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「お、らああああ!!」
それはそれは漢らしい雄叫びと共に手にしたピコピコハンマーを振り切る釘崎であったものの、如何せん軌道を読まれてしまっていたせいか渾身の一撃は物の見事に避けられてしまうのであった。
なのですぐさま持ち手を変えて二撃目を打ち込もうとするのだが、目の前の相手にいとも容易く手首を掴まれては軽やかな動作で足を払われてしまう。でもって僅かに浮いた身体を腕力だけで回転させられると
果たしてこの細腕のどこにそんな馬鹿力があると言うのか。
まあ背骨がイッていない時点でかなり手加減をされているのであろうが────────何にせよ、これで六度目だ。成す術もなく地面に寝転がらされたのは。
「ほい。一本取れなかったから受け身十回な〜」
「あーもうっ!いいわよ!やったろうじゃないの!!」
自身の手首を掴んでいる相手、つまりは近接戦の相手をしてくれていた女性の手を借りながら身を起こす釘崎は、握り締めていたピコピコハンマーを彼女に手渡すなり側に居たパンダのもとにまで足早に移動していく。次いで「来いや!」、と意気込むと彼の手によって容赦なく空中へと
「ツナツナ」
「あ?ああ……確かに落ち込んでる様子は無さそうだな」
放り投げては着地、放り投げては着地を繰り返すパンダと釘崎を一瞥した後に真希が女性へと視線を移す。
狗巻の指摘通り、件の女性はこれと言って落ち込んだ様子でもなければ空元気と言う風でも無かった。どこからどう見ても“通常通り”なのである。
てっきり例の一年生の「死」に胸を痛めているものと思っていたのに。
……ああ、いや、もしかしたら一頻り哀しんだ後だからこその
「しっかし“こんな形”での終わりとはね。ある意味では悟も残念だろ」
「明太子?」
「だってよ、虎杖悠仁ってのは千年生まれて来なかった宿儺の「器」だろ?予定通り全ての指を食わして虎杖を殺してれば、“巫蠱さんは完全に「
あの人を“ぐちゃぐちゃ”にした
それに「両面宿儺」さえ完全に消滅してくれれば、彼女の中に内包されている他の「呪い」なんて極めて簡単に祓えてしまえるのだから。
故に「両面宿儺」が受肉した今こそが彼女を自由の身に出来る千載一遇のチャンスであったと言うのに──────まさか全ての指を取り込む前に件の「器」が死んでしまうだなんて。
「……「器」が死んだことで確かに宿儺は祓えなくなりましたけど、だからと言って五条先生がすんなり諦めるとも思えないんで、きっとまた別の手段を探すんじゃないですか」
「まあ、それもそうか。巫蠱さんに対する悟の執着っぷりは群を抜いてヒデェからな。お前は“ああ”なんなよ」
「なるわけ無いでしょう。五条先生が抱く感情と俺が抱く感情は違うものなんですから」
そう口にするなり静かに立ち上がった伏黒を前に「どうだかな」、と返す真希は手にしていた長物をほらよと彼に放る。
かつての日と同様、今度は伏黒に武具の扱い方を叩き込んでいるのだ。
また近く行われる「京都姉妹校交流会」に向けて互いの癖や動きなどをきっちり身体に教え込んでおかなければならないのである。何たって初日の団体戦は“如何に仲間と連携が取れるか”で勝敗が決せられるのだから。
「あ、それはそうと、巫蠱さん。京都校の奴らに話し掛けられても基本“無視”でいいかんな。特に憲紀辺りは「京都に戻ってくる気はないのか」とか何とか言い出しかねねぇし」
「その程度なら別に良いんじゃないですか?どうしたところで五条先生が許可しないだろうし」
「憲紀に「一度だけでも」、とか何とか懇願されたら巫蠱さんは断らねえだろ。そうなった時の悟が面倒くせえ」
「ああ……なるほど。保護者同伴並みに引っ付いてくるでしょうね、
それが余りにも想像に容易い光景であったが故に伏黒も思わず頷いてしまったものの────────そもそもの話として女性が「子供」相手に“無視を決め込む”、だなんて行為を行える筈がなかった。
現に真希から「無視しろ」と言われてオロオロと狼狽えてしまっている始末である。つくづく子供に甘い人種であるようだ。
