降り続く小雨
全員無事かつ槙島の逮捕。シビュラにとって、そして一係にとって喜ばしいことだった。怪我を負ったのは狡噛とララだけで、縢は無傷で槙島の逮捕を成功させた。狡噛に関しても怪我の多くは槙島から受けた打撲で軽傷だというので今回治療室に入れられたのはララだけだった。病室にはさっそく縢が来ている。槙島逮捕後もこうして縢がピンピンしているのを見てララは思わず泣きそうになってしまったのだが、無事で良かったと言うとそれはこっちのセリフだと半ギレされた。縢は意外と冷静で気は長いので今まで大きな声を出されたことはなかったのだが、彼の無事がとにかく嬉しかった彼女にとってはなぜ自分が怒られているのかさっぱりだった。
「先生に聞いたら地下には四人いたっていうじゃん!ララっちが四人も倒したことに驚きだけど、何で一人で行ったんだよ!」
「ごめんなさい…でも、ああするしか無かったというか」
「あのまま三人で最上階に行くんじゃダメだったの?」
心配そうに顔を覗きこんでくる縢に何も言えなかった。ノナタワーに着いたときは確かにそのつもりだったのだ。でも、いざタワーに着いてエレベーターに乗るとグソンをあのままエリミネーターの餌食にさせたくない、そしてやっぱり彼を死なせたくないという気持ちが勝ってしまった。しかしそれを誰かに言うわけにはいかない。グソンは味方でもなんでもないどころかララを拐って監禁したこともあるのだから。黙りを決め込むララに縢は大きな溜め息をついた。
「はぁ〜、わぁったよ!けど、今度絶対に言わせるから」
「…ありがとうございます」
優しい部下を持ててよかった。それだけは言える。縢が病室を出ると今度はララが大きな溜め息をついた。グソンのことや局長のことを考えるとこの先の自分の命が心配になる。グソンは別々に地下から脱出後、どこかに逃亡して行方不明になっているというので、それはまぁ良しとする。問題は局長だ。局長はグソンが破壊したがあれはあくまでもシビュラの構成員の一部に過ぎない。スペアのボディはいくらでもあるはずだ。問題はララがグソンと共にシビュラ内部に入ってしまったので構成員全員が彼女を知ってしまったことだろう。どのような処分が待っているのか、ここ数日は眠れなかった。ただのクビで済めば良いが縢のように“処分”される可能性もある。だからララの退院を待っていたかのような局長からの呼び出しを受けた時は生きた心地がしなかった。だだっ広い部屋の奥には大きいはずなのに部屋が広すぎるせいか小さく見えるデスクがあり、それに向かってまっすぐ歩く。こんなに近い距離で顔を合わせるのはあの日、首をもがれた局長に名前を呼ばれて以来だ。
「まずは槙島聖護の逮捕、見事だった」
「ありがとうございます」
「暴動が陽動作戦だと気づいたのは君たち三人だけだった。今回の逮捕で君には昇進の話も持ち上がっている」
「え…私に、ですか」
さすがに早すぎないだろうか。常守にもそんな話出ていなかったというのに。百年後の世界が実力主義なのか年功序列なのかはよくわからないが、昇進してもそれに見合う力を出せるとは思えない。何より“あんなこと”の後なのだ、始末されないほうがおかしい。
「意外かね」
「私はまだ一年目ですし、今回の件も狡噛執行官の功績によるもので…」
ララが言い訳を言い終わらないうちに局長はデスクにスクリーン投影させると彼女のほうに向けて音声データを再生した。
『この上には手下三人と槙島だったか』
聞き覚えのあるセリフに表情が固まる。
『はい。エレベーターを降りてすぐに一人、上に二人。手下を殺したあと槙島が』
『それだけ分かればコウちゃんなら楽勝っしょ』
『でも槙島は強いです…狡噛さんが相手でも。だから縢くん、この前話した通り、狡噛さんが“殺されそうになったら”背後から槙島の頭をぶん殴って気絶させてください』
迂闊だった。なぜ気づかなかったのか自分でもわからないほどだ。この監視社会では例え業務用のエレベーターだろうと監視されていることを疑わなくてはならないというのに。嫌な汗をかきはじてたララを局長は鋭い眼差しで見つめながらも、口元には笑みを浮かべている。
「これは業務用エレベーターの監視カメラの音声データだ。このやり取りを聞いている限り、君は槙島たちの動きを最初から知っていたように聞こえるが」
「これは、あの…」
「槙島たちと通じていたとすれば、君は槙島聖護を裏切ったということかね?」
「通じていません」
「ではなぜ槙島たちの計画を知っていた?ああ、それと…この携帯端末に見覚えは?」
デスクの上に置かれたのは液晶の割れた白い携帯端末。よくある形のそれを見せられても自分のでないということ以外は誰のものかわからなかった。首を傾げるララに局長はいくつか携帯端末を操作をすると画面にはシビュラ内部を映した動画が再生され、一瞬だけララの顔が見切れたあと画面は横転した。ララがグソンにタックルをしたときだ。まさか動画に映りこんでしまったとは思ってもいなかったララの背中に今度こそ冷や汗が伝う感覚があった。
「君には我々の秘密が知られてしまったね」
ニヤリ、と勝ち誇ったような笑みを浮かべる局長にララも必死で言い返す言葉を考えた。シビュラの秘密を知ったことを知られれば殺される。グソンや縢がそうであったように。彼らは二人とも構成員である脳みそ達を見て驚き、背後から近づく局長に気づけなかった。でも、ララは違った。確かにアニメで見たときは驚きはしたが実物を見たときはハイハイ脳みそだよね知ってた、という程度でむしろ局長が来るより先にグソンを外に出すことに必死だったのだから。……そうだ、知ってたのだ。
