「小娘。オマエは一つ、思い違いをしているぞ」


 変色した地べたに座り込み、(かいな)に抱いたものを呆然と眺めていた人物に対して「それ」は言った。
 わざわざ相手と視線を合わせる為に膝を折り、実にゆっくりとした動作で目の前に居る存在の顔を覗き込みながら。


「尤も、憶えていないのは無理もないがな」


 鋭利な爪を持つ右手が頬を撫でる。
 親指の腹で零れ落ち続ける透明な雫を拭いながら。
 鋭利な爪を持つ右手が首を絞める。
 喉元に食い込ませた親指に徐々に力を込めながら。

 四本ある内の二本を相手に触れさせたまま、尚も「それ」は語り続ける。


「オマエは俺の「もの」などではない」


 愉快そうに(ひとみ)を細め、これでもかと口元を歪ませながら「それ」は断言する。
 目の前の存在が虚ろながらも確と自身の姿を捉えたのを見るなり、頬を撫で、首を絞めていた右手を離しては“くつくつ”と喉を鳴らして。


「あの日、あの瞬間から、オマエは疾うに」


 “■■「■■」■■■■■■”。

 確かな「音」となって発せられたその言葉を、「彼女」は憶えていない。
 何故なら、己の腕の中で辛うじて形を保っていたものが音もなく爆ぜたからだ。それでいてビシャリ、と言う水音と共に赤黒い液体が「彼女」の上半身に飛び散ると又も視界が「赤」に染まっていく。

 まるでこの世には“この「色」”しか存在していないのだと言わんばかりに。


「ケヒッ、ヒヒッ、ハハッ!ハハハハハハハハハ!!」


 数多の(かばね)を踏み付け、踏み躙り、いつだって「それ」は高らかに嘲笑(わら)い続ける。
 故に「彼女」は耳を塞ぎ、目を閉じ、全てを「拒絶」した。
 自分が「間違い」を犯したことも、自分が「逃げ出した」代償が“これ”であったことも素直に認めた上で────────目の前の『現実(こうけい)』から目を背けた。
 それが余計に自身の「心」を蝕む結果となろうとも、「彼女」は自己を守るために他を見捨()てることを選んだ。




 涙はもう、枯れ果てていた。











「えーと、「呪胎九相図」は…………あ、これか」

 意外とあっさり見付かったな、と口にするなり「特級呪物」を手にするのは継ぎ接ぎだらけの皮膚を持つ青年だった。
 左右で色の異なる瞳に青みがかった灰色の長い髪を無造作に結った真人、と言う名のその人型呪霊は、手にしたばかりの「呪胎九相図」を乱雑に荷物入れの中へと放り込むと満足そうに口元を緩める。それでいて早々に踵を返すと、他のものには一切目もくれずに蔵を後にした。

 もう用件は済んだ、とばかりに。

「任務完了、っと。拍子抜けするくらい呆気なかった、な……?」

 蔵を出て、既に息絶えた忌庫番が居る通路にまで戻ってきた所で真人の視界が急に“ぶれた”。
 次いで風景がゆっくりと傾いていき、顔に僅かな衝撃が走る。故に何事だと思わず首を傾げ掛けたら──────そこで漸く彼は気付く。


 “己の「首」が地面の上に存在()ったことに”。


 つまり気が付いた時にはもう既に首と胴体が泣き別れていた(・・・・・・・・・・・・)のである。
 だからか「こんな事ってある?」だなんて吹き出しそうになっていたら、今度は音もなく頭に「何か」が乗せられた。生憎と視界の外だったので“それ”が何なのかは分からなかったのだけれど、まあ凡その察しはつく。

 この状況下で頭に乗せられるものと言ったら、それは「足」だ。

「どのような目的があるのかは知りませんが、私にとって「それ」は“とても重要なもの”なんです。持ち出さないで頂けますか」

 言うが早いか、女性は容赦なく真人の(かお)を踏み潰した。
 たった一回、それでも渾身の力で踏み潰せば、破裂音と共に地面に亀裂が入る。
 しかし靴底から伝わってきた感触に違和感を覚え、女性がすかさず首の落下と同時に地へと倒れ伏していた相手の胴体(からだ)に視線を移すと────────やはりと言うべきか、案の定真人が“起き上がっていた”。ボコボコと言う音を奏でては失ったばかりの頭部を新たに造り出しながら。

