さっき、見つめられて怖くなった。元康様に見つめられると、何であろうと肯定したくなる。むしろ、彼の思い通りにならないのならそんなもの壊して回りたいくらいだ。そして貴方は何も間違ってなどいないのだと、抱き締めてあげたい。こんなわたしの思考は間違っている。だから命令で上書きをした。わたしの全てをかけた信頼を、仲間としての信頼で塗り潰した。

「シーセ」

 元康様がわたしを呼ぶ。それだけで核が震える。振り向いた先に居たのは冷たい無表情の元康様。逃げた事を怒っているのだろうか、嫌だ、不安で押し潰されそうになる胸を握り締めて耐える。

「もう、いいんだ」

 ポツリ。
 転がされた言葉が、わたしには理解できない。もういい、もういいんだ。どういう意味? それはまるで……。

「もうシーセはいらない」

 不要ですか。そうですか。
 横穴の岩肌がわたしを突き刺す幻を見る。洞窟が天井から崩れてわたしが潰れて死ぬのを幻視した。

 わたしは彼を見れなかった。

 目の前が真っ黒だ。捨てられた。当たり前だ。愛してる。嘘だ。最初から、勇者なんて愛していない。痛い。勇者に捨てられるのなんて初めてじゃないのに。嫌だ。貴方だけには捨てられたくない。好き。もう1度抱き締めて。嫌い。こんな事なら口付けを避けなければよかった。寒い。1度だけを抱いて死んで行けたのに。熱い。弱いわたしを許して。

 冷たい地面に膝から落ちる。元康様がわたしに槍を向ける。貴方が殺してくれるなら、良かった。貴方への想いを抱きながら生き長らえるのは、死ぬより辛いと思っていたんだ。槍が目を閉じたわたしに向かって走る。

「違う」

 寸前で穂先を掴む。その感触も、元康様の槍とは違う。彼の槍はもっと鋭かった。これは元康様ではない。躊躇なく偽物にナイフを突き刺す。元康様に化けるとは、それに気付かないとは、なんてわたしは愚かなんだろうか。
 我武者羅にナイフを振る。壁に当たろうが、ナイフが壊れようが、ひたすらにナイフを振り、元康様に化けた魔物を殺した。

 怖い。もし、本物に会って、同じ事を言われたら。わたしはわたしでいられるだろうか……?





 わたしは1人、一足先に根城から隠れるように停めておいた馬車に戻っていた。捨てられたくない。彼の笑顔が見れなくなるくらいなら、全て肯定しよう。そして最後に、泥はわたしが被って姿を消そう。元康様は勇者として成功し、わたしは彼の幸せそうな顔が見れて幸せ、めでたしめでたし。それでいいじゃないか。

 戻ってくる元康様達を視界の端で捉えて、わたしは世界を拒絶する様にうずくまって無理矢理眠った。






「シーセ」

 優しい声、やっぱり元康様はわたしを捨てたりなんてしない。良かった。泣き出しそうになるのを我慢して瞼を開ける。微笑む元康様に、全身の力が抜ける。悪い夢だった。そういう事にしておこう。
 差し出された手に躊躇いなく手のひらを重ねる。いやに熱い元康様の手が、わたしを強く引き寄せる。戸惑うわたしに、元康様はもう1度笑った。

「レルノ村に着いたぞ。飢餓で苦しんでいるそうだ。あの種があれば、皆を救えるんだよ」

 大丈夫です。貴方の身代わりになら喜んでなります。心の中で返事する。
 わたしは貴方を信じます。貴方を拒否しません。貴方の選んだ服を着て、貴方の横で笑いましょう。だから、お願い。
 愛さなくていいから、愛させて。



 元康様は村人に種を預けて足早に村を出た。何か急ぐ理由でもあるのだろうか。目が覚めてから繋がれたままの手を見つめる。他の女性陣の視線は冷たいが、元康様の傍に居られて嬉しかった。

 今夜は野宿らしい。女性を1番に考える元康様にしては珍しい。女性陣は裏で嫌そうな顔をして野宿の準備を進める。わたしも手伝いに行こうとするが、元康様は手を離そうとしない。

