
54. 晴れた空
"ごめん……"
___それは晴れた空のように鮮やかな青で
"お願いだから"
___その大きな瞳から溢れる涙を、
"許さないで"
___私は暖かい雨だと思ったんだ
「っ……」
冷たい風が頬にあたり、目が覚めた。嗅がされた薬に頭がクラクラする。
懸命に瞳だけを動かし、周りを見渡す。薄暗くて、埃くさい。大広間のような部屋。なぜか、天井も床も大部分が損傷している。
「ここって……」
思い出した。ここは鳳仙様が仕切っていた店だ。
「何、これ」
手首を後ろで拘束されて、身動きがとれない事に気づく。苦戦していれば、誰かが駆け寄ってきた。
「来な、いで……」
懸命に発した言葉は、床の埃をかすかに動かしただけ。
でも、私にはわかる。
その人物が誰なのか。
「目、覚めました? 」
柔らかな口調と声色。こんな人は吉原に1人しかいない。
「新井、先生」
名前を呼べば、ニコリといつもと同じ笑顔を返される。今は見慣れたその顔がとても、怖い。
「どこか痛みます? 」
床に伏せていた私を、先生はゆっくりと起こす。両肩を掴まれ、壊れ物を扱うような優しいその手つきに、ぞわりと背中に鳥肌が立った。
「触らないで、下さい」
震えながらも、ハッキリと口をついた拒絶の言葉。先生の頬がかすかに強張る。数秒の沈黙でさえ、心苦しい。
突然、フッと彼は顔を綻ばせた。そして耐えかねたように、この場に似合わない、大きな声で笑い出す。
「あははっ。その様子だと、なんか気づいてたかぁ」
呆気にとられ、困惑している私と先生の声だけが、部屋中に響いていた。
そして突然、悲鳴のような叫び声が耳に届く。
「何が、起こってるの……」
「あぁ、それじゃ見えませんよね」
そう呟くと、無理やり桟敷へ連れて行かれる。畳に落ちてるガラスの破片や木屑が、足裏に当たって痛い。
「ほら」と言われ、飛び込んできた町の風景に、私は目を奪われた。その場に座り込むのを堪えるので精一杯だった。
「どうして、町の人が……」
幼い頃、あの村で見た光景と同じ。人が人を襲っている。無数の悲鳴。逃げ惑う人たち。それを追いかけるのは、怪物みたいに豹変した同じ町人。
「これは全部あなた達、家族せいですよ。なまえさん」
私の……私たち家族のせい?
それは諭すように優しく。子どもに言い聞かせるようだった。でも言葉の意味が理解できない。
「私の本当の名字は……華岡。
これを聞いても、まだ思い出せませんか? 」
華…岡?
「私はあなたの父親に殺された、
”華岡ヨル”の一人息子。華岡春市ですよ」
どうして、気づかなかったんだろう。違う。私は記憶に蓋をしてたんだ。両親を奪われ、ひとりぼっちになったあの頃の記憶を。
だから、新井先生が吉原に来た時、初めて私と会った時。何も気づけなかった。
「春市、くん……」
この響きを私は知っている。
ずっと私より歳上の彼。まるで兄のような存在だった。両親が仕事で忙しい時、春市くんが私の遊び相手になってくれた。
その彼が目の前の、この人だというの?
「やっと思い出してくれた? なまえちゃん」
新井先生は大きくため息をつき、もう正体を隠さなくていいという開放感を堪能するように微笑む。
そして、手を伸ばし馴れ馴れしく私の頭を撫でた。その行動にビクリと肩を揺らし、私は顔を静かに背ける。しかし、その行動が癪に障ったらしい。顎を掴まれ、引っ張られた。
「痛っ」
「ますますご両親に似てきたね。特になまえちゃんの笑った顔。その何もかも受け入れるみたいな表情。君の父親にそっくりだよ。
……壊したくなるくらい」