「んー、なんだろ、なんか違うような」
「…………」

「ねえ、アンタって本当に「人間」?」

 どちらかと言えば俺達寄りじゃない?
 そのような言葉を投げ掛けるや否や、真人は手にしていた荷物入れを放って地を蹴る。でもって瞬時に相手の懐に入り込むと掌を彼女の身体に触れさせようとするのだが、それに合わせるかのようにして振り上げられていた女性の爪先(あし)が文字通り彼の腕を吹っ飛ばした(・・・・・・)

「!」

 恐らく予想以上の衝撃だったのだろう、反動で僅かにバランスを崩した真人の脇腹に今度は女性の踵がめり込む。要は回し蹴りを食らったのである。
 しかもこれまた威力が半端なく、ぶちぶちと肉が引き千切れていく。そして骨も一緒に砕かれていく感覚を受けては、すぐさま吹き飛ばされた腕を再生させていく真人で。

「よ、い、しょっと!」

 原型ではなく、鋭利な刃物の形へと変形させた腕を勢いよく振るえば目の前に居た女性が寸でのところで身を仰け反らせた。そうしなければ首が落ちていたからであろう。
 また二撃目を警戒して仕方なく真人から距離を取る女性は相手の身体が繋がったままである事に眉を寄せると爪先をトン、と鳴らす。
 まるで振りきってさえいれば真っ二つに出来ていたのに、とでも言わんばかりに。

『まあ魂の形を知覚されない限りは例え真っ二つにされようとこっちにダメージは無いんだけど…………なーんか「変」なんだよね』

 吹き飛ばされた腕。
 引き千切られ、抉られた脇腹。
 どちら共に簡単に再生は出来たものの、やけに“呪力の消費が激しい”のだ。
 「領域展開」ほどでは無いにしろ、間違いなく通常以上の呪力が失われている。“相手に触れられた箇所から”。
 むしろ自分自身が取り込まれていくかのような感覚もあったのだが──────……。

「うーん。もしかして、そう言う術式だったりする?」
「────いえ、ただの体質(・・)です」

 真人の言わんとしている事が解ったのか、女性はこれと言って表情を変えないまま返事を返す。相手の近くにある「特級呪物」をどのようにして取り戻すかを考えながら。

『体質?術式じゃなくて?…………まあ良いや。この女について夏油は何も言ってなかったし、』

 何にせよ、此方の「目的」が変わることはない。
 ちゃちゃっと目の前の女を殺して速やかに「特級呪物」を持ち帰ろうではないか。

「それはそうと、」
「……?」
「アンタ、呪術師の中でもかなり弱い部類(ほう)でしょ」
「ッ!」

「実戦経験全く無いんじゃない?隙だらけだよ」

 直後、かつてのように己の足を変形させた真人が一気に距離を詰めてくる。
 故に女性は視界に飛び込んできた相手の掌へと即座に注意を向けるのだが、それを狙っていたのか否か、“顔面に真人の膝が叩き込まれた”。
 次いで間を空けること無く無数の棘で身体を貫かれると、夥しい量の血液が地面の上に流れ落ちていく。また女性が堪えきれずに口からも血を吐き出すと、

「やっぱりザコ専用で合ってたな、これ」

 などと漏らした真人が“ぺたり”、と彼女の頬に触れた。
 無意識なのか、少しだけ優しい手付きで。




無為転変(はい、おしまい)




 奇襲は成功したのに、残念だったね。
 そう述べるなり相手の頬から手を離そうとする真人であったのだが──────────“違和感”。

 なにか、可笑しい(・・・・・・・・)

「……?」

 「魂」に触れた感覚はあった。あった、のに。
 どうしてなのだろうか、「魂」に干渉することが出来なかった(・・・・・・・・・・・・・・・・・)
 今もなお相手の身体に触れたままだと言うのに、何故か「魂」の形を変えることが出来ないのである。
 むしろ変えようとすればするほど「何か」の気配が色濃くなっていき、「それ」が何なのかを理解する前に目の前の女性がゆっくりと顔を上げ────────言った。







