ここはどうやら雨模様
色々おかしいのは百も承知だった。けれど認めるしかないこともある。例えば、紅藤ララはどういうわけか監視官をしていることなんかが良い例だ。ドミネーターにレイドジャケット、それが今の仕事道具だ。画面越しの架空の存在でしかなかったキャラクターに会えるのは想像するだけならこれ以上ないほど嬉しいことだったのだろうが、残念ながら監視官ということは捜査や執行もするわけで。幸いエリミネーターが発動するほどの潜在犯はめったにいないらしく、まだノンリーサルしか経験していないのだが、最近までただの凡人でしかなかったララが一癖も二癖もある執行官を手懐けるのはかなりの難題であり、彼らの監視をしつつ潜在犯を執行するのもまた非常に難しいことだった。それでもどうにか頑張ってこれたのはきっとそのうち原作通りに世の中が戻っていくという確信めいたものがあったからだ。今は宜野座とララが監視官だが、もう少し経てば常守が配属され、自分は何かのきっかけで元の世界に戻るのだろうと信じていた。
しかし今、すぐにでも逃げ出したい気持ちでいっぱいになっている。
「ここ、廃棄区画…ですよね?」
「見てわからないのか」
どこかで見たことのあるこの光景。大量のコミッサちゃんと野次馬、黄色い規制テープを模したホロ、仮設テント、廃棄区画、どしゃ降りの雨、少しイラついた宜野座。執行官の護送車はまだ来ていない。
「大倉信夫…」
デバイスに写し出される潜在犯は何度見ても変わらない。これはまずい。非常にまずい。こんなはずじゃなかったんだ、と頭を抱えたくなる腕をどうにか押しとどめるものの頭は軽くパニックに陥っている。だっておかしい、この状況ってまるで…
「今日が第一話…そんな嘘でしょ…」
どこで何してるんだ常守朱!と叫びだしたくなる。このまま彼女が来なければアニメと同じではなくなってしまう。
「さっきから何をうだうだ悩んでいるんだ」
「宜野座さん、今日一係に新人来ませんか?」
「来るわけないだろう」
即答。念のため聞いてみたのだがやはり、という答えが返ってきた。いくら槙島の最期や第一期どころか第二期まで知っていたとしても、自分が常守が行動した通りに動けるとは思えなかったし、常守ではなくララが監視官になったことで槙島の事件にも変化があるかもしれない。優等生でも秀才でもないごく普通の人間として暮らしていた彼女の決断力や判断力はやはり普通で、ただの凡人に過ぎなかった。槙島絡みの事件に対処できる自信などない。ましてやこのチームに加わって一か月経った今もまだ他のメンバーと微妙に打ち解けていないせいで超えるべきハードルはなかなか高い。
「お嬢ちゃん、顔色が悪いぞ」
「いや、何て言うかあの…大丈夫です、すみません」
いつのまにか護送車は到着し、ララ以外はドミネーターを持っていた。ちなみに征陸には常守と同じく名前でなくお嬢ちゃんと呼ばれている。宜野座が今日のプランを手短に話し、2チームに別れた。宜野座は六合塚と征陸を連れていってしまったので、ララは狡噛と縢を連れることになる。
「ん?狡噛さんと縢くん?え」
早速アニメと違うんですけど!と心の中で叫ぶ。これはあれか、配属初日の常守と違って一か月の実務経験があったからか、なんて思いつつドミネーターを取り出した。何だかんだこれを握るのも両手では数えられない回数になった。自分の仕事道具として手に馴染みつつある。一か月といえば正社員ならまだまだ新人の域だがバイトなら試用期間が終わっているころだ。正直なところ配属初日よりも心臓がバクバクしているのを感じているが、仕方なく廃棄区画に足を踏み入れる。大倉信夫がどこにいるのかなんていうのはわかっている。KTビルだ。早く仕事を終わらせて部屋でゆっくりしたい。第一話よ、早く終わってくれ。その一心でララはさっさと狡噛と縢の前をすり抜け、マップに従って迷うことなくKTビルへ向かった。後ろには狡噛と縢がついてきている。
「ねー、どこ向かってんの?」
「KTビル」
アニメに描かれていない昨日までの捜査では宜野座以上に捜査に参加できなかったというのに、ララが突然何の迷いもなく進んでいくのを不審に思った縢が気だるげに訊ねる。しかし第一話が始まってしまったという焦りと不安と恐怖でいっぱいいっぱいになっているせいか、適当に誤魔化すこともせずに目的地を言ってしまった。
「KTビル?なんで?」
「早く帰りたいからです」
早く部屋に戻りたい。今日はもう誰とも会いたくない。今日なんて早く終わってくれ!この世界の良いところは残業ゼロが当たり前という点だろう。業務が終わればさっさと帰宅。早く帰宅して今日は昨日買っておいたチーズケーキを食べる予定なのだ。マップの通りKTビルに入り、静かに階段を登る。そしてある階に近づくと島津千香のものらしき呻き声とも叫び声とも思えるものが聞こえてきた。
(やっぱりいたよ!!)
大倉から姿が見えないよう三人で姿勢を低くして廊下を進む。狡噛が三方向に別れる、という合図をしたときあることを思い出して小声で引き留める。
「待ってください。大倉はドラッグ使ってるからパラライザーきかないはずです」
「何でそんなことがわかる」
「いいから今日だけ信じてください。お願いします」
真剣にお願いすると二人とも渋々頷いてくれた。これが狡噛や縢に不利になったり危険なことであればどのような頼みであろうと頷くことはなかったのだが、男一人をどうにかすることぐらい日頃からトレーニングをしている二人からすれば大したことではなかった。そのため、狡噛と縢はドミネーターではなく体当たりで大倉を止め、ララが執行するという段取りになった。確かこの段階ではまだパラライザーだったはずだ。
3.2.1
「な、何だ?!うぉおっ」
二人同時に素早い動きで室内に突入すると島津千香に馬乗りになっていた大倉を狡噛が引き剥がし、うつ伏せに地面に押さえつける。そして背中に狡噛が乗り、縢は頭を踏みつけた。呆然とする島津千香を横目にララはドミネーターを構え、大倉に向けた。
『犯罪係数・189・ノンリーサル・パラライザー』
ヒュン、という音がして大倉に命中するがやはり効いていない。興奮してジタバタと暴れはじめてしまっては力業でどうにかしてもらうしかない。大倉は狡噛と縢に任せてララは島津千香のもとへ向かった。
「嫌…来ないで…!!」
「大丈夫、あなたはまだ治るから。少し痛いけど、我慢して」
下着姿でガクガクと震える彼女を見るとドミネーターを向けるのが嫌になった。このまま執行せずに保護というのも選択肢の一つではあるが、パニック状態に陥っていることや精神的負荷を考えればパラライザーのうちにさっさと執行したほうがいい。第一話では彼女もリーサルモードの数値になってしまうが、この段階ならばまだ大丈夫だろう。背後で大倉の呻き声を聞きながらトリガーを引くと彼女はパタリと横に倒れた。意識を失ったのを確認して大倉のほうを見ると彼も物理的な対処によって気絶して仰向けに伸びている。
「あとで聞かせてくれるんだろうな、監視官」
「えっと…あの…」
このときになってララは漸く、うまい誤魔化し方をまったく考えていなかったことに気づいたのだった。
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