ただ向こうも向こうで自分達の心象を悪くさせたくはないだろうから、女性に対して無理を強いる、ひいては困らせるような事はしてこない筈だと真希は推測する。ああは言ったが、加茂家嫡男にして次期当主たる加茂憲紀は何よりも秩序を重んじる人間なので道理に合わない振る舞いは極力避けるだろうと。
それに、いざとなったらちゃちゃっと勝利を収めて、ぱぱっと京都に帰してしまえばいいだけの話なのだからそう重く捉える必要もないのだろう。
◆
「ちょっと小耳に挟んだんだけど、巫蠱さんって五条先生や学長よりずっとずっと年上って本当?」
「はい。ずっとずっと年上ですね」
呪術高専内にある道場の一つに足を運ぶなり虎杖にそう問われた女性は何て事なさげに頷く。彼のために用意した昼食用のおにぎりとお茶が乗ったオボンを畳の上に置いてはツツ、と相手の方に差し出しながら。
「悟から聞いたのですか?」
「うん。パッと見だと二十歳超えてんのかどうか解んなかったし、万が一巫蠱さんが未成年だったら先生ヤバくない?って聞いたら色々と教えてくれた」
全然合法だったと両手を合わせては「いただきます」の一言と共におにぎりを頬張り始める虎杖。
どうやら厳しい鍛練にもすっかり慣れてしまったようだ。五条の見込み通り飲み込みが早いのだろう。
まあ元々並外れた運動神経の持ち主だったので基礎さえしっかりと身に付けてしまえばあっと言う間に成長するだろうな、とは思っていたのだけれど。
「五条先生さ、俺が巫蠱さんのこと聞くと必ず惚気てくんの。あれって割と普通のこと?」
「ど、う、なのでしょう…………でも、もし、もし仮にそれが事実であるのだとしたら、悟には即刻やめるように申し上げておきますので…………」
「いや、俺は別に良いんだけどさ。五条先生、そんだけ巫蠱さんの事が大好きで堪らないってことだし」
一つ目をペロリと平らげて二つ目のおにぎりに手を伸ばす虎杖のその台詞に女性は何故か返事を返すことをしなかった。
この期に及んで
だから曖昧に笑って気付かれないように相手から視線を外す彼女は己の手を見やりながら少しだけ後悔する。
ここはありのままを受け止めておくべきだったのではないか、と。
勿論、本人を前にした時は素直に彼の言葉を受け入れようとしているのだが──────第三者視点からのものだとどうにも躊躇してしまうと言うか。要は未だに「覚悟」を決めきることが出来ないでいるのである。
五条悟と明確な関係性になってしまうことへの「覚悟」が。
「…………私も、悟は大事です。大切に、思っています」
「おおー」
「でも、本当に彼の事を想うのならば、私は悟の気持ちを受け入れるべきではないのでしょうね」
「……?何で??」
「「私」のような
“同じ時間を一緒には生きられない”。
そう最後まで言いきる前に、女性の口が音もなく塞がれる。気配もなくこの場に姿を現していた第三者の手によって。
「っ!」
「あ、噂をすれば」
「ごめんごめん。話が少し長引いちゃってね、待った?」
「へーき。メシ食ってたし……あっ、もしかしてコレ、先生の分だった?!!」
「いやいや、それは悠仁のだよ」
ゆっくり食べてて良いよ、と告げる五条はサングラス下の
でもって彼女の身体を抱え込むようにして畳の上に腰を下ろすと、「さて」、と漏らした。
「悠仁も呪力をコントロール出来るようになってきたことだし早速実戦に、って思ったんだけど、僕、海外への出張が決まっちゃってね」
「じゃあ実戦は先延ばしになるってこと?」
「いや。交流会のこともあるし、時間を無駄にするのもあれだから代打を頼んでおいたよ」
「??」
女性を腕の中に閉じ込めたままの五条がそう告げれば、向き合う形で座っていた虎杖が解りやすく首を傾げた。
次いで食べかけのおにぎりを口一杯に頬張り、もぐもぐもぐ、ごくん、としっかり飲み込んでから素直に「代打って?」と聞き返してくる。
だからか「その言葉を待ってました!」と言わんばかりにサングラスを光らせた五条が意気揚々と続きを紡ぎ出す。
「脱サラ一級呪術師こと七海建人くん。僕に信用と信頼と尊敬の念を抱いている彼に君の引率を頼んどいたから。因みに僕の後輩ね」
