そっち側
ノナタワーの地図には記されていない最深部で、私とグソンはシビュラシステムがあると思われる扉に向かって歩いていた。私の後ろにも数名、仲間がついてきている。もうすぐだろうか?ここに来るまでもいくつかの扉をグソンのハッキングで突破してきた。グソンの読み通りこの地下のどこかにシビュラの中枢があるのは確実だろう。今日を境に日本の社会がどうなってしまうのか、少しわくわくしていた。当然、混乱は起きるはずだ。でもそれも時間が経てば収束するような気がする。まだシビュラが導入される以前の生活を知っている人はたくさん生きているから、そういう人から以前のこの国での生活を教えてもらえばいいし、聖護さんから貸してもらった本に描かれるシビュラの無かった日本の生活は私からしたらとても魅力的だった。きっとシビュラの洗脳が解ければみんな新しい時代に適応できると、私はそう思っている。カツ、カツと鉄の階段を下る音が響く。それにしても随分下ってきた。もうすぐだろうか。
「あとどれくらい?」
「もうすぐだ。もう少しすれば、最後の扉が見えてくるはずだ」
グソンの言葉通り、さらに二階ほど下ると厳重なロックのかかった重厚な鉄の扉が見えてきた。後ろにいた仲間は公安局員がここを探り当てたときのためにもう少し上のフロアで配置に着き、私は武器の整備などを行った。濃硫酸のカプセルを発射する銃が二挺と、ネイルガンが一挺。私はコントロールパネルとノートパソコンとをケーブルで繋いで作業を始めたグソンとは反対側の階段があるほうを向いて、手にネイルガンを握った。
「聖護さん、もう狡噛と会ったかな」
「さあね。こっからじゃ連絡は取れないから、後のお楽しみだ」
「あ、電波暗室か、ここ」
こんな巨大な電波暗室を隠しているだなんて、つくづくシビュラシステム――この国は信用ならない。背中にグソンの気配を感じつつも、階段のほうに意識を向けた。だれかが地下に入ってくればすぐに端末に通知が来るようにしているし、上の階にはいかにもケンカの強そうな男たちが配置されている。ネイルガンやチェーンソーも持っているし簡単にやられてしまうということは無いはずだ。と、そのとき端末に誰かが侵入した通知が来た。誰だろうか?狡噛は聖護さんが狙いだから、確実に最上部へ向かうはずだ。まぁ、狡噛じゃなければ何とかなるだろう。泉宮寺の狩り場での狡噛の動きを見たら、いくら武器があっても聖護さんじゃなければ勝てないと確信したけど、その辺の執行官や監視官ならどうにかなるはずだ。
どれくらい時間が経っただろう。ロックの解除など一瞬でやってのけるグソンがまだパソコンと向き合っている。やはりシビュラシステムのロックは難しいのか。
「そっちはどうだ?仕留めたか?」
上にいる仲間とグソンが連絡を取った。侵入者が入ってきてから、そこそこ時間は経った。
「おやおや。やるもんだね。公安局の執行官、だろ?」
どうやら仲間は執行官にやられたようだ。この電波暗室ではドミネーターは使えない。それに仲間たちはヘルメットを被っているし、武器もある。それなのに負けてしまうなんて何のためにあいつらをここに連れてきたのか…。グソンは作業しつつ、執行官との会話を続けていた。執行官、か。どんな感じなのだろう。シビュラに社会から弾かれたと思ったら今度はシビュラの使い捨ての犬になるというのは。……少しだけ興味があった。今までずっと執行官なんてやってる潜在犯は人を辞めたクズだと思ってた。でも、あの日。泉宮寺の狩り場で狡噛を助けに来た公安の人たちを見ていたら、少し羨ましく思った。あの人たちは私が今まで見てきた公安局とは違う感じがした。
いつの間にかグソンと執行官との会話は終わっていた。背後のグソンに呼びかける。
「執行官、何て?」
「今すぐにでも殺しに行ってやる、だとさ」
「へー。意外な反応」
「でも、その前にシビュラを壊してくれてると助かるって」
「シビュラの犬も忠誠心があるわけじゃないんだね」
「そりゃそうだろうよ」
「私も話してみたいな。執行官と」
