幸せは
※グソンのノベライズ、家族についての記述あり
ダンナの知り合いにみょうじなまえという女がいる。どこにでもいる普通の女だ。あの人の知り合いというと泉宮寺を筆頭に変わり者やヤバそうな奴ばかりなのだが、その中でなまえは普通に見えた。本当にヤバい奴というのは普通のフリをするのが上手かったりするので、コイツもそうなのだろうかと思っていたのだがそういうわけでもない。ダンナに聞いてみてもなまえは普通の子だよ、と言う。意外に思ったものだ。ダンナは面白そうとか役に立ちそうとかでしか人を見ていないと思っていたから、普通の友人もいたのかと。俺も何度か話すうちに本当に普通の子だな、と感じた。だから帰宅してリビングのソファで眠っているなまえを見たときは少し頭が混乱していた。俺の家は土地柄と仕事柄、相当厳重なロックとカモフラージュをしてある。なまえには家を教えた覚えもない。なぜここにいる?どうやって入った?近づいてみてもすやすやと眠るその顔は無防備で起きる気配はない。軽く肩を揺すってみても起きないので、今度はもう少し強く肩を揺する。
「んん…あ、グソン。おかえり…」
完全にまだ寝ぼけている。何だこの警戒心の無さは…しかし、だからこそ警戒は解かないでおく。
「おかえり、じゃないですよ。どうやって入ったんですか」
「えっと…魔法で入った」
目を擦って伸びをするといういかにも寝起きです、という仕草で言われても…俺はため息を一つ吐く。が、ロックとカモフラージュをくぐり抜けてきた理由は吐かせなければならない。もしセキュリティに穴があれば埋めるのが鉄則だし、そもそも普通だと思ってきたなまえにその手の技術があるなら知っておかなければ。俺は腕を組んで依然としてソファから動かないなまえを見下ろす。
「ちゃんと起きて話してください。まずどうやって家を知ったんですか」
「マップにグソンの家を表示させた」
「は?」
そんなこと、できるはずがない。ここはマップには登録されていない。できないようにしてある。しかしなまえの目は段々と覚醒してきたようで、俺のことをしっかり見ながら先程よりもはっきりした口調で話し始めた。
「私、魔女なの。だから家も分かったし、ロックの解除もできた」
「…ダンナにそういう小説おすすめされたとか?」
「違うよ!…見せた方が早いか」
なまえは水を掬うように両手のひらを合わせて上に向けると何やらボソボソと呟いた。そして次の瞬間にはそこに本当に水が湧き出てきた。どういうことなんだ、ホロなのか?それとも手品か?凝視する俺になまえは控えめな笑みを見せる。
「ホロじゃないよ。触ってみる?」
「……」
「まぁ、疑うよね…」
そう言うと手を口元に近づけた。飲むつもりのようだ。手のひらのそれは確かになまえの口の中へ消えていき、ゴクリと飲み込む音もした。ホロではなさそうだし、水に見せかけた何かの薬品ということもなさそうだ。再びこちらに向けられた手のひらには水滴が残っているだけだった。
「あとは…」
今度も何やら呟くと床に転がっていたツールボックスやバッテリーなどが浮き上がった。映画やアニメで見るようにふよふよと小さく揺れながら空中に浮かぶそれらにさすがに目を瞠る。バッテリーに手を伸ばしてみるとホロなんかではなく確かに実体があった。どういうことなんだ、となまえを見ると浮いていたものは静かに床に置かれた。
「魔女なの」
「いくら何でもあり得ない…」
「でもあり得ないことが今目の前で起こったでしょ?」
「……じゃあ仮にそうだとして、どうしてここにいるんです?」
今もまだ信じたわけではないが、仮に…いや、仮にそうだとしてもやっぱりおかしいのだが仮に本当にこいつが魔女だとして俺にそのことを暴露することで、この女にはどんなメリットがあるのだろうか。ただただ疑問だった。色々予想をしてみるがまったく見当がつかない。こいつは何て言うのだろうか、そう思って見下ろす俺になまえはやはり俺が予想していなかったことを言った。
「あなたの望みを叶えてあげる」
「ハハッ、ランプの魔神ですか」
我ながら乾いた笑いだった。バカにされているとしか思えない。しかしそれでもこいつは動じることもなく、普通に話をつづけた。
「そんな感じ。でも願いは3つじゃなくていいよ、何個でもいい。グソンの願いを言って」
「それじゃあアンタへの見返りは?」
「グソンが幸せになること」
「は?」「私はグソンを幸せにしたくてここに来た。ずっとそればかり考えてた」
おかしい、どうかしてるぞ、この女。俺の幸せを願う人間がこの世に存在しているなんて、そんなのどこのファンタジーだよ…俺の願いを叶えたい理由が俺の幸せのためなんて。それにこいつは赤の他人だというのに。
「…わからないな、なぜ俺の幸福なんて望むのか」
「私もわからない。でもグソンに幸せになってほしい。槙島さんと仲良くなったのもグソンと親しくなるために心を操作したからだし」
「そんなの…信じられるわけないですよ。魔法っていうのも、俺を幸せにしたいっていうのも…おかしなことばかりだ」
「じゃあ言い方変える。会いたい家族とか戻りたい時代とか、変えたかった過去って…無い?」
「…アンタ、知ってるのか。俺の家族のこと」
半信半疑だがもし本当に魔法が使えるというなら俺の過去や家族のことを知っていてもおかしくはない。会いたい人、戻りたい過去、変えたかった過去…どれもある。
「スソンちゃんをここに蘇らせてもいい。グソンを革命前に送ってもいい。…ねぇ、どうしたい?」
スソン……ああ、その名前をこうやって聞くのは何年振りだろうか。スソン、スソン…もう会えない、何より大切だったもの。だが、俺が見殺しにしてしまったもの。そのスソンを蘇らせる?…スソンはそれを望むだろうか。蘇ったスソンはスソンなのだろうか。そのスソンはいつのスソンなのだろうか。スソンが蘇ることで俺の罪は消えるのだろうか―――駄目だ。そんなことで俺の罪は消えない。俺は身も心も傷だらけになったままのあいつを蘇らせたいわけじゃない。俺は、俺は…
「俺が過去に行ったら、過去の俺はどうなる?」
「そこにいる。だからグソンにできるのは革命前にスソンちゃんと過去のグソンを連れて国を脱出すること」
「そうだな…」
俺はなまえから過去に行くための方法や約束事を聞いた。あの頃に戻ってスソンを助けるには何をどうすればよかったのか…これまで後悔してもどうにもならないとわかってて何度も考えてきた。それが、もう違うのだ。俺にはスソンを助けることができる。倉庫から武器や機械類を持ち出し、それをリュックに入れる。なまえ曰く、身に着けているものは一緒に過去に行けるそうだ。一通り準備をして説明を聞いているのは何だか工作員の訓練を受けていたころに戻ったみたいだった。
「現在に戻りたくなったら合言葉を言って。そしたらここに戻ってこれるから」
「ああ」
「合言葉は“ ”。いい?」
「覚えた」
「…必ず戻ってきてね、グソン。私はあなたを待ってるから」
なまえはスソンによく似た美しい笑みを浮かべ、俺には聞き取れない不思議な言葉を呟いた。そして次の瞬間、ホワイトアウトしたかのように目の前が真っ白で何も見えなくなった。
前
次