「今日、朝起きれたんか」


低いトーンはいつもと同じ。軽いアルコールの匂いときつめの煙草の香りが漂った。


「当たり前でしょ、子供じゃないんだから」
「そか。ほんなら、ええわ…」


飲んできてるならお水でも用意したほうがいいかもしれない。見た目たいして酔ってなさそうだけれど、アルコールが抜けなければお風呂に入れることも躊躇われる。


「どこ行くん」


キッチンへと立ち上がった私の手首をすばくんが掴んで、「飲み物とってこようと思って」と弁明してもその手は離してくれなかった。


「すばくん」


部屋に来てから終始俯き気味だった彼が顔を上げる。なんだか辛そうな表情をしていて、なぜ私が心を痛めなきゃいけないんだと些か矛盾が生まれた。


「手、離してくんないと、動けないんですけど…」
「……ごめん」
「…うん、いいけど、」


何も言わない私も意地が悪いだろうか。それでも今日ここへ来たということは彼には何か言い分があるはずなのだ。
今この手でそれを言おうとしてるのか、はたまた別の何かなのか。


「ごめん」


繰り返された謝罪の言葉は低く漂ってその重みに落ちた。
その言葉が手を離してくれないことへの謝罪でないことは私もわかっていて、…だけど

「すばくん、」

私は聞くのが怖い。

「ごめん、ほんま」
「…わかった」
「許してとか言わへんから、俺」

今、彼の口から『軽い気持ちだった』なんて言われたら私はきっと立ち直れない。

「わかった、わかったから」
「ほんまに、悪いとは思ってんねん…」
「すばる!」

『勢いだった』『気分だった』『溜まっていた』『好奇心で』『何も考えてなかった』『今は反省してる』どれを取っても辛い。どんな言葉も聞きたくない。言わないでよ。もう少し時間をちょうだい。そしたら自分でなんとかするよ。

「…聞きたくない」
「琴美、」
「聞きたくない!」

事実を突きつけられるくらいなら、有耶無耶で元の関係に戻るほうがだいぶましだ。
力任せに彼の手を振り払って私は身を翻した。

「琴美、待てって!」

立ち上がった彼がもう一度、今度は私の腕を掴んだ。

「すばくんはさあ、!」

大きな声に押されて思わず私も声を荒げた。
目を見開いた彼を見て一旦口をつむる。細く震える息を吐き出して私は声を落とした。


「すばくんはさ、ずっと私の気持ちかわし続けて、そのくせ期待させておいて、一回したら…謝って終わりなの?」


泣きそうな声が情けない。でも泣きたくなかった。これ以上喋ったら泣きそう。でも喋ってないと泣きそう。


「琴美、」
「それ ちょっと 酷くない?」


嫌味な言い方。自分にむかつく。
唇を噛むと彼の舌打ちが聞こえて、ぐいと腕を引っ張られる感覚に視界が大きく動いた。


「聞けや、ほんま、」


私の肩に彼の顎が乗って、ゆっくりと優しく、いつもよりうんと優しく腕が背中に回った。


「…めっちゃ情けないやん、俺」


耳元で聞こえる声が少しだけ震えている気がする。ぎゅっと、抱きしめる力を強めて彼は「ごめん」と再三謝った。


「ごめん」


嫌な思いさせて、ごめん。
何度も謝るから許してしまいそうになる。そんな声で、そんなに焦って、謝らないでよ。


「そんで、」


一旦言葉を切って彼は小さく息を吸った。私の髪を撫でて確かめるように肩に唇を付ける。



「好きや」



聞き間違いかと、思った。

短いその3文字を聞き間違う距離でもなければ、違う意味として捉える可能性もあまりに低い。
でも、今



「…うそ」
「嘘ちゃう」
「うそだよ」
「嘘ちゃうわ」



疑う意思とは裏腹に視界に涙が溜まる。
抱きしめられて封じられた手で腰を押しても彼は力が強くなるだけだった。


「…都合いいように考えてるんでしょ」
「ちゃうわ……俺お前の中でなんぼ性悪やねん」


世界で一番 性格悪いと思ってますけど。
もはや涙声になりつつある言葉は悪態付くにはあまりに情けなく、「あほ、お前にだけやわ」なんていう彼の声は対照的に少しはっきりとしていた



「お前にだけや、こんな後ろめたい気持ちになんの」


大切そうに抱き直すから嫌でも気持ちが伝わってしまいそう。嫌でも彼の気持ちが伝わってくる気がする。やだな、わたし、すばくんのこと信じてしまいそうだ。


「…泣いた?」
「泣いてない」
「ちゃう、一人で泣いた?今日」


身体を離して顔をあわせる。
「…泣いてない」
まだ泣いてない。すんでの所で留まっている涙をすばくんが拭って、らしくない行動に戸惑うと再び抱きしめられた。


「もう泣かさせへんから。」


なあ、俺が絶対 泣かさせへんから、一生。

そんな照れくさい言葉、どこで覚えてきたんだろう。
「好きや」
そう続いた彼の告白は、私を泣かせるにはとても十分だった。泣き虫を泣かせないって、意外と難しいんだよ、すばくん。
背中に手を回すと首だけ離して彼は私の顔を見た。泣いてもうてるやん。なんやねん。とまた私の目尻を擦る。

「それプロポーズって言うんだよ」

ぶっきらぼうに擦られた目尻が痛い。ぎゅっと目を閉じてからすばくんを睨むと「なんでもええわ」と、面倒くさそうに言った。


「ずっと居ってくれるんやったら なんでもええ」


この男は すごい殺し文句を知ってるもんだ。
真っ赤になったであろう顔が恥ずかしくって、すばくんの胸に顔をうずめると彼の楽しそうな声が聞こえた。


「あれか、ガキでもつくればええんか」
「…話が早いね」
「ええ歳やし、遅いくらいやろ」
「……そうだね」
「毎晩俺のテクでよがらせたるわ」
「最低だね」


「ほんまに意外と胸もあったしな」なんてなぜか得意げに言うから「ばか」と一言で返した。
彼の唇が私のつむじにくっついて「琴美、キス」と呟いた。触れられたところが全部あったかい。胸が高鳴って壊れそう。


「上向かんかい」


言葉のままに顔をあげるとすぐに優しいキスが降ってきた。


「…煙草臭い」
「お前のシャンプーが甘いだけやわ」
「…嫌い?」
「や、興奮してたまらん」
「それなんか違うな」
「同じやろ」


笑ったすばくんの苦味をもう一度感じたくて、「すばくん」そう求めると「“すばる”」と被せられた。


「…すばる」
「おん」
「すばる、」
「なんやねん」
「…私も煙草吸おうかな」
「やめとけ」
「うん、やめとく」
「俺のキスで我慢しとけや」


「セリフまでくさいね、すばくん」
笑ってやると「すばるや言うたやろ」なんてわざとらしい不機嫌そうな顔がぶつかってきて
私はただ幸せに目を閉じた。














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煙草は関係なくなりました・後編。

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ミガッテ