「知られたっていうか…前から知ってました」
「何だって?」
局長の顔が少し険しくなる。しかしその表情はどこで知ったんだ、というよりこの期に及んで悪足掻きをすることへの不快感を表したようなものだった。それを感じつつララは平然としたフリをして畳み掛けることにした。
「局長の役割も持ち回りでしたよね、シビュラシステムさん。あ、槙島の護送は藤間の担当でしたか」
「それをどこで知った」
聞きたかった言葉が出たことでようやくララには少しずつ余裕が生まれる。
「わかるんです。だから局長のこともシビュラのことも、最初からわかってました。ああ、でもこの事を公にしようとか思ってませんよ。今そんなことをしたら皆が混乱してしまいますから」
「……」
「槙島をシステムに組み込むなら藤間を担当にしたのは失敗です。槙島は逃げます」
「…なぜそうだと思う」
「知ってるからです。もし当たったら…いくつか取引をしませんか」
一か八か。こんなに緊張する交渉をするのがまさか捜査中でも戦闘中でもなく、局長室だったなんて。
**********
槙島が逃げたという知らせはすぐにララと宜野座に行き、狡噛には槙島からの電話で知らされた。現場では輸送機が墜落し炎上、担架からは一名の遺体(というか局長)が運び出されていた。何も知らない宜野座や狡噛、縢はあの遺体は誰のものだと騒いでいる。ララは誰とも話さずその現場を見ていたがそこへ黒い車が到着し、局長がララを車内に呼んだ。そろそろ色々変えてしまった自覚が芽生えてきたので、車内に呼ぶのって宜野座じゃないの?とは一瞬しか思わなかった。移動可能な密室である車内でララは局長と向き合う。こうして近い距離でも人間と何ら変わらないように見えるのだがらすごいものだ。だが、今日の局長の担当は表情が豊かなようだ。その表情は明らかに曇っていて、取り引きがうまくいくであろうことは既にわかってしまう。
「……君の言う通りだった」
「担架に乗ってたのは局長のスペアですよね」
「…一体どういうことだ。なぜ我々さえも知り得ない先のことがわかる?」
「手短に用件をおっしゃっていただけますか」
あのシビュラ(つまり局長)が動揺しているのがわかると、これまでの畏怖をつい忘れて話してしまった。さすがに社会人として云々的な問題で怒られるかな、と少しだけ後悔するが局長はピクリと眉を動かしたのみだった。
「先日の取引の件だ。我々でよく審議した結果、応じることにした」
「それは良かったです。では捜査に戻ります」
「待て」
「何でしょう」
「我々は抜けた穴を埋めたい。槙島は最適な人材だ。何としても生きたまま連れ戻したい」
「わかってます。狡噛執行官を外せということですよね」
「…ああ、その通りだ」
「承知しました。失礼いたします」
車外に出ると宜野座が訝しげにララを見ていた。きっと彼は彼でなぜ自分ではなくララが局長に呼ばれたのだと不審に思っているのだろうが、シビュラとの取り引きを話すわけにはいかない。色々聞かれる前にさっさとみんなに指示を出そう。
「撤収しましょう。あとは局長が手配するそうです」
「おい、それだけか?槙島はなぜ逃亡したんだ!」
「ギノ」
イラつきを隠しきれていない宜野座がララに食って掛かるのを狡噛が止める。狡噛も色々ララに聞きたいことや言いたいことはあったし、それはララもわかっている。だが、お互いそれなりに信頼関係を築けた今、それを問うのはこの場ではないと判断したのだ。狡噛に目線だけで礼をして、宜野座だけでなく一係の他のメンバーにも聞こえるボリュームで話す。
「詳細は調査中ですが一係は槙島の再逮捕を最優先せよとのことです。逮捕に際しては必ず生きた状態で逮捕すること。槙島は研究検体として調べる必要があるそうです。だから狡噛さんは…外れてもらいます」
狡噛は眉間を寄せララを見つめた。ララもその瞳を見つめ返すことできちんと話すことを約束する。それでもその瞳にはやはり怒りが含まれていることはわかった。
狡噛の部屋はいつもよりピリピリしていた。当然だ。いくらララを信用しているとはいえ、槙島の逃亡やその再逮捕に狡噛を外すというのはきちんと説明をしてもらわなければ納得などできなかった。さすがにララも居心地が悪く落ち着かない。加えて狡噛の隣には征陸がいた。征陸とはこれまであまり深く接する機会がなかったせいで、まだ少し距離がある。狡噛と縢からは信用を勝ち取ってはいるので新人監視官だからとあしらわれることは無いが、恐らく征陸はまだララを上司として認めていないだろう。それに彼女の指示をはいわかりましたと聞くこともないはずだ。年上の部下二人が目の前にいるというのは本当に嫌な景色だ。ララはスー、と呼吸を一つすると口を開いた。
「槙島を殺しに行くなら止めません」
狡噛と征陸の目が見開かれる。勘の鋭い二人でもさすがに予想できなかったのだろう。
「お嬢ちゃん、あんたさっきは槙島は生け捕りだって…」
「確かに局長からはそう言われました。でも、狡噛さんが勝手に逃亡して槙島を殺しにいくというなら、一係は槙島の逮捕と並行して狡噛さんを追うだけですから」
狡噛の目に希望…とはだいぶ違うが、鈍い光が宿る。
「良いのか、紅藤」
「何がですか?私は狡噛さんが何をするかなんて、聞いてませんよ。あとは狡噛さんと征陸さんで話し合ってください」
にこりと笑ってソファを立った。これで良い。これで良いんだ、きっと。狡噛の部屋を出る前にもう一度、彼の顔を見るとララは部屋を出た。
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