星空と夜景
デモンストレーションがネット上にアップロードされ、他人の色相をコピーできるとかいうヘルメットが世の中に配布されると、原作通りに世の中は混沌とした。各地で暴動が勃発し、公安局への不信感は募る一方だ。本当はデモンストレーションを阻止したかったのだが、アニメでは地名等が描かれていなかったのでそれは叶わなかった。まったく、他人を疑うことを知らずに生きてきた人間というのは残酷だ。今となっては平和なのはノナタワ―の中だけなのではないか、とすら思えてくる。一度ならず二度も誘拐されたこともありセキュリティのしっかりしたマンションに引っ越したとはいえ、職場から自宅までの道で何が起こるかわからない。念のためララはスタンガンをコートのポケットに忍ばせて通勤しているが、もし背後からバットで殴られでもしたら何の抵抗もできない。ララ以外の監視官は一応、頭脳も体力も平均以上の者ばかりだったがさすがに監視官が襲われました、というのでは公安局的にもあまり聞こえが良くないので、希望者には送迎の車型ドローンが手配されるようになった。もちろん、物理的なロックがかかった弾丸も通さない頑丈なものだ。出勤して同じエレベーターに乗り合わせた局員が実家にいる両親が避難してきた、という話をしているのを盗み聞きしつつ、オフィスへ向かった。
オフィスについてしばらくすると局長からの呼び出しがかかった。スタンバトンと電磁パルスグレネードを配られるのだろう。つまり、そろそろ槙島のノナタワー襲撃が迫っている。配布された武器をじっと見つめながらも気分は落ち着かない。今日うまく立ち回らなければ槙島は死ぬか、それとも狡噛が死ぬか…どちらかになってしまう。何となく緊張しているララに事情を知らない宜野座はまだ仕事に慣れてないのか、と呆れ顔で言ってきたが狡噛と縢はそんなララを見てフォローしてくれた。槙島たちがノナタワーを襲撃する夜になるまではララと宜野座は二手に分かれて暴動の鎮圧を行うので多少は気が楽だ。やはり隠し事をするのは消耗する。パトカーの中では先日、縢の部屋で大体のことは話してあったが改めて今日起こることを確認した。時間が迫っているため手早く拘束したあとはドローン任せで暴動を鎮圧していく。そして太陽が沈み夜が訪れてしばらくした頃、三人の乗るパトカーは現場を離れてノナタワーに向かっていた。一応、宜野座にも報告をしておこうと腕につけた端末で彼に電話をかける。
「宜野座さん、私たちはこれからノナタワーに向かいます」
『は?何を言っているんだ、まだ暴動は…』
「電話を切ったら暴動の発生箇所をマップに記したやつを送ります。この暴動はタワー周辺から人払いをさせるための槙島の作戦です」
『何だと?槙島?』
「すみません、時間が無いんで切ります」
『あ、待て!……もし槙島を発見しても殺すなよ』
「局長からですか」
『……ああ』
メモリースクープを使用していないせいでまだ顔がわかっていないとはいえ、やはりシビュラは槙島の存在を守りたいのか。
「わかりました」
電話を切ると宜野座にあててマップを添付した。
ノナタワーに到着するとエントランスの前には大型バスが停車しており、警備ドローンは倒れていた。すでに槙島たちは来ているようだ。中に入っても人気はなくガランとしている。唐之杜には事前にノナタワーの貨物用エレベーターの稼働と設計図を手配してもらっているので、スムーズに事は運べそうだ。
「槙島はどこだ」
「屋上の電波塔です」
「なにそれ電波ジャックでもする気なの?」
「とにかく行きますよ。志恩さんに業務用エレベーターを使えるようにしてもらったんで」
あえて槙島たちが二手に分かれたことは言わなかった。もし言ってしまえば縢は理由をつけて地下に行ってしまうかもしれないし、地下にシビュラの秘密があることを知られてしまう。チェ・グソンの生い立ちやら何やらを考えると彼も死なせたくなかったが、この先にも彼がいては何が起こるか予測できない。少なくとも槙島一人より犯行は複雑になる。それに彼は聞かなくていいと言ったが多分今日死ぬことをわかっている。もしグソンがここで死ななければどのような未来が待っているのかもララには予想できなかったし、下手なことをして狡噛が死ぬことになるのは嫌だった。でも…縢がエリミネーターで執行されることの次くらいにはグソンが執行されるのも嫌だった。実際に話してしまったら尚更だ。彼は得体のしれない雰囲気をしているし色々な犯罪の幇助をしてきたが、きっと心根は優しい人なのだ。複雑な心境のまま三人で赤い鉄格子のエレベーターに乗って上へ上へと昇る。
