「すばくん今日この後うちくる?」


あれからまた月日を重ね、節目の歳を迎える頃にはお互い仕事も軌道に乗っていた。


「ん、行く」


じゃあコンビニでなんか買ってこ。デザートやーめよ。
メニューを閉じてジョッキを掴む。「すばくんのスエット昨日間違えて洗濯しちゃってさ、乾いてないから先に謝っとくね」そう言って箸に持ち替えた彼女が「ジャージでよろしく」とサラダを浚う。

当たり前のように、あの頃のように、俺は琴美の家に出入りするようになった。最初に訪れたのはもう5〜6年ほど前…もっと前だっただろうか。時にアルコールを煽り、基本的には夜通しゲームをして過ごす。そんだけ。いつの間にか俺の着替えは夏冬の2パターンが在宅し、メンズシャンプーの詰め替えは常備、歯ブラシはもう何度新調したかわからん。

琴美のことを女として見んようにするのにも、もう慣れた。



「今度響子と旅行に行くんだけどさあ」



数年前から琴美がよく口にする響子という名前。同じ課の同僚で、すこぶる気が合うらしい。短絡的な自分と違い思慮深く慎重なのだと話す表情に仲の良さを垣間見る。
それがつい最近ヒナと飲みに行ったとき、うっかりアイツが口を滑らした名前も響子だったのだから笑える。





『お疲れ様です』




廊下での初対面、控えめに微笑んだその女を見てヒナの見る目に感心した。
琴美とは正反対の落ち着いた雰囲気に琴美とのバランスの良さを汲み取る。そら仲良くもなるわ。

「知ってます」

彼女がヒナを見るその視線に、自分と同じ匂いを僅かに感じた。
あいつもこれくらい、落ち着いた雰囲気やったら。色とか欲とか、これくらいは持ってたらもうちょいグッと来るモンがあったかもしれへんのに。

煙草を吸う姿は年相応で、喫煙室での会話から平均的に経験してきたであろう歴史が窺える。
お互い似た雰囲気を掴み取った俺たちが仲良くなるまでにそう時間はかからなかった。すぐに喫煙室での談笑は定番となる。

例えば俺が響子を一晩だけと誘ったら。ムードとタイミング、そしてアルコール次第ではきっと同じ朝を迎えるだろう。
それはこの年ではおかしなことだろうか。あいにく普通の基準がわからない俺にその真理は予想できないが、少なくとも琴美にはその気が少しもないことだけはわかる。






「すばくんバスタオル出さなかったの?」



肩にタオルをかけて手には水のボトル。音を立ててソファに沈む琴美が「エコだね」と笑ってスマートフォンに手を伸ばした。


「先髪の毛乾かさんと風邪ひくで」


いつしかなんの違和感も抱かなくなったこの状況も、ふと我に返れば絶対的におかしいことを思い出す。幾度となく一緒に明かした夜はあれど、身体を重ねたことは未だない。お互いに酒が入れば多少のスキンシップはOK。ただしハグまで。昔酔ったテンションで無理やりキスをしたらその後一週間メールの返信さえなかった。そんな関係、成立し続けてる方がおかしい。


「ちょっと待ってー」
「………」
「……………」
「………………」
「……おい」
「ん、」
「はよ乾かさんかい」
「…なんで」
「乾かさんとできへんやろが」
「…なにを」
「なにって、決まってるやん」


ニヤリと笑うとその顔を見て、間髪入れず「しません」と返ってくる。抜群のタイミング。儀式みたいなお約束の会話に意味なんてあれへん。

お互いの恋愛事情はよく知らない。話さない。俺は相変わらず真面目に恋愛する気は無く、一晩や割り切った関係をポツポツと続けている。
こいつはこいつで思い出した頃に彼氏を作っているようだ。しかしだいたい短期間でだめになっている。
彼氏がいる期間であろうとなかろうと、関係なくこうやって男を部屋にあげているのだからそりゃ続くものも続かない。

少なからず責任は感じているけれど、彼女が誘うときもあるからあまり気にしないまま過ごしていた。果たして彼女がまだ俺のことを好きなのかどうか知らないが、この関係を続けている限り恋人と続くことは無理だと彼女もおそらく気づいているはずだ。

ちらりと琴美を見る。
近すぎて忘れてしまうが、一般的に見ていい女であることは間違い無いのだ。俺の中でネックになってる部分だって長所として捉える男も多いはず。

髪からしたたる水滴に沿ってその身体に目を向ける。パイル地のショートパンツから伸びる白くて柔らかな曲線が視線を誘って、薄い布の向こうにある痩身を嫌でも想像させた。化粧の全て落とされた顔は“人に見せることはない”という付加価値から色気を増し、上気した頬が健康的に色づいていて息を飲んだ。

なんだか今日はやけにひとつひとつが目に止まる。琴美がまた今度の男と別れたと聞いたからなのか、はたまた違う理由か。
続けへんなら最初からやめといたらええのに。無責任にそう思う自分と、例のごとくなにも言わない琴美に芽生える焦燥感が脳内を占拠して俺の視線を彼女へと促していた。

…あほらし。
30にもなって何を今更ごちゃごちゃ考えてんねん。自分に呆れてため息をついた。…俺には関係ないわ。それよかいつまでたっても乾かさん髪の毛の方が気になる。ほんまに風邪ひくぞ。

俺は立ち上がって先ほど自分が使っていたドライヤーを再びコンセントに繋いだ。


「琴美」


低く呼びかけると顔を上げる。ドライヤーを手に持った俺を見て「なに?すばくんが乾かしてくれるの?」なんて可愛い顔で笑うから腹が立った。
舌打ちしそうな気分を押し込んで、俺は無理やり彼女の背中とソファーの間に割って入った。


「どしたの、なんか優しいね」


カチッとスイッチを入れると温風が目の前の濡れた髪を揺らした。
足の間にいる腰は細くて、風呂上がり特有の体温が俺に感染する。手で梳かしながら乾かすとふわりと届くシャンプーの香りが記憶と違って戸惑った。
…なんで俺は自分からこんな追い込まれに行ってんねん。
今更可笑しくて、やはり聞こえないように舌打ちをした。

気持ちよさそうに目を閉じる琴美が携帯を置く。その手を不意に俺の膝に乗せるのが気になった。その行動に他意はない。わかっていても意識する自分があほみたいだった。



「シャンプー変えたんだよー」



すばくん気付いた?
ドライヤーに負けないよう少し張った声が振り返る。黙ってその顔を掴んで前へ向けた。
「響子に教えてもらったシリーズの色違いなんだーいい匂いでしょ」と笑う彼女にイライラした。なんやねん、ほんま



「俺この匂い、嫌いやわ」



我慢できんくなりそうで、くらくらする。

予想よりはるかに低い声は、果たして彼女に聞こえたのだろうか。







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少し難しい二人の話・前編。

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ミガッテ