「すばるから聞いた」



そう言いながらベンチに腰を下ろす。まだ少し動悸のする私に比べて村上くんは至っていつも通りだった。


「なにそれ渋谷くん何者?」


本人でさえ今日聞いた話を知ってるなんて、実は会社の重役とかなの。

「なんやお前知らんのか」

私の言葉に今度は村上くんが少し驚いた。

「幼馴染なんやて、お前の友達と」

そう言って呆れた顔を作る。
「速報やーなんて、メール来たんやと」
ふらふらと目の前でスマートフォンを振った。

「仕事中になにしてんねんな、あいつら」

私の異動の話を知ってるのなんて、課長と琴美だけだ。…ということはつまり、琴美と渋谷くんは幼馴染だったという……ちょっと、聞いてないんですけど。
でもそう言われてしまえば彼女が村上くんのことを知ってたのにも合点が行く。
概ね村上くんのことを話さない私への仕返しのような感覚なのだろうか。そう考えるといじけてたであろう彼女が可愛くて少し笑えた。


「落ち込んでるらしい聞いたから、慰めに来てやったんやんけ」


仕事中にやぞ。わかってんのかいな。
そう言って乱雑にわたしの頭を撫でる。撫でるっていうか、小突くと揺らすの間くらい。
慰めに来た…ってそれ、どういうことですか。…そういう言葉が、私を惑わすんだということをあなたは全く解ってらっしゃらない。
そんな視線を送りながらわたしは無意識に煙草の火をつけた。


「それは、どうも」


煙をなびかせてゆっくりと深呼吸。ゆらゆらと登る白に目を配せばいつもの光景に一気に心穏やかになった。
…うーん、やっぱり落ち着く。

この落ち着く時間も、本社に異動なんてすればなくなってしまうんだろうか。寂しい。村上くんは寂しくないのかな。
そこまで考えて、ふと気付いてひとり可笑しくなった。さっきまで村上くんに“会いたくないような”なんて言ってたのはどこのどなたよ。

ちらりと視線を戻すと村上くんがやけにまっすぐこちらを見ていて、なんだかその姿勢に違和感があった。なんだかいつもと違うね。
……あれ?そうじゃん、



「…吸わないの?」



煙草、喫煙室だよ?
怪訝に聞く私に村上くんは「あー、」とすぐに目を逸らして、「なんていうか」なんてバツの悪そうにするから珍しかった。



「禁煙した」



「…え!?」
吸い込んでいた煙が私の大きな声とともに跳ねる。


「もうええ歳やしなあ、思て」


いい歳って…同い年なんですけど。
少し変な顔すると「なんやねん、もう若ないで」なんて逆に睨み返された。そりゃまあ確かに…そうだけど。そうなんだけどさあ、


「…そうかぁ、」


予想以上に情けない声が出た。
あんな勢いだけの夜を過ごしておいて、今後も彼とこんな距離感で居られるとは思ってなかったけど……でも禁煙となるときっと一気に遠くなってしまう。ここ以外で彼と会話することなんて、それこそ数年単位でなかったわけだ。…ただでさえもうすぐ距離的にも離れてしまうというのに。

ちょっとセンチメンタルに入りながら煙草をふかすと、頭に決して鈍くない衝撃が走った。
「いたっ」と唸りながら睨むと「なんちゅー顔してんねん」とそれはそれは楽しそうに笑われた。
“なんちゅー顔”させたのはあなたでしょうが。
心で悪態付いて口は何も言い返さず、もう一睨みして黙って煙草に口を付け直すと「まあそれだけやなしに」と彼が続けた。



「本社は喫煙しにくいらしいから、俺も徐々に慣れていかんと」



ぽろり。灰が落ちて私は目を見開いた。
……今、この人 なんて?



「 異動、決まった 」



さらっと、しれっと、なんでもない風にそういう大事なことを言うのは彼の癖なんだろうか。そういうの、とっても心臓に悪いんだけど!