「貴方の手は、ものすごく、不快(・・)、です」







 その言葉が紡ぎ出された瞬間、真人の脳裏に蘇ったのは圧倒的な存在感を放っていた「呪いの王」の姿で。
 思わず本能的に後ろへと飛び退ろうとすれば、それを阻むかのようにして女性に腕を掴まれた。
 そして握り締められた拳によって情け容赦なく顔面を貫かれると矢張り呪力が削ぎ落とされていくかのような感覚があり、不味いな、と思考する。

『この女、間違いなく宿儺の所有物か何かだ。“宿儺と「縁」が結ばれてる”。しかもこっちの呪力を、いや、「呪い(おれ)」を取り込めるような器になってるっぽいし』

 虎杖悠仁とは違い、「魂」の形を知覚していないので攻撃を受けても此方にダメージが通ることはない。が、代わりとばかりに呪力が削られていく。
 現に彼女によって欠損させられた部位を再生させていくと“かなりの量の呪力が失われていく”のだ。向こうは穴だらけになっていてもそ知らぬ顔で身構えていると言うのに。
 もしかして虎杖悠仁と同じで我慢強いタイプなのだろうか。若しくは痛みに鈍いとか。

『────うん、やっぱ長居は無用だな。ここでキッチリ殺しとくのも良いけど、何が宿儺の地雷になるか解んないし、五条悟に見付かっても面倒だしね』

 よし、撤退しよう。
 そう決めるや否や、胸元から発生させていた無数の棘を引っ込める真人は自身の足元にあった荷物入れを器用に蹴り上げる。でもって宙に持ち上がったそれを手にすると一目散に身を翻した(・・・・・)

「ばいばーい!」
「!待っ、」

 笑いながらこの場を去ろうとしている相手を前にしては女性がすかさず彼の後を追い掛け始める。
 だが、チラリ、と此方を盗み見てきた真人が突然「プレゼント!」と言う一言と共に「何か」を投げ付けてきたではないか。
 パッと見では礫、或いは木片のようにも思えたものの、彼女は「それ」が何かを理解していた。

 報告にあった「改造人間」である。

 案の定空中で質量を取り戻した数体の改造人間らは地面に着地するなり脇目も振らずに女性へと襲い掛かってくる。
 しかし今現在の彼女の最優先事項は真人が持つ「特級呪物」であったが故に目の前の彼らに時間を割いている余裕なんてなく、

(先にあっちを捕らえてから、)

 貴方達の相手をする、と即決した女性が振り被られていた改造人間の拳を避けて前に踏み出そうとすれば「待ってました」とばかりに“左耳と左腕が吹き飛んだ”。
 どうやら足を止めて此方へと方向転換していた真人が肉体の変形と共に斬撃を放ってきていたらしい。改造人間を死角(たて)にして。
 しかも駄目押しとばかりに更なる改造人間を投入されれば、飛び掛かってきた彼らによって女性の身体が見事に押し潰されていく。

「…………ッ!?」

 恐らく大小合わせて二十体程であろうか。
 わざと肥大化させられた肉体故に見た目通りの重量が伸し掛かってくると、流石の女性でも片腕だけでは捌き切れなくなってくる。
 無論通常時であれば極々普通に対処出来た数と重さではあったものの、



あそ(・・)……()……」



 踏ん張りをきかせていた両脚に“「子供(・・)」であっただろう改造人間”が纏わり付いては為す術もなく女性の視界が暗転したのだった。












「あれ、巫蠱は?」
「うん?」

 呪術高専に侵入した呪詛師を捕縛・隔離し、生徒全員の無事を確認し終えてからモニター室へと戻ってきた五条悟の第一声が“それ”だった。
 故に最後までカラス達を通じて状況を見守り続けていた冥冥が不思議そうに首を傾げる。でもって彼とほぼ同時に戻ってきていた庵や楽巌寺へと順番に視線を投げ掛けると少しだけ声のトーンを落としながら、「可笑しいな」、などと呟いた。

