第63話 覚醒

畳を踏み荒らして無遠慮に私たちに近づいてくる。
声も出せず、ある意味魅了されたように、その姿から目が離せない。



ゆっくりと番傘を私___いや、隣にいる先生に向ける。




「そいつは、俺たち獣が触れていいよなヤツじゃない」




静かで落ち着いた声。でも凄みを含んでいる。
不思議と怖くはない。それよりも、思い焦がれた人が目の前にいる事実に、鼓動が早くなる。





「か、むい……さん」





あぁ、神威さんだ。あなたに会いたかった。
目に映るものが歪み始める。
ポロポロと溢れて、止めることなんて出来ない。



名前を呼べば、彼は視線だけを私に向ける。
その表情は複雑で、悲しそうにも、少し怒っているようにもみえた。
彼の唇が薄く開く。何か言いたげに。しかし、すぐに口を閉じて、視線を逸らされた。



「痛っ……ははっ、ヒーロー気取りか……来ると思ってたよ。君だろ? 俺の周りを、コソコソ嗅ぎ回ってたのは 」



神威さんの銃弾は先生の肩をかすめたらしい。先生の服を赤く染め上げ、肩を抑える手のひらは血だらけ。
そんな様子などお構いなしに、神威さんは話を続ける。



「そうだよ。俺たち夜兎の血を使って、くだらないモノ作ってるアンタを調べてた。

恨むべきは、鳳仙や俺たち春雨だろ。そいつは関係ない」



静かな怒りを含む低い声色に、私までもが息をのむ。
先生は呆れたように鼻で笑い、痛みに耐えるように深く息を吐いた。




「目障りだったよ。俺の計画の邪魔ばかりしてきて。

蓬莱を半殺しにしたのも君だろ? 大事な金づるだったのに」


「まぁね」


「アイツは鳳仙がいなくなった吉原を欲しがってたから、上手く丸め込んで、協力させてたのに」



先生が言い終わったとたんに、襖が開かれ、大勢の人が現れる。
いや、人じゃない。天人だ。
姿かたちは様々で、触角を持つ者もいれば、半獣半人や羽を持つ者もいる。


共通してるのは皆、ぎこちなく手足を動かし、血走った瞳であるということ。



「俺の薬が効いてくる頃だと思った。備えあれば憂いなしってね」


「……天人にあの薬を打ったんだ」


「君たち夜兎の力を欲する奴は、大勢いるからね」



先生は余裕の笑みで神威さんを見据える。
いくらなんでもこの人数を一人でなんて無茶だ。




「神威さん、」

「見るな」




小さく神威さんが呟く。それは私に向けて発した言葉。
祈りのように、懇願するように紡がれた声に何も言い返せない。



瞬間、空気が変わった。



「ヴァァァァ‼︎ 」



無数の唸り声。それが合図かのように、一斉に天人たちが神威さんに襲いかかる。



しかし、その中心で神威さんは番傘を振りかざし、怪物たちを薙ぎ払った。
直後、ドンと破裂するような音が断続的に聞こえてくる。悲鳴と共に。




「グォォァ! 」
「アァァァァ!」




神威さんが天人に馬乗りになる。拳を振り上げ、床まで破壊するかのように、力任せに殴りかかった。




飛び散る赤い血。


転がる体の一部。


動かない天人。


畳の部屋は屍が転がる戦場と化す。









「この化け物種族が…! 」




次々と倒れていく天人たちを見て、先生は苛立ちを隠さない様子で吐き捨てる。
その言葉に、私は口をついてしまった。




「化け物……? 関係のない町の人たちを巻き込んで、こんな恐ろしい薬を開発して。

先生の方がよっぽど化け物ですよ……! 」




言葉を紡いだ瞬間、先生の顔色が変わる。
瞳は鋭くなり、怒りの琴線に触れてしまったようだった。



「この! 」



肩を力強く掴まれ、その勢いのまま押し倒される。



「離して! 」


「うるさい! お前らに何がわかる。俺の気持ちが、お前らに! 」



首元に圧迫感。呼吸が浅くなる。
その顔には、吉原にいた優しい先生も、かつて私と遊んでくれた春市くんの面影もない。


ただ、憎しみのこもった瞳で睨みつけられる。




「や、めて……っ! 」



苦しい。痛い。頭がクラクラする。
耳鳴りがして、上手く体を動かせない。


なのに突然、フッとのしかかっていた重みがなくなる。
新鮮な酸素を懸命に体に送り込み、呼吸を整える。




「出番だよ。なまえちゃん」




先生は独り言のように呟く。それが恐ろしく冷静で、背中に氷でも入れられたようにゾッとする。
おもむろに、先生は何かを手に取り出した。



「危ないから、動かないでね」



耳には自分の呼吸する音。
それから、町の人々の悲鳴。
天人たちの断末魔の叫びと銃声。


悲惨な光景が目の前にあるのに、私の意識は先生の手の中のモノに集中してしまう。



「何するの、やめて‼︎ 」



先生が手にしていたのは注射器。
抵抗したいのに、頭を押さえつけられて動けない。
腕に鋭い痛みがはしる。



「大丈夫。そんな痛み、もうすぐ消えるから」



いつもと同じ。大丈夫、すぐ治りますよって安心させるような笑み。
でも、虚で冷ややかな瞳の奥を、私は確かにみた。




「怪物になる君を、彼はどうするのかな」




注射を刺された腕が熱い。じわじわと何かが広がっていくのがわかる。
鼓動が速くなる。呼吸が上手く出来ない。




「ううっ……」




声がする。頭の中で。
誰かが私に話しかけている。













“……セ”



何?












“……ロセ”


誰なの?









コ……ろ…セ










「なまえ‼︎ 」






 


「ヴゥ、」






血の匂い




欲しい




もっと、血の匂いが





「ホ、シイ」




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