「脱サラ?」
「そ。会社勤めしてただけあって、かなりしっかりしてるよ」
本人が聞いていたら一ヵ所だけ訂正が入りそうだな、と思う女性ではあったものの、此処は敢えて口を噤むことを選択する。
何故ならば、
とは言え、機嫌を損ねさせたのは間違いなく自分自身なので最終的には己が五条を宥めなければならないのだが。流石に先程の発言は迂闊過ぎた。
「まっ、詳しいことは本人に聞いてみな。特に尊敬しているであろう僕の話とかね!」
「へーい。んじゃ俺は映画の続き見てくんね。巫蠱さん、おにぎり御馳走様!ちょー美味かった!」
「あ、いえ、お粗末様です」
おにぎりと一緒に用意されていたお茶を一気に飲み干し、何とも良い笑顔と共に道場を後にする虎杖。
それ故に女性も微笑みながら彼を見送ったのだが────────見計らったかのようにしてギュウウ、と身体を締め付けられては即座に五条の腕をペシペシと叩く。圧迫され過ぎて内蔵が飛び出るかと思ったのだ。勿論加減はされていたけれど。
「で?」
「……」
「僕に何か言うことがあるんじゃないの?」
「…………す、みません、でした」
「あれ、
“そんな存在と共に在るのでは余りにも彼が可哀想だ”、と、確かに彼女はそう口にした。
そして「それ」は、紛うことなき彼女の本心だった。
ずっと胸に仕舞い込んできた、嘘偽りの無い本音の一つ。
但し最近はなるべく考えないようにしていたことでもあり、考えを改めなければ、と思っていたことでもあったのだが。
「そもそも巫蠱が居なきゃ僕は幸せになれないってのに、まだそれが解らない?」
「……いえ、解ってはいるつもり、です」
「でも不安になるわけだ?自分と共に在ることで僕の未来が犠牲になるんじゃないかって」
「────……」
「僕はさ、僕の「全て」を巫蠱にあげるつもりでいるんだよね。身も心も、ぜーんぶ。だから僕にも頂戴。
そう言って相手の顔を覗き込む五条は、そっ、と彼女に口付ける。
一度目はただ触れるだけ、でも二度目は身体の向きを変えさせて真正面から深く口付けていく。
相手から求めてくるようになるまで何度も何度も角度を変えては舌を絡め取り、未だにこれらの行為に慣れないでいる女性を強く抱き締めては繰り返し「想い」を言葉にしながら。
「いい加減、巫蠱も「僕」を欲しがってよ」
◆
【記録】
2018年、9月。
神奈川県川崎市、キネマシネマ。
上映終了後、男子高校生3名の変死体を従業員が発見。
【死因】
頭部変形による脳圧上昇、呼吸麻痺。
◆
「────ねぇ。アンタはさ、魂と肉体、どっちが先だと思う?」
◆
対象の「魂」の形を変える術式。
その発動条件は「原型の掌のまま対象に触れること」なのではないか、と七海建人は
それでいて自身の得物を納める専用のホルスターを背中に装着すると最後の仕上げ、とばかりにズボンのポケットから独特な形をしたサングラスを取り出す。
「奴は「呪い」として発生してからそう時間が経っていないのだと思います。実験、と称していた位ですから、自分がどこまでのことをやれるのか人間を介して試しているのでしょう」
「人型の呪霊か。五条を襲った特級呪霊とやらも徒党を組んでるっぽいって話だったし、もしかしたら仲間なのかもしれないな」
「可能性は高いでしょうね。私としてはあのまま潰れていてくれることを願うばかりですが──────自身の姿形も変えられるのです。
だからこそ野放しにしておくわけには行かないのだ。
あの手の
「ですが…………聞く限りだと、その呪霊と建人の術式は余り相性が良くないのではありませんか?」
「ええ。私の攻撃は奴に効きません。出来て精々動きを止める程度でしょうか」
「…………。……あの、でしたら」
「
預かっていた上着を七海に返しつつ、恐る恐る女性が口を開くと即座に言葉を遮られた。まだ本題を告げた訳でも無かったと言うのに。
「いえ、あの、まだ何も」
「駄目です。確かに貴女は簡単には死なないような
「……でも、せめて悠仁の代わりに」
「大丈夫だと思える明確な根拠があるのでしたら、お聞きします。聞くだけですが」