「早く言ってよ!」


身を乗り出して糾弾すると がははと大きな口を開けて笑うから私は絶句した。
「お前がおもろいくらいに凹んどるから」
言い出せなかったって?全然それ言い訳になってない。

もう、なんて言うか……、なんという人だ。というかなんというタイミング。



「お前も一回俺に聞いたやろ。本社異動かもしれないんでしたっけー言うて」



あんときのなー、やっぱ気に入られとったみたいで。
足を組み替えながら話す村上くんは嬉しそうで、なんかこんな風に仕事の話をする村上くんは初めて見たかもしれない。


「ま、先行って待っとくわ」


なんてことない顔でかっこいいセリフを言った彼が「はよ来いよ、お前も」とさらにかっこよく重ねる。
ちょっと動揺しすぎて感情が追いつかない。驚いたり、喜んだり、焦ったり、どの気持ちが正解なのか正直さっぱりだ。
頭を悩ませていたらゆっくりと手が伸びてきて。身構えたらおもむろに咥えていた煙草を取られた。


「あっ」


それを許可なくスタンドに押し付け、彼はこちらを見ずに口を開く。


「お前もぼちぼち減らしたほうがええやろ」
「…そっか、本社。」


私も異動したらこんな風に吸えないもんね。そう続けると「ちゃうわ」と食い気味に否定の言葉が飛んだ。
ニヤリ、なんて効果音が聞こえてきそうな顔で目を合わせた彼は、しかし逸らしてその煙を見つめる。



「元気なガキ産んでもらわなあかんからなあ」



お前には。




「……は!?」




こども……子供!?

みるみるうちに熱くなる自分の顔を抑え耳を疑った。うるさい心臓の音が聞こえる。
今日という日は驚いてばっかりで心労が半端じゃない。
「俺もお前の腹大きなったら吸われへんし」なんて自分のお腹を押さえて妊婦を表すようなジェスチャーをする彼を見て、比喩ではなく口をパクパクさせることしかできなかった。


「産む気あるやろ」
「っ、」


低い声、優しい声、有無を言わせぬ声。
…なんという、殺し文句。それは、つまり、


「あ ります」


小さな声でそう返すと「それでええねん」なんて笑った。
くそう。飛び出す言葉はとんでもないのに、どうにも可愛く笑うからこの人は…


「なんて強引、」
「なんか言うたか?」
「いえ、なにも」


わざとらしく目を細めてくる彼にわざとらしくかしこまる。一瞬の沈黙の後、どちらからともなく笑いが起こって肩が揺れた。
彼の目尻に寄ったたくさんの皺に幸せを数えるようでなんだか照れくさい。

告白より先にプロポーズって、まあ この人らしい、のだろうか。


「あー、」


笑いも収まらぬ内、思い出したように彼が声を出してポケットを探った。


「なに、どしたの」


指輪でもくれるの?
そう言うと「そんなんちゃうわ。それはまた後々や」と返されたから少し照れた。
間も無く取り出された見慣れたパッケージ。手のひらサイズの、持ってるじゃない。


「やっぱし一本だけ吸ってこ」


眉を下げて「火、」と私に顎を突き出す彼に「意志弱いね、珍しく」と笑ってやると「ニコチンには勝てへん」なんて言う。



「…8年」



ふう、と煙を吐き出して急に彼が短くつぶやいた。
8年、はちねん。…と、言うと。
入社してからの年数?


「ちゃうな、8年と、もうちょっとか」


ちょっと自嘲気味にフィルターに口をつけて、彼は少し黙った。
…思い出にでも浸ってるんだろうか。



「…揃って転勤て、ほんまおもろいな」
「…そうだねえ」



彼のひとりごとに置いてけぼり感を味わいながら相槌を打つと、突然こっちに向き直った村上くんが「ちょお、」と手招きをしてきた。


「こっち」
「…なに?」


言いつつ近寄って座り直すと「もっと、はよお」と言って彼はその手の煙草を咥える。
赤く灯る巻の先端を見ながらすぐそばまで寄ると、不意に後頭部に手が回ったから固まった。

私を引き寄せながら、彼が慣れた手つきで煙草を指で挟んで口元から離すのが、その一瞬がやけにゆっくりに見えて、




「っ、」




飲み込まれるように唇が重なる。

吹き込まれる味が脳内で溶けるのを感じながら、業務時間中に何やってんだと少し可笑しかった。
ゆっくりと離れて、お互いの口元から白く揺らめく。
フッと笑った彼の吐息に溶けて消えて、何も言えない私の目の前にだけそれはゆらりと残った。



「俺の片思いも、8年ちょいでようやっと報われましたわ」



逃げ遅れた白い空気を飲み込むように、ひとつの煙草を分け合うように、再び眼前に落とされる彼にただ目を閉じた。

苦いような、だけど甘いような、そんな、
キスは煙の味がする。











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灰煙るこの部屋で、あなたと。

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ミガッテ