「割と早い段階で居なくなったから、てっきりキミらの後を追い掛けたのだとばかり思っていたんだけど」
「えっ、巫蠱さん居ないの!?」
「────」

 まさかの返答に庵が驚きを露にすれば傍らに立っていた五条が徐に口を閉ざし、僅かながらにも纏う雰囲気を変化させる。それでいて何を言うでもなく静かに踵を返そうとしたら、



「?私がどうかしましたか」



 噂をすればなんとやら、とばかりに当人の声が室内に響き渡った。
 「子供達は無事ですか?」と言う彼女らしい一言と共に。

「巫蠱さん!良かっ──────……ッ?!!」

 ホッとしたのも束の間、相手へと向き直った庵が何とも解りやすく動きを止める。
 否、彼女だけではなく、その場に居た全員が揃って言葉を飲み込んでいた。
 何故かと言えば、目の前の女性が余りにも凄惨な格好を晒していたからだ。
 恐らく鼻血を拭ったのであろう、その顔には見事な青痣が出来ており左耳に至っては姿形もなかった。
 それに上半身は穴だらけ、且つ、左腕は根本から完全に斬り落とされてしまっているときた。また身に纏う衣服が黒であるが故に解りづらかったものの、明らかに全身血まみれ、普通なら出血多量で死んでいても可笑しくはない状態であったのである。但し当人はどこまでもケロッとしていたのだが。

「すみません、本当はもっと早く戻るつもりだったのですが……情けないことに途中で脚が千切れてしまいまして。くっ付けていたら遅くなってしまいました」

 因みに切り落とされた左耳と左腕は改造人間達の体に押し潰されてしまっていたので掘り起こすのは後回しにした、との事であった。先ずは皆のもとに戻って今回の件を早く報告した方が良いだろうとの理由から。

『……いや、なんか言いなさいよ。アンタの場合、黙ってる方が怖いんだっつーの!』

 この状況下で唯一口を開くことが出来そうな五条が終始“黙ったまま”であったが故に庵が軽く彼を睨み付ければ、代わりとばかりに冥冥が口を開いた。「どうやら判断を誤ってしまったようだ。すまなかったね」と。
 だからかキョトンとしてしまう女性だったのだけれど、これ見よがしに息を吐いた楽巌寺に「先ずは手当てをせんか。そのままでは報告も何もあったもんではないわ」などと言われては神妙な面持ちで“確かに”と頷く。
 報連相ばかりに気を取られ過ぎて自分の格好をすっかり失念してしまっていたようだ。
 見苦しいものを見せてしまったと何処と無く申し訳なさそうに頭を下げる彼女は手当て、つまりは欠損した部位を急いでくっ付けるべくして身を翻す。楽巌寺に手伝うよう促された庵と共に。


 尚も口を閉ざし続けたままである五条をその場に残して。










「────続いて人的被害です」

 二級術師三名、準一級術師一名、補助監督五名。及び、忌庫番二名。
 これらは当時呪術高専に待機していた者達、要は夜蛾や五条らとは別行動を取っていた呪術師らだと伊地知は説明する。また女性からの証言も踏まえ、「全て」はツギハギ顔の呪霊の仕業で間違いないだろうとも断言しながら。

「この件って学生や他の術師と共有した方がいいですかね」
「……いや、上で留めておいて貰った方がいいだろう。呪詛師界隈に「特級呪物」流出の確信を与えたくない」

 それで捕らえた呪詛師は何か吐いたか、と続ける夜蛾を前に問われた側の伊地知は何とも言えなさそうな表情を浮かべる。この様子からして有益な情報は引き出せなかったのだろう。
 ただ件の呪詛師曰く今回の襲撃は飽くまで“取引のもと命令されてやったに過ぎない”、との事らしいが────……果たしてそれも本当なのかどうか。



【ハンガーラックを作りたかったんだ。それをあの坊主、名前は知らねぇ。男か女かも分かんねぇ白髪オカッパのガキだ】



 勿論こちらは「性別不詳の白髪オカッパの子供(ガキんちょ)」なんかに心当たりは無かったし、相手が適当なことを口にした可能性も大いに考えられたので全てを鵜呑みにしたりはしなかったのだけれど。

