2時間目 サービスの時間
「会いたくないって言ってるの」
渚は杉野との野球練習を終えて帰ろうとする時に、その声を聞いた。声の主は渚から見て珍しい、と思う程には苛立った声色をしていて、思わず渚は隠れるように電話をするリンネの様子を物陰から伺った。
「僕はA組には戻らないし、その事を責められる言われも無い!」
渚はリンネがテストで手を抜いている事を知っている。だから、本来彼女の学力はA組相当である事もおのずと導き出せた。この学校が成績優秀者をE組に放置するはずがない。おそらく、電話の相手は本校舎の教師か、A組の生徒。それらにリンネは本校舎に戻るよう説得を受けている。でも、渚達にとってそれは暗殺の放棄、手術による記憶処理を意味する。
「……わかった。会うだけならいいよ」
通話を切ったリンネが渚の方に歩き出して、渚は慌てて隠れようとするが鉢合わせてしまう。リンネは渚の様子に、何かを察して溜め息を吐いた。
「渚ちゃんって意外とゲスいねー」
「えっとその、ごめん」
素直に謝ってくる渚に、リンネはまたカラカラと笑って首を横に振る。
「いいよいいよ、この前も着信聞かれてるし。別に隠してるわけでもないしさ」
隠してはいない、言わないだけで。そう含んで笑うリンネに、ゲスついでに。と、渚はリンネにE組を出なくていいのか聞いた。渚はリンネがE組行きになった理由を知らないが、あの弟が関係している事はうっすらと気付いていた。
「渚ちゃんが思っている通り、カルマちゃんがいるからって言うのもあるし、殺せんせーが面白そーなのもある……かな。あ、電話の相手はノーコメントで」
リンネは渚の思考を読んで勝手に答える。昔からそうだと渚は愚痴る。彼女は高い演算能力を持ち、人の思考すら計算してしまう。聞く前に答えを与えられ、迷いすらも見透かされる。1年の時から、そんな彼女に陶酔する人間は少なくなかった。渚をリンネとお近付きになるための踏み台にする輩も多くて困りもしたが、それ以上の尊敬の念が、渚にはあった。
「渚ちゃんはもう帰るの? 久しぶりに一緒に帰ろうか」
きっと、杉野にもう少し練習してから帰ると言われて、渚が1人で帰る事になったのを導き出したのだろう。渚は笑って了承する。自分を通じて、リンネがクラスに馴染めるといいな。そう思って。
烏間は部下を連れて、椚ヶ丘中学校の理事長室に来ていた。明日から自身も教育に場に立つ事を了承させる為に。思ったよりも呆気なく容認を得るが、その裏に大金が動いていると考えると、喉の奥が苦いと烏間は感じる。廊下ですれ違う生徒はE組を激しく差別し、緊張感と優越感を得る。いやに合理的な仕組みの学校に、E組の生徒を思う。
烏間は本校舎の廊下で、目立つ赤髪の生徒を見つけて立ち止まる。E組の生徒は必要なく本校舎に立ち入る事を禁じられている為、会う事はないと思っていた烏間だが、彼女は堂々とした出で立ちで廊下を歩いていた。
「あれー、烏間さんじゃーん。どしたの、こんな所で」
「理事長に業務連絡だ。君こそ、本校舎に何か用が?」
烏間の言葉にリンネは頬を膨らませて不機嫌を表す。子供らしい行動だが、烏間はリンネの仕草にわざとらしさを感じて、少女の中身と外身のズレを見た。この年頃にはよくある子供と大人の狭間で惑う悩み。この時烏間はそれだと思い込んだ。
「僕は別に来たくもなかったけど、呼ばれちゃったから」
誰に。を言わないのは、隠したいからか。烏間はリンネに授業に遅れるなよとだけ伝えて歩き出す。烏間達の背中を見てリンネは呟く。
「烏間さんはいい人」
リンネは烏間達が通ってきた道を、ゆっくりと戻り始める。
部下と別れた烏間は1人で山道を登る。旧校舎であるE組に着くと、生徒達が忙しそうに駆け回っていた。1人、茅野が烏間に気付き、竹棒を抱えて足踏みしながら挨拶を交わす。
「明日から俺も教師として君等を手伝う。よろしく頼む」
「そーなんだ!! じゃあこれからは烏間先生だ!!」
殺せんせーを探す烏間に、茅野は今行われている催しについて教えた。
