木造建築の校舎に、日直の声が響く。その声に合わせて、クラスメイトが教壇に立つ教師に向けて銃を構え……一斉に発射した。いや、乱射・・した。まともに人に当てる撃ち方などできるわけが無いのだ。なんせここにいるのはサバイバルゲーマーでもなければ、警察官や自衛隊でもない、ただの中学生なのだから。それでも、1クラス分の射線を避ける事ができるのは、一重にこのクラスの担任が人間ではない怪物だからに過ぎない。
 ぬるりと蠢く黄色の触手。黒い衣服をまとう事で、かろうじて人のシルエットを形取るそれ。タコのようなそれが、この3年E組の担任なのだ。けたたましい銃声の中でのうのうと出席を取る触手の化け物。結局、全員分の名前を呼び終えるまでBB弾のような銃弾が一発も当たる事はなかった。

 構えただけで撃つ事のしなかった銃を下ろし、他のクラスメイトが触手教師と問答をするのを横目に1番後ろの席で少女が1人座り、持ってきていた文庫本を読み出していた。
 そう、この教室では担任に向かって銃を撃つのは特別な事ではない。なんせこの教室は担任を勤める黄色い触手の化け物を殺す為の、暗殺教室、なのだから。

 生徒達が撃っていたのは実弾ではなくBB弾だが、このBB弾は国で作られた触手タコ専用で、当たれば豆腐のように触手を溶かせるらしい。先の問答は、この対触手用のBB弾が本当に効くのかというものだったが、それはタコ教師が実演した事で効力は証明された。己の実力不足、及び暗殺対象の驚異的な速さを実感した生徒は、自分達で散らかしたBB弾を掃除し始める。これも、もういつもの情景なのだ。

 パタリ。読んでいた本を閉じて、少女は顔を上げた。まぁ、それなりに楽しめそうじゃあないか。読み飽きた教科書なんかよりもずっと。そう内心ほくそ笑んで箒を手に取った。





 授業が終わった昼休み。担任の超生物は四川省まで麻婆豆腐を食べに行ってしまった。触手の怪物の移動速度はマッハ20という小学生が考えた最強の生物。のような性能を持っていて、休み時間にはよく外国まで飛ぶらしい。数人の生徒はは先生が飛んで行った空を見上げ、クラスメイトは各々で昼食を食べ始める。リンネはひとり、パンが入ったビニール袋を引っ提げて教室を出て行った。そんな彼女の背中を見つめていた少女が。

「ねぇ、渚。赤羽さんってどんな人?」

 茅野カエデ。3年からこの学校に転校してきた彼女はリンネの事を知らなかった。だから、隣の席の潮田渚に聞いた。それだけなのだが。

「え? なんで僕に……!? あ、いや。茅野は知らなくて当然か……」

 茅野は酷く狼狽する渚に疑問を抱きつつ、先の質問の答えを促すと、渚は渋々、といった様子で答えた。

「一言で言えば天才……かな? でもすぐ手を抜くって言うか、本気を出さない人で……僕は正直、怖い……な」

 頭が良い事くらいしかわからない説明に、茅野は再度質問を重ねた。

「成績的な事じゃなくって、性格的な事! いつもひとりだから声掛けたくって」

 その質問に、渚は更に答えずらそうに口ごもった。

「えっと……弟が大好きな、ブラコン」



 弟を追ってE組に来た。とは表面上の理由だとリンネは言う。彼女は退屈していたのだ。本気でやれば満点を取って当たり前、上限が100しかないテストで順位をつけて一喜一憂する学校というシステムに。E組に来たのは、最下層で俯く彼等を弄んでやろうと考えていたからだった。だが実際に来てみれば、謎の超生物が担任の暗殺教室。リンネの胸は期待で満ち溢れていた。きっと想像もつかない出来事が自分を待っているのだろうと。

「なーんか、拍子抜けって言うか、普通の先生なんだもんなー」

 自分の昼食を持って教室を出たリンネはチョコレートのついたパンを齧りながら嘆いた。変わった事といえば授業の合間に銃をぶっぱなす事くらい。ここらで誰か面白い暗殺でもやってくれないだろうか。校舎裏の木に寝そべっていると、男子生徒が数人、裏口から出てすぐの階段でたむろし始めた。
 寺坂竜馬、村松拓哉、吉田大成、そして潮田渚の4名。4人で……いや、寺坂が考えた暗殺作戦を渚にやらせようとしているようだ。食後の眠気混じりにリンネは寺坂が渚に小さな巾着を渡す場面を見ていた。寺坂、村松、吉田の3人が渚を1人残して校舎内に帰っていく。笑う寺坂は、もう既に暗殺報酬の100億円の使い道を考えているようだった。1人で巾着を見つめる渚が何を考えているのかは知らないが、ようやく動き出したクラスメイトに、リンネはドキドキを隠せずに渚に詰め寄った。