「この上には手下三人と槙島だったか」
「はい。エレベーターを降りてすぐに一人、上に二人。手下を殺したあと槙島が」
「それだけ分かればコウちゃんなら楽勝っしょ」
「でも槙島は強いです…狡噛さんが相手でも。だから縢くん、この前話した通り、狡噛さんが“殺されそうになったら”後ろから槙島の頭をぶん殴って気絶させてください」
「OK」
縢が頷いたすぐあとにエレベーターは90階に到着し、目の前には階段が見えた。狡噛に続いて縢が降りる。しかし、ララはそのまま動かなかった。
「紅藤?」
「私は……地下に行ってきます」
「地下って…俺が死ぬ場所じゃ…」
二人とも本来の筋書きである地下で縢が死ぬ、ということを聞いているため足が止まる。もちろん、縢がシビュラシステムの秘密を知ったから殺された、とまでは言っていない。
「きっとどうにかなります!それじゃ、行ってきますね」
あっけらかんと笑って言うララに何か言いたげな二人の言葉を待たず、閉ボタンを押して再び1階へ向かった。
エレベーターの中で唐之杜に地下のナビゲーションを頼むと地下4階まではそれに従って降りていく。だがそれより先は電波暗室だ。確か20階まであるはずだがその途中には槙島の手下がいる。いくら物語を知っているとはいえ正直なところ縢のように武器を持った敵に勝てる自信は無かったので、なるべく静かに足音を立てないようにして地下深くへ下る。電波暗室のせいで使えるのは支給されたスタンバトンと電磁パルスグレネードだけだ。緊張で心臓が煩い。果たして自分はこれから殺されにいくのか、それとも殺しにいくのか。
(一人目発見…!)
一人目の手下が柱の陰に潜んでいるシルエットが見えた。まだこちらには気づかれていない。スタンバトンを起動させると一気に距離を詰めてヘルメットの隙間に差し込む。相手もララに向かってネイルガンを向けようとしたが、ビリビリと電気を直接肌に当てられたことで反撃することもできずにその場に崩れた。ララは倒れた敵からネイルガンを奪うと影に隠れながら階下に向かおうとしたが、敵の持っていたトランシーバーからジッ、と音がした。それを拾い上げると周りに注意しながらも応答する。
「…グソン?」
『その声は…アンタ、来ちまったのか』
「待っててグソン。私やっぱり…イヤだから」
『何が?俺が死ぬことかい?悪いけど俺は今日死のうが別に構わない。長生きする気はないよ』
「わかってる、わかってるよ…だからグソンは私がここで死ぬことでも願ってて」
トランシーバーをジャケットの内ポケットに入れた。ここではただの鉄の塊であるドミネーターは腰のホルスターに収納し、右手にネイルガン左手にスタンバトンを持って慎重に進む。このあとは確か二人同時に待ち伏せをしているはずだ。真正面から戦ってどうにかなる気はしない。柱の陰に注意しながら足音を立てずに進んでいると一斉に二人同時に走ってきた。チェーンソーとナイフがこちらに向かって光る。思わず怯んでしまいそうになるが、そんなことをしていたらこっちが死ぬ。体が硬直してしまう前にネイルガンのトリガーを引いた。
「っう…」
一発は敵一人の首に命中したが相打ちするようにナイフがララの肩を切り裂く。しかし、もう一人がチェーンソーを持ってこちらへ向かって走ってきている。あれが当たればナイフどころではない出血をするだろう。じくじくと痛む肩をどうにか堪えてネイルガンのトリガーを引いた。ヒュン、ヒュン、ヒュン、と風を切る鋭い音とほぼ同時に釘は胸と腹と腿に命中して、恐らく絶命した敵は仲間の傍らに仰向けに倒れた。はじめて自分の意志で人を殺したかもしれない。高揚感とかそういうのはまったく無くて強いて言えば自分の意思で人を殺してしまったという罪悪感だけがある。正当防衛にはなるはずだが、今までどこかでドミネーターが決めたことに従っただけ、という意識があったのだろう。ドミネーターで人を殺すのとそれ以外のもので殺すのでは、人が死ぬという意味では同じだが精神的に大きく異なるものだ。槙島が言いたいのはこういうことか、と理解した。あともう少しでグソンがいる。打たれたのが脚じゃなくて良かった。なるべく急いで階段を下るとついに大きな鉄の扉とグソンの背中が見えた。
「よくアイツらに勝ったな」
「ネイルガンが予想以上に使えた」
グソンはララに気づいても背中を向けたままキーボードを押す手を止めない。ララはそんなグソンの背後に立つとまだ数発残っているネイルガンを心臓の丁度裏側にピタリと当てた。トリガーを引けば長い釘が彼の心臓に突き刺さるはずだ。
「何の真似だい?」