サングラスの位置を調整しながらキッパリと言い捨ててくる七海を前に女性は思わず「うっ」、と言葉を詰まらせる。
どうしても明確な根拠、とやらを口にすることが出来なかったのだ。
故に助け船を求めて彼の治療に当たっていた家入に視線を投げ掛けるのだが、如何せん彼女は彼女で“我関せず”とばかりに肩を竦ませていた。どうやら女性を前線に出したくないのは家入も同じであるらしい。
見るからにしょんぼりと肩を落とし始める女性を前に小さいながらも溜め息を吐き出す七海は尚も抑揚を感じさせない声音で「巫蠱さん」、と彼女の名を口にする。
「「
「!いえっ」
「
此方をジッと見詰めながら真っ直ぐにそう言い放たれては、流石の女性も口を噤むしかなかった。
ここで変に食い下がってしまったら一級呪術師としての彼の
だから不安や心配の種を全て飲み込んで「……気を付けてくださいね」、と述べる女性は少しだけ眉を下げつつも普段通りに微笑む。
すれば向き合う先の七海もサングラス下の瞳を柔和に細めてくれたのだが────────、
「悪いことは言わん。巫蠱、七海にしとけ」
「止めてください。五条さんを敵に回したいんですか」
割とガチめのトーンでそう述べた家入に、これまたガチめのトーンで即座に言葉を返す七海は軽く粟立った背中に気付かない振りをしたのだった。
◆
「
◆
【記録】
2018年、9月。
里桜高校での事件後、吉野順平の自宅から実母、吉野凪の遺体と剥き出しの宿儺の指(副左腕小指)が見つかる。
宿儺の指に寄せられた呪霊に襲われたと見られる吉野凪の遺体は腰から下が欠損していた。
現場には黙視で確認可能な血痕はなく、吉野凪の遺体は寝室に横たわっており、掛け布団を捲ると、あるだけの保冷剤と氷嚢が敷き詰められていた。
◆
「なーんか、僕って肝心な時に席を外してばっかだよねー」
「いえ。貴方の階級を考えた場合、居合わせない事の方が普通なんですよ」
むしろ今までがプラプラとし過ぎだったんです、と述べるなり七海は手元の新聞に目を落とす。
何分「特級」を冠する呪術師はたったの四人だけ。しかもその内の一人は任務を全く引き受けずに海外を彷徨いている“ろくでなし”なので、自然と個人に割り振られる案件数も決まってきてしまっているのである。それでなくとも五条は有用性の高い能力の持ち主であるし。
「重めの任務を幾つかこなしてもらう、って、別に、そう言う意味じゃ無かったんだけどなぁ」
やっちゃったかなあ、と呟き、傍らに居る女性の肩に寄り掛かる五条は小さく息をつく。
どの道この仕事を続けていく上で「
確かに遅かれ早かれ向き合わなければならないことではあったのだが──────「今」では無かったよな、と五条悟は考える。
「呪術師」としてまだまだ成長過程にある虎杖悠仁には間違いなく
「悠仁なら大丈夫ですよ。あれからずっと傍に居りましたが、自分なりにちゃんと向き合い、しっかりと気持ちの整理を付けていたみたいですから」
「……なら良いんだけどね」
その言葉を受けたからなのか、今度はぐりぐりと女性の肩に顔を押し付け始める五条であったが故に七海が「平然といちゃつき始めるの止めて頂けませんかね」などと溜め息を漏らす。
しかし変に重苦しい空気で居られても困るのでそれ以上は何も言わずに居ると、タイミングが良いのか悪いのか、近くからトタタタタッと軽快な足音が響いてきた。
「あっ、五条先生ー!!」
「んー?」
「早く皆のところに行こうぜ!」
噂をすればなんとやら。
目を輝かせながら三人の前に姿を現した虎杖はチラチラと外の様子を窺いつつ「早く早く」、と五条を急かす。
何たって今日は待ちに待った「京都姉妹校交流会」。
つまり死んで生き返ってから漸く皆の前に姿を現せられる日とあってワクワクが抑えきれないのだ。
ただ『感動の再会』『二年の先輩』『京都校現る!』と浮き足だった様子の虎杖を前に、徐に女性の肩から顔を上げた五条は暫しの沈黙後、何故か神妙な面持ちで口を開く。
「悠仁……もしかしてここまで引っ張って普通に登場するつもり?」
「えっ、違うの!?」
「死んでた仲間が二月後、「実は生きてました」なんて術師やっててもそう無いよ」
“やるでしょ、サプライズ!!”
