58. 覚醒



 畳を踏み荒らして無遠慮に私たちに近づいてくる。
 声も出せず、ある意味魅了されたように、その姿から目が離せない。
 ゆっくりと番傘を私___いや、隣にいる先生に向ける。




「そいつは、俺たち獣が触れていいよなヤツじゃない」




 静かで落ち着いた声。でも凄みを含んでいる。不思議と怖くはない。それよりも、思い焦がれた人が目の前にいる事実に、鼓動が早くなる。





「か、むい……さん」





 あぁ、神威さんだ。あなたに会いたかった。目に映るものが歪み始める。ポロポロと溢れて、止めることなんて出来ない。



 名前を呼べば、彼は視線だけを私に向ける。その表情は複雑で、悲しそうにも、少し怒っているようにもみえた。彼の唇が薄く開く。何か言いたげに。しかし、すぐに口を閉じて、視線を逸らされた。



「痛っ……ははっ、ヒーロー気取りか……来ると思ってたよ。君だろ? 俺の周りを、コソコソ嗅ぎ回ってたのは 」

 

 神威さんの銃弾は先生の肩をかすめたらしい。先生の服を赤く染め上げ、肩を抑える手のひらは血だらけ。
 しかし、そんな様子などお構いなしに、神威さんは話を続ける。



「そうだよ。俺たち夜兎の血を使ってくだらないモノ作ってるアンタを調べてた。

恨むべきは、鳳仙や俺たち春雨だろ。
そいつは関係ない」




 静かな怒りを含む低い声色に、私までもが息をのむ。先生は呆れたように鼻で笑い、痛みに耐えるように深く息を吐いた。




「目障りだったよ。俺の計画の邪魔ばかりしてきて。

蓬莱を半殺しにしたのも君だろ? 大事な金づるだったのに」


「まぁね」


「アイツは鳳仙がいなくなった吉原を欲しがってたから、上手く丸め込んで、協力させてたのに」




 先生が言い終わったとたんに、襖が開かれ、大勢の人が現れる。いや、人じゃない。天人だ。姿かたちは様々で、触角を持つ者もいれば、半獣半人や羽を持つ者もいる。
 共通してるのは皆、ぎこちなく手足を動かし、血走った瞳であるということ。




「俺の薬が効いてくる頃だと思った。備えあれば憂いなしってね」


「……天人にあの薬を打ったんだ」


「君たち夜兎の力を欲する奴は、大勢いるからね」



 先生は余裕の笑みで神威さんを見据える。
いくらなんでもこの人数を一人でなんて無茶だ。




「神威さん、」
「見るな」




 小さく神威さんが呟く。それは私に向けて発した言葉。祈りのように、懇願するように紡がれた声に何も言い返せない。




 瞬間、空気が変わった。




「ヴァァァァ‼︎ 」




 無数の唸り声。それが合図かのように、一斉に天人たちが神威さんに襲いかかる。
 しかし、その中心で神威さんは番傘を振りかざし、怪物たちを薙ぎ払った直後、ドンと破裂するような音が断続的に聞こえてくる。悲鳴と共に。





「グォォァ! 」
「アァァァァ!」





 神威さんが天人に馬乗りになる。拳を振り上げ、床まで破壊するかのように、力任せに殴りかかった。





飛び散る赤い血
転がる体の一部
動かない天人
畳の部屋は屍が転がる戦場と化す









「この化け物種族が…! 」




 次々と倒れていく天人たちを見て、先生は苛立ちを隠さない様子で吐き捨てる。その言葉に、私は口をついてしまった。




「化け物……? 関係のない町の人たちを巻き込んで、こんな恐ろしい薬を開発して。

先生の方がよっぽど化け物ですよ……! 」




 言葉を紡いだ瞬間、先生の顔色が変わる。瞳は鋭くなり、怒りの琴線に触れてしまったようだった。




「この! 」




 肩を力強く掴まれ、その勢いのまま押し倒された。




「離して! 」
「うるさい! お前らに何がわかる。俺の気持ちが、お前らに! 」




 首元に圧迫感。呼吸が浅くなる。その顔には、吉原にいた優しい先生も、かつて私と遊んでくれた春市くんの面影もない。ただ、憎しみのこもった瞳で睨みつけられる。




「や、めて……っ! 」




苦しい。痛い。頭がクラクラする。
耳鳴りがして、上手く体を動かせない。



 なのに突然、フッとのしかかっていた重みがなくなる。新鮮な酸素を懸命に体に送り込み、呼吸を整える。




「出番だよ。なまえちゃん」




 先生は独り言のように呟く。それが恐ろしく冷静で、背中に氷でも入れられたようにゾッとした。




「危ないから、動かないでね」

 


耳には自分の呼吸する音。
それから、町の人々の悲鳴。
天人たちの断末魔の叫びと銃声。



 悲惨な光景が目の前にあるのに、私の意識は先生の手の中のモノに集中してしまう。




「何するの、やめて‼︎ 」




 先生が手にしていたのは注射器。抵抗したいのに、頭を押さえつけられて動けない。腕に鋭い痛みがはしる。




「大丈夫。そんな痛み、もうすぐ消えるから」




 いつもと同じ。大丈夫、すぐ治りますよって安心させるような笑み。
 でも、虚で冷ややかな瞳の奥を、私は確かにみた。




「怪物になる君を、彼はどうするのかな」




 注射を刺された腕が熱い。じわじわと何かが広がっていくのがわかる。鼓動が速くなる。呼吸が上手く出来ない。






「ううっ……」






声がする。頭の中で。
誰かが私に話しかけている。













"……セ"



何?












"……ロセ"


誰なの?









コ……ろ…セ










「なまえ‼︎ 」






 


「ヴゥ、」






血の匂い




欲しい




もっと、血の匂いが





「ホ、シイ」




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