「シビュラを見たらグソンはエリミネーターで破裂する。私はそれが嫌。だからその前に私が殺したい」
グソンを殺すならやっぱり自らの意志で。そう思った。
「その口調じゃ、シビュラの正体も知ってるのかな」
「うん。知りたい?」
「いいや、実物を見て知りたいね」
ガチャン、ガチャン、といくつものロックが外れる音がした。開いてしまった、シビュラシステムが。グソンは笑みを濃くすると立ち上がり携帯端末を取り出すと中に入っていく。だめだ、このままだと殺される。暗い地下とは思えないほど明るいシビュラ内部にララも入るとグソンの前に回り込んだ。実際に脳みその集合を見ると確かに凄かったが今はそれどころではない。姿勢を低くして重心を前にかけるとどこに眠っていたんだ、という力でグソンにタックルをしてシビュラ内部から出させる。タックルしたときの衝撃で肩が痛むがそのまま彼に馬乗りになった。グソンは義眼でララを見上げる。
「アンタがここまでするとはね。で?俺を殺すのか?」
しかし、その問いとは裏腹にララは彼の上から退くと開いたばかりの鉄の扉を閉めた。ガタン、と重い音が地下に反響し、振動する。閉じられた扉を見てグソンは眉を少し上げた。
「あーらら、せっかく苦労して開けたのに」
「グソン、聞いて。もうすぐ局長が来て私たちを殺す」
「アンタも?」
「そう。だから逃げよう、ここから」
ララはグソンの手を引いて階段を上った。自分でも何でこんなことになったのかよくわからなかった。ここに降りてきたときは確かに彼を殺すつもりだったのだ。エリミネーターで破裂するくらいなら人の形を保って死んでほしいという、ララのワガママと自己満足によって。階段は下るのより上る方が体力を使う。はぁはぁとララが息切れをしてきたころだ。
「隠れるぞ」
「はぁ、はぁ…隠れる?」
グソンは否応なくララの腕を引いて暗闇に身を潜めた。ララも上がっていた息をどうにか落ち着かせ、なるべく呼吸音が聞こえないよう注意を払う。そのとき上の階からコツコツと足音が聞こえてきた。局長だ。ここで見つかれば殺される。少しずつ距離が縮まり、その手にドミネーターが握られているのもわかった。見つかってしまえばエリミネーターの餌食になってしまう。自分の体が沸騰して破裂するのは痛いのだろうか。それとも一瞬だろうか。ああ、心臓がうるさい。局長が一つ上の階の足場に到達した。するとグソンが動きを見せ、手にしている濃硫酸カプセルを発射する銃を構えた。局長はこちらに気づいていない。
ヒュンッ
下から上へ向かってカプセルが発射され、それは局長の胴体部分を溶かす。上半身と下半身を繋ぐパーツがドロリと融けてしまったことでバランスを崩した局長はそのままララたちの目の前へ落下してきた。その衝撃で溶けて肩から上だけとなった上半身と下半身がついにグシャリと二つに別れた。しかしその手にはまだドミネーターが握られている。ララはとっさにそれを奪うと遥か階下に投げ捨てた。何秒か経ってからガコン、と音がしたのでかなり下まで落ちたようだ。
「紅藤…ララ…」
ボディを破壊されながらも頭部は無事だった局長はギョロギョロと動く眼球でララを見つめる。頭だけの人間に名前を呼ばれる、というあり得ない体験に体が硬直した。
「局、長…」
「まさか公安局局長が人じゃなかったなんてね」
固まっているララを尻目にグソンは局長の頭を掴むと首を折り、胴体から引きちぎった。血や肉ではなく何本もの配線が飛び出ている頭部を何度も踏みつける。グシャグシャと部品に壊れる音がして辺りには緑色の液体が飛び散り、それはララの頬にも付着した。唯一無事だった頭部は砕け、先ほどララを見ていた眼球もコロコロと散らばった。粗方壊して局長だったものが散乱するとグソンはようやく足を止めた。
「さてと、これで俺たちの危機は乗り越えたのかな」
「た、たぶん…」
「シビュラの秘密に公安局局長の秘密…どっちも世間に公表したら面白いことが起きそうなんだけど…」
「……」
「生憎、携帯端末はアンタにタックルされたときあん中に置いてきちまったし…ここを出るとするかね」
その言葉にほっと胸を撫で下ろした。グソンもそんなララについ笑みがこぼれる。監視官だというのにこの子は相当な甘ちゃんだ、と少し心配にもなるほどだ。座ったままのララに手を差し出すと彼女は何ということもなく普通にその手を取って立ち上がる。柔らかい小さな手。その手を握る日がまた来たことをグソンは少しだけ嬉しく思った。
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