
12. 境界線
さくら屋は鳳仙様が仕切っていた店ほど大きくはないが、度々政府関係や私たち一般人が関わってはいけない、裏の会合などにも使われていた。国を脅かすような秘密を、一つや二つ知り得ている遊女も少なくない。
変化し始めているとはいえ、まだ以前の名残が抜けない部分はある。
今でも時折、秘密裏の会合で使われる事は多々あった。都合が良いからだろう。
女は長年の歴史から、口が堅いし、地下遊郭という場所も、中々目につきにくい。
あまりにも危ない会合や宴会なら百華に報告するが、ある程度なら、黙認されているのが、現状だ。
「上客らしいわよ」
つまりは、お偉いさんが来るということ。姉様たちはそんな噂話をしながら、綺麗に化粧をし、美しく着飾る。
私はといえば、夕方からその準備に追われていた。
「女将さんお料理の数、尋常じゃないです」
注文ミスなんじゃないかと思うほどに、次々と目の前に並ぶ美味しそうな料理たち。女将さんは笑い飛ばしながら、これがお客様の要望だと教えてくれた。
宴がはじまる。
私は廊下に出された、空っぽのお酒の瓶や料理のお皿を次々と下げていく。
そんな中、いくら下げてもすぐに空のお皿が積み上がる部屋があった。噂で聞いたお偉いさんの部屋だ。
「よく食べる人たちだな……」
率直な感想を誰にでもなく述べていると、急に目の前に誰かが立ち塞がる。視界が黒で覆われ、なのかつ両手にお皿を抱えているせいで、身動きがとれない。
「ひっ! 」
小さく悲鳴をあげた2秒後にひどく後悔する。明らかにお客さんの可能性が高い。しかも今日いるのは上客ばかり。そんな人に対して、悲鳴をあげるなんて失態だ。怒られる、と1人で慌ててると、
「おい」
声をかけられた。右を見ても左を見てもココには私しかいない。文句を言われる覚悟で顔を上げれば、記憶の中にある顔だった。
それは目の前の人物も同じだったようで、少しだけ細めていた瞳を丸くする。
「あん時の嬢ちゃんじゃねーか」
まだ、数ヶ月前の記憶。あの鉛色の空が、太陽に包まれたあの日。路地裏に倒れていた男性。怪我の具合が一番酷かったのでよく覚えている。
「あの時の怪我は、もう治りましたか? 」
「なんとかなァ。おかげで団長にも捨てられずに済んだよ」
……団長? どこか劇団の人だろうか。はたまた、なにかの応援団長だろうか。
この店の従業員かと聞かれ、肯定をすれば疲れきったようにため息をつく。
「この店も広すぎて、おじさん探すの疲れちゃったよ。
団長のいる部屋ってのはどこだ? 」
……団長って誰ですか?
私はただの従業員なので、食事を入り口付近に届けることくらいでしか、そうそう部屋に入れない。
さらに、さくら屋の裏方は、極力お客さんと顔を合わさぬようにというのが信条だ。食事を届ける時も、いかに存在を消すかが勝負である。
そんな旨を伝えると、あからさまにショックを受けていた。
「こう、目ン玉が三日月で、アホ毛が生えてて、一見優男にみえて、性格はひん曲がったうちの団長! 本当に知らない? 」
最後のは悪口では……
様々な特徴を言われても、なんともピンとこない。首を横に振れば、男性はさらに深くため息をついた。きっと、この人にはいつもこういう事が起こるのだろう。
「役に立てなくて、ごめんなさい。そんな方がいたら探してたってお伝えしますね」
目の前の彼は自分の名前を告げると、私への用は済んだとばかりに、よろしく〜と軽く手を振り、ゆっくりとした足取りで姿を消した。
♢
「なまえ、なまえ! 」
しばらく急足でせっせと業務をこなしていれば、どこからか私を呼ぶ声がする。
襖を少し開けて、こちらを覗いているのは、同じ歳で、友人の
手には和楽器を持ち、必死な顔をしながら高速で手招きをしている。急ぎの用事かと駆け寄れば、申し訳なさそうに雅は顔を歪める。
「追加の料理注文お願い! 」
「え、また?? 」
これでもう3度目だ。しかもお酒ではなくお料理。さっきも随分と追加したけど、と言えば苦い顔をして、
「胃袋ハンパない」
と吉原に似つかわしくない言葉遣い。でも顔はめっちゃ良いわ、と聞いてもないことを報告してきた。
「何してるんだ。音が止まっておるぞ」
「はーい。すぐ行きますぅ」
襖の奥から雅が呼ばれて、ニコニコ愛想よく返事をする。雅の影に隠れて姿は見えないが、相当な食いしん坊のよう。親指でグッと了解のサインを出せば、彼女はごめんと手を合わせ、部屋に戻って行った。
少しだけ、その食いしん坊の人が気になったけど、表舞台に立たない私には関係ないことだった。