「殺せんせー、クラスの花壇荒らしちゃったんだけど、そのおわびとして……ハンディキャップ暗殺大会を開催してるの」
そこではぐるぐる巻きに縛られた殺せんせーが木の先に吊るされて、生徒達が限られた範囲しか動けない殺せんせーを殺そうと躍起になっていた。
「ほら、おわびのサービスですよ? こんな身動きできない先生、そう滅多にいませんよぉ」
縛られて尚ヌルヌルとナイフと銃弾を避ける殺せんせーに、渚は完全にナメられてると脱力した。渚は自分で書き記した殺せんせーの弱点メモを見返して、次の展開を察する。
「ヌルフフフフ、無駄ですねぇE組の諸君。このハンデをものともしないスピードの差。君達が私を殺すなど夢のまた……」
軋む木の枝がバキっと音を立てて折れて落ちた。地に落ちた殺せんせーは殺気立った生徒達にいっせいに襲いかかられる。意外に役に立つ事がわかった渚の弱点メモはこれからも増える事がここに決まった。
縄と触手が絡まっていた殺せんせーがやっとの事で抜け出し、校舎の屋根に飛んで小学生にも負ける語彙力で罵倒する。息を整えた殺せんせーはボソリと呟いた。
「明日出す宿題を2倍にします」
「小せぇ!!!!」
生徒一同の叫びだった。どこか遠くに飛んで逃げる殺せんせーを見送り、今までで1番の手応えに湧き上がる生徒達。異常なのに、活き活きとした生徒の表情。それは、殺せんせーがいなければ無かったもの。
「渚、どう? 殺せんせーは殺せそう?」
「殺すよ。殺す気じゃなきゃあの先生とは付き合えない」
飛んでいく殺せんせーを見上げて、渚は宣言する。やはりその目は明るく輝いていた。
「明日には、彼の停学が解けるそうだね」
彼はリンネに問いかける。彼女が見つめる窓の外は、賑わうE組以外の生徒達。一点の汚れもないガラスに、わざと汚すように指紋を付ける。彼の眉間に皺が寄る。汚れるのが嫌ならば、最初から他人となんて関わらなければいいのに。とリンネは思う。自分は人よりも一際汚れているのに。
「君は綺麗だよ。今も、昔も」
「僕、他人の思考を読むのは好きだけど、読まれるのは嫌いだなー」
彼が笑う気配がする。珍しい、いつもは仮面のような笑顔でしか笑わないのに。久しぶりに会ったから喜んでいるのだろうか。ポツリポツリと考えが浮かんでは消える。リンネは気付く。浮かれているのは、自分だと。教室でなら、カルマと逃げずに向き合える。そう思った。1歩でもいい。カルマに近付きたい。
間違ってる。口の中で呟いた言葉をリンネは繰り返す。心を満たす薄汚れた愛情は、彼女を深く沈ませる。彼はそれを知っていて、リンネを甘やかしてそばに置く。
「僕と君の関係も、間違ってるよ」
赤羽業は荒れていた。信じていた教師に裏切られ、それが原因で姉を傷付けた。未だに、顔を合わせるのすら気まずくて謝れていない。自分でもここまで拗れるとは思っていなかった。その苛立ち、怒りも、教師という生き物に向けられた。
だからカルマは歓喜した。
E組に課せられた暗殺任務。教師を合法的に殺せるチャンスを得た事に。カルマは進みたかった。あの時から立ち止まったままの自分と姉の関係が、自分の手で教師を殺れば、きっと進める。解放される。
「……ねぇ、このゴムみたいなナイフ本当に効くの?」
手の中で対先生用ナイフを弄ぶ。防衛省の者と名乗った黒服は肯定する。
「ええ。人間には無害ですが、奴への効果は保証します」
「…………赤羽リンネ……俺の姉はさ、何か動いた?」
「いえ、赤羽リンネさんは我々が記録している中では特に暗殺をしていません」
カルマは少し考え込んで笑みを消す。昔から、姉の事だけはわからない。こんな面白い事、見逃す人では無かったとカルマは記憶している。が、あの事件のせいで変わってしまったと言うなら、もう、逃げてはいけない。
「……ふーん。ま、人間じゃなくても別にいーか」
再び口角を上げる。彼女の事は全て、この教師を名乗るタコを殺してからだ。ナイフで依頼書を突き刺して言い放つ。
「1回さぁ。先生って生き物、殺してみたかったんだ」
