後にも先にも誰かを一目見て「欲しい」、と思ったのは、この時が初めてだった。









「──────……おねーさん、どこの人?」

 広大な土地を有する五条家本家の中庭にて。
 柔らかな白髪をそよ風に揺らし、美しい碧眼を外気に晒す少年こと五条悟は着用しているパーカーのポケットに手を突っ込むなり、目の前の人物へとそう問い掛けた。
 第三者からすれば年上相手に不遜極まりない態度だと思うことだろうが、如何せん此処には少年に対して苦言を呈せる者なんて誰一人として存在してはいなかった。むしろ彼にしっしっ、と追い払われたことによって相手の側に控えていた使用人らがそそくさとこの場から立ち去っていく。
 だから、とも言わぬが、膝を折って池の鯉を眺めていた人物がゆっくりと少年に視線を投げ掛けてくる。

現在(いま)は禪院家の預かりとなっています。ただ、今後暫くは五条家の預かりになるかもしれません」

 見るからに物腰の柔らかな女性であった。
 成人しているのかしていないのか、小学校に上がって暫くが経った程度の少年では少々判断がし辛い。
 身に纏うのも色無地に捻襠(ねじまち)切袴と言う彼にとっては別段珍しくも何ともない格好であるし、絶妙に幼さを残した顔立ちも相まってか余計に判別が難しかったのである。
 だが、ただ一点だけ。
 唯一この女性について少年が初見で理解出来たことは──────────“彼女もまた自分と同じ「特別」な部類の人間”、と言う点だった。

 そして自分だけが「彼女」を理解(すくっ)てやれるのだとも。

『「中身」がぐっちゃぐちゃだな……にも関わらず人の形を保ててるのは元凶でもある内包された「呪い」のお陰、とか』

 いっそ一思いに殺してやった方が「楽」になれるのではないか。
 そのような思考と共に一歩を踏み出して相手の顔を覗き込むと、突如として“むにっ”、と頬を引っ張られた。爪の先まで隙間なく呪符に覆われた細長い指によって。

「!?」
「自分より齢を重ねた相手をぞんざいに扱ってはなりませんよ」

 いずれ「上」に立つ者ならば尚のこと。
 そう述べるなり少年の頬から指を放して静かに立ち上がる女性は、ポカン、としたままの相手に優しく微笑み掛けると近場の長椅子にまで音もなく足を運んでいく。
 次いで立ち尽くしている少年に向かって手招きをすると、いそいそと己の袂を漁り始めた。

「実を言うと、六眼の子が生まれた際、順番的にも五条家へ参るよう打診されていたのですが……それよりも気掛かりな子が禪院家に居りまして。我儘を通す形で今の今まで禪院家に留まって居た次第です」
「……つまり「俺」より優先したい奴が居たってわけだ」

「ええ。どの家にも干渉し過ぎないように努めてはいるのですが、どうにも「子供」を前にするとそうも行かなくなってしまって。そのせいで余計当主たる直毘人への風当たりも強いものにしてしまいましたし、本当に申し訳ない限りです」

 でも子供贔屓だけは治せないんですよね、だなんて漏らしながら素直に自分自身の隣に腰を下ろした少年へと多種多様な駄菓子を手渡す女性。
 どうやら幼子の為にお菓子を常備しているらしい。その言葉通り子供好きであるようだ。

『……子供(ガキ)扱いすんじゃねーよ』

 そう思いはしても、言葉にはしなかった。
 これ以上“自分が子供である”、と言う事実を彼女に印象付けたくはなかったのだ。
 実際問題、彼女にとっての「五条悟」はどうしたって「庇護すべきもの(こども)」でしかないが故に。

「甘いものはお嫌いですか?」
「……別に」
「なら良かった。男の子は年頃になってくると年々気難しくなってきてしまうので、今回はどうだろう、と少し不安だったんです。甚爾の口癖も「いつまでもガキ扱いすんな」でしたし、いつの時代も男児とは難しいものですね」
「(誰だよトウジって)」

 自分の知らない人間(おとこ)の名前を親しげに紡がれると、無性に腹が立つ。
 だがそれを悟られてしまうのも妙に腹立たしかった為に、澄まし顔で与えられたお菓子の包装紙を破く少年は取り出したばかりの中身(それ)を乱雑に咥内へと放り込む。でもってそのまま暫くモゴモゴと口を動かし続けていると、隣に座る女性が何とも微笑ましげな眼差しで此方を見てきていることに気付き──────────思わずング、と、喉を鳴らす。
 そして軽く噎せ掛けるのだが、そこは気合いで何とか何事もなかった風を装うと、今度はクスクスと言う小さな笑い声が耳に届いてきた。

「──────……産まれてすぐ、とは行きませんでしたが、「私」はずっと貴方に会える日を心待ちにしていたんですよ」
「……は?」
「千年近く生き続けてきましたが、六眼と無下限呪術、その両方(ふたつ)を併せ持って生まれてきてくれる子なんてそうそう居りませんでしたから。だから貴方が無下限呪術の遣い手であり、尚且つ六眼持ちであることが本当に嬉しく、有難いのです」
「────、」

「ようやく「私」は死ぬことが出来る。貴方が「私」を終わらせてくれるのだと──────そんな風に年甲斐もなく心を躍らせてしまう程に、「私」は五条悟(あなた)に殺される日を心から待ち望んでいるんです」

