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監視官も何も事件が無いときはデスクワークと聞いていたのに、出動要請は思っていたよりも早く来た。今回執行するのは定期健診で色相の濁りを指摘され病院からバイクで逃走、通行人を跳ねて複数の怪我人を出したという男。現在も逃走中でドローンが追跡をしている。ドミネーターの訓練をする間も無く初日を迎えてしまったため、宜野座さんの運転するパトカーに乗って現場に着いてから初めてドミネーターを握った。いや、厳密には私の家で動かないドミネーターを握ったことはある。でもやっぱり違った。不思議と重みが違うような気がしたし、音声があることや照準を定めると相手の犯罪係数が表示されるところはやはり未来なのだと実感せざるを得ない。弾は入ってないのにこれで人を殺せてしまうなんて現実味がない。
「ドミネーターの扱いは現場に着いてから縢に聞け」
「はい。…あ、秀星はいつ来るんですか?」
「執行官は護送車で向かっている」
「パトカーで行かないんですか?」
「奴等は潜在犯だぞ」
宜野座さんの冷たい視線がこちらに向けられる。…犯罪係数が三桁になっただけでそんなに扱いが変わってしまうなんて変だと思わないのだろうか。極端な話、99なら大丈夫なのに100になったら潜在犯にされてしまうということ。私からしたら宜野座さんがそこまで線引きをするのが謎だ。…でも、言わないでおく。言ったら機嫌悪くなりそう。護送車が到着して秀星から犯罪係数によって執行モードが変わることや、監視官は執行官を撃てることなどをその場で聞いた。あとは実際に使ってみるだけだが、いざ現場に着いてもやっぱり私がここにいるのは場違いな感じがして、なんだか夢でも見ているような不思議な現実感の無さがある。まるで目の前でドラマの撮影を撮影でも行われているかのような感じだ。
「俺と六合塚が奴を追う、飛鳥井と縢は先回りして逃げ場を塞げ。そして逃げ場が無くなったところを狡噛と征陸が執行しろ。行くぞ、六合塚」
それぞれ三つに別れて宜野座さんの指示通り、私と秀星は潜在犯の男が向かってくるであろう場所に先回りするべく走った。ザ・未来という感じの携帯端末には相手の位置と私たちの位置が示されているマップが表示された。北と南を塞げば西側は工場の塀だ。男は北から南に向かって走っていて、それを宜野座さんたちが追いかけている。私達はマップに表示された最短ルートを通った。
「コウちゃんととっつぁんが上手くやってくれるから、今日はそれをちゃんと見てて」
「わ、分かった」
起動したドミネーターを握る手に力が入る。私は秀星の後ろを着いていくのに必死だった。マップをチラッと見てみると宜野座さん達との距離も徐々に狭まっている。もう少ししたら男が前方から見えてくるはずだ。心臓がうるさい。
「もうすぐだ」
マップと正面、両方を交互に見る。すると街灯に照らされて人のシルエットが見えるようになった。
「残念でした〜!行き止まり!」
秀星がドミネーターを向けたのを見て、私も男にドミネーターを向けてみた。犯罪係数は198。この数値だとパラライザーだっただろうか。
「…クソッ」
前には私と秀星、後ろには宜野座さんと六合塚さん。そして唯一残ってる道には…
ドンッ
狡噛さんがパラライザーを撃ち、男は白目をむいて膝をついて崩れていった。ホッとした私も張り詰めていた緊張が解けたからか、体の力が抜けてその場にしゃがみこんだ。何だか、すごく疲れたんですけど…
「お疲れ、羅々」
「お疲れ…」
ぐったりとする私を困り顔の秀星が見下ろす。慣れているだけあって息一つ乱れていない。
「今日のは楽なやつだったんだけど?」
「何か体力がどうっていうより、緊張しちゃった。銃なんて普通持たないし…色々と」
「すぐ慣れるよ。つーか、慣れないとね。こっちが殺されちまう」
慣れないと殺される…何て物騒な響きなんだ。私たちがこうして話している間にも宜野座さんたちは男を回収していた。あの人の犯罪係数は190超え。実際に通行人を跳ね、重体にさせた犯罪者だ。…じゃあ、秀星は?
