どっち側
※グソンの過去少しネタバレ
結局私は一人でグソンの家に帰ってきていた。主を失った家にはたくさんの電子機器が残されている。私はグソンの手伝いをすることはあったけれど、特別詳しいというわけでもなくこれらの機器があっても持て余すだけだった。むしろ視界に入るのさえ辛かった。この部屋だけを見ていると今でもグソンはどこかで生きていて私はただ留守番をしているだけなんじゃないか、と思ってしまう。でも何日待っても彼が帰ってくることはなかった。私はグソンの残した物の少ない自分の部屋に籠って過ごしていた。でも、いつまでこんな風にしていられるだろうかと冷静に考えてもいた。グソンは死んでしまった。聖護さんはどうしているだろう?まさか、聖護さんまで死んだなんてそんなこと無いよね…?うん、無いに決まってる。でもそれを確信できる証拠は何一つ無い。あれから連絡はないし、テレビを見ていてもノナタワーが襲撃されたという報道は無く、どうやら襲撃そのものが揉み消されたようだった。それほど私たちはシビュラの核心に迫ったということでもあるのだろうが、今はちっとも嬉しくない。ベッドに横たわり、何も考えないようにして過ごす毎日は退屈で、久しぶりの孤独感は以前よりも強くなったように感じる。こんなことなら、あの時隠れたりしないで飛びかかったりすれば良かった。一緒にあの日死んでいれば良かった。
いっそのこと廃棄区画を出てしまおうか。グソンの面影を残す空間にいるより、施設に収容された方が良いかもしれない―――…
ヴーッヴーッ
「聖護、さん…?」
寝転がりながら携帯端末を見ると、相手は聖護さんだった。やっぱり生きてたんだ、聖護さんは!ベッドから飛び起きて通話アイコンをタッチした。
「聖護さん、無事だったんですね…!」
『一応ね。なまえは今どこ?』
久しぶりに聞く聖護さんの声に涙が出そうになる。良かった、この人が生きていて…
「…帰ってきました。私たちの家に」
『そうか』
「グソンは……」
『いいよ、言わなくて。知ってる。…ついでに言えば、シビュラの正体も知った』
聖護さんの気遣いに感謝しつつ、話を聞いていれば衝撃的なことを聞いてしまったような気がした。シビュラの正体を知った?
「シビュラの正体を…?」
『あんなに下らないものだとは思わなかったよ。人間のエゴに依存しない、なんてよく言ったものだ』
「シビュラは…何だったんですか?」
あの時スピーカーから聞こえてきたグソンの興奮した発言が過る。世間に公表しただけで国が終わるほどの暴動が起きる―――それは一体、どんなもの?耳に当てた携帯端末越しに聖護さんにも鼓動が聞こえてしまうのではないか、というほど心臓がうるさい。
『人間だよ。いや、元・人間と言うべきか。チェ・グソンが見た光景は数百人分の脳みそだった。それがシビュラの正体だ』
ああ…この感情を何て言うのだろう。怒りと悲しみと落胆と失望と…色々な感情が入り交じってわけがわからなくて乾いた笑みがこぼれた。
「ははっ…人の意志が介在しない、なんて…嘘だったわけですか」
『本人たちは否定しているがね。彼らは人間を超越した存在だそうだ』
「…聖護さんはシビュラシステムと会話をしたんですか?」
今の言い方だと、そういうことになる。脳みそが会話をするなんてよく分からないけどそもそもシビュラの存在自体、予想の範疇を越えていたのだからあり得なくはない。
『ああ。僕もシステムの一部にならないかと誘われた。でも断った。……君ん家の前まで来たんだけど、扉を開けてくれるかな』
それを聞いてベッドから飛ぶように降りると携帯端末を耳にあてたまま玄関に駆けた。途中で配線に引っ掛かりそうになりながらも玄関に到達して廃棄区画という土地柄、複数かけられた物理的なロックを解錠していく。そして鉄製の重い扉を押した。
「良かった、思ってたより元気そうだ」
そこには最後に見たときと変わりない美しいままの聖護さんの姿があった。色んな感情が溢れるのと一緒に堪えていたはずの涙まで頬を伝うのがわかった。
「聖護さん…」
互いに端末を持ったまま、リアルの声とスピーカー越しの声と両方が聞こえた。
「良かった、良かったです…聖護さん…」
「ほら、泣かない。中に入ろう」
聖護さんに肩を押されて室内に入る。また一人ぼっちになってしまったのかと思った…グソンとはもう会えないけれど、聖護さんは生きていた。それはまるで暗闇に差し込む一筋の光のように私の心を照らした。それでもまだグソンと過ごしたリビングルームに行くのは気が引けたものの、私の狭いベッドルームに連れていくわけにもいかないので、仕方なくリビングのソファに座ってもらった。
「あの…聖護さんはあの日、どうなったんですか?」