 年相応とは言い難い、それはそれは無邪気な笑みと共に女性はそう言い放った。
 次の瞬間には「まだまだありますよ」と、自身の袂を手繰り寄せては可愛らしい巾着袋から新たな駄菓子を取り出しながら。
 またお菓子ばかりでは喉が渇くだろうと思い立ち、あれからずっと離れた場所で待機してくれている五条家の使用人らに視線を投げ掛けては何かしらの飲み物でも用意してもらおうとばかりにゆっくりと腰を浮かす────────のだが、彼女のその行動は傍らの小さな少年の手によって物の見事に制されてしまうのだった。

「……悟?」

 呼びかけても返答はない。
 ただその代わりとばかりに着物の袖を握り締める手に更なる力が籠められたので、相手のその様子を目にしてすぐにピンときた女性は浮かし掛けた腰を再度ゆっくりと下ろしていく。
 自分はただ喉を潤せるものを頼みに行こうとしただけでこの場から立ち去るつもりだった訳ではない、と相手に伝えるために。
 だが口を開くよりも前に少年の瞳を双眸に捉えた女性は、瞬時に自分自身の「間違い」に気付く。




「■■■■■」




 心の底から吐き出すようにして紡がれた五文字。
 それこそが先の女性の発言に対する五条悟の忌憚なき返答だった。












 乙骨憂太は呪われている。
 かつての婚約者、祈本里香によって。

 「(ゆうた)」を傷付けるもの。
 「(ゆうた)」に害をなすもの。
 「(ゆうた)」を愛するもの。
 「(ゆうた)」から愛されるもの。

 それら全てを「彼女(りか)」は赦さない。

 だから乙骨憂太は全てから距離を取った。取らざるを得なかった。
 大切なものを壊さぬ為に。大切なものが犠牲になってしまわぬように。

 これ以上の被害を決して出してしまわぬ為にも────────乙骨憂太と言う名の少年は、己が「死」を受け入れた。










「え……っと……」

 教えられた部屋は此処だったよね?、と踏み込んだ一歩を思わず後ろに戻す少年こと乙骨憂太は躊躇いを露にしつつ開けたばかりの扉をパタリと閉める。
 そして数十秒ほど現実逃避をした後に今一度ゆっくりと扉を開け放ってみるのだが────────現実は彼を甘やかさなかった。
 要は先程と何ら変わらぬ光景が眼前に広がっていたのである。
 なので恐る恐る室内に身体を滑り込ませる乙骨は、なるべく音を立てぬよう細心の注意を払いながら、ソッ、と「それ(・・)」を覗き込む。

 乙骨に充てがわれた筈の部屋で何故か眠りこけている、初めましても初めましてな見知らぬ女性の姿を。

『僕より年上っぽい、から、先輩…………じゃなくて、先生、かな?』

 面立ちと身体付きからして年下には見えなかったので学生ではない、と判断したものの、流石に成人しているかどうかまでは解らなかった。
 因みに身に纏う衣服は乙骨が通うことになった東京都立呪術高等専門学校、即ち呪術高専の制服と同じ全身真っ黒なものであったのだが────────こちらは洋装ではなく切袴(わそう)だった。
 一瞬お葬式の帰りかな?とも思ってしまったのだが勿論そんな筈もなく、何はともあれ相手を起こすべきかどうかを悩み始める乙骨は暫しオロオロと視線を動かし続ける。それでいて何気なく露になっていた女性の手足へと目を向けると、ピタ、と動きを止めた。

「……?これ(・・)────」
「ありゃ。力尽きちゃったか」

 癖のある黒髪を揺らし、僅かに顔を下げながら相手の手足を注視していると、どこからともなく聞き覚えのある「声」が室内に響いた。
 故にビックゥ!!と肩を跳ねさせてしまう乙骨は、反射的に心臓がある部分を手で押さえつけると、勢い良く背後へと振り返る。


 すれば案の定そこに、五条悟が居た。


 逆立った白髪に両目を覆う白い包帯、真っ黒な衣服は自身を此処まで連れ出した時と何ら相違ない。
 ただ一点だけ違うとしたら、それは相手の手にぶら下げられたコンビニ袋であろうか。
 多分、いや絶対、まず間違いなくコンビニ帰りである。ついさっきまで自身の側に居たと言うのに。一体いつの間に。

「いやあ、ごめんごめん。新しい子供()が来るって知った途端に嬉々として部屋の掃除を始めたんだけど、途中で疲れちゃったみたい」

 すよすよと気持ち良さそうな寝息を奏でている女性を終始穏やかな眼差しで眺めつつ、その一方では全く以て誠意が感じられない謝罪の言葉を口にする五条。
 それでいて部屋の片隅に立て掛けられたままである箒や塵取り、はたまた水の入ったバケツやらを順々に指していくと今度はやけに優しげな口調で「少しでも居心地の良いところにしたかったんだろうね」だなんて言葉を漏らす。まるで眠り姫となってしまっている女性(かのじょ)の気持ちを代弁するかのような面差しで。

「…………そ、う、だったん、ですね。えと、五条先生と同じ、先生、ですか?」
「いや?僕のお嫁さん」
「ああ、お嫁さ…………え?……えっ!!?」
「────になって、って、十数年言い続けてるんだけど、一向に色好い返事を返してくんないんだよね。何でだと思う?」

 心底不思議そうな面持ちで問い掛けられては件の女性と五条を交互に見やり、それはそれはぐるぐると思考を巡らす乙骨。
 しかし初対面でいて話したこともない女性の真意など齢十六の彼に解る筈もなく、だからこそ悩みに悩んで最終的に搾り出した「答え」も実に在り来たりなものとなってしまうのだった。