そう言ってビシッ!と人差し指を掲げる担任だったが故に、当の教え子たる虎杖が何とも解りやすい程のキョトン顔を晒す。全く以て予期せぬ展開だったからだ。
だって生きているだけで割とサプライズだな、と思っていたくらいだし。
「ま、僕に任せてよ。一年は嬉しさと驚きで泣き笑い、二年も京都も貰い泣き。嗚咽のあまりゲロを吐く者も現れ、最終的に地球温暖化も解決する」
「────……イイネ!!」
「だろう?」
「何したらいい!?先生、俺、何したらいい!?」
「何もしてなくていい!!僕の言う通りにしろ!!」
「だから何したらいい!?」
「変なことをすると野薔薇辺りに怒られますよ。普通に報告するのが一番です」
嬉々として立ち上がった五条と簡単にノせられた虎杖を見て女性が当然の如き苦言を呈するのだが、如何せん今の彼らにその言葉が届くことはなかった。
しかも早速とばかりにサプライズの準備に取り掛かり始める両名だったので力業で止めるしかないのだろうか、と眉を下げていたら「ああなったらもう止められないでしょう」だなんて指摘を七海から受ける始末で。
「では、私はこれで」
自身の腕時計を確認するなり座っていたソファーから音もなく立ち上がる七海だったので、女性も静かに腰を浮かすと当然とばかりに彼の後に続く。
因みに五条と虎杖は既に姿を消しており、件のサプライズとやらが何だったのかは流石の彼女にも解らずじまいだった。まあ嫌な予感しかしないのだが。
「色々と悠仁を気に掛けて下さりありがとうございました」
「大人として当然の事をしたまでです……と言いたいところですが、私は彼に助けられた身です。貴女に信じて下さいと言った手前、情けない限りでしょう」
「いいえ。建人との任務は悠仁にとって、とても良い経験となった筈です。私は改めて貴方に任せて良かったと、そう思いましたよ」
「────……」
校舎を出て呪術高専の入口にまで七海を見送りに来た女性は再度「ありがとうございました」、と口にすると終始穏やかな眼差しで彼を見つめる。
七海が居てくれて良かったと、本当にそう思っているのだろう。
故に口を噤むしかなかった七海は彼女に向けて軽く会釈をすると早々に身を翻す。一級術師と言う立場もあって次の任務に赴かなければならないのだ。
だから今度は「行ってらっしゃい」の意味を込めて一度だけ頭を下げる女性であったのだが──────────……、
「巫蠱さん」
次の瞬間、入れ代わり立ち代わりとばかりに姿を現す者たちが居た。
「────……憲紀?ああ、こうしてお会いするのは久しぶりですね。息災のようで何よりです」
「ええ。御無沙汰致しております」
名を呼ばれた事で女性が声のした方向に視線を投げ掛けると、先ず一番に飛び込んできたのは和装を身に纏う青年こと加茂憲紀の姿で、年齢の割に実に落ち着いた様子で階段を上がってきた彼は久方ぶりとなる相手の前に立つと柔和に微笑んだ。
すれば、
「加茂君ってあんな風に笑えるんだ……」
「意外ですね」
「あれは相手が巫蠱さんだからよ」
などと彼の後ろでヒソヒソと話し出す女性陣だったが故に、加茂の前に居た女性が微笑みと共にそちらへと目を向ける。
「葵と真依は以前こちらにまで赴いて下さったのですよね。お会い出来なくて残念でしたが…………個握とやらにはちゃんと間に合いましたか?」
