向かい側
マキシマのダンナも俺からすればだいぶ年下だが、なまえはさらに若かった。廃棄区画で生まれ、捜査中の公安の監視官に保護された後、なまえは孤児院に引き取られたという。孤児院での生活は清潔な寝床にきちんとした教育制度など不自由はなかったそうだ。しかし、ある程度まで年齢が達すると早々に施設を出て、生まれ育った地である廃棄区画に度々足を運んでいたらしい。彼女のいた孤児院は物資は確かに十分あったが、人の温かさが無かったそうだ。心に蓋をしたような、そんな上部だけの優しさが気持ち悪くて悲しくて寂しかったとなまえは言っていた。日本生まれ日本育ちだとしても、シビュラの庇護のない廃棄区画しか知らなかったなまえの感覚はもしかしたら外から来た俺と近いのかもしれない。若い父親なら親子と言ってもおかしくない年齢差の俺をなまえは何かと頼ってきた。ダンナには何となく言いづらいというのもあるのだろうが、嫌な気はしなかった。なまえは年齢のわりに幼いところも時々あるが、指示されたことのほとんどは簡単にこなしてしまうし、とても器用な子だ。改造武器も半数はなまえの作ったものだ。出来上がったものを褒めてやると小さい子どものような顔をして喜んだ。そんなところが可愛らしいところでもあった。だからなのだろうか、なまえに関しては何かと世話を妬いてしまう…そんな自分に苦笑する。
「ねぇねぇ、グソン!こっち来てよー」
「俺だってダンナに言われた仕事があるんだけどな…」
ソファに座ってタブレットPCを操作していると、ダイニングテーブルでパンケーキを食べていたなまえが不満げに声をあげた。ここは廃棄区画にある俺の根城だ。いつの間にか転がり込むようにしてなまえがここのもう一人の住人になってしばらく経つ。俺はハッキングで金を稼ぎ、なまえはその手伝いや武器の製造などで金を稼いだ。別に付き合っているわけでも何でもない、ただのルームシェア。この年齢差だし恋愛感情はお互いに無いだろう。それでも俺はなまえのお願いには甘いところがあった。テーブルには五段重ねの分厚いパンケーキがある。先程までなまえがキッチンで作っていたものだ。一人で食べていれば良いのになぜかなまえは俺にソファではなく椅子に座って作業しろと言いたいらしい。いつものことだと苦笑しつつ、おとなしくタブレットPCを持って向かい側に座った。
「グソンも何か作ろうか?あ、パンケーキいる?」
「いや、俺はいい」
「そう?」
「俺からしたらなまえがそれを全部食べるってことに驚きだ」
「そんなに量無いけどなぁ」
「量というより、味だ。すごく甘いだろう、それ」
「うん。甘くておいしい」
そう言ってなまえはパンケーキを一口頬張ると幸せそうに笑った。廃棄区画の、こんな部屋には似つかわしくない綺麗な笑顔だ。まるで天使にでも会ったような錯覚さえ覚え、こんな娘がなぜ俺なんかと廃棄区画に住んでいるのだろうかと不思議に思う。
「なあ…なまえは本当に良かったのか?シビュラの庇護を捨てて」
そんな疑問が浮かぶ。この問いをするのは初めてではない。室内は内装ホロでそこそこ綺麗だが、それでもここが廃棄区画であることは紛れもない事実だ。なまえをここに住まわせるのは例えるなら貧乏人がペルシャ猫でも飼っているような気分になる。なまえは眉を下げて困ったように笑った。
「外は寂しいんだもん。グソンと一緒にいたほうが暖かい感じがする」
俺の問いになまえはいつも決まった返事をした。外は寂しい、と。ずっとシビュラの庇護のない廃棄区画で育ち、ある日突然シビュラの統治する楽園に連れていかれたなまえからすれば、その楽園を楽園と思えなかった。そして結局、元いた場所に戻ってきた。その結果が今現在だ。
「なまえは俺と一緒にいると寂しくなくなるのか?」
「うん、寂しくない。グソンや聖護さんと出会って、やっと孤独から解放されたって思った」
「孤独から、ね…じゃあ、どうしてそう思う?」
これは今までにしたことのない質問だ。なまえは少し驚いたような顔をして、眉を寄せて考え始めた。俺もマキシマのダンナやなまえと出会って、寂しさや孤独感は少し埋まったように思う。それなら、なまえは?