「何で…………えっ、ほ、他に好きな人がいる、とか……?」
「えー?ないない。だって僕ら相思相愛だもん。現に僕の側に居続けてるのがその証拠(あかし)だし。いや、まあうん、他のところへの根回しだ何だとか色々としたような気もしなくもないけど、それはほら、オフレコで」
「ええ……」
「僕は!相思相愛だと!思いたい!!ねっ?!」

 時々この人のノリに付いていけない。
 ここに着くまでの道中で思ったことを今一度胸に抱いたところで、漸く心臓を落ち着かせることに成功した乙骨は、それとなく眠り姫状態の女性を盗み見る。女性自身、と言うよりかは、手首と足首にまでビッシリと隙間なく巻き付けられた仰々しい呪符の数々を。

「ああそれ?これでも大分()った方なんだよ」
「祓っ……?」
「うん。でも、やっぱり“ぐちゃぐちゃ”にした張本人(おおもと)を何とかしないと駄目っぽいってのが解ってね。今は僕の側で現状維持中、ってところかな」

 まあ正直なところを言えば「祈本里香(呪いの女王)」を取り込ませることで「原因(おおもと)」を相殺出来(とりのぞけ)たりしないものかと考えていたのだが────────やっぱりこれは「無し」にする事にした。
 何せ千年に渡って人の形を維持させ続けているほどの強力な「呪い」だ。
 仮に実行してみせたとしても「呪いの女王(りか)」が押し負ける確率の方が高い。以前に、何がどうなるか断言出来ない状態である以上、彼女に関するリスクは必要最小限に留めておきたい、と言うのが五条悟の本音だったりする。
 私情、と言われたらそこまでだけれど、己の行動理念なんて大体は「私情」だし。要は“今に始まったことではない”、と言うやつである。

『封印されてもなお影響を及ぼし続けるってんだから嫌になるよね、ほんと』

 その封印とて年々綻び始めているし、上の連中が急かすようにさっさと「特級呪物」を回収しきった方が良いのかもしれない。現実問題、既に“毒をもって毒を制す”状態ではなくなってきているのだから。




「“逆”」




 そのようなことを今更ながらに考えていたら、ふと。
 乙骨のものでも、五条のものでもない、第三者の「声」が室内に響いた。

「────?!」
「憂太の、それ、“逆”、です、ね」

 頑張って単語同士を繋ぎ合わせているかのような、そんな途切れ途切れの台詞だった。
 まるで言葉を覚え始めたばかりの幼子のような辿々しさ、とでも言うべきか。
 だから、と言う訳でもないのだが、ほぼ反射的に声のした方向へと振り返ってしまっていた乙骨は直後に「えっ」と言葉を漏らす。今し方の声の持ち主が子供、ではなく、いつの間にやら目を覚ましていた女性のものであった事に驚きを隠せないまま。

「あ……」

「おっはよー。どう、調子は?体調が優れないってんだったら強制的に部屋に戻すけど」
「いえ、一休み、です」
「なるほど。休憩を挟んでただけ、ってわけね」

 横たわっていたベッドから静かに身を起こし、ふる、と緩やかに首を振った相手に「なら良いや」と返す五条は傍らの乙骨にコンビニ袋を託すなり直ぐさま目の前の女性の手を取った。それがさも当然の対応とばかりに。
 次いでそのまま立ち上がりの補助をしてやると、ほんの少しだけ眉を(ひそ)めた女性から物言わぬ抗議を受ける。曰く「自分に対して過保護が過ぎるのではないか」、と。
 また立ち上がることぐらい一人で出来ると、今の状態でも何ら日常生活に問題はないのだと伝えてくるかのようにして立て掛けてあった箒と塵取りを手に取られては溜め息と共に「はいはい」と肩を竦める五条で。

「憂太」
「!っあ、はい」

「ようこそ、呪術高専、へ」

 五条との親しげな遣り取りをただ黙って眺めていたら突如として女性に名を呼ばれて「ようこそ」、と迎え入れられる乙骨。
 だからか、瞬間的に競り上がってきそうになった感情を唇を噛み締めることによって何とか堪えると、うろうろと視線を彷徨わせた後にぺこりと頭を下げる。戸惑いと“それ以外”の感情を悟られないように。
 だが目の前の女性は乙骨のその心情を見抜いていたのだろう、そっと彼に手を伸ばすとやわやわと相手の頭を撫で始めた。
 それはどこか小さな子供をあやすかのような、そんな慈愛に満ちた手付きではあったのだが────────不思議と嫌悪感は抱かなかった。
 むしろ心地よさすら覚えてしまった乙骨は更に俯き、改めて思う。


 ああ(・・)やっぱり(・・・・)





【でも、一人は寂しいよ?】





 やっぱり僕は、ずっと、寂しかったんだ。










「で、結局のところどうなのよ?」
「しゃけ」

「どうもこうもねーよ。多少動けるようにはなったが“呪術師”としては下の下、甘ちゃんも甘ちゃんのままだっつの」

 とある日の呪術高専にて、最初に口火を切ったのは一頭のパンダだった。
 でもってそれに続く形でおにぎりの具を口にしたのは季節関係なくネックウォーマーによって口許を隠した少年こと狗巻棘で、そんな彼らの視線の先にはグラウンドで準備運動に勤しんでいる乙骨憂太の姿がある。
 因みに腰に手を当てながら僅かに身体を捻らせた禪院真希もまた件の彼を双眸に捉えると高い位置で結んだ黒髪を揺らしながら露骨にチッ、と舌を鳴らした。