「当然だ。俺との逢瀬を心待ちにしていたであろう高田ちゃんを悲しませるような真似など……この俺に出来る訳がない!」
「ちょっと、今のはどう考えても私に話し掛けてきてたでしょ。割り込んでこないでくれる?」
服の上からでも解る筋肉質な肉体と左頬から額に掛けて大きな傷跡を持つ青年こと東堂葵が神妙な面持ちでそう答えると、彼の近くに居た禪院真依が見るからに顔を歪ませたのが解った。
しかし気を取り直して女性へと挨拶をすると、それに便乗するかのような形で箒を持った金髪の少女こと西宮桃と、日本刀を佩刀した空色の髪を持つ少女こと三輪霞が次々に「こんにちはー」と口を開き始める。どうやら挨拶の機会を窺っていたようだ。
ただその中で唯一沈黙を貫き続ける
「おいコラ、人様ン所の良心に気安く話し掛けてんじゃないわよ。いいからさっさと菓子折り出しな。八ツ橋、葛切り、蕎麦ぼうろ!」
「しゃけ」
「腹減ってんのか?」
京都校の面々に取り囲まれていた女性を発見するなり彼らにメンチを切る形で姿を現したのは釘崎野薔薇だ。
またその後ろには真希と伏黒、パンダと狗巻の姿もあり、腹が空いているのか否か、やけに苛立たしげな様子で登場した釘崎の存在に京都校の面々が僅かながらにも呆気に取られてしまっていたら──────その隙を突くようにして狗巻が女性の手を引いた。
そしてこれが正式な立ち位置だと言わんばかりに女性を
「あら。全員揃ったみたいなのに────「馬鹿」だけが居ないのね」
生徒達に少し遅れる形で入口に続く階段を上がってきたのは赤い袴を着用した女性で、顔に大きな傷を持つ庵歌姫は辺りを窺うなり隠すこともせずに溜め息を吐き出す。そこはかとなく呆れと忌避感を滲ませて。
「悟は遅刻だ」
「
「誰も「バカ」が五条先生の事とは言ってませんよ」
「おまたー!!」
パンダ、真希、伏黒が口々にそんなことを述べていると見計らっていたかのようにして件の五条が登場する。何でか大きな箱を乗せた台車をガラガラと押しながら。
故か、彼を嫌う庵があからさまな舌打ちをしたのだが、すぐ傍に女性が居たことを思い出すと途端に咳払いをして居住いを正し始める。
なるべく彼女には良く見られたい、と言う感情があるらしい。今更な気もしなくはないが。
「やぁやぁ皆さんお揃いで。私、出張で海外に行ってましてね。折角なんで、はいコレ、お土産。京都の皆にはとある部族のお守りを。あ、歌姫のはないよ」
「いらねぇよ!!」
言うが早いか、これまた微妙な感じの
それでいて自身の教え子たちが居る方に台車を移動させていくと、
「そして東京都の皆にはコチラ!!」
だなんて言ってはハイテンションのまま大きな箱を指差す。そして、
「じゃっじゃーん!!なんと故人の虎杖悠仁君でぇーっす!!」
「はい!おっぱっぴー!!」
予め決めていた流れと台詞を合図に虎杖が勢い良く箱の中から飛び出せば、当初の予想に反して待ち受けていたのは────────────────確かな「静寂」で。
「「………………」」
『えっ……え──────!!?』
釘崎も伏黒も確と虎杖の姿を双眸に捉えているのに、何故か何も言って来ない。それどころか、完全に無反応だった。
喜んでもいなければ、泣いてもいない。
挙げ句の果てに二年生の先輩らは雑談に興じ、京都校の面々に至っては手土産の方に夢中になってしまっているときた。
…………あれ?聞いてた話と全然違くない?