「ねぇ渚ちゃん」

「うわぁ!? リ……赤羽さん?!」

 思い耽っていた所に突然声をかけられて飛んで驚く渚。リンネは渚にかけられた呼び名に、眉間に小さく皺を寄せて渚の鼻に指差す。

「リンネちゃん」

「あ、赤羽さん……どうしたの」

「Repeat after me! リンネちゃん!」

「リ、リンネちゃん……」

 呼び方に満足したリンネは渚が持つ巾着を奪い取ると、早速本題に入った。

「面白そーな事、やろうとしてんじゃん」

 さっきの寺坂とのやり取りを見られていたと気付いた渚は目を逸らす。マッハ20の怪物の暗殺。それには多少の怪我や犠牲は仕方ないのかもしれない。

「流石に、火傷じゃーすまないと思うわけよ」

 おもちゃ特有のプラスチックの匂いに混ざる火薬の臭い。巾着をぶらつかせてリンネは渚に忠告する。地面に落ちた渚の目線は、暗殺への躊躇を雄弁に語っていた。

「寺坂くんもさー、渚ちゃんに分け前あげる気ないでしょ? それでもやんの?」

「逆らうと怖いし、これなら……もしかして、だし」

 渚が伸ばした手に、巾着が奪われる。リンネが示した逃げ道にも、見て見ぬ振り。渚は昔から自己犠牲ばっかりだ。自分が我慢すればこの場は丸く収まる、そう考えている。そんな渚にリンネは辟易する。もっと我儘に、自由に生きればいいのに。何が欲しいのか知っているのに手を伸ばさないなんて、愚かで可哀想で、なんて愛おしい。リンネは思う。だから人は面白い。やっぱり渚も可愛がってあげようか、薄っぺらい笑みの裏で企みながら巾着を奪われた右手を見つめるリンネ。不意に、彼女のスマホが鳴る。

「…………出ないの?」

 鳴り続ける着信に、渚はしびれを切らしてリンネに聞いた。リンネは首を横に振って答える。

「この曲はいいの」

 リンネは画面も見ずに終話ボタンをタップして、どうせいつも同じ事しか言わないもん。と言ってカラカラと笑った。渚には電話の相手はさっぱりわからなかったが、その適当さに、1年の頃を思い出して懐かしんだ。
 リンネと渚、そしてリンネの弟で渚の友人、赤羽業の3人でふざけあった日々の事を。だからこそ、2人が揃ってE組に来ると知った時、渚は信じられなかった。

 リンネがスマホをポケットにしまう。それと同時、上空からミサイルを持った先生が飛んできた。2人の間に落ちてきた先生に、渚は巾着を背中に隠しながら声をかける。

「……おかえり先生。どうしたの、そのミサイル」

 お土産だと答える先生は、日本海で自衛隊に撃たれたというミサイルを木に立てかける。その背に、渚は続けて標的ターゲットは大変だと吐き出した。そんな渚に謙遜じみた否定で返し、先生は豆の様な瞳を薄らに歪ませて笑う。


「皆から狙われるのは……力を持つ者の証ですから」


 先生の言葉に、渚は俯く。その言葉は、弱者が強者に牙を向けるロックオンするには充分な、言葉の刃だった。

 5時間目の始まりを告げて、先生は校内に歩を進める。先生の背中が見えなくなってから、立ち止まったままの渚にリンネは問う。

るの?」

るよ……だって、怪物せんせいにも暗殺者ぼくの姿なんて見えてない。なら、れるよ」

 己を奮わせる為の渚の呟きはどこか寂しそうだったが、リンネはただただ、笑みを強めるだけだった。






「お題にそって短歌を作ってみましょう。ラストを7文字で『触手なりけり』で締めて下さい」

 本日最後の授業は国語。課題の説明をした先生に、茅野が手を挙げて質問した。

「……? 何ですか、茅野さん」

「今さらだけどさあ、先生の名前なんて言うの? 他の先生と区別する時不便だよ」

 先生は黄色い顔の表情も変えずに、名乗るような名前は無いと言う。続けて茅野に告げる。

「なんなら皆さんでつけて下さい。今は課題に集中ですよ」

 はーい。間延びした返事を返す茅野。会話が終わり、プシューと息を吐く先生の顔は薄いピンク色。この怪物が油断するこの瞬間を、渚はずっと待っていた。白紙の短冊にナイフを隠して標的ターゲットに近づく。他の生徒が固唾を呑んで見守る中、渚はナイフを振るった。
 危なげもなく渚の左腕を受け止める先生。渚はそうなる事を知っていて、先生に抱き着くように倒れ込む。その胸には、昼休みに寺坂に渡されたBB弾グレネード。先生に渚が接近したのを確認した寺坂は笑いながら爆破スイッチを押した。