「おら、ちんたらしてんなよ。やんぞ」
「あ、よ、よろしく!禪院さん!」
「私を名字で呼ぶなっつってんだろ」

 刃の無い模擬槍を手に乙骨のもとにまで歩んでいく真希を見送り、パンダと狗巻の両名は小休止(けんがく)に勤しむ。
 否、偏に小休止と言っても、これは別にサボりとかではなく、純粋に代わり番こでの特訓なのだ。
 現に今の今までパンダと狗巻が互いを相手に組み手をしており、今度は武具を使っての戦闘を主とする真希が刃物(かたな)を扱う事となった乙骨を鍛える番となったのだ。
 何たって乙骨は武具の扱いに関してはずぶの素人なのだ。得物を手にした間の取り方を掴むためには真希に特訓して貰うのが一番だと判断したからこその組み合わせであり、断じてそこに他意はない。断じて。

「ああ言いつつ、憂太の特訓に率先して付き合ってやってんだから真希も素直じゃないよなー」
「こんぶ」

「仲が、良くなる、のは、良いこと、ですよ」

 パンダのお腹を背凭れにして真希と乙骨の訓練を眺めている女性は二人の関係が微笑ましくて仕方がないらしい。
 終始ニコニコとしながら彼らを見続けていると、

「巫蠱って本当に子供が好きだよねえ」

 だなんて言いながら何処からともなく五条が姿を現す。どうやら上層部からの呼び出しを終えて学校へと戻ってきたところであるらしい。
 「よいしょ」、の掛け声と共に極々当たり前のような態度でパンダと位置を代わる五条は、女性の頭に軽く顎を乗せると真希の連撃を避け続ける乙骨をふむ、と眺め始める。

「憂太が高専に来てから三ヶ月……かなり動けるようになってきたよな」
「しゃけ」
「性格も前向きになったよねぇ」

 感心感心と頷く五条の隣で真希も楽しそうだと頷き掛けるパンダだったが──────そんな彼の身に突如としてピシャン!と雷のようなものが落ちる。天啓だ。

「憂太ァ!!!ちょっと来い!!」
「えっ?なに、どうしたの、パンダ君」
「超大事な話だ!!心して聞け!!」

 まさかの呼び出しにビックリとした乙骨が思わず動きを止めてしまうと、真希からの一撃が物の見事に彼の額を打ち抜いた。
 故に「あ、わり」と謝るパンダではあったのだが、相も変わらず早く早くと急かされては痛む額を押さえながら即座に身を翻す乙骨で。

「??もしかしてどこか致命的な欠点でもあっ────」
「オマエ、巨乳派?微乳派?」
『なんで今!??』

 それって今じゃなきゃ駄目な話!??

「や……あんまり気にしたことないんだけど……人並みに大きいのは好きかと……」
「ふんふん、ほっほーう」

 余りにも突然すぎる問い掛けに疑問符を浮かべまくる乙骨ではあったものの、質問にはちゃんと答える派であるらしい。意図が汲み取れなかったのもあるだろうが。
 ただ答えたら答えたで途端にニヨニヨとし始めるパンダだったが故に『何だったの?』、と首を傾げる乙骨は説明を求めるようにして五条らに視線を投げ掛ける。が、真顔で「触り心地も大切だと思うよ、僕は」だなんて返してくる担任を前にしたら、なんかもう言及しない方が良い気がしてきた。傍らの狗巻も無表情だし。

「真希!!」
「あ?」

 先程の乙骨同様、急に名前を呼ばれたことで反射的に真希が振り返る。
 そしてバレリーナさながらにくるくると回ったパンダに「脈ありデース」と両手で大きくOKサインを繰り出されては、ピキッ、と動きを止めた。と言うより、固まった。
 次いでピクピクとこめかみを震わせると模擬槍を手にズンズンとパンダに近付いて行く。
 気のせいでもなんでもなく、彼女は殺気に満ち溢れていた。

「なに勘違いしてんだ、殺すぞ!!!」
「照れんなや!!小学生か!!」
「おーし殺す!!ワシントン条約とか関係ねぇかんな!!!」

 おらあ!と握り締めていた模擬槍を振り切ればパンダが跳躍によってそれを躱し、次の瞬間にはその体躯に似合わぬ俊敏さで走り出す。
 すれば当然の如く真希もパンダを追い掛け始めるものだから置いてきぼりとなった乙骨はどうしたら良いのかが解らなくなる。
 果たして二人を止めるべきなのか、見守るべきなのか。
 何気なく狗巻に話し掛けてみても彼から返ってくるのはやっぱりおにぎりの具だし。

「えー、それじゃあ、そこの二人は引き続き鍛錬して貰うとして。棘、“ご指名”。君に適任の「呪い」だ、ちゃちゃっと祓っておいで」
「しゃけ」

 真希とパンダの戯れ合いを横目に女性を抱き竦めたままの五条が淡々と傍らの狗巻に指示を出す。
 現在はシャッター街となっている商店街で低級の「呪い」の群れが確認された、と。

「ご指名……?」
「棘は一年で唯一の二級術師、単独での活動も許されてんの」
「つーか悟はいつまで巫蠱さんにくっ付いてんだ。いい加減離れろ」

 過保護も度が過ぎると嫌われんぞ、の一言を受けて即座に「それだけは絶対に無い」と言い切る五条は女性の「どこ」に地雷原があるかを熟知しているらしい。
 そもそも巫蠱が僕を嫌うはずがないし、とまで続ける彼はぽけっとしたままの乙骨に狗巻のサポートを頼むと次の瞬間には「はい、キビキビ行くよー!」と手を叩き始める。
 また件の五条の手を借りて立ち上がった女性も任務に赴く両名に向けて優しく微笑み掛けると途切れ途切れながらに口を開いた。不安を隠し切れていない乙骨を前に「くれぐれも気を付けて下さいね」、と。