「秀星も…100超えてるんだよね?」
恐る恐る聞くと彼には珍しい困ったような笑みを向けられた。
「まぁね。執行官だし。世間からすりゃ、アイツも俺も同じ潜在犯って一括りなわけ。…俺のことまだ恐い?」
まだ、というのはきっと私たちが2012年にいたとき、秀星が潜在犯だと知って私が警戒してしまったからだろう。あのときは秀星のこともよく知らなかったし、ただでさえ不審者だと思っていたから恐かったけど、今は違う。私は笑って首を横に振った。
「恐くないに決まってるじゃん」
「そりゃあ良かった」
「でもさ…犯罪係数って何か変だよ」
「うーん…羅々は違うかもしれないけど、生まれたときからシビュラ統治下にいた俺からすれば、もう諦めの境地よ」
「何か、納得いかない…秀星はこんなに良い奴なのに」
「そういうの考え始めると色相濁るからやめな」
「犯罪係数低くても色相は濁るの?」
この世界のルールでは色相が濁っても執行はされないはずだ。重要なのはあくまでも犯罪係数の数値。
「大体同じように変動するけど…」
それなら色相が濁るようなことを考えると犯罪係数も上がるのだろうか。秀星と再会したときの私の犯罪係数は0だ。それなら今は何なのだろう。
「ねえ、私にドミネーター向けてみて」
「は?別にいいけど…あ、あとで履歴消しといてよ?執行官が監視官にドミネーター向けるとあとで色々面倒だからさぁ」
「うん」
ドミネーターの銃口がまっすぐ私に向けられる。執行官は監視官を撃てない。撃たれないって分かってるのに、やっぱり銃を向けられると心臓を掴まれたような感じがした。
「犯罪係数0…」
「え、今日も?」
「うん。こんなことあるんだ…」
よほど珍しいのか秀星はすごく不思議そうな顔をしてドミネーターをおろした。さっきみたいなシビュラへの不満を言葉にしても何ら変化なしということだ。サイコパスって怒ったり興奮したり悪いこと考えると悪化するんじゃないの?何で私はこんなに犯罪係数が低いんだろう…自分でも不思議だ。すると、秀星の声が大きかったのか征陸さんのところにいた狡噛さんがこちらに来た。
「今日も飛鳥井の犯罪係数は0なのか?」
「あ、コウちゃん。そうなんだよ」
「アンタ、今日の色相は?」
「測ってないです」
「…まぁ、監視官なら犯罪係数が低いのはむしろ良いことだ。気にするほうが良くないだろう」
それだけ言って狡噛さんはタバコを取り出すと再び征陸さんのところへ戻っていった。異常なくらい低い犯罪係数、か。ということはいくら健康なサイコパスの人でも0にはなかなかならないってことだよね。槙島さんの色相は白だったけど犯罪係数はいくつなのだろう。
「羅々ってなに考えてるの?」
秀星が不思議そうな顔で聞いてきた。
「そりゃ色々」
「なに考えると犯罪係数一桁になるの?てか、なに考えてた?」
「え…シビュラシステムおかしいとか、ドミネーター重いとか」
「マジか…俺もシビュラなんてクソって思ったほうが良いのかな」
「…それはどうだろう。あ、色相ってそんな毎日測るもんなの?」
さっき狡噛さんに今日の色相を聞かれたけど、そんな今日元気?みたいに気軽なものなのだろうか。私的に年に数回の検診的なノリだったのだが。それに色相濁っておかしくなる人がいるって教えてくれたのアンタじゃないか。そんなものを毎日毎日測って一喜一憂したくない。
「ホームセクレタリーなんとかがいればそれが教えてくれるし、腕の端末でも見れた気がする。ってか、じゃあ羅々自分の色相が何か知らないの?!」
「一応、入局前の検診で測った。でも教えてくれなかったからそういうものなのかと思ってたけど」
健康診断でも特に異常が無ければわざわざ色々言ってこないのと同じで、きっと何も異常がないから教えてくれなかったのだと思っていた。しかし秀星の反応からするにそれは違うらしい。
「端末出して」
「え?あ、うん」
言われるがままに端末を起動させ、指示されるままに自分の色相がチェックできるという項目を見つけた。しかしそこに何かの色が表示されることはなかった。ACCESS DENIED。その文字が表示された。
「アクセス…何これ…?」
そう言いながら辞書機能を起動させるが、その意味を知ると眉を寄せて私に見せた。
「こんなん初めて見た」
「アクセス拒否…監視官は自分のを見れないってこと?」
「いや、そんなはず無い…」
それならこの画面は何だというのだろう。色相は健康なら薄い色。濁るにつれてどんどん暗くなっていく。犯罪係数は限られた施設やドミネーターでしかわからないというが、色相スキャナは街頭にも設置されているし、槙島さんのように個人でも計測できる。実際、私は槙島さんの家で色相の計測をしている。あの時との違いといえば、監視官か否か。それぐらいしか思いつかない。犯罪係数は0…色相だって薄いはず。それとも、こういうちぐはぐなことも起きるものなのだろうか。隣の秀星の顔を見ると、彼の顔も私と同様に困惑しているようだった。
「これって、おかしいことなの?」
しかし、護送車の扉の前でイライラしているのを隠そうともしない宜野座さんによって会話は中断された。
「縢、早く護送車に乗れ!」
狡噛さんたちは既に乗車していたらしい。秀星もゆるい返事をして車に乗り込んでいった。私は宜野座さんとパトカーだ。助手席に座って間もなくして車が発進した。
自分の色相が見れない、なんて…そんなことあるのだろうか。槙島さんは自分の色相を知っていたし、さっきの秀星の話ではむしろ自分の色相は常に把握しているのが普通、みたいな…そんな言い方だった。狡噛さんあたりなら知ってそうだけど…生憎、隣にいるのは宜野座さんだ。いや、宜野座さんも知ってそうなのだが如何せん色々と聞きづらい。それに面倒な奴とか問題を抱えている奴だと思われたくない。でも、気になる。
「宜野座さん」
「何だ」
「自分の色相って毎日見るものですか?」
「ああ。それで皆クリアカラーを保つためにセラピーやサプリメントを使用しているからな」
「そうですか…じゃあ、犯罪係数が0の人はクリアカラーですか?」
「まぁ、そもそもクリアカラーでも犯罪係数0なんて滅多にいない」
どういうことなんだ…
「そうですか…」
「なぜ落ち込む」
「私って普通じゃないのかなって」
今まで自分のことはすごく普通だと思ってきただけに、こういうイレギュラーなことに耐性がない。宜野座さんの話ではそもそも犯罪係数が0ということ自体、普通じゃないみたいな言い方じゃないか。しかし宜野座さんはあっけらかんとして答えた。
「当たり前だろ。過去から来た人間なんて普通じゃない」
「言われてみれば確かに」
そうか、そりゃあ普通じゃないに決まってる。宜野座さんのデリカシーが無いとも思える言葉に私は少しだけ救われたのだった。
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