 響く爆発音。
弾け飛ぶBB弾。

 渚に手榴弾を渡した3人組が小躍りしながら前に出てくる。自爆テロは予想してなかっただろ。喜びに満ちた声で叫ぶ寺坂を茅野が糾弾する。

「ちょっと寺坂、渚に何持たせたのよ!」

「あ? オモチャの手榴弾だよ。ただし、火薬を使って威力を上げてる。300発の対先生弾がすげぇ速さで飛び散るように」

 人が死ぬような威力ではないと言う寺坂は、先生の死体を確かめようと倒れた2人に近づく。だがそこには、何か薄い膜で覆われた渚1人の姿しかなかった。驚く寺坂の様子を1番後ろの席で見ていたリンネは、チラリと天井を見てから渚に戻す。彼女が感じたのは、安堵だった。薄い膜が何なのかはわからないが、十中八九あの先生が渚を守ってくれた、その事に。

「実は先生、月に1度ほど脱皮をします。脱いだ皮を爆弾に被せて威力を殺した。つまりは月イチで使える奥の手です」

 膜の正体を教える先生は天井に張り付いていた。その顔色は見るまでもなく、真っ黒。ド怒りだ。怒りに歪んだ表情で、首謀者3人の名を呼ぶ。いつもの優しい先生ぶった敬称は付けずに、吐き捨てるような呼び捨て。呼ばれた3人は恐怖に後ずさりながら、寺坂が渚が勝手にやった事だと主張した。
 一瞬。
 そう、一瞬。瞬きの暇もなく、先生は触手いっぱいに板を持っていた。両の触手からこぼれ落ちた板には生徒達の苗字が書かれていて、寺坂達はそれが自分の家の表札だと理解して戦慄する。先生はクラスメイト全員分の表札をバラバラと床に落とす。

「政府との契約ですから、先生は決して危害は加えないが……次また今の方法で暗殺に来たら、には何をするかわかりませんよ」

 口を歪に開けて怪物は嗤う。

「家族や友人……いや、君達以外を地球ごと消しますかねぇ」

 皆が悟る。“地球の裏でも逃げられない”と、どうしても逃げたければ……この先生を殺すしか!!

「なっ……何なんだよテメェ……迷惑なんだよォ!! いきなり来て地球爆破とか、暗殺しろとか……迷惑な奴に迷惑な殺し方して何が悪いんだよぉ!!」

 尻もちを着いた寺坂が泣きながら喚き散らす。初めて、目の前の先生が本物の怪物であり、殺し殺される意味を知った生徒は皆、恐怖に震えた。が、当の先生は顔を明るい朱色に染めて、生徒に丸を与えた。

「迷惑? とんでもない。君達のアイディア自体はすごく良かった。特に渚君」

 先生は触手を伸ばして渚の頭にペタリと置いた。その顔には二重丸。

「君の肉迫までの自然な体運びは100点です。先生は見事に隙を突かれました。ただし!」

 休みなく、先生は寺坂に向き直り顔色を暗い紫色に色付けた。

「寺坂君達は渚君を、渚君は自分を大切にしなかった。そんな生徒に暗殺する資格はありません!」

 先生は触手を広げて愛する生徒に教える。この教室の約束事ルール、忘れてはいけない大切なルールを。

「人に笑顔で胸を張れる暗殺をしましょう。君達全員それが出来る力を秘めた有能な暗殺者アサシンだ。暗殺対象ターゲットである先生からのアドバイスです」

 最後に人差し指に見立てた触手の先っぽを立てて、皆に言った。先生の目は心做しか、このE組に相応しくない優しさに満ちていた。

「……さて、問題です渚君。先生は殺される気などみじんも無い。皆さんと3月までエンジョイしてから地球を爆破です。それが嫌なら君達はどうしますか?」

 まるで授業中に問題の答えを問うようにーーいや、まさに今は授業中なのだがーー先生は渚に尋ねた。聞かれた渚は拳を握って先生に笑いかける。

「……その前に、先生を殺します」

「ならば今ってみなさい。殺せた者から今日は帰って良し!!」

 黄色と緑の縞模様で余裕の表情の先生が、楽しそうに宣言する。もちろん、そんな簡単な事ではない。教卓で生徒の表札をひとつひとつ磨く先生を見て、茅野は思いつく。

「殺せない……先生……あ、名前。『殺せんせー』は?」

 先生……殺せんせーと生徒達の暗殺教室。始業のベルは、鳴ったばかり。

「地球爆破、頑張ってね。殺せんせー」

 リンネが笑う。殺せなければ3月には地球の滅亡。彼女の脳はあの怪物を殺せないと結果を出した。ならば楽しもう、大人になれないのなら、もう、我慢する必要なんてないのだから。


前話//次話
2019/07/04投稿
07/04更新