「──────……つーか、やっぱその状態、不便過ぎんだろ」

 先程の時点で疾うに追いかけっこを止めてパンダを足蹴にしていた真希が吐き出すようにしてポツリ、と呟く。
 その表情はどこか不満そうで、不服そうで、彼女に伸されて上に乗られていたパンダもまた無言で女性の背中を眺めると小さな溜め息と共に曖昧な返事を返す。
 恐らく彼も彼なりに相手に対して抱く感情があるのだろう。特に真希を退かす事もせずにそのまま地面に伏せていると、此方にクルリと向き直った件の女性が申し訳なさそうに眉を下げたのが解った。
 この様子からして、まず間違いなく今しがたの真希の呟きが聞こえてしまったのであろう。

「すみ、ません。聞き苦しい、です、よね」
「……そう言うわけじゃない。ただ、なんかこう、その、どうしたって腹が立つんだよ」

 「禪院」の出である真希と彼女にはそれなりの「縁」がある。
 だからこそ真希は五条に問うたのだ、女性の言語能力だけでもどうにかすることは出来ないのか?と。
 少なくとも“ある程度の「呪い」を内包させ続けていれば以前のように話せるようになるだろ”。
 そう真正面から彼に問い掛けたのだが────────五条から返されたのは“こう”だ。



【例え不自由を強いることになっても巫蠱の中の「呪い」は全部祓うって決めてるんだよ。じゃなきゃ意味ないし────────あっちも理解しない】



 自分が間違いなく「人間(ひと)」であることを。
 それに本人の意思に反する形でもう十分すぎるほど生かされ続けてきたのだからそろそろ自由にさせてやったって良いでしょ、とも彼は語った。
 だから“ぐちゃぐちゃ”になるまで取り込ませられたものを再び取り入れさせるような真似は出来る限りしたくない。
 そう正面切って言われてしまっては流石の真希とてこれ以上は何も口にする事が出来なかったのである。あと軽薄な五条がそこまで彼女のことを想っていたとは思わなくて、素直に驚いてしまったと言うか何と言うか。

『てか、「呪い」を祓えば祓うほど「人」としての機能が低下してくってなんなんだよ。くっそ腹が立つ』

 彼女を“そんな風”にした張本人に対し内心で悪態を吐いていたら自分のせいで更に真希が不機嫌になってしまった、と勘違いしたらしい女性が見るからにしょんぼりとし始めた。
 故にそれに気付いたパンダが誤解を解くべくして起き上がろうとするのだが、如何せん背中に真希が乗っていたことを忘れてしまっていたが為に、

「急に動くんじゃねえよ!」
「ひでぇ!!」

 などと、件の彼女から物の見事に理不尽な一撃を食らってしまうのだった。こればっかりは本気で真希を思っての行動だったのに。
 しかも「お前のためを思ってだな……」と言う台詞も苛立ち混じりの「あ?」にかき消されてしまう始末。ひどい。

「…………」
(────……真希の苛立ちは正しい。私とて今の状態は見苦しいのではないか、と思うときがある)

 見苦しくて、不憫(あわれ)ですらある。
 しかし、それでも己は可能な限り五条(かれ)のしたいこと、やりたいことを聞き入れてあげたいのだ。

 だってこれは、紛れもなく自身が蒔いてしまった種だから。



(私が悟を“怒らせた”)
(理由は、……今でも分からない(・・・・・・・・)けれど)
(でも、多分それも、怒らせる要因の一つだったのだと思う)



 そして「あの日」からずっと、五条悟は「私」に対して怒り続けている。










「────さて、と。それじゃあ乙骨憂太を殺して「特級過呪怨霊」祈本里香を手に入れるとするか」








 夏油傑(あいつ)が動いたよ。
 自室を訪れた五条の口からそのような知らせを受けても女性は別段驚きはしなかった。
 何故なら彼女にとって、かつての同胞の裏切りなど今に始まったことではないからだ。
 それに予てより彼は“その兆し”を見せていたのだから。
 低級の群れしか居ないとされていた商店街で予定に無かった準一級レベルの「呪い」を発生させたりして。
 つまり件の日のために水面下で粛々と「呪い」を集め続けていたのだろう。
 そしてしっかりと準備を整え、行動に移してきた。

 己が願いを成就させる為に。



【来たる12月24日!!日没と同時に我々は百鬼夜行を行う!!!】



 場所は「呪い」の坩堝、東京「新宿」。並びに、呪術の聖地「京都」。
 各地に千の「呪い」を放ち、下す命令は非術師達の“鏖殺”。
 地獄絵図を描きたくなければ死力を尽くして止めに来い。思う存分“呪い合おう”じゃないか──────と、「呪詛師」夏油傑は高らかにそう宣言したと言う。


 自分達の勝率がたったの三割程度でしかないことを端から想定した上で。









「あの……夏油さん、って、どう言う人なんですか?」

 不気味な程に静まり返っていた教室(くうかん)で乙骨が徐に女性へと問い掛ける。
 因みに今の今まで静寂に包まれていた空間には乙骨と女性、それでいて真希の三人しかおらず、他の人間は疾うに現場へと出払った後であった。
 総力戦になるからと、二級術師以上が昨日の夜の時点で新宿に赴いていたからだ。
 なので諸々の準備をしなければならなかった今週は授業も休講となっていたのだけれど、手持ち無沙汰なのが落ち着かなかった乙骨は寮内や校舎内をウロウロと彷徨った果てに誰も居ないであろう教室(ここ)にまで足を運んできてしまったのだった。まあ予想に反して真希と女性が居たわけだが。

