「で、どないやねん」


ふっと煙を吐くと、目の前の彼女は不安の言葉を口にした。
喫煙室は今日も2人で、当たり前のように響子と俺は時間を共有していた。昨日あんなことをしたなんて嘘の様に。最低やな。心の中で自分をなじりながらも煙草という逃げ道に走る欲求は止められなかった。同時に知らん顔をして今日を過ごす自分は嫌なくらい器用だと思った。



『忙しいんだよ、村上さんは、』



ヒナがこいつのことを好きなことはほぼ確実で、酔っ払って口を滑らせたときは雰囲気からほぼ秒読みだと思っていた。だから待てど暮らせど進展のない2人に俺はいささか疑問を抱いていた。普通の恋愛ごとには慣れてそうな2人だからこそ、何が起きてるのか見当もつかなかった。
まさかあのヒナが躊躇しとるとか、そんなことはないはず。そんなん想像もできひんわ。



「お前ほんとは遊ばれてんのとちゃうか?」



冗談のつもりだった。ヒナはそんなタイプじゃない。
でも 顔を上げた響子が思ったよりずっと寂しそうな顔をしていたから、思わずぎくりとして俺は慌てて続けた。


「冗談やて、冗談」


少し思いつめたように俯く響子に何かの影が重なって、そこで初めて気がついた。
…遊んでるのは、俺やんか。

『わたしの本気で、あそばないで』

フラッシュバックするように昨日の声が聞こえてくる。居るわけない泣きそうな顔が目の前にいるような気がした。

響子がため息を吐く。そこでハッとして目の前にいるはずない影を振り払うように笑った。それでもぼんやりと影は消えてくれなくて、なんなんこれ、歳食って俺も感傷的になったんかな。
今更になって昨日の行動に後悔が押し寄せた。

…そんな顔、せんといてくれ。

伸ばしかけていた手に気がついて心の中でかぶりを振った。
相手がちゃうやろ。
本人の前でなければこんなに自分は素直なのかと、少し自嘲した。




#




明かりが灯る。照らされた部屋は当たり前に私が出かけたときのままで、ソファーを見ると自然と眉間にシワがよった。

今朝目が覚めたら彼はいなかった。かけられたブランケットと、ご丁寧にも出勤に間に合う時間に目覚ましのアラームが設定してあって、そんな優しさ今はいらないんだと最高に腹が立った。

今は何も食べる気になれない。でも朝から胃に水しか入れてないのも知っているから気休めに冷蔵庫のつまみをつついた。
お風呂に入ると気に入っていたはずのシャンプーの香りがして、化粧を落とすだけにしておけばよかったととても後悔した。

どうしても思い出してしまって嫌だったけど 居場所がないからソファーに沈んだ。
せめてするならベッドでしたかった。そんなことを考えられるくらいには冷静になっていた。仕事の忙しさというのは時に便利だ。

髪の毛を乾かすのも、部屋着を洗濯をするのもとてつもなく億劫だ。どうしてくれる。どうすればいい。…彼が私の部屋に来ることはもうないのだろうか。

なぜ昨日だったんだろう。なぜ何年もお互い越えなかったラインを彼は昨晩越えたんだろう。もう気持ちより先に体が動いてしまうような年齢でもないはずだ。それはつまりあの行為になんの意味もないことを示していて、彼にとってこの関係が壊れるのがたいして重大でもないということにほからない。

…もう考えるの、やめよ。

寝る準備を全て済ませてテレビを切ると、静かになった部屋にインターホンの音が響いた。
こんな夜中に近所迷惑じゃん なんて思いながらもドアの向こうを想像する。彼以外に考えられなくて動悸がした。
モニターに映し出される華奢なスーツは俯いていて、「はい」と出ると『俺』とすぐに返ってきた。


「おう」
「飲んでたの?」
「おん、寝とった?」
「…まだ」


いつも通りの会話に少し胸が痛む。「どうぞ」と招き入れると彼は迷ってからソファーに座った。
私はソファーを背にラグマットに腰を下ろし、彼の様子を背中で伺った。

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ミガッテ