平行世界の夜
三日もするとさすがに二人に何かあったのではないかと周りも勘ぐりはじめる。一昨日は佐々山と昼食を食べ、昨日はららは槙島とはあまり話さず一人で食堂に向かっていた。一昨日、佐々山とオフィスに戻ってきた彼女に驚いたのは六合塚だけではない。ららは槙島にせめて普通に接するように心がけてはいたがそれでもどこかぎこちなく、槙島はそんな様子のららに無理に話しかけるようなことはせずにそっとしておいた。言いたくないことや悩みは誰にだってあるものだ。
今日ららは非番だ。彼女のいないオフィスで征陸はそれまで報告書を書き上げていた手を止めると言いにくそうに口を開いた。
「なぁ、槙島と紅月は何かあったのか?」
その問いにみんなわからない、といった様子で首を振る。そして自然と当事者である槙島のほうへ視線は向いた。槙島は優雅な動作で紅茶を一口飲むと、静かにカップを置いた。
「僕もわからない」
「槙島がわからないんじゃ、俺たちもわからないな」
これが佐々山であれば何か失言かららの逆鱗に触れることをしたのだろう、と片付けることができるが槙島に限ってそんなことがあるとは誰も思えなかった。二人の仲がぎこちなくなったからと言って仕事に支障が出ているわけでもなく、ましてや恋人でも何でもないのだが何となくいつもと様子の違う二人に違和感を感じているというか、心配でもある…というのが一係の他のメンバーの心情だった。
非番であろうと執行官はビルから出られない。そしてここには縢もいない。この時代の多くの人々と同じく自炊というものをしないららは夕飯時になると公安局の食堂へと向かった。
シーフードドリアをトレーに乗せて、昼とは違い人のまばらな食堂を歩く。こんな時間までこのビルにいるのは執行官か夜勤の職員ぐらいだ。ららは外の夜景がよく見える窓際の席に座って夕飯を食べ始めた。よく見慣れた大都市の夜景。ここではマキシマが監視官をしているが、この東京のどこかに縢や常守もいるのだろうか。縢はきっとどこかの施設で退屈な日々を送っているのだろう。常守は公安局以外でエリートコースを辿っているはずだ。そう考えるとららの生活はあまり変化が無いのかもしれない。仕事内容などは変わっていないし、部屋の内装もクローゼットの服も何も変わっていなかった。一係のメンバーも一人を除いて知った顔ばかりだ。ただ、問題はその一人。ららが敬愛して止まない狡噛が執行官に降格した原因であり、彼が長年追い続けていたマキシマ。いくらここでは監視官でも、超凶悪犯として追っていた相手と急に仲良くするのはららには難しい話だった。
ドリアを半分ほど食べた頃、背後で未だ聞き慣れない声がした。
「相席、いいかな」
「マキシマっ…さん…」
ナポリタンとスープをトレーに乗せた槙島は返事を聞くより前にららの正面の席に着席した。改めて近くで顔を見ると佐々山が言っていたように超高性能のサイボーグなのではないかと思えるほど整った顔だ。狡噛も顔立ちは整っていて男らしかったが、槙島の顔はもっと現実感が無く中性的で、きらきらと宝石のような瞳を見ていると心を読まれてしまうような気さえして、ららは視線をトレーへ向けた。
「少しやることが残っててね。夕飯は決まった時間に摂ると決めてるから、今日は食堂なんだ」
「…そ、そうですか」
ご丁寧にも食堂に来た理由を教えてきた槙島に、どうやら自分は動揺しているのをまったく隠せていなかったのだと反省した。
「ららは非番だったね」
「はい」
槙島とどう接するのが正解なのか、わからない。不自然にならないようにしようとすると素っ気なくなってしまう。ららは早くこの場から立ち去りたい一心でまだ熱々のドリアを口に運んだ。
「みんなに心配されたよ。でも生憎、僕自身わからないんだ」