「悟の奴に聞いただろ。夏油傑っつーのは、胸糞悪い、最悪の呪詛師だってな」
「あ、うん、そうなんだけど……そうじゃなくて、なんて言えばいいんだろ……」

 上手く言葉に言い表せられないせいか、頬を掻きながら気まずそうに女性を窺う乙骨。すると相手の言わんとしていることを何となく察した女性が乙骨の右隣の席に腰を下ろし、流れるような動作で彼を指した。

「傑は、かつて“そこ”で、悟と硝子と共に、呪術を学んで、いました」

 乙骨が転入してくる以前と同じ、あの当時も生徒は三人だけだったと彼女は語る。それでも一人一人がとても優秀であったと。

「傑は、他人を思いやれる、優しくも、真面目な子、です」
「なら何で、」

「優しい上に、理想主義者でもあった、から、自分の中の、正しさ、にも、疑問を抱いて、しまった」

 ────ある少女が死んだ(・・・・・・・・)
 周囲の身勝手な感情に振り回される形で。
 色んな所に行くことも、色んな物を見ることも叶わずに。

 そして「それ」が彼を“そうたらしめた”要因の一つとなった。




【オマエが望むなら、何度でも、何回でも、俺がオマエを殺してやったのに】




 あの少女の「死」が彼の心を蝕んだように、女性もまた人知れず「責」を負い続けている。
 何千年と生き続けて来た中でも“こんなこと”は詮無いことで、特別気に病むようなことではない、と分かってはいても──────どうしたってふとした瞬間に思い出してしまうのだ。
 特に「あの子」は自ら進んで関り合いになろうとしていたぐらいに気掛かりな存在であったから。

「どの道そんなのは全部「過去」の事なんだよ。私らが今しなきゃなんねーのはあのクソ呪詛師の鼻っ面をへし折ってやることだ」
「……うん。そう、だね。僕ら居残り組だけど……」
「一言余計なんだよ。絞めんぞ」

 好きで留守番をしている訳ではないと言わんばかりに真希が乙骨の頭を鷲掴んだ瞬間、

「「「────!」」」

 その場に居た三人が三者三様に勢いよく窓の外に目を向ける。何故か突然この学校を覆い始めた「帳」に反応する形で。

「え────なんで、誰が学校に「帳」を……?」
「……様子を見てくる。お前は巫蠱さんと此処に居ろ。間違っても出てくんなよ」

 言うが早いか、眼差しを鋭いものへと変化させた真希が早々に教室から飛び出す。
 故に一人は危ないと思わず後を追い掛けそうになる乙骨ではあったのだが、すぐに“此処に居ろ”、の台詞を思い出しては何とかその場に踏み留まる。
 突然の「帳」といい、詳しいことが解らない内は無闇矢鱈に動き回るべきではないと判断したからだ。
 またこの場に女性を一人きりにしておくわけにも行かない為、今はただ様子を見に行った真希の帰りを信じて待つしかないと。

「大丈夫かな真希さん……」
「…………」

 仮に「何か」が起きていたとしても真希ならば状況に応じて行動する事が出来る──────筈、なのだが、やけに嫌な予感がする。
 やはりここは女性を連れてでも真希と一緒に行動すべきだったか。
 いや、でも、“万が一”を考えたら危険な場所に彼女を置いておくべきではないのだろう。

 何より“この人を矢面に立たせてはならない”、と、乙骨は思っていた。

 まだ一年にも満たない短い付き合いだけれど、それでも彼は漠然と理解しているのだ。
 真希やパンダ、それに狗巻がこの女性に対して特別な感情を抱いていることを。
 そして彼女自身もまた彼らをとても大切に想い、慈しんでいることを。
 乙骨自身もその身を以て知ってしまったからこそ、“やっぱり先生が言っていた通りの人でもあるのだろうな”、とも。



【そもそも争い事に向いてない。割り切れないんだよ、全てにおいて】



 千と言う途方もない期間。
 遍く星の数だけ沢山のものを見て、聞いて、触れて、感じて、味わってこようと────────決してそれらに“慣れることがない”。
 だから今回の件にも関わらせず此処に残すことにしたのだと、そんな風に五条は乙骨に説明した。「彼女と一緒に僕らの帰りを待ってて」と告げながら。

「────……少し、席を、外します」
「えっ!?じゃ、じゃあ僕も一緒に、」

 今の今まで大人しく窓の外を眺めていた女性が何の脈絡もなく急に立ち上がるものだから、虚を突かれた乙骨が物の見事に慌てふためく。しかも一緒に付いていく意思を示せば緩やかに首を振られるし。
 避けられている、とは微塵も思わなかった為に何か理由があるのかと問えば、目の前の女性が少しばかり逡巡したのが解った。
 なので逸る心臓を落ち着かせつつ、その理由とやらを話してくれるまで暫し黙して待つことにする乙骨。
 すれば数秒後、気遣わしげに廊下を指差した女性がポツリと一言。




女子トイレ(おてあらい)、一緒、に、行きますか……?」




 穴があったら入りたい、とは正にこの事であった。












「──────素晴らしいな」


 パンパン、と袈裟に付いた埃を払いながら夏油傑は呟く。
 見つめる先には瓦礫の山と一緒に地面に伏した呪言師の末裔と突然変異呪骸の姿があった。呪術高専の狗巻棘とパンダだ。
 本来ならば新宿で千の「呪い」と対峙していた筈の彼らは、此方の思惑に気付いた五条によって瞬時に高専にまで送り飛ばされたのだろう。