前話/◆/まだ
渚は杉野との野球練習を終えて帰ろうとする時に、その声を聞いた。声の主は渚から見て珍しい、と思う程には苛立った声色をしていて、思わず渚は隠れるように電話をするリンネの様子を物陰から伺った。
「僕はA組には戻らないし、その事を責められる言われも無い!」
渚はリンネがテストで手を抜いている事を知っている。だから、本来彼女の学力はA組相当である事もおのずと導き出せた。この学校が成績優秀者をE組に放置するはずがない。おそらく、電話の相手は本校舎の教師か、A組の生徒。それらにリンネは本校舎に戻るよう説得を受けている。でも、渚達にとってそれは暗殺の放棄、手術による記憶処理を意味する。
「……わかった。会うだけならいいよ」
通話を切ったリンネが渚の方に歩き出して、渚は慌てて隠れようとするが鉢合わせてしまう。リンネは渚の様子に、何かを察して溜め息を吐いた。
「渚ちゃんって意外とゲスいねー」
「えっとその、ごめん」
素直に謝ってくる渚に、リンネはまたカラカラと笑って首を横に振る。
「いいよいいよ、この前も着信聞かれてるし。別に隠してるわけでもないしさ」
隠してはいない、言わないだけで。そう含んで笑うリンネに、ゲスついでに。と、渚はリンネにE組を出なくていいのか聞いた。渚はリンネがE組行きになった理由を知らないが、あの弟が関係している事はうっすらと気付いていた。
「渚ちゃんが思っている通り、カルマちゃんがいるからって言うのもあるし、殺せんせーが面白そーなのもある……かな。あ、電話の相手はノーコメントで」
リンネは渚の思考を読んで勝手に答える。昔からそうだと渚は愚痴る。彼女は高い演算能力を持ち、人の思考すら計算してしまう。聞く前に答えを与えられ、迷いすらも見透かされる。1年の時から、そんな彼女に陶酔する人間は少なくなかった。渚をリンネとお近付きになるための踏み台にする輩も多くて困りもしたが、それ以上の尊敬の念が、渚にはあった。
「渚ちゃんはもう帰るの? 久しぶりに一緒に帰ろうか」
きっと、杉野にもう少し練習してから帰ると言われて、渚が1人で帰る事になったのを導き出したのだろう。渚は笑って了承する。自分を通じて、リンネがクラスに馴染めるといいな。そう思って。
烏間は部下を連れて、椚ヶ丘中学校の理事長室に来ていた。明日から自身も教育に場に立つ事を了承させる為に。思ったよりも呆気なく容認を得るが、その裏に大金が動いていると考えると、喉の奥が苦いと烏間は感じる。廊下ですれ違う生徒はE組を激しく差別し、緊張感と優越感を得る。いやに合理的な仕組みの学校に、E組の生徒を思う。
烏間は本校舎の廊下で、目立つ赤髪の生徒を見つけて立ち止まる。E組の生徒は必要なく本校舎に立ち入る事を禁じられている為、会う事はないと思っていた烏間だが、彼女は堂々とした出で立ちで廊下を歩いていた。
「あれー、烏間さんじゃーん。どしたの、こんな所で」
「理事長に業務連絡だ。君こそ、本校舎に何か用が?」
烏間の言葉にリンネは頬を膨らませて不機嫌を表す。子供らしい行動だが、烏間はリンネの仕草にわざとらしさを感じて、少女の中身と外身のズレを見た。この年頃にはよくある子供と大人の狭間で惑う悩み。この時烏間はそれだと思い込んだ。
「僕は別に来たくもなかったけど、呼ばれちゃったから」
誰に。を言わないのは、隠したいからか。烏間はリンネに授業に遅れるなよとだけ伝えて歩き出す。烏間達の背中を見てリンネは呟く。
「烏間さんはいい人」
リンネは烏間達が通ってきた道を、ゆっくりと戻り始める。
部下と別れた烏間は1人で山道を登る。旧校舎であるE組に着くと、生徒達が忙しそうに駆け回っていた。1人、茅野が烏間に気付き、竹棒を抱えて足踏みしながら挨拶を交わす。
「明日から俺も教師として君等を手伝う。よろしく頼む」
「そーなんだ!! じゃあこれからは烏間先生だ!!」
殺せんせーを探す烏間に、茅野は今行われている催しについて教えた。
「殺せんせー、クラスの花壇荒らしちゃったんだけど、そのおわびとして……ハンディキャップ暗殺大会を開催してるの」