そう言って腰を上げ、服をパンパンとはたいた。グソンがディスプレイから顔を上げて私を見る。
「なまえ?」
「じゃあ、ロック解除がんばって」
ネイルガンを持って歩き出す。それを見てグソンは目を見開き、立ち上がった。久しぶりに義眼をちゃんと見た気がする。
「おい、待てよ!相手はなまえが敵うような相手じゃ…」
「戻ってくるから、ちゃんと」
「…なまえに何かあったら俺はどうすれば良いんだ」
珍しく弱音を吐いたグソンに驚きつつも、まぁこれからこの国に起こることを考えると、いくら彼でも不安になるのだろうと自己完結した。執行官に勝てるとか思ってないけど、何かあったら逃げ切る自信はある。
「大丈夫。グソンは早く扉開けちゃいなよ。じゃあ、シビュラを見るの楽しみにしてるから」
階段を上がる私をグソンはしばらく見ていた。けれど、少しして再びパソコンに向き合った。…狡噛の仲間か。さっきのやりとりから漏れてきた声は若い男の声だった。一係には狡噛の他に男の執行官は二人だ。そのうち一人はおじさんだから、グソンが話した相手は絞られた。私と歳が変わらないくらいの少しチャラチャラした男の子だ。階段を上がって、そろそろ脚が疲れてきた頃。上の階から足音がした。見上げると予想通り、あの男の子がいた。その手には奪い取ったのか、ネイルガンがある。
「まだいたのかよ…!」
「…うっ……」
ネイルガンが私の太ももに命中する。しかし、私がうずくまって攻撃してこないのを見るとそれ以上は撃ってこなかった。何だ、こっちから行かなければ殺さないのか。これは意外だ。
「おい、アンタも槙島の仲間か?」
浅い呼吸をしながら階段を下りて私の目の前までやってきた彼は至るところから出血していた。やはり無傷で勝つことは難しかったらしい。痛そうだなぁ…私も太ももがじくじく痛む。
「そうだよ」
「にしちゃあ、随分弱そうじゃねえの」
「弱いと思う。あなたと話してくるってグソンに言ったら、敵う相手じゃないって言われた」
「ああ、アイツか」
彼は嫌なことを思い出したように顔をしかめた。先程まで話していたのがグソンだと気づいたのだろう。
「で、アンタは俺の足止めでもする気で来たわけ?」
「それもあるけど、執行官と話してみたかったから」
「へえ…何で?」
「…執行官、楽しい?」
「まあ、施設に入ってるより何百倍も楽しいわな。アンタらみたいに隠れる必要も無いし」
そこには嫌味も含まれてはいたが彼の言うことはもっともだろう。私たちは隠れて生きなければ施設に収容されるか、殺されるかしかない。…そっか、やっぱり楽しいんだね。執行官は。
「あなた達を見てると、楽しそうだなって思ってた。今まで見てきた公安局員と違うから」
「確かに…そうかもな」
「私、あなたが羨ましいのかもしれない」
「槙島の手下やんのはつまんねーの?」
「楽しいよ。楽しいけど…また違うでしょ?そういう生き方もあったんだな、って思うと何かそっち側も楽しそうに見えて」
笑いかけると、彼は複雑そうに目を逸らし、そしてフッと笑った。
「アンタとなら同僚になってもどうにかやってけた気がするよ」
「もしパラレルワールドがあるならそうしててほしいね」
「てか、じゃあ何で槙島の仲間になったんだ?シビュラを憎んでねえの?」
「シビュラへの憎しみより、ただ、寂しかった。孤独が嫌だったから」
「なるほどね…分かんなくはねえかも」
彼は少し悲しげに頷き、私の横を通りすぎて階段を下っていった。足を怪我しているようで片方を庇いながら歩いている。もしグソンと対峙したなら、すぐにやられてしまいそうだ。
「ねえ、あなたの名前は?」
呼ぶ機会があるかは分からないけど、知りたくなった。彼は一瞬立ち止まり、振り返った。
「公安局刑事課一係所属執行官、縢秀星」