 乙骨憂太(なかま)を救けるために。

 だからそれが素直に素晴らしいと思った。
 だって彼らは自己を犠牲にしてまで乙骨を助けに馳せ参じたのだから。
 呪術師が、呪術師の為に。
 つまり“この光景こそ”が自分が追い求めて止まなかったものなのだ。







「“傑”」







 もう少しで己の望む「世界」が手に入る。
 その事実に感涙し、尊ぶべき光景に感激していたら、真後ろから突然「声」がした。
 と同時に、“ひやり”、とした感触が右手首から伝わってくる。

「──────!!?」

 反射的に振り払い距離を取ったが、遅かった。
 “今ので何体か奪わ(もってか)れた”と右手首を擦る夏油は、僅かな隙を突いて狗巻とパンダの身体を回収していた人物へと目を向ける。
 此方に背を向け、この場に居る誰よりも酷い状態で地面に転がされていた少女を労る一人の女性の姿を。
 今も尚、己が■を■がし続ける人物の背中をその双眸に収めては────────本当に無意識のまま、息をつく。

「既に逃がした後です。此処に憂太は居ません。退いて下さい」

 原型を留めていない右足に、致命傷になりかけている腹の傷。
 「子供」である真希をこれ程までに甚振る必要がどこにあったのだろうと顔を歪ませる女性は────────それでも夏油を憎みきる事が出来なかった。
 故に彼女は相手に退くよう要求する。ここに乙骨は居ないと言いきって。
 これ以上この子供()たちを傷付けないで欲しいと暗に訴え掛けながら。

「貴女とは語ら(はなさ)ない」
「────!」

「もし言葉を交わすとしたら、それは、非術師(サル)共が居なくなった世界でだ」

 瞬間、女性のすぐ真後ろに突如としてケラのような呪霊が姿を現す。
 次いで「イ、ただき、ま"、ァあ"ス!!」の掛け声と共に女性らを丸飲みにしてこようとしてくる呪霊だったが故に流れるような動作で脚を高く振り上げた女性は──────────寸分の狂いもなく呪霊の顔面に踵を落とした。




 衝撃に次ぐ破裂音。
 と同時に消し飛ぶ女性の(ブーツ)




 露になった彼女の片脚からもびっちりと巻き付けられていた呪符が次々と剥がれ落ちていき、足首までに留まっていた紋様(あざ)が膝に届きそうな程に広がりを見せていく。
 恐らく夏油の身体から「呪い」を奪い取った(・・・・・)ことによる影響であろう。言語能力が回復していたのもそれが理由だ。

『……やっぱりただ「呪い」を打つけても駄目だな。祓われるか、若しくは奪われるだけだし』

 “折角祓ったものをまた取り込んだりしたら悟に怒られない?”
 そう問い掛けたい気持ちもあったが宣言通り口を噤み、次はどうするかと徐に女性の顔を窺う夏油は────────次の瞬間、意図せぬ形で僅かに動きを鈍らせる。

「ならば尚のこと、貴方はここで退くべきです」
「────」
「私は、沢山のものを見て、聞いて、触れて、感じて、味わってきました」
「────」
「だから、嫌でも理解し(わかっ)てしまう時がある」
「────……」

「今日を逃したら、きっと私は、もう二度と傑と言葉を交わせなくなる」

 女性は、今にも泣き出してしまいそうな表情(かお)をしていた。
 夏油傑と言う「呪詛師」がこれまでにどのような行いをしてきたのかを全て知った上で────────それでも尚“死んで欲しくはない”、と、そう言っていた。
 呆れるぐらいのお人好しさ加減だが、多分、他の者だったらこうはならなかったのだろう。

 だって彼女は、“かつての夏油傑”を知っている者だから。

 慈しみ、育むべきだった子供の一人だと認識したままでいるから、今でも話せば言葉が通じると思っているのだ。
 そんなの、疾うの昔に失われているのに。
 此処にいるのは「呪術師」夏油傑ではなく、「呪詛師」夏油傑だと言うのに、どうしてまだ追い縋ろうとするのだろうか。

「傑」

 諦観すればいいのに。

「……っ傑」

 切り捨てて、割り切ってしまえばいいのに。

「ッ傑!!」
もう遅い(・・・・)

 互いの距離が零になり、触れられるよりも前に夏油が女性の腕を掴む。
 けれど女性は彼の手を振りほどかなかった。自身の背後に意識のない真希達が居たからだ。
 故に彼女は代わりとばかりに夏油を再び地中に引きずり込もうとする。先のパンダや狗巻と同様、地を踏み抜いて。
 自分もろとも堕ちてしまえばある程度の時間は稼げるだろうと思い立ち、いざ片脚に呪力を流し込んで地面を一気に踏み抜こうとすれば──────────そこに(・・・)


 夏油の傍らに、見覚えのある呪霊が居た。


 赤子のような頭を持ち、芋虫のような肉体を持つ「呪い」。
 そしてその口から吐き出されたものにも、覚えがあった。
 夏油の手に握り締められた「特級呪具」。
 その所有権を有するのはかつての「あの子(・・・)」が産まれ育った、

「────ッ!!」

 膂力と遠心力を伴って振るわれた「それ」は女性の両脚をいとも容易く吹き飛ばした。
 だが「痛み」は無い。もとより彼女には備わっていないものだから。
 故に骨が粉砕された音と肉が引き千切れていく感触から“反転術式(しゅうふく)に時間が掛かる”、と判断した女性はせめてもの足掻きで彼に触れようとする。夏油が飼う呪霊を出来る限り減らそうと。