「──────宿儺の「器」!?どう言うことだ……」
「あっ、楽巌寺学長ー!いやー、良かった良かった!」
次第に居たたまれない気持ちに苛まれていく虎杖を余所に、五条はこの場に姿を現した初老の男性へと軽々に声を掛ける。
因みに生徒達と違って杖を片手に実に愕然とした様子でいたのは耳、鼻、口の至る所にピアスを付けた京都府立呪術高等専門学校の学長こと楽巌寺嘉伸で。
死んだとされていた虎杖から此方にまで歩んでくる人物に視線を移す彼は、まるで相手を射殺さんとせん眼差しで五条のことを
「びっくりし過ぎて死んじゃったりしたらどうしようかと、流石の僕も心配しちゃいましたよ」
「──────この糞餓鬼が」
ククッと喉を鳴らしながら顔を覗き込んでくる五条に血走った目と共に殺気を向ける楽巌寺。
それ故に「お年寄りはすぐ怒るよねー。怖い怖い」などと肩を竦ませながら屈めていた身を起こす五条であったのだが────────如何せんタイミングが悪かったらしい。
気付いた時にはもう既に楽巌寺とは違う意味で怒りを露にしていた人物にガッシリと襟首を掴まれてしまっていた。
「それで、他に何か言うことはあるか」
「えー……と……報告が遅れました、的な?」
「そうか」
五条の襟首を掴んだ相手。
つまりは東京都立呪術高等専門学校の学長たる夜蛾正道にそのような返答を返したことによって、彼は自業自得でしかない鉄拳制裁をその身に食らう事となったのであった。
◆
「そう言えば、今日は憂憂と一緒では無かったのですね」
「京都姉妹校交流会」一日目、団体戦。
教師陣と一緒にモニターが取り付けられた部屋へと移動した女性は、徐に隣の席に座っている人物にそう話し掛けた。但しその目は『チキチキ呪霊討伐猛レース』に取り組んでいる生徒らを眺めたままで。
「おや、憂憂も御所望だったかい?なら今度は彼も交えて一緒にデートでもしようか。どこがいいかな」
だから、と言うわけでもないのだが、ゆっくりとした動作で顔を持ち上げた人物こと一級呪術師の冥冥が蠱惑的な笑みと共に女性の方へと身を乗り出してくる。三つ編みに揺った長い前髪に顔の半分を隠しながらも獲物を見定めるかのような瞳で相手の頬をツツ、と撫でながら。
「デートする分には構わないけど、日本国内にしてね。冥さんの場合、ガチで巫蠱を国外に連れ去りかねないし」
「ふふっ、そうなった場合は追ってくるのかい?」
「いや、連れ去られるよりも前に取り戻すよ」
全力で、と返すなり女性に触れたままの冥冥を一瞥する五条。
すれば可笑しそうに肩を揺らしながらすぐさま相手から身を離す冥冥だったが故に、会話を聞いていた庵が何とも分かりやすく溜め息を吐き出す。曰く「女相手にガチになってんじゃないわよ」と。
「ところで“あの子”、どうして四級なんだい?実力だけで言えば疾うに二級だろうに」
「あー、真希ね。僕としても昇級させてやりたいんだけど、禪院家が邪魔してるくさくて。素直に手のひら返して認めてやりゃ良いのにさ」
「へえ。やっぱり金以外のしがらみは理解出来ないな」
「相変わらずの守銭奴ね」
もしかして今日もお金積まれた?と口にしては冥冥へと視線を投げ掛けてくる五条だったが為に問われた側は「さてね」、とだけ返事を返す。まあ“それ”がある種の『答え』になってしまっていた訳だけれど。
「にしても、一対一って、皆ゲームに興味なさ過ぎない?コレ呪霊討伐レースだよ?」
「本当……どうしてあの子達はもっと仲良く出来ないのかしら」
「歌姫に似たんでしょ」
「私が仲良く出来ないのはアンタだけよ」
アンタはまず先輩を敬う事を覚えろ、と続けては隣の席に座る五条をキッと睨み付ける庵。
何分、彼は学生の頃から“こう”なのだ。
年上である庵に敬語を使わない、どころか、完全に舐め腐った態度で此方へと接してきているのである。
故に「五条悟」に対する庵の好感度は底辺中の底辺にまで下がってしまっているのだ。それはもうこれ以上下がりようがない程に。