「勇者様、わたしも手伝いを」
「じゃあ、俺の手伝ってよ」

 わたしの言葉を遮るように話す元康様に、流石におかしく感じる。パーティから逃げた訳では無い。ただ少し先に帰っただけだ。元康様の様子は、多分そこからおかしくなった。他の人は何も感じないのだろうか、感じるほど彼を見ていないのか。

「わたし、薪を拾ってきます」
「俺も行くよ」

 やはりおかしい。わたしから離れる事を露骨に嫌がる元康様と共に森に入って薪を拾う。勿論、手は繋がっている。

「勇者様、これでは拾いにくいです」
「……シーセが名前で呼んでくれたら離す」

 子供のようなお願いに、面を食らう。頭の中では名前で呼んでいるのがバレたような気恥ずかしさがあり、目線が地面に落ちる。もう片方の手も捕まって、多くはない薪が地面に落ちる。距離を近付けた元康様は耳元でわたしの名を呼ぶ。観念したわたしも、彼の名を呼ぶ。

「……元康、様」

 声に出すと何故恥ずかしいのだろうか。頬が薄く染まるのを感じる。何か反応があると思っていたが、待っても元康様は一言も声を出さない。痺れを切らして顔を上げたのを後悔した。
 顔を真っ赤に染めた元康様がいた。目を丸くして耳まで染めた元康様は、口を開閉して言葉を探しているが、上手く言葉が見つからなかったらしく、小さな声でもう1回と強請る。

「元康様」
「……もう1回」
「元康様」
「もう1回」
「元康様」
「………………」
「元康、様」

 強く抱き締められる。子供のような人だ。寂しいから、笑う事で傍に居てもらおうと頑張る姿は痛々しかった。抱き締め返せば元康様の腕に力が入る。泣いても怒っても、拗ねていても呆れていても、わたしが傍にいます。時々、笑顔をください。それだけでわたしは幸せです。

「諢帙@縺ヲ縺セ縺吶h」

 届かなくてもいい。伝わらなくてもいい。愛の言葉が雑音に紛れて消えても、わたしの中に確かにあるから。だからわたしは何度でも届かない愛を囁く。



 そんなわたしの幸せは、誰かの一言で簡単に崩れ去る脆いものだった。










 走る。逃げる。あてはない。それでも走るしかなかった。わたしの愛を守りたいなら、逃げるしかなかった。手首で光る腕輪が、わたしの体を重くする。



 力を封印するという呪いの腕輪。その存在は知識にあった。まさかそれを自分に使われるとは思ってもみなかったが。あの日、言った通り名前を呼んだわたしの手を元康様は離した。その隙を彼女は狙った。

 王女はわたしに言った。見ていた、と。抱きしめ合い、名前を呼び合うわたしと元康様を。その日からわたしが元康様と呼び出した事も、気に食わなかったと。自分には攻撃できないだろうと笑いながらわたしに腕輪を着けた。そして始まった最悪の鬼ごっこ。

 簡単だ。王女が手配した男に捕まればまた踏みつけられ、千切られ、嬲られ、犯される。殺されるかもしれないな。直りかけの体を引きずって、わたしは路地裏を駆ける。昼間でも薄暗い道は危険だが身を隠すには丁度いい。でもそれは、相手にも同じ事。
 更に奥の道から手が伸びてわたしを絡めとる。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。汚されたくない。穢れたくない。どうしてあの人への愛の中で揺蕩う事すら許してくれないの。

 空へ手を伸ばしても、あの人の名前を叫んでも、使者の力を封じられた人形は逃げられない。複数の男がわたしの体を蝕む。涙は出なかった。あの人以外にわたしの感情は動かない。わたしにはあの人だけで良かった。愛を知ってしまったら、また汚された体であの人の元には戻れない。

「元康様、元康様、元康様、元康様……」

 壊れたように何度も呟く。彼が好き。彼だけが好き。足の先から感覚が無くなっていく。触れられた所が気持ち悪くて、必死に彼と抱き合った時を思い出して、少し泣けた。ぐるぐると彼との記憶が蘇る。走馬灯。人形のわたしにも起こる現象だったのか、これは発見だ。笑ってやろうと思ったが表情ひとつ動かなかった。唯一動く口で名前を呼び続けるが、うるさいと言われて頬を殴られる。その後口も汚された。