「大切って、思える人ができたから、かな」
それを聞いて何だか安心して、思わず笑ってしまった。
「そうか」
「何で笑うの!グソンは?」
「俺も似たようなもんだよ」
「本当?じゃあ、私のこと大切?」
「ああ、大切だ」
「本当かなぁ、それ…」
なまえは不満げな顔をしちゃいるが、強ち嘘でもない。いや、ほとんど本音だ。きっと俺はなまえを大切に思っている。失いたくないと、そう思っている。こんな人間らしい感情は久しぶりに持ったが、きっとそうだ。俺はこの感情を知っている。なまえを見ると今度は嬉しそうに微笑んでいた。
「もし本当なら、すごく嬉しい」
「本当だよ」
「私ね、大切な人もほしかったけど、私のこと大切って誰かに思ってほしかったの」
そう言って笑うなまえが過去の自分と重なった。
…そうか、俺たちは似た者同士だったのか。国籍や歳の差があっても居心地の良い理由が何となくわかった気がする。
「大切だよ、なまえのことが」
「それなら、私のこと置いていかないでね」
「どうした、急に」
「私を一人にしないでね」
「善処はするよ」
口ではそう言ったものの、できれば自分だってなまえを置いていきたくはないと思っていた。ダンナの計画だ、成功する可能性は大いにある。だが成功を前に俺が死ぬ可能性もある。いや、仮に計画が成功しても何となく自分が長生きするのは想像できない。もし俺たちがいなくなってもなまえはどうにか生き延びられそうだが、そうなったらなまえはまた寂しい思いをする。そうはなってほしくなかった。
「じゃあグソン、約束して」
「ん?」
「これから、聖護さんとの仕事では私をずっと側に置いておくって」
「まったく、どうしたんだよ、なまえらしくないな」
「もし何かあったら、私も一緒がいいの」
「なまえ…」
そんな切実な目で俺を見ないでくれ。思わず目を逸らしタブレットの画面に目を移した。
「グソン、返事してよ」
「…何かあったら、なんて縁起でも無いな。そんな日来ないよ」
もし何かあったとき、俺の側にいたことでなまえが殺されたら。俺のせいでなまえが死ぬことになったら。それだけはしたくなかった。もう誰も自分のせいで死んでほしくない。本当はなまえだって廃棄区画なんかじゃない場所で生活した方が良い暮らしができるはずなのに、孤独を埋めるために俺と廃棄区画で暮らしている。
「俺と一緒にいたって、良いことはないのに…」
そう。それは既に実証済みだった。祖国にいた頃の話やダンナに出会う前のことはまだ話したことは無かったが、なまえは微笑みながら首を振った。
「もう良いことは起こってるよ、グソン」
「それはマキシマのダンナに出会ったことか?」
確かにダンナと出会ったことは大きかった。ダンナは仕事をくれるし、一緒にいると子供に戻ったかのような楽しみを与えてくれる。なまえにとってもそれは同じだろう。そういうことかと思ってなまえを見れば、今度もまた首を横に振っていた。
「それもあるけど。私にとってはグソンと一緒にいること自体が良いことなの」
「…はっ、バカじゃないのか」
こんな俺と一緒にいることが良いこと?まったく…どうかしてるぜ、なまえは。それなのにこいつは本当に嬉しそうに微笑んでいるときた。俺まで思わず笑っちまう。
「バカじゃなかったらシビュラをぶっ壊そうなんて思わないって。それに、私はグソンと一緒にいると落ち着くの…グソンと過ごす時間が幸せなのかもね」
そう言ったなまえの顔は確かに穏やかだった。なまえが俺と一緒にいることにそう思っていたことは予想外で、けれど嬉しかった。同時に自分なんかが誰かを幸せにしていることにプレッシャーも感じた。何も言えずにいる俺をなまえは不思議そうに見ている。
「俺も…なまえと一緒にいると、落ち着く…かもな」
「もー!かも、って何!」
でも、これだけは断言できる。
俺にとってなまえは大切な存在だということは。
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