「そもそも何で呪霊や部外者が天元様の結界を抜けられたのよ」
「それは生徒達が相手にした特級呪霊のせいだと思う。特殊な気配を持ってる呪霊は呪霊でも限りなく精霊に近いんじゃないかな。葵の話だと植物に潜り込めたらしいし、天元様の結界も植物には機能しないでしょ」

 もとより「天元」の結界は「守る」ことよりも「隠す」ことに重点(おもき)を置いているのだ。
 だから扉の前に見張りを置く、だなんて行為はしないし、出来ないのである。門番なんて置いたら“ここが入口ですよ”と伝えているようなものだから。
 まあそのせいで過去にも侵入を許してしまったことがあったのだが──────それはそれとして。

「取り敢えず今は生徒達の無事を喜ぶとして……交流会はどうしましょうか」
「フム……」
「流石に中止すべきだろう。生徒達も無傷ではないのだからな」

 特に加茂や伏黒は重症の域であり、他の生徒らも程度は違えど疲労困憊。
 ならばここは生徒達の休息を何よりも優先すべきでは?、と提案する夜蛾であったのだが、まるで“それはない”と言わんばかりに近くから盛大な溜め息が吐き出されたのだった。




「ちょっと、それは僕達が決めることじゃないでしょ」




 交流会の主役は飽くまでも生徒達なんだから、と。














「巫蠱さんが洋服着てる!!?」
「他にもっと言い方はねぇのか」

 誤解を与えかねない発言をすんじゃねぇよ、と口にするなり野球着へと着替えていた虎杖の頭を容赦なく叩くのは伏黒恵であった。
 だが彼も彼でそれなりの物珍しさはあるのか、どこかそわそわとした様子で目の前の女性を盗み見ていると「むっつりめ」だなんて指摘を釘崎から受けてしまう。だからかすぐさま言い返そうとするのだが、何を思ったのか、そんな男子陣を押し退けて一歩前に踏み出した釘崎が突然マジマジと女性の姿を観察し始めたではないか。
 でもって満足そうに“うん”、と頷くと笑みと共に彼女を見上げてくる。

「てっきり和服しか着ないのかと思ってたけど、流石は私の良心。洋服姿も似合ってますね」

 そうなのである。
 釘崎の言葉通り、今現在の女性は普段とは違って珍しく切袴(わふく)以外の衣服に身を包んでいるのだ。詳しく述べると前開きのシャツワンピースを。

「洋服自体は硝子や冥冥によく頂くんです。ただ着る機会が余りなくて…………今回は普段のものが穴だらけになってしまったので、どうせなら、と」
「「「穴だらけ?」」」

「あ、いえ、こちらの話です。お気になさらず」

 ウエストで結んだ紐ベルトの位置を釘崎に調整されながら苦笑いを浮かべる女性は「試合、頑張って下さいね」、などと口にすると真希に呼ばれた三人をグラウンドまで見送る。
 何せ今日の“この試合”が今年度の「京都姉妹校交流会」の勝敗を決する大事な最終戦となったのだ。例年通りであれば個人戦であった筈なのに、何でか今年は「野球」での決着となったらしい。
 まあ厳正なるくじ引きの結果なので、一部の教師陣を除いて誰も何も異を唱えたりはしなかったみたいだが。文句を言ったところで競技が変わるわけでもないし、との事から。

「どうせなら巫蠱さんに良いところを見せなきゃね。何たって東北のマー君とは私のことなんだし」
「東北のマー君はマー君だろ」
「釘崎ー、マー君は投手だぞー」

「うっさいわ!空気読みなさいよ!」

 言ってバットを手に打席に立つ釘崎だったものの、京都校側の投手(ピッチャー)がまさかの“ピッチングマシーン”とあっては即座に乱闘騒ぎを起こすのだった。もっとも京都校側の言い分だと「それ」はピッチングマシーンではなく姿を変えた究極(アルティメット)メカ丸らしいのだが。

「…………」
(それにしても────…………あの人型呪霊は「魂」の形を変える、と聞いていたのに)

 やっぱり期待通りには行かなかったな(・・・・・・・・・・・・・・・・・)、と思考しつつ、女性は静かに目を細める。
 やけくそで出塁した釘崎や送りバントで次に繋げた伏黒、難なくヒットを打ったパンダに続いて最後の最後にホームランを決めてみせた真希へと拍手を送りながら。まあホームラン確定だったその一打は、呪術の使用許可が下りていた西宮によって呆気なくアウトにさせられてしまっていたのだけれど。