 体と精神が解離する。もう何も感じない。それは海の底に似ていて、真綿で包まれるような死にも似ていた。

 元康様、元康様、元康様、元康様、元康様元康様元康様元康様元康様元康様。
 優しい貴方はわたしが死んだら泣くのでしょうか、憤るのでしょうか。案外、喜ぶのかもしれません。貴方の感情のひとつひとつ、全てを見ていたかった。全てを受け止めてあげたかった。あの時わたしが吐いた愛が届かなくて良かった。きっと届いていたら貴方を苦しめた筈。だから伝わらなくて良かった。

 わたしは生を諦めた。その瞬間だった。

 急に、体の感覚が蘇る。痛みが、嫌悪感が、凍えるような熱さと焼けるような寒さが襲いかかり、わたしの中で燻っていた小さな火が、黒く燃え上がる。

 体が熱い。焼けるようだ。わたしはこの感覚を知っている。これは勇者の武器、カースシリーズの精神汚染。燃える燃える。憤怒の炎がわたしの心を黒く焼き尽くす。

 嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い。あの女も、目の前の男共も。わたしを害する全てが嫌い。憎い。殺してやりたい。
 わたしは知っている。この憤怒を解放する術を、此奴等を殺す方法を。


 バキリ。


 響いた音は、皮肉にも厄災の波と同じ音がした。
止めた時間を無理矢理に動かす。そこにあった空間が時間の歪みにねじ切れる。バキリ、男の首が取れて落ちる。もっと、もっと壊れろ。わたしの怒りはこんな物では終わらない。その矮小な器も、おぞましく欲深い魂も、只只汚らしい体も、わたしが全てねじ切り屠り消し去ってやろう。

 ひとけの無い暗がりに、世界が割れる音がこだまする。波よりも小さいが、確かにが壊れる音。わたしの燃えたぎる怒りが収まる頃には、地面には血の海が、襲ってきた男は人間かどうかすら判断できない程に刻まれていた。この怒りをぶつける先が無くなっても、なお燻り続ける感情に空を見上げていると、脳内になんの感情もない音声が再生される。

 カースモードの暴走を確認。1分後、自滅機能アポトーシスを開始します。

 燃え盛る憎悪の隙間に、わたしはぼんやりと終わりを悟る。守るべき世界を壊すわたしはもう、処分するしかない。当然の処置だ。ここで記憶を消せば、彼との思い出は永遠にわたしだけの物になる。わたしだけの彼への想い。いいんだ。消すのが使者として正しい。わたしは精霊様にとっていい子に戻りたい。
 もう何の感覚も無くなった体を壁に寄りかからせる。服なんてとうの昔に剥ぎ取られ、直接浴びた返り血が不愉快だ。わたしは随分と長い間接続する事のなかった世界の中枢部に呼びかける。

「記憶媒体に接続。保存してあるわたしの記憶全てをーー……」

 声が震える。
 消したくない、消えたくない。
 もう時間が無いのに。間違えたわたしは壊れるしかないから。嗚呼、でも、もう既に悪い子だと言うのなら、最期に悪戯しても誰もわたしを糾弾できない。

「記憶を全て、送信。次のわたしに、複製」

 ざまぁみろ。

 次のわたしも精々苦しめばいい。
 悪い子になってしまえばいい。
 そして、彼に少しでも愛を返せたならば。

「諢帙@縺ヲ縺セ縺」

 こんな独り言でも、わたしは彼に愛を伝えられはしない。

 好き、好き、好き。
 大好き。愛してる。
 こんなに想っても何一つ伝えられない。愛憎とはよく言ったものだ。愛が強ければ強い程、何かを憎まずにはいられない。言葉すら届けられない支配された体ならいらない。全部全部怒りの炎で烏有に帰ればいい。
 ゆっくりと瞼を閉じ、同時に落ちた涙が嫌に熱く感じる。暗い黒に浮かぶのはやっぱり貴方の笑顔で。

「諢帙@縺ヲ縺セ縺」

 次は、わたしも笑って伝えられたらーー……。




自滅機能アポトーシス、開始」


前話//まだ
2019/10/26投稿
10/26更新