「なにを、して……るんだ。僕の、大切な人たちに」



 けれどその前に、「彼」が。







「────────ッッ来い!!!里香!!!」







 乙骨憂太が、この場に姿を現してしまった。





『ッ待──────』





 待って。

   お願い。









 “
  殺
   さ
    な
     い
      で
        ”
         。












 結局「音」になることはなかったその懇願(ねがい)は、果たして乙骨と夏油、どちらに向けられたものであったのだろうか。












「んー……まあ調子が良いんなら別に良いんじゃない?」

 あいつがどう思うかは知んないけど、と言うなり両手を前に突き出してぐぐぐ……と軽く腕を伸ばすのは目元の黒子と目の下の隈がやけに印象的な女性だった。
 名を家入硝子と言うこの女性は他人に対して「反転術式」が使える数少ない人物でもあり、此処、呪術高専の卒業生にしてこの学校の医師だったりもする。
 つまり彼女の手に掛かれば相当な深手を負ったとしても何とかなる確率が高い、と言うことだ。尤も、限度はあるらしいが。

「体調は頗る良好ですよ、硝子。ただ久しぶりのことだったので加減が難しく、正道の呪骸も何体か引き千切ってしまいましたが……」

 あと木製の床を何度かぶち抜きそうになったので早急に新たな呪符を用意して貰った、と語る女性は一糸まとわぬ姿でベッドに腰掛ける。
 ────────……と言うと、少し語弊がある。
 正しくは“裾よけを身に纏い”“両手足に新たな呪符を巻き付けた姿で”“ベッドに腰掛けた”、だ。
 まあそれでも肌面積の多さから気を遣って保健室のカーテンを閉めていた家入は「ほい。もう着ちゃっていいよ」、の台詞と共に預かっていた着物を女性に手渡す。もう診察は終わり終わりと雑に問診票を片付けながら。

「まっ、私としちゃ“別にこのままでも”とは思うんだけど──────おっと」

 どうやら口が過ぎたようだと溜め息混じりに肩を竦める家入は、手をヒラヒラと振るなり素早く保健室を後にする。邪魔者は退散とばかりに。
 故に「硝子を脅かしてはなりませんよ」と漏らしながら肌襦袢に袖を通す女性だったのだが────────前を合わせる前に“ぽすん”、とベッドに寝かされた。後ろから伸びてきた手に両肩を掴まれる形で。

 見上げる先に居たのは言うまでもなく、五条悟だった。

「先ずは着替えを」
「僕が怒ってる理由、解った?」

 天井を仰ぐ形となった女性の顔を覗き込みながら五条は相手にそう問い掛ける。
 肩を押さえつけられた事で起きあがろうにも起き上がれないでいる女性をその双眸に捉えたまま、“何で僕は怒っているのでしょう?”、と。

「────六眼の子が生まれたと知らされた際、すぐに会いに行かなかったから……では?」
「ブッブー。はずれ。“それ”はもうどうでも良いんだよね」

 「子供」じゃないんだから、だなんて言ってはあっけらかんとした態度で笑う五条だったが、女性はちゃんと気付いている。

 “彼が変わらず自分自身に対して怒り続けていることを”。

 しかし先ほど答えた以外の理由と言うのが一向に思い付かず、また一から考え直さねばならないのか……と少しだけ眉を下げては小さく息をつく。
 だがすぐに『考える時間は腐る程あるのだから』、と思い直すことで下がりかけていた視線を元に戻すと肩を押さえていた五条の手が徐に女性の腹に触れた。触れて、人差し指でツツツと肌をなぞられていく。

 彼の指が止まったのは彼女の心臓の真上だった。

「ほんと君って、自分に向けられるものに対してだけは信じようとも認めようともしないよねえ」
「……?」

 十数年も変わらぬ想いを吐き続けても尚、返ってくる言葉がいつだって同じであるぐらい“認めない”。

「僕は「巫蠱」が好きなんだよ。ちゃんと愛してる」
「────……いえ、悟の“それ”は、」

「知ってる。“正しくない”って言うんだろ?」

 自分が「人間(ひと)」として正しくないものに成り果ててしまったから、彼女に向ける此方の感情もまた“正しくないもの”だとして捉えられている。
 これだけ傍に居て、これだけ大切にし続けていても。
 “そのような感情”を与えられて良い存在ではないと彼女自身が強く認識してしまっているから、だから一向に此方の想いが届かない。

 後にも先にも誰かを一目見て「欲しい」、と思ったのは、「巫蠱(かのじょ)」が初めてなのに。

「ところで、」
「?はい」

「此処でするのと僕の部屋でするの、どっちが良い?」

 目元を覆っていた包帯を解き、にっこり笑顔で再び問い掛けると視線の先にいる女性が何とも分かりやすく首を傾げた。
 しかしすぐに過去にも似たような展開があった(・・・・・・・・・・・・・・・)ことを思い出したのだろう。顔から一気に血の気を引かせた女性は即座に、

「話し合いでの解決を望みます」

 と訴え掛けてくる。
 前回は話し合い(それ)で何とかなったから、との理由で。
 だが敢えてその解決法を無視する五条は、


「いい加減、我慢の限界」


 と口にするなり容赦なく女性の唇へと噛み付いた。
 仮にこの行為を非難されようものなら「たった一人の親友を喪って寂しくなったのだ」、とでも言って論点をすり替えてしまおうと思いながら。




(……いや流石にそれは最低すぎるか)




 やっぱりここは素直に愛情を示したくなったのだと伝えることにしよう。


















【呪いを内包している人の話】

20.11.21
23.03.15:加筆修正