(そもそも分かっていたこと、だったのに……それでも期待してしまっただなんて)

 どこまで愚かなのだろうか私は、などと人知れず自嘲気味な笑みを溢していたら攻守交代で打席に立っていた東堂の頬に“豪速球がめり込んでいた”。
 しかも至るところから「ナイスピッチー」「ナイッピー」との声が挙がるものだから『今のはデッドボールと言うものでは……?』だなんて疑問と共に首を傾げてしまう女性で。





【ねえ、アンタって本当に「人間」?どちらかと言えば俺達寄りじゃない?】





 襟首を引っ掴まれた挙げ句に引き摺られる形で打席から離されていく東堂を見送りつつ、脳裏に例の人型呪霊の言葉を蘇らせた女性は無意識の内に己が頬へと手を伸ばす。
 それでいて僅かながらにも其処に爪を立てると“次は躊躇することなく殺して(とりこんで)しまおう”、と決意する。
 勿論そんなことをしたら五条と交わした「約束」を更に破る事となってしまうのだが──────それでも「アレ」は決して野放しにしていて良いものではないと身を以て知ってしまったが故に、“次こそは”、と。





「さっき、なに考えてたの?」





 「京都姉妹校交流会」二日目、野球戦。
 『2‐0』と言う結果で東京校の勝利に終わったグラウンドを後にし、諸々の片付けを済ませてから校舎に戻ろうとしていた女性の背中に唐突にそのような質問が投げ掛けられた。
 故に問われた側は素直に足を止め、暫しの逡巡後、徐に声のした方向(ほう)へと振り返る。
 ズボンのポケットに手を突っ込んだまま此方にまで歩んでくる五条の姿を己が双眸に捉えながら。

「ツギハギ顔の呪霊について、少し、考えていました」
「あれ、特に言葉は交わしてないって言ってなかったっけ」
「ええ、これと言って言葉は交わしませんでしたが……少々思うところがありまして」
「ふうん」

 「嘘」ではないが「本当」でもない。
 そのような答えを返しながら又もや人型呪霊に触れられた場所へと手を伸ばし掛けたら──────それよりも早く五条の手が女性の肌に触れていた。
 そう言えば先程の試合の最中にも触っていたな、と言うことを思い出したかのような態度で。

「もしかして、まだ違和感とかあったりする?なんだったらすぐ硝子に、」
「いえ……ただ、改めて気付かされたことがあったな、と」
「?」
「どうやら私は、悟の手じゃないと駄目みたいです。貴方の手が、一番、安心します」

 そう言葉にするや否や、女性は心底安心しきった様子で微笑(わら)ってみせた。
 まるで五条以外の温もりを忘れ去ろうとしているかの如き仕草で、彼の手に己が頬を擦り寄せながら。

「──────」

 だから、なのかは解らないものの、サングラス下の目を大きく見開かした五条が息を飲む。
 次いで微かに指先を震わせると、如何ともし難い感情を抑え込みながら静かに相手の唇に己が唇を寄せていく。
 大切なものを壊してしまわぬよう、なるべく優しく、触れるだけの口付けをしては目の前の愛しい女性をゆっくりと見下ろし、思う。

 やっぱり『これ以上は駄目だ』、と。

「……巫蠱」
「?はい」
「お願いが、あるんだけど」
「なんでしょうか?」

 いつになく真剣な眼差しで見詰められれば女性も真っ直ぐに五条を見上げ、問い返す。
 例えそれがどんな願い事であろうと「自分に叶えられることならば聞き届けよう」、と言う気持ちと共に。
 恐らく五条にも“その気持ち”が伝わったのだろう、ほんの少しだけ眩しいものを見るような目で女性を見下ろした彼は短いながらも確と己が「願い」を口にした。


 これ以上はもう“待ってやれない”とばかりに。





抱かせて(・・・・)