つまり庵歌姫と言う人間は割と
「巫蠱さん、考え直すなら今の内ですよ。いえ、むしろ本気で考え直して下さい。コイツだけはマジでオススメしません」
「?」
「この世で僕以上に巫蠱の事を理解出来てる男なんて居る?居ないでしょ。そんなことも解らないから歌姫はモテないんだよ」
全くこれだから〜と言わんばかりに肩を竦ませては
だからか遂にブチッ、と切れた庵が怒りのままに彼の胸ぐらへと掴み掛かろうとすれば────────────その瞬間、壁に貼り付けられていた呪符が“突如として一斉に燃え出した”。
しかもその全てが「赤色」、つまり東京校が祓ったと言う結果となっていた為に中途半端に腰を上げていた庵が目を見開かす。
「え……
「妙だな、烏達が誰も何も見ていない」
赤い煙を立ち上らせている呪符を前に庵が愕然とした様子で口を開けば、目を閉じていた冥冥が訝しみを露にする。
何せ術式で視覚を共有している筈のカラス達が“呪霊が祓われたであろう瞬間を一切見ていなかった”のだ。
あれだけの数を同時に祓ったと言うのに一羽たりとも「それ」を目撃していない、ともなれば、どう考えても“これ”は作為的な「何か」である。
生徒達以外、恐らくは呪術高専内に入り込んだ「
「……俺は天元様の所に行く。悟は楽巌寺学長と学生の保護を。冥は此処で
「委細承知。賞与期待してますよ」
流石に団体戦どころではなくなったのか、座っていた椅子から静かに立ち上がり瞬時に教師陣へと指示を出す夜蛾はすぐさま身を翻す。宣言通り「天元」の元へ赴く為だ。
すれば庵や楽巌寺、五条が揃って動き始めたので当然の如く女性もそれに続こうとしたのだが──────────案の定止められてしまう。例に漏れず五条悟によって。
「巫蠱は冥さんの側に居て。あ、でも浮気は駄目だよ」
「っですが、」
「“大丈夫”。あの子達のことは僕に任せて」
言うが早いか、「後はよろしく」の一言と共に部屋を出ていく五条だったが故に成す術の無い女性は開きかけた口を静かに閉ざしていく。
次いで行き場のない感情を持て余すかのようにして再び椅子に腰を下ろすと、
「本当の役立たずは私なのではないでしょうか……」
などと、見るからに肩を落とし始めた。
何分、こう言った不足の事態の際に一度も役立った試しがないのだ。
まあ元々争い事には向いていない性質なので当然と言えば当然でもあるのだが。全く以て
『……痛みも感じなければ死にもしない。ならせめて子供達の代わりに傷くらい背負いたいのに、』
それすらも出来ない自分に一体どのような価値があると言うのか。
やはり此処は五条の制止を無視してでも一緒に行動すべきだったのでは?とすら考え始める女性を横目に索敵を任された冥冥が「ふむ」、と声を漏らす。生徒達が居る区画内に「帳」が落とされたのを確認したのだ。
しかも視覚効果よりも術式効果を優先して下ろしている辺り余程腕の立つ「呪術師」、否、「呪詛師」が居るのだろう。若しくは件の「侵入者」と繋がっているとされる“裏切り者”とやらの仕業であろうか。
「向こうの「狙い」が何にせよ、私達は此処で大人しく状況を見守ろうじゃ──────……うん?」
カラス達と視覚を共有したまま何気なく隣の席へと視線を投げ掛ければ、一体全体どうしたことか、件の女性がいつの間にか“姿を消していた”ではないか。
今の今まで確かに「そこ」に居たと言うのに。
だからか『相変わらず音が無いな』、と喉を鳴らしてしまう冥冥は取り敢えず五条にだけでもその事を伝えておくかと手持ちの端末を取り出そうとするのだが────────何を思ったのか、ふと思い留まる。それでいて、
「ま、たまには“こう言うこと”があったって構わないだろう」
だなんて呟くと、今一度目の前のモニターへと向き直った。
“行動を制限してばかりでは嫌われてしまうからね”、と愉快そうに笑みを深めながら。
◆
「お、
ほんと、
【呪いを内包している人の話4】
20.12.26
24.05.23:加筆修正