涙を拭い、見苦しいと分かりつつも鼻水を見られるよりマシだと思ってティッシュで鼻をかんだ。幸い、聖護さんは顔色ひとつ変えない。この人はこんな小さなことで人を判断しない。
「狡噛に会えたよ。お互い殴り合って蹴り合った。だが、不意をつかれて気絶した。僕としたことが狡噛とのやりとりに夢中になりすぎていたらしい」
「それなら、どうして今ここに…?」
公安局が聖護さんを釈放するとは考えられない。聖護さんがここに辿り着くことなど本来あり得ないことだ。すると聖護さんはため息混じりで、心底落胆したように話し始めた。
「輸送機を脱出した。僕の交渉役は詰めの甘い人間でね。…あれで人間を超越した存在とは聞いて呆れる」
つまり交渉役はシビュラシステムを構成する誰かだった、ということだ。確かに、人間を超越したはずの存在に勝った聖護さんは人間以外の何者なんだ、という話にもなる。…やっぱり聖護さんはすごい。シビュラの正体を知り、グソンの死を知っても尚、落ち着いていて余裕がある。この人こそ本当に人間を超越してしまったのではないかと考えてしまうくらい。この人はこの後どうするのだろうか。まさか、興醒めしたなんてことは無いだろう。ここに来たのだって私を慰めるためだけじゃないはずだ。
「聖護さんはこれからどうするんです?」
「そうだな…ハイパーオーツをこの社会から無くしてみようか」
「そうなったら混乱しますね」
「ああ。この社会を崩壊させる方法は一つではない。手伝ってくれるね」
「はい。私にはもう、聖護さんだけです。死ぬなら聖護さんのためがいい」
グソンとシビュラ崩壊の日まで―――その後も何となく一緒に居れたら良いなって思ってた。でも、それはもう叶わない。だとしたら私には聖護さんしかいないのだ。それを聞くと彼は困ったように少しだけ眉を下げて笑った。
「なまえの命はなまえだけのものだ。僕なんかの為に使って良いのかい?」
「はい。私はそうすることを望みます」
「ならば僕は君の意思には逆らわない。それも尊い決断だ」
良かった…これで私は最期まで一人じゃない。聖護さんが側にいる。例え彼が私を見殺しにしたとしても、それは仕方がない。聖護さんにできて私にできないことは山ほどあるのだから。ほっとして胸を撫で下ろした。その様子を聖護さんはやはり微笑みながら見ている。
「えっと…何でしょうか?」
「君は欲張りだな」
「そうですか…?」
「一人で死にたくないんだろう?例え僕が一人で死ぬことになるとしても、自分だけは」
そんなことまでお見通しなのか、聖護さんには。私は膝に置いた手のひらをぎゅっと握りしめた。
「……孤独が、嫌なんです」
「孤独を味わうことで人格は磨かれるという」
誰の言葉だっけ。私は哲学は詳しくないから、聖護さんが哲学者の言葉を引用してもそれが誰のものかはわからない。でも何だか心に響いた。私の人格が磨かれたかと問われればそれは謎だ。でもグソンは確かにそうだったかもしれない。自分のことをネズミのようだと言っていたし、彼は仕事以外であまり他人と関わりたがらなかった。だからきっと孤独な人と言えるだろう。けれど私から見たグソンは優しくて頭がキレて、一緒にいると落ち着ける人だった。もっと色々話したかったし、一緒にいたかったのに…二度とできないのだと思うと鼻がつんとする。
「聖護さんはグソンのことどれくらいご存知だったんですか」
私よりも付き合いの長い聖護さんなら何か知っているだろうか、と聞いてみた。聖護さんは表情を崩さずに口を開いた。
「祖国にいた頃の話は僕もあまり知らない。詳しく聞かなかったし。僕が知っているのは、彼が祖国を捨てて日本に来たことだ。そして日本で唯一の家族を殺された…執行された、というべきか」
「家族と日本に来てたんですか…?」
グソンの家族の話なんて聞いたことがなかった。
「ああ、妹とね」
それを聞いて、泉宮寺の狩り場でグソンとした会話を思い出した。ふざけてオッパと呼んだら、グソンは少し悲しそうな顔をしていたのだ。あのときはなぜそんな顔をするのか分からなかったけど…きっと、妹に呼ばれていたのを思い出してしまうからだったのだろう。
「グソンは天国で妹さんと会えたでしょうか…」
「…さあ」
そのたった一言は聖護さんなりの優しさだと思う。きっと天国なんて人間の都合の良いように作られた空想の世界だ、とか言われるんじゃないかと少し思ってた。でも聖護さんはそれだけ言って目を伏せた。
「過ぎたことはどうにもできない。それなら、僕らは次へ進まなくてはならない」
「そうですね」
「なまえ、君は死ぬなら僕のためが良いと言ったね」
「はい」
「じゃあ、僕はそれを見届けよう」
「ありがとうございます…聖護さん」
もう私は一人で生きたくない。
一人になるのは死ぬときだけで良い。
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