「そう言えば夏油さ、何で最初に教えてくんなかったの?」
「?」
「あの女のこと。知ってたんでしょ」
「ああ、そのことか。単純に知らせる必要が無いと判断しただけだよ」
「えー。宿儺の所有物なのに?」
「所有物、と言うより、あれはもう……」
「??」
「……いや。どのみち真人に彼女は殺せないから、言うだけ無駄かなって」
「まあ確かに直接殺しはしなかったけど……流石に死んでんじゃないかな。結構な数の改造人間をプレゼントしたし」
生きてるよ(・・・・・)。それは断言出来る」
「…………」
「“そう言う存在”なんだよ。させられた、と言うべきなのかもしれないけど」
「ふーん?」
「彼女を殺すことが出来る存在は、この世にたった一人しか居ないんだ。だからわざわざ知らせる事でもない、って判断したわけだし」
「なるほどね。で?結局あの女って「呪い」なの?「人間」なの?」
「さあ?私も久しく彼女と会ってないから、今の彼女が“どんな風に成り果てているのか”サッパリなんだよね。まあでも、きっと彼女のことだから何一つとして変わってないんだろうけど」
「……?」
「いや、気にしないでいいよ。こっちの話。とにかく彼女に会っても基本は放置で構わないから」


 どの道「彼女」の有り様なんて宿儺の出方次第で簡単に変わってしまうわけだしね。










 一度改造された人間はまず助からない、と、いつだったか家入が話していたのを思い出す。
 だから「襲われたら迷わず殺せ」と。
 それが“被害者の為でもある”、だなんて言葉も同時に思い出してしまっては──────女性が取る行動など、一つしかなかった。




「あそ……ぼ……」




 “このような姿”にさせられても本人は遊んでいるつもりなのかもしれない。
 そのような事を考えながらも、女性は残された腕を使って次々と襲い掛かってくる改造人間らの胴体を貫く。また腕が間に合わなければ足で、と言う形で彼らを屠っていけば、数に合わせて徐々に彼女の息も乱れていくのが解った。
 だがそれでも何とか踏ん張って最後の一体を片付けると、流石に気が緩んだのか、よろよろと身体をふらつかせながらも壁に背中を預けてゆっくりと息を整え始める女性で。

(やっぱり実戦には向かないな……)

 結局あの人型呪霊にも逃げられてしまうし、自分は一体なにをしに此処にまで訪れたのか。
 こんなことなら、「指」が動かされた気配を感じた瞬間にすぐさま冥冥へと助力を仰げば良かったのに。
 自分は大切な時にいつもいつも判断を間違える、と、そんな風に反省をし始めたところで────────不意に己が脚から違和感が伝わってくる。
 故に導かれるようにして視線を下げていったら、なんと太腿が盛大に抉れていた(・・・・・・・・)ではないか。
 どうやら改造人間達に噛み付かれた際に幾らか足の肉も持っていかれてしまっていたようだ。通りで途中からバランスが取りにくくなったわけである。

(歩け……なくはない、から、早く皆のもとに戻らないと……)

 「特級呪物」が奪われた。
 その事実をいち早く伝えるために取り敢えず一歩を踏み出そうとすれば、彼女の視界に小さな身体を持つ改造人間の遺体(すがた)が飛び込んでくる。
 恐らく肥大化させられた改造人間を打ち抜いた際に衝撃で一緒に吹き飛んでしまっていたのだろう。他と違って綺麗な状態のまま横たわっているその遺体(こども)を見て女性がふと遥か彼方の記憶を蘇らせ掛けたら、

「……う、っぐ」

 咄嗟に堪える暇もなく、まるで拒絶反応を起こしたかのようにして胃の中身が吐き出された。
 ただ地面の上に吐き出されたものはほぼほぼ赤い血液で、口を押さえたまま僅かながらにも身を屈めさせた女性は思わず「は」と笑みをこぼす。その割に今にも泣き出してしまいそうな表情(かお)をしながら。




「……っ本当に……救いようがない……」




 これまでにも数え切れない程の「子供」を殺して来たくせに(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)
 それなのに未だに“その事実(げんじつ)”を受け入れられずに居るだなんて────────なんて救いようがなく、憐れ、なのだろうか。






「惨たらしく死ぬべきは「私」の方なのに……っ」






 なのに、なんで、どうして私は、















【呪いを内包している人の話5】


21.01.13