「クソッ! 」
カチリと番傘を男に向ける。
しかし、時すでに遅し。
注射器はなまえの腕から離れ、中身は全て彼女の体内に収まってしまった。
それでも引き金をひく指先は止まらない。
ドンと鈍い音が鳴り響き、男の腕を射抜いた。
「うあ”ぁぁ! 」
男はその場でのたうち回り、訳のわからない声をあげ、そのまま床に伏せた。
唇を噛み締める。身体が熱い。
体内の血液が沸騰して、血走ってるのが自分でもわかる。
すぐにでもあの男を殺したい。
「うぅっ……」
なまえはもがき苦しんでいる。
手を拘束されてるせいで、うまく起き上がれず、足をバタつかせている。
呼びかけても俺の声など聞こえてないようだ。
「なまえ」
もう一度名を呼べば、わずかに反応して俺を見る。涙目になって、唇が動く。
かすかに、俺の名を呼んだ。
次の瞬間、パタリとなまえは動くのをやめた。それはまるで意識を失ったように。
突然、なまえしか捉えてなかった視界に、出来損ないの天人の群れが入ってくる。
それが妙に腹立たしい。
「邪魔だ。どけよ」
一気に群れを吹き飛ばす。動かなくなった天人たちの上を踏み抜き、なまえに近づく。
目を見張っていれば、今度はふらりと力なく立ち上がり、いつの間に解いたのか、腕に巻かれていたロープがパサリと地面に落ちた。
ゆっくりとなまえが顔を上げる。
彼女のこめかみから、つぅーと血が流れた。
暴れた拍子に、床に散らばる陶器かガラスの破片で切ったらしい。
よく見ると小さな傷が顔に複数ある。痛いはずなのに、本人はお構いなしだ。
「なまえ」
名前を呼ぶが反応はない。それもそのはず。
それはなまえであって、なまえじゃない。
瞳の奥はギラリと殺気に満ちてる。
口元は笑って、つうっと透明な涎が垂れている。
その事に本人は気づいていない。
待ち侘びていた獲物を、やっと捕らえた獣のような姿。
今から自分の欲が満たせることが嬉しくて仕方ないみたいな、本能のままの姿。
「なにそれ」
思わず笑ってしまう。
俺は気づいてしまった。
なまえが俺に近づく。
ヨタヨタとおぼつかない足取りで、今にも転んでしまいそう。
「面白い姿だね、なまえ」
「ヴゥゥ」
なまえの瞳に俺が映る。でも違うだろ?
今、アンタの瞳に映ってるのは俺じゃない。
“獲物” としての俺が映ってるんだろ?
「でもね、なまえ。アンタにその格好は、似合わないよ。全然」
本心だった。
こんなにも戦場という血塗られた場が似合わないヤツがいるなんて。だから笑った。
だから、ほら。いつもみたいにしてよ。
泣いたり、怒ったり、驚いたりさ。くるくる変わる表情は見てて飽きないんだからさ。
ああ、でも、1番は……
「笑ってよ」
一緒にご飯食べた時みたいにさ。
そう呟いた瞬間だった。ズドンと大きな音がしたと思えば、いつの間にか視界が天井の模様を映し出している。
なまえが覆いかぶさるように馬乗りになり、俺の首に手をかけた。
「ア”ゥウッ」
強い。流石は夜兎と同等の能力を引き出す薬。
あんな真綿みたいななまえの力とは思えない。
完全に油断していた。
そんな事を考えている間にギリギリと力がどんどん強くなる。
「ははっ…」
無意識に俺は乾いた笑みを浮かべていた。その様子を見た彼女もわずかに混乱したのか、眉毛をハの字にして、手の力が弱まる。
俺は以前ふと抱いた想いを口した。
「なんで、俺は、
普通の人間じゃないんだろうね……っ」
そう。
なんで、俺は夜兎なんだろう。
なんで、なまえは普通の人間なんだろう。
自分が夜兎として生まれたことに後悔はない。
でも、ふと思う。
俺がなまえと同じ人間なら
なまえが俺と同じ夜兎ならば
……ずっとそばにいられるのにって
でも、そんなの思うことすら、無意味だった。
なまえにこんな戦場は似合わない。血にまみれた姿なんて、傷だらけの拳なんて、振りかざさないでほしい。
そしてこんな俺に、天に輝く暖かな陽の下は似合わない。
俺たちはどうしたって、相容れないんだ。
“勝手もイイトコだ”
阿伏兎にいつの日か言われたことを思い出す。
そうだよ。いつだって俺は身勝手だ。
だったら、せめて。
一緒にいる事が叶わないのなら。
俺の独りよがりなこの感情を、
「なまえ」
伝えることくらい、許されるだろ?
「好きだよ」