槙島はナポリタンをフォークに巻きつけながら困ったように笑った。心配されたというのはららの槙島への態度のことだろう。サイボーグのようだと思っていた相手がようやく人間らしい表情を見せたことに一瞬面食らってしまう。
「僕が何かしてしまったというのなら謝る。だから遠慮せずに言ってほしい」
槙島はナポリタンを口に入れる。その仕草や動作は何気なくて至って普通だが、槙島がららを気にかけていることは何となく伝わってきた。それがとても意外で思わず目を瞠ってしまったが幸い相手に気付かれることはなかった。いくら槙島から欠点が見当たらなくても彼は生きた人間でちゃんと思考も感情もあるのだ。ららは元の世界の凶悪犯としての槙島しか知らないため、この世界の槙島とも極力二人きりにならないようにしたり距離を置いていたが、相手からすればある日突然、仲の良い部下に避けられているのだ。ららはもしもある日突然、狡噛に避けられたら…と想像してみて悲しくなった。そう考えると槙島には悪いことをしてしまったな、と少し思う。ららは一度スプーンをトレーに置いて姿勢を正した。
「マキシマさんは何にも悪くないんです…ただ私がマキシマさんのこと、何ていうか…わからなくなって」
「僕のことが?」
「急に何言ってるんだって感じですけど…今までどう接してきたっけ、て。私とマキシマさんはまるで違うし、何で親しくなったんだろう、とか…マキシマさんは私のことどう思ってますか?」
少し言葉を濁しながらも今の気持ちを伝える。元の世界では犯罪者でもこっちの世界では自分と良好な関係を築いているのだ、もしかしたら良い人なのかもしれない…そんな考えも浮かびはじめていた。槙島はららの急な質問にも狼狽えたり不審がったりすることなく丁寧に答えた。
「とても信頼してる。ららのことは更生施設にいたころから僕が担当だったから、君がどんな思いで執行官を引き受けたのか知ってるし、こうして部下になるより前の君も知ってる。君も僕を知ろうとしてくれた。…僕はららが部下であることを嬉しく思ってるよ」
「……っ…」
ららは槙島にそう言われて嬉しく思う自分がいることに気付いてしまった。槙島に認められることに喜びを感じそうになる。標本事件の黒幕なのに…凶悪犯なのに…いや、それは違う。それはあくまでも元の世界の話だ。ここでは槙島は公安局の監視官というエリートで色相だってクリアだ。危険な人物でないことはシビュラが示しているのだから恐がる理由なんて何一つ無いじゃないか。このままでいた方が却って不審がられるし、周りに心配もかけてしまう。
「ありがとうございます…槙島さん」
絞り出すように発した言葉はちゃんと槙島に届いていたらしく、槙島はららに美しい微笑みを向けた。
「じゃあ、僕が何かしてしまったわけじゃないんだね。安心したよ」
「はい。私が勝手に色々考えちゃっただけで。すみません」
「考えすぎは良くないね。特にららは悩みごとがあるとすぐにサイコ=パスに影響してしまう」
そんなことまで知られてしまっているのか、とららは苦笑した。
「そうですね。すみません」
「謝ることじゃない。誰だって悩みはある」
「槙島さんも、ですか?」
「…僕だって人間さ」
槙島の悩みとは一体何なのだろうか。聞きたいような気もしたが、知らない方が良いような気もした。ただ、あの槙島でさえ悩みの一つがあることにホッとした。どうやら自分が思っていたよりずっと人間らしかったのだと。ららは緊張が緩まってフフっと小さく笑った。
「佐々山さんと話してたんです。槙島さんは完璧すぎて、もしかしたらサイボーグなんじゃないかって」
「君たちは僕がいないところでそんなことを話していたのか」
槙島は少し呆れたように笑った。
「でも、槙島さんでも悩んだりするんですね。何かホッとしました」
「やれやれ。失礼だな…」
そう言って溜め息を吐きつつも槙島の表情は穏やかなもので、ららはこの世界に来て初めてごはんが美味しいと感じた。
前
次