そこではぐるぐる巻きに縛られた殺せんせーが木の先に吊るされて、生徒達が限られた範囲しか動けない殺せんせーを殺そうと躍起になっていた。
「ほら、おわびのサービスですよ? こんな身動きできない先生、そう滅多にいませんよぉ」
縛られて尚ヌルヌルとナイフと銃弾を避ける殺せんせーに、渚は完全にナメられてると脱力した。渚は自分で書き記した殺せんせーの弱点メモを見返して、次の展開を察する。
「ヌルフフフフ、無駄ですねぇE組の諸君。このハンデをものともしないスピードの差。君達が私を殺すなど夢のまた……」
軋む木の枝がバキっと音を立てて折れて落ちた。地に落ちた殺せんせーは殺気立った生徒達にいっせいに襲いかかられる。意外に役に立つ事がわかった渚の弱点メモはこれからも増える事がここに決まった。
縄と触手が絡まっていた殺せんせーがやっとの事で抜け出し、校舎の屋根に飛んで小学生にも負ける語彙力で罵倒する。息を整えた殺せんせーはボソリと呟いた。
「明日出す宿題を2倍にします」
「小せぇ!!!!」
生徒一同の叫びだった。どこか遠くに飛んで逃げる殺せんせーを見送り、今までで1番の手応えに湧き上がる生徒達。異常なのに、活き活きとした生徒の表情。それは、殺せんせーがいなければ無かったもの。
「渚、どう? 殺せんせーは殺せそう?」
「殺すよ。殺す気じゃなきゃあの先生とは付き合えない」
飛んでいく殺せんせーを見上げて、渚は宣言する。やはりその目は明るく輝いていた。
「明日には、彼の停学が解けるそうだね」
彼はリンネに問いかける。彼女が見つめる窓の外は、賑わうE組以外の生徒達。一点の汚れもないガラスに、わざと汚すように指紋を付ける。彼の眉間に皺が寄る。汚れるのが嫌ならば、最初から他人となんて関わらなければいいのに。とリンネは思う。自分は人よりも一際汚れているのに。
「君は綺麗だよ。今も、昔も」
「僕、他人の思考を読むのは好きだけど、読まれるのは嫌いだなー」
彼が笑う気配がする。珍しい、いつもは仮面のような笑顔でしか笑わないのに。久しぶりに会ったから喜んでいるのだろうか。ポツリポツリと考えが浮かんでは消える。リンネは気付く。浮かれているのは、自分だと。教室でなら、カルマと逃げずに向き合える。そう思った。1歩でもいい。カルマに近付きたい。
間違ってる。口の中で呟いた言葉をリンネは繰り返す。心を満たす薄汚れた愛情は、彼女を深く沈ませる。彼はそれを知っていて、リンネを甘やかしてそばに置く。
「僕と君の関係も、間違ってるよ」
赤羽業は荒れていた。信じていた教師に裏切られ、それが原因で姉を傷付けた。未だに、顔を合わせるのすら気まずくて謝れていない。自分でもここまで拗れるとは思っていなかった。その苛立ち、怒りも、教師という生き物に向けられた。
だからカルマは歓喜した。
E組に課せられた暗殺任務。教師を合法的に殺せるチャンスを得た事に。カルマは進みたかった。あの時から立ち止まったままの自分と姉の関係が、自分の手で教師を殺れば、きっと進める。解放される。
「……ねぇ、このゴムみたいなナイフ本当に効くの?」
手の中で対先生用ナイフを弄ぶ。防衛省の者と名乗った黒服は肯定する。
「ええ。人間には無害ですが、奴への効果は保証します」
「…………赤羽リンネ……俺の姉はさ、何か動いた?」
「いえ、赤羽リンネさんは我々が記録している中では特に暗殺をしていません」
カルマは少し考え込んで笑みを消す。昔から、姉の事だけはわからない。こんな面白い事、見逃す人では無かったとカルマは記憶している。が、あの事件のせいで変わってしまったと言うなら、もう、逃げてはいけない。
「……ふーん。ま、人間じゃなくても別にいーか」
再び口角を上げる。彼女の事は全て、この教師を名乗るタコを殺してからだ。ナイフで依頼書を突き刺して言い放つ。
「1回さぁ。先生って生き物、殺してみたかったんだ」
2019/07/24投稿
07/24更新
07/24更新