長々しい役職名を言うあたり、きっと彼――縢秀星は執行官であることに誇りを持っているのだろう。それからは一度も振り返ることなくよたよたと階段を下りていった。一係の執行官、か。きっと楽しいんだろうな。年齢も性別もバラバラだけど、見ていて分かった。聖護さんと行動することが退屈というわけではない。でも、今がイタズラ好きの悪ガキの遊びだとしたら、彼らは苦難を乗り越えた仲間、という感じだ。まぁ、隣の芝生が青く見えるっていうのはこういうことを言うのかもしれない。さて、グソンに連絡を取ってみよう。そろそろロックは解除されただろうか。
「グソン、開いた?」
『もうすぐだ、もうすぐ開くぞ。シビュラの中枢が、この中に…!』
珍しく興奮気味になっている。ということはもう間も無くグソンの目の前にシビュラシステムが現れるのだろう。さて、私もぼちぼち向かうとしようか。そう思って立ち上がったが、ネイルガンの攻撃により右の太ももには大きな釘が刺さっており、力が入らない。仕方ない…止血してからになりそうだ。
「足にネイルガン食らったから、すぐにはそっちに行けないかも。執行官がそっち向かってると思うから、気を付けて」
『ああ、大丈夫だ。それまでには開くだろう。…開いた…ついに、シビュラシステムを暴けるんだ…!』
「開いたの?!すごい、おめでとうグソン!で、どうなの?シビュラシステムは」
ドクドクと痛みを感じながらフロアの隅まで行き、壁によりかかった。
『こっちでぶち壊すまでもねぇ……こいつを世間に公表すれば、この国はおしまいだ!今度こそ本当の暴動が起きる。もう誰にも止められねぇ!』
「ちょっと…それじゃあ全然わかんないよ」
まぁ、良いか。もうすぐ私も見れるわけだし。やれやれとため息をついて応急処置をする。ネイルガンを実際に撃たれることになるだなんて…ハンカチを取り出し、傷口に当てた。釘が邪魔だけど、抜いたらもっと出血してしまうだろう。その時だった。スピーカーの向こう側で何かが起きた。何かが破裂したような音が……
「グソン?」
呼びかけても応答が無い。スピーカーから聞こえてくる音に耳を澄ました。もしかして、縢秀星というあの執行官がグソンを撃った?色々と憶測は頭を巡るが、その答えはすぐに分かった。
『ちょ、長官!?』
遠くて聞こえづらいけれど、それは縢秀星の声だった。長官…?
「グソン…ねぇ、グソン応答して!」
しかし、グソンが応答することは無かった。グソンが…死んだの?でも、それはきっと縢秀星のせいじゃない。…彼は直前、長官と言った。公安局の、長官…?状況が理解できずに固まっていると下の階から足音が聞こえてきた。隠れなきゃ…ただそれだけを思って、音を立てないように死角を探した。身体が震える。隠れなきゃ、逃げなきゃ。震える身体を抱きしめるようにして近づきつつある足音に耳を澄ました。そしてその足音は今私がいるフロアまで到達した。その顔を見るだなんて私にはとてもできない。ただひたすら、足音が遠ざかるのを待った。その時間は一分にも一時間にも感じた。やがて足音が遠のき聞こえなくなったころ、恐る恐る上を見上げる。人影はない。どうにか立ち上がり、痛む脚を必死に動かして階段を下りた。グソン…何があったの?何を見たの?心音がうるさいほどにバクバクしている。お願い、グソン……私を一人にしないで…
グソンによって開けられたはずの扉は再び閉じられていた。しかし、私が最後に見たその風景とは異なっていた。
「……グソン…ッ…」
扉の隙間から漏れてくる、赤い液体…それを見た途端、どうにか動かしていた脚に力が入らなくなった。冷たい床にへたりこみ、迫ってくる血液を茫然と目で追う。
「何で…」
赤い血が私の膝に到達する。グソンは私に何かあったらどうすれば良いのかって言ったけど…グソンに何かあったとき、私はどうすれば良いの…?どうやって生きていけばいいの?
「一人にしないって…言ったじゃん…っ」
頬を生暖かい感触が伝う。とめどなく溢れてくる涙がぽたぽたと血の滲む脚に落ちていった。
「…置いて、いかないでよ…っ…ねぇ、グソン…」
グソンの、うそつき。
[end]
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