Day 7
「本が好きなら、教授のところに行ってみない?」
そう言って私がショウゴくんを連れて木々に囲まれた道を歩き始めて約10分ほど。唯一の御近所さんである雑賀教授の邸宅が見えてきた。
彼を保護してからというものショウゴくんはどうやら読書に興味があるようで、リビングに並んだ本を次から次へと読んでいった。彼がここに来てまだ一週間ほどだが、我が家の本棚のすべてを読破する日は近そうだ。暇になっては可哀想なので電子書籍の端末も渡してみたのだが、そちらにはほとんど手をつけていない。ならば、と私が知る中で一番博識で読書家の雑賀教授の家に連れていくことを思いついたのは昨日のことで、電話を入れたらどうせ暇だからいつでも来いと言ってくれた。インターホンを押すと少ししてロックが解除され、コーヒーの香りと共に雑賀教授が出迎えてくれた。
「よく来たな。そっちが記憶喪失だっていうやつか?」
「はい」
「まぁ上がってくれ。二人ともコーヒーで良いか?」
「あ、私はこのあと予約が入っているので大丈夫です」
「一杯くらい飲んでけ」
キッチンへ向かった教授のあとを追ってリビングへ入り、私とショウゴくんはダイニングテーブルについた。
「すてきなお家ですね」
「本も私よりいっぱい持ってるよ」
「おう。読みたいのがあったら持ってっていいぞ。後でみょうじに返しに来させるからな」
キッチンでコーヒーを淹れながらそう言う教授にショウゴくんは少し戸惑いながらもお礼を言っていた。教授が私たちの分と自分のコーヒーを淹れて戻ってくると、さっそくショウゴくんにいくつかの質問をしていた。教授は結構眼光が鋭いし、人によっては苦手だと思われるタイプの人だが、ショウゴくんは平気なようだ。それどころか少し楽しそうに見える。…連れてきて正解だったな、と思いつつマグカップに入ったコーヒーを飲み干すと席を立った。
「じゃあ私は患者さんがくるので先に帰りますね。ショウゴくん、道はわかるよね」
「はい、わかります」
「じゃあ教授、あとはよろしくお願いします」
「おう」
右手をあげた教授に小さく頭を下げて私は自宅へ戻ることにした。
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セラピストの仕事がひと段落し、カルテに今日のことを記入しているとインターホンが鳴った。ショウゴくんが帰ってきたようだ。
「おかえり。…わぁ、すごい本だね」
玄関を開けると両手に山ほど本を抱えたショウゴくんが立っていた。この大量の本を持ってよく10分歩いてこれたものだ。
「雑賀先生がこれも面白いから、とかあれも興味深いことが書いてある、とかで」
「こんなに渡すなら電話くれればいいのに…ごめんね、迎えに行けば良かったね」
「あ、いえ、大丈夫ですよ。返すのも僕が行ってきますから」
どうやら先生に懐いたらしい。上のほうの本を数冊受け取ってショウゴくんの部屋まで運ぶのを手伝った。彼のものなど何もなかった客間は大量の本と最低限の着替えが置かれるようになった。本人も少しずつ自分が好きだったものや、好きだった本などを思い出しているようなのでゆっくりではあるが前進している。
「じゃあ、私はちょっと仕事があるから部屋にいるね。飲み物とか自由に飲んでいいから」
「はい。ありがとうございます」
早速本を読もうとしている彼の部屋を出て、その隣の隣の向かい側にある自室へと入った。ノートとペンを出したところで電話をかける。
「もしもし、みょうじです」
『ショウゴは帰ってきたか』
「はい。楽しそうに山ほど本を抱えて。あんなに持たせるなら迎えに行ったのに」
『本人が平気だって言うもんだからな。顔のわりに体力、筋力ともに平均以上だぞあれは』
「そうみたいですね」
さすがに着替えがまったくないのは困るだろうと通販で服を買う際に知った。顔立ちは線が細くて華奢そうなのに脱ぐとすごかった。腹筋は見事に6つに割れて無駄な脂肪は無く、見惚れてしまうほどだ。普通の生活をしているだけではあんな体にはならないので、彼がどういう生活をしていたのかはとても気になるところではある。
「あ、それで本題に入りますけど、話していて何かわかりましたか?」
そう、今日ショウゴくんに雑賀教授を会わせたのはあそこには本がたくさんあるから、というのもあったのだが、一番の目的は雑賀教授と話すことで何か手がかりを掴むことにあった。臨床心理の大学教授で、公安局でも特別講義をしていた教授は何てことない世間話からでも、その相手がどういう人物であるのかを見抜いてしまう。勉強すればある程度できるようになる、と言うけれどあそこまでのレベルとなると私にはできる気がしない。
『ショウゴだがな。あいつは自分に関することこそ忘れているが、知識も理解力もずば抜けている」
「教授がそう言うなんて余程ですね」
「ああ、ありゃ逸材だぞ。気になるとすれば…この社会にはどうも否定的なようだ』
「否定的?」
知識と理解力に関しては普段の会話や本の好みで察してはいたが…この社会に否定的とはどういうことだろうか。ノートにメモをしながら考える。この社会…つまり、シビュラということ?セラピストをしていると、シビュラに否定的な人にも出会ったりするけれど…
『直接そう言ってたわけじゃないがな。色相は測ったか?』
「はい…白でしたよ」
『そうか。脅すわけじゃないが…一定の距離は保っておいたほうが良いかもしれん。何なら仕事だ何だと言って俺のところに預けてもいいぞ。俺もあいつには興味がある』
「どういうこと、ですか?」
色相は白だと言ったばかりなのにその言い方ではまるでショウゴくんが危険人物みたいじゃないか。でも、雑賀教授が何となくでそんなことを言う人ではないこともわかっている。私はその理由をこれから話してくれるであろう教授の声に集中した。
『ショウゴは物腰は柔らかいが真意が見えない。それでいて、他人に自分を信用させることが得意だ。色相が白だというなら大丈夫だとは思うが、もし少しでも濁っていれば警戒したほうが良いようなタイプだ』
「そうですか…」
物腰が柔らかく、他人に信用させることが得意…何だか昔よくいたと言う詐欺師とかそういうのみたいだ。実際、私も彼に対して悪い感情は持っていない。すっかり警戒心を解いている。少し不安になっていると教授はそれをわかっているかのように付け加えた。
『だが、あいつは嘘はつかないぞ。隠すのは上手いけどな』
そう聞いてほっとした。大人になると嘘をつかないのは意外と難しいことだ。
『で、お前さんはこれからどうする?』
「…悪い人には見えませんし、この社会に否定的と言うのであれば、無理に中央に働きかけるのも何だか可哀そうですね」
記憶喪失なんて滅多にあるわけではないから確証はないが、顔写真とショウゴという名前を中央に届け出れば何らかのデータベースで身元を調査してもらえる可能性はある。まぁ、政府の高官てわけでもないので動いてくれるかはわからないが可能性はあるし、色相はクリアだから政府の保護施設に置いてくれるかもしれない。しかし私がそれをしないのは私自身が都心のシビュラ社会から少し距離を置きたいと思っていることや、ショウゴくん自身もそうであると知ったからだ。
『だが、いつまでも置いておけないだろう』
「一か月は様子を見ます。それまで何かと頼ってしまうかもしれません」
『ああ。いつでも来い』
良いご近所さんを持ったものだ。
電話を切ってふう、と一息つく。
「ショウゴくん